わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

通の手紙=磯崎由美

2008-12-19 | Weblog
 <惨状を座視しているわけにもいきません。私もいかなる協力も惜しみません>

 埼玉県飯能市の介護施設で働く落合豊さん(41)は昨夏、県老人保健施設協会に手紙を出した。コムスン問題を検証した毎日新聞の連載で、財務省主計局の「介護は本当に賃金が低いのか。医療に比べ、現場の声が上がってこない」との言葉を目にしたのがきっかけだった。

 祖母の介護でやりがいを知り、6年前に介護職に就いた。結婚し娘も生まれたが、手取りは月20万円。心身の負担は重く、去っていく後輩を慰留する言葉もない。その現状と財務官僚の意識のギャップに驚き、手紙で署名運動を提案したのだ。

 後日、協会会長から返事が届く。<必ずや虹を見る日が来ます。皆で頑張りましょう>。報酬引き上げを求める署名活動は埼玉から全国に広がり、166万人分が集まる。その署名を添えた要望書を今年3月、財務省と厚生労働省に提出した。

 こうして、過去2度も引き下げられてきた介護報酬は来年度初めて3%上がることになった。労働者の給与アップにどれだけ直接反映されるかはまだ分からないが、1人の訴えがうねりをつくり、国に政策の流れを転換させた意義は大きい。失業者が増えるというのに、人手不足の現場がある。給与が上がるなら介護職に就きたいという若者も現れるかもしれない。

 「時代が必要とする仕事です。せめて普通の暮らしができる職業にしたい」。落合さんは給料が上がったら、「お金じゃないよね」と理解してついてきてくれた妻のためにも、いつか小さな中古の家を買い、2人目の子が欲しいと思っている。(生活報道センター)





毎日新聞 2008年12月17日 東京朝刊

人は知らず知らず=玉木研二(論説室)

2008-12-16 | Weblog
 銀行の振り込み機の前で思いとどまるよう行員らが説得しても「子が大変なことに」と応じず、みすみす大金を詐取される。実に不可解に思える話だが、これは「確証バイアス」という誰にもあり得る心理の働きらしい。人ごとではない。

 有斐閣の心理学辞典は「ある考えや仮説を評価・検証しようとする際に、多くの情報のなかからその仮説に合致する証拠を選択的に認知したり、判断において重視したりする傾向」と教える。あの子が大変と想像したらそれに沿ってしか状況を読み取れなくなるらしい。被害者の大半が、振り込め詐欺の横行を知りながら陥るのである。

 事件だけではない。まことに人は思い込みに弱い。無意識にきめつけに見合う情報を選び「思った通り、やっぱり」とうなずいていないか。辞典も「日常の社会的場面では、仮説を反証する情報を探す場面はほとんどなく」という。人はなかなかこれから解放されないようだ。

 政治や歴史でも著しい。

 例えば、圧政の独裁者が街の子供と写真に納まると、ソフトイメージの演出といわれる。あんなやつが心から子供に目を細めるはずがない、と。だが直視しなければならないのは、そんな子供好きの、いわば普通の人間が権力を握るや暴虐を尽くすという、誰しも無縁ではないおぞましさではないか。やはり悪魔のようなやつは骨の髄まで自分とは別種の悪人のはず--。私たちの頭の中では、そんな単純な構図が落ち着くらしい。

 話が飛びすぎた。でもこの際、自分が選んできた情報をいったん棚上げし、見落とした、いや見ようとしなかった逆の情報を集めてみようか。





毎日新聞 2008年12月16日 0時05分

民主化と司法の重み=近藤伸二

2008-12-15 | Weblog

 市民生活や経済に深刻な影響を与えたタイの反政府団体による空港占拠を終わらせたのは、軍でも警察でもなく、憲法裁判所だった。選挙違反事件にからんで与党3党に解党を命じ、政権を崩壊させたのだ。

 結果的に、司法が社会の混乱を収拾する役目を果たしたことになる。だが、憲法裁判事は反政府派が主流で、政府支持者は「司法によるクーデターだ」と強く反発しており、不安定な状況は解消しそうにない。

