わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

人は知らず知らず=玉木研二(論説室)

2008-12-16 | Weblog
 銀行の振り込み機の前で思いとどまるよう行員らが説得しても「子が大変なことに」と応じず、みすみす大金を詐取される。実に不可解に思える話だが、これは「確証バイアス」という誰にもあり得る心理の働きらしい。人ごとではない。

 有斐閣の心理学辞典は「ある考えや仮説を評価・検証しようとする際に、多くの情報のなかからその仮説に合致する証拠を選択的に認知したり、判断において重視したりする傾向」と教える。あの子が大変と想像したらそれに沿ってしか状況を読み取れなくなるらしい。被害者の大半が、振り込め詐欺の横行を知りながら陥るのである。

 事件だけではない。まことに人は思い込みに弱い。無意識にきめつけに見合う情報を選び「思った通り、やっぱり」とうなずいていないか。辞典も「日常の社会的場面では、仮説を反証する情報を探す場面はほとんどなく」という。人はなかなかこれから解放されないようだ。

 政治や歴史でも著しい。

 例えば、圧政の独裁者が街の子供と写真に納まると、ソフトイメージの演出といわれる。あんなやつが心から子供に目を細めるはずがない、と。だが直視しなければならないのは、そんな子供好きの、いわば普通の人間が権力を握るや暴虐を尽くすという、誰しも無縁ではないおぞましさではないか。やはり悪魔のようなやつは骨の髄まで自分とは別種の悪人のはず--。私たちの頭の中では、そんな単純な構図が落ち着くらしい。

 話が飛びすぎた。でもこの際、自分が選んできた情報をいったん棚上げし、見落とした、いや見ようとしなかった逆の情報を集めてみようか。





毎日新聞 2008年12月16日 0時05分