わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

もみじマーク考=磯崎由美(生活報道センター)

2008-12-24 | Weblog

 「強制的に付けさせられるなんて情けなく、恥ずかしくてならない!」(74歳女性)

 「マークの何が悪い。運転は格好でするんじゃない。事故防止が先です」(83歳男性)

 道路交通法改正で75歳以上のもみじマーク(高齢運転者標識)表示が義務化されることを書いた際、高齢の読者からいただいた声だ。「こんなマークを付けると周りの車に嫌がらせされる」と不安がる人がいる一方で「付けてから道を譲ってもらうことが増えた」と喜ぶ手紙もあり、さまざまな思いがあるものだと教えられた。

 本格実施まで半年となったいま、警察庁は方針を再検討している。「統計上、事故防止効果はある。でも表示率が上がらない」というのが義務化に踏み切った理由だったが、与野党内で「高齢者いじめ」との批判が出たためらしい。今年は後期高齢者医療制度に対する風当たりが強かっただけに、総選挙の年を前にした高齢有権者への気遣いが垣間見える。

 一度は義務化が決まった効果で、3割程度だった表示率は7割まで上がったが、見直しの内容次第では、また下がるのだろう。高齢ドライバー事故は高齢化の速度を上回る勢いで増えている。少しでも安全につながる施策を進めてほしいという交通事故遺族らの願いも切実だ。

 そもそもお年寄りは高齢者扱いされるのが嫌なのだろうか。優先席を譲られて怒る人は見ない。もみじマークは落ち葉にしか見えず、高齢者に優しいとのメッセージにはほど遠い。

 いっそマーク自体を見直せばいい。81歳男性からの手紙にはこうある。「ハート形にしてはどうでしょう」





毎日新聞 2008年12月24日 0時09分


その時その一言=玉木研二

2008-12-24 | Weblog

 とっさの時にジョークを飛ばす。アメリカ大統領の必須条件らしい。靴を投げられたブッシュ氏は「サイズは10だった」と応じたが、これよりペリーノ報道官の「今後記者会見では靴を預けてもらいます」の方がずっと出来がいい。彼女は騒ぎで倒されたマイクで顔にあざをつけていた。女は強しである。

 数ある前例の中で最も有名なのは、81年、時のレーガン大統領が銃撃で胸に重傷を負い、病院で手術前に医者たちに言った「君たちみんな共和党員だろうな」。ナンシー夫人に「弾をよけるのを忘れていたよ」。

 なかなかの役者である。実際映画俳優だった。大統領人気は高まり、政権は安定した。

 だが、機知の一言常備の大統領ばかりではない。74~77年在任のフォード大統領は、地位に野望はない議員だったようだが、辞任の副大統領を継いだ後、大統領(ニクソン)がウォーターゲート事件で辞任、気づくと白亜館の主になっていた。

 総じて地味だった。だからか、彼が75年9月に2度も銃で暗殺されかかり、間一髪逃れたことを大方の人は忘れている。気の利いた一言はなかったものかと、事件当時の記事をめくったが、見当たらない。「フォード回顧録」では、上に重なった警護員に「そろそろ、のいてくれよ。息が詰まってしまうぜ」というのがあるが、これではね。

 でも平時では気の利いた自己評の一言を残している。「私は(大衆車の)フォードで(高級車の)リンカーンではない」

 期せずして世界最強国のトップに立たされた男の苦笑の一言かと思えるが、未曽有の破滅的自動車危機に揺れる今のアメリカにはどう聞こえるだろう。(論説室)





毎日新聞 2008年12月23日 東京朝刊