 台湾では、横領などの容疑で検察当局に逮捕された陳水扁(ちんすいへん)前総統が「政治的な迫害だ」と非難し、一部の支持者らも抗議活動を続けている。

 陳前総統の支持者らは、もともと司法を信用していない。独裁体制を敷く国民党が、検察も裁判所も意のままに動かす時代を経験しているからだ。

 司法が重みを持たない社会では、何が正義なのかあいまいになり、不正を指摘・摘発されても「開き直った者勝ち」という風潮がはびこってしまう。私が台湾をウオッチしていて痛感することだ。李登輝元総統も退任後、やり残した仕事の一つに司法改革を挙げていた。

 経済発展と民主化を達成し、アジアの優等生といわれたタイと台湾が、ともに司法の独立で試練を迎えているのは偶然ではない。直接選挙など民主主義の枠組みが整う速度に、法の支配や市民社会という意識の確立が追い付けなかったことが今日の事態を招いたのである。

 日本では来年から裁判員制度が導入される。これで国民の司法に対する信頼を高めることができるのか。司法制度でも日本がアジアのリーダーになれるかどうかが問われる。(論説室)





毎日新聞 2008年12月14日 大阪朝刊

座敷童子=萩尾信也(社会部)

2008-12-14 | Weblog

 岩手県遠野市。霊峰・早池峰の山中にある廃校に、座敷童子(ざしきわらし)が出るらしい。誰もいなくなった師走の教室で、佐々木仲子さん(64)に教わった。

 山の学校が閉校になったのは昨年春。お別れ式には3人の在校生に昔の卒業生が加わり大盛況だったが、翌日から、人の気配がピタリと消えた。

 彼女が運転する軽トラックが、廃校の前に差し掛かったのはその夏の夕刻だった。「子どもらいなくなってさびしぐなった」。ため息をつくと、首筋に視線を感じた。振り返ると、教室の窓から女の子が見ている。

 「誰もいねえはずだのに」。思わず、ブレーキを踏んだ。

 すると、玄関から飛び出して校庭を一直線に走って来る。年のころは小学校低学年、おかっぱ頭に赤い着物。「座敷童子だ!」。身構えると、立ち止まってめんこい顔で笑っている。

 「寂しかったのか。こっちさおいで」。声をかけると姿が消えて、風が車に飛び込んだ。その夜、家で寝ていると、突然、布団の周りで子供たちが駆けっこするような物音が続いた。

 「廃校の活用事業で時々、街の子供たちが遊びに来ることになりました。仲子さんには今後、山の幸の手料理を振る舞ってほしいんですが」。駆けっこの翌日に役所から誘われた。

 以来、街の子供たちの来校が決まる度に、前触れとして夜中に童子がはしゃぐそうだ。

 明治時代の人々の心模様を記録した「遠野物語」。発刊から98年に至る今も、遠野の里にはいまだに心に精霊たちを宿す人々がいる。

 ちなみにこの座敷童子。邪念や欲の強い人の心には、見えないそうだ。





毎日新聞 2008年12月14日 0時21分

男性より女性の方がリセッションの影響受けにくい=調査

2008-12-14 | Weblog
[ロンドン 9日 ロイター]

 51カ国以上の2万8153人を対象にした調査で、男性はお金があると幸福感が増す一方、女性は友情や子ども、同僚、上司などとの人間関係に、より大きな喜びを見出しているとの結果が出た。

 ニールセンが4月に実施した調査によると、男性よりも女性の方が幸せに感じている国は51カ国中48カ国に上った。例外はブラジルと南アフリカ、ベトナム。

 同社のコンシューマーリサーチ部門バイスプレジデントのブルース・ポール氏は、「女性は幸福感が経済以外の要素とつながっているため、リセッションによる影響を受けにくい。それが、世界全般で女性の方が男性より幸せ度が高い理由かもしれない」と、リリース文で指摘した。

 女性と男性のギャップが最も大きかったのは日本で、その差は15%だった。





2008年12月10日 10時23分

「金融危機」がドイツの2008年流行語大賞に

2008-12-13 | Weblog


 12月11日、「金融危機」がドイツの2008年流行語大賞に。写真はフランクフルト証券取引所での様子。11月撮影(2008年 ロイター/Kai Pfaffenbach) [ベルリン 11日 ロイター] ドイツ語協会は11日、今年の流行語大賞に「Finazkrise(金融危機)」を選んだと発表した。

 同協会は、「『Finanzkrise』という言葉は、銀行や不動産、金融分野の劇的な変化を総括している。この言葉は今年、ほかのどんな言葉よりも関心を集めた」と述べた。

 次点には「verzokt(賭博をやり続ける)」が選ばれ、オバマ次期米大統領の選挙中のスローガン「Yes, we can」が10位に入った。





2008年12月12日 12時00分

水没、危機感に「南北差」=客員編集委員・黒岩徹

2008-12-13 | Weblog

 「世界は神がつくったが、オランダはオランダ人がつくった」。何世紀にもわたる干拓で、領土を広げてきた国の言葉である。今では国土の3分の2が海水面下である。

 そのオランダが、さらなる国土拡張計画を練り始めた。政府諮問機関の委員会がオランダの沿岸地帯に人工島を建設せよ、と提案した。地球温暖化による海面水位上昇に備える将来計画である。

 海岸地帯に人工島を並べれば、高潮、暴風雨に強く、新たな農地も確保できる。潮流を利用する潮流発電、あるいは風力発電も可能だ。島をオランダ特産物にちなんでチューリップの形にする、などの提案も含まれている。委員の一人はいう。「島の形の案は一種のジョークだが、国民だれをも議論に参加させようという狙いがある」

 オランダの掘削会社がドバイの海岸地帯にヤシの形の人工島を建設した実績があるだけに、島の形の案は、まんざらジョークでもなさそうだ。

 だが世界には、海面上昇に干拓で対抗する能力も資金もない国が数多い。サンゴ礁などでつくられた海抜数メートルしかないインド洋、太平洋の島嶼(とうしょ)(嶼は小島の意)国だ。かつて筆者が太平洋の島嶼国トンガを訪れ、政府高官に台風や高潮で水没しないか、と尋ねたことがある。「そんなときはヤシのてっぺんにのぼって水が引くまで待つ」とジョークでかわされた。だが地球温暖化の現在、ことは深刻化している。

 昨年11月、モルディブの首都マレでトンガを含む島嶼国会議が開かれた。今世紀末までに海面上昇で水没するといわれる参加国は、先進国に地球温暖化防止策を訴えた。だが、彼らの危機は危機のままである。10月末、30年の独裁政権を国民投票で倒して当選したモルディブのナシード新大統領は、最重要課題は民主主義の回復よりも、地球温暖化対策だとし、観光による収益を他国の土地を買う資金にする意向を示した。水没の危険が生まれたとき国民を避難・定住させる土地をインド、スリランカなど外国に求めようというのだ。

 「日本沈没」という作家・小松左京氏の小説がベストセラーになったころ、やはり作家の筒井康隆氏が「日本以外全部沈没」というパロディーを書いた。世界の沈没により各国指導者たちが日本で鉢合わせになる。毛沢東、周恩来が蒋介石を見て「嫌なやつが来た」と道を変えたりする。

 国の沈没を前に島嶼国は、オランダのジョークも、日本のパロディーも聞いてはいられない。深刻さが海岸にひたひたと押し寄せているのだ。(東洋英和女学院大教授)





毎日新聞 2008年11月18日 東京朝刊

ASEAN、広がる暗雲=アジア総局長・藤田悟

2008-12-13 | Weblog

 東南アジア諸国連合(ASEAN)は今月中旬にタイで開く加盟10カ国の首脳会議で、最高規範となる「ASEAN憲章」の発効や共同体創設の行動計画を発表し、2015年の共同体実現に向けた華々しい一歩をうたいあげるはずだった。しかし、議長国タイでの国際空港封鎖という混乱によって、会議延期が確実な情勢となり、共同体構想の行く末に暗雲を漂わせている。

 憲章は、ASEANが将来的に欧州連合(EU・27カ国)のような共同体を目指すため、国際法上の枠組みを定め、各国が順守すべき規則や意思決定方式などを明記したものだ。立法、行政、司法の機能を定めた欧州憲法と比較すると未成熟で、基本原則の域にとどまるが、新興国と途上国の寄せ集めであるASEANが地域協力の深化に共通の理念を定めた意義は大きい。

 首脳会議の延期は、その憲章の発効を国際社会にアピールする機会が先延ばしになるという意味で外交的なつまずきだ。だが、それ以上に、より深刻な問題をはらんでいる。

 ASEAN域内には、タイやマレーシアなど、ある程度の民主的な政治体制を打ち立て、経済的にも成長が著しい国々がある一方、軍事独裁のミャンマーや世界でも最貧国に数えられるラオスもあるなど、各国の政治・経済の発展度に大きな格差が存在する。従って、共同体構築での最大の課題は、域内の「先進グループ」と「後発グループ」の格差をどう埋めていくかという点にある。今年の首脳会議では、「後発グループ」を後押ししていくためのさまざまな具体策を盛り込んだ行動計画も採択する手はずだった。

 ところが最近、これまでASEANをけん引してきたマレーシアやフィリピンが政情不安の様相を見せ、域内の「先進グループ」に変調がうかがえる。さらに「最大の優等生」であったはずのタイで起きた空港封鎖という異常事態は、ASEAN各国に大きな衝撃をもたらした。

 「優等生」たちが崩れ始めれば、「先進グループ」が「後発グループ」を支援しながら全体の発展を底上げしていくという基本的な協力手法が機能しなくなり、ASEAN全体の発展が行き詰まってしまう。

 共同体構想を軸に、域内各国の連携を進めてきたASEANにとって、首脳会議の延期は、共同体構想そのものに水を差すと同時に、国際的な信用力の低下をも招きかねない。タイの政治危機は、ASEAN全体にとっての危機でもある。





毎日新聞 2008年12月2日 東京朝刊

露パイプライン不要論=欧州総局長・町田幸彦

2008-12-13 | Weblog

 国際金融危機をめぐる経済情報に振り回される日々が続く。19世紀英国の宰相ディズレーリの名言が、どこからか聞こえてきそうだ。

 「うそには3種類ある。うそ、とんでもないうそ、そして統計だ」

 だが、もっと重大な「うそ」は、国の針路を混乱させかねない内容を含んだ経済予測かもしれない。どのような予測にしろ、誤りはつきまとう。間違いと分かれば、速やかに修正することだ。

 欧州連合(EU・27カ国)は先月13日、欧州の天然ガス需要予測を修正し、2020年のガス需要予測を昨年3月発表より約20%、減じた。そこで焦点になるのは、EUのガス輸入量の約4割を担うロシア。エネルギー問題専門家の一部には、次のような見方が浮上している。

 「今回の修正予測を勘案すると、ロシアの対欧州輸出量は2020年で1400億~1600億立方メートルにとどまり、現在の輸出量と変わらない。そうであるならば、膨大な建設費用がかかるロシア・ドイツ間の『ノルド・ストリーム』とロシアからバルカン地域・欧州を結ぶ『サウス・ストリーム』の2本のガスパイプライン建設はいらなくなる」

 プーチン露首相は最近、「ノルド・ストリーム」建設撤回も辞さないと強硬発言をぶちまけた。その背景には、EUのガス需要予測が大幅に外れて、ガスパイプライン不要論が生まれている現実へのいら立ちが作用している。「強気」は空威張りでしかない。

 天然ガス専門コンサルティング会社イースト・ヨーロピアン・ガス・アナリシス(EEGA)の2020年の予測では、懸案の2大パイプラインはいずれも輸送能力・輸出量ゼロと想定されている。つまり、この時点では完成されることのない計画と見越しているのだ。一方、ロシアの天然ガス独占企業ガスプロムはいまだに2020年でノルド・ストリーム550億立方、サウス・ストリーム300億立方の輸送能力・輸出量を予測している。だが、これは一方通行の希望的観測に終わる可能性が高い。権威主義が災いして軌道修正できずにいる。

 クレムリンがオバマ新政権下の米国との関係改善に期待する真意は、ロシア経済の屋台骨である石油・ガス輸出の顧客を、欧州以外にも拡大しておきたいからだ。期待というより、むしろ「あせり」と言ってもいい。これまでのロシアの資源外交の攻勢は、明らかに色あせ始めた。原油価格低迷が続けば、ロシアは予想外の大不況に陥る恐れがある。





毎日新聞 2008年12月9日 東京朝刊

ジュネーブ オバマ外交への期待

2008-12-13 | Weblog

 米大統領選を前にした10月下旬、ジュネーブの地元紙に「オバマ氏が当選したら、米大統領のジュネーブ訪問が再びあるだろうか」という記事が出た。記事には「(ブッシュ政権が背を向けた)国連人権理事会に、オバマ政権の米国なら戻ってくるかもしれない」「米国がほったらかしにしてきた(多国間外交での)役割を再び担うようになってくれるのでは」と、オバマ氏への期待が並んだ。

 国連欧州本部を抱えるジュネーブは、人権や軍縮、経済といった分野での多国間外交の拠点都市だが、国連軽視の単独行動主義だったブッシュ政権の下では影が薄かった。クリントン前大統領は8年間の在任中にジュネーブを4回訪れたが、ブッシュ大統領は一度も来なかった。

 いや、正確には、レマン湖の対岸にあるフランスのエビアンで03年に開かれたサミット(主要国首脳会議)出席のため、ジュネーブ空港に専用機で乗りつけたことはあるが、そのままヘリコプターに乗り換えてエビアンへ飛び立ったのだという。

 その反動もあって、ジュネーブに駐在する外交官の多くは「オバマ政権は、多国間外交を重視してくれるのではないか」と期待を込めて語る。イラク戦争での威信低下や金融危機での経済弱体化などが言われても、多国間外交における米国の存在感は、やはり圧倒的なものがあるからだ。米国の主張に共感しようが反発しようが、その事実を否定することはできない。

 米中露など抜きの107カ国で今年5月にクラスター爆弾禁止条約案を採択した軍縮交渉「オスロ・プロセス」でも、米国は常に陰の主役だった。全面禁止を主張して交渉をリードしたノルウェーは最終盤に「米国が絶対に譲れない点はどこか」を注意深く探り、条約に参加せずに、クラスター爆弾を保有し続けるであろう米国との共同作戦を認める特別な条項を入れることで妥協した。米国という“トラ”の尾を踏んだら、すべてご破算になるのは明らかだったからだ。

 クラスター爆弾をめぐっては、米中露を含めた108カ国が参加する特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)でも規制交渉が行われてきたが、交渉はいったん決裂。今月14日に閉幕したCCW締約国会議は、来年2月から仕切り直しの交渉を行うことを決めた。

 ある外交官は会議後、私に「今年の交渉は1月から始まった。来年も1月から始めようという意見が最初に出たけれど、やっぱり2月からにしようということになった。どうしてか分かるだろう?」と謎をかけてきた。

 その心は、1月20日のオバマ政権発足後にしたいということなのだという。政権発足1カ月で新しい政策など出てくるわけがないのだが、それでも、どうせならオバマ政権になってからにしたい、ということらしい。オバマ政権への期待の背景にある、ブッシュ外交が植え付けた不信感の根深さを垣間見た気がした。【澤田克己】





毎日新聞 2008年11月24日 東京朝刊

英国 救出された子供たち

2008-12-13 | Weblog
 ロンドン・リバプールストリート駅前の小広場に、重そうなかばんを持った子供たちの銅像がある。この記念碑にはベルリン、ウィーン、プラハなどドイツ、オーストリア、旧チェコスロバキアのさまざまな都市名が刻まれている。第二次世界大戦の開始直前、ロンドンにたどり着いたユダヤ人の子供たちの出身地だ。

 「キンダー・トランスポート(子供の輸送)」。欧州大陸にナチス・ドイツの脅威が広がった1938年12月から9カ月間、イギリスのユダヤ人団体やクエーカー教徒などの民間組織や個人の尽力によって、主に英国へユダヤ人の子供約1万人を送った救援活動はそう呼ばれた。先月23日、ロンドン市内でキンダー・トランスポート70周年の記念集会が開かれた。会場のユダヤ人学校校舎には、かつて救出された子供だったお年寄り約500人が集まった。

 集会参加者のウィーン出身、オットー・ドイチュさん(80)に話を聞いた。ドイチュさんの父は、38年11月にドイツやオーストリアで起きたユダヤ人攻撃騒動「水晶の夜」事件でナチス当局に拘束され行方不明になった。キンダー・トランスポートの事業を知った母はドイチュさんと姉を渡英させようとしたが、17歳までの年齢制限を1歳上回った姉は認められず、当時10歳のドイチュさんは一人で出国した。その後、母と姉はマリトロスチネツ(ベラルーシ)の強制収容所に連行され、死亡した。

 「英国ではキリスト教徒の家庭に7年間暮らした。英国人夫婦は優しく接してくれて、人間として生き返った感じがした。英国人は例外があるにせよ一般的にとても寛容性のある国民だと思う。ユダヤ教徒の孤児の私に改宗を求めることもなかった」

 ドイチュさんが言うように、ユダヤ人の子供たちは英国に感謝している。そして戦後、彼らの多くは英国に残り英国民として暮らし続けている。その一人、ヴェラ・ギッシングさんの回想録「キンダートランスポートの少女」(邦訳・未来社)の訳者、木畑和子・成城大教授(61)=ドイツ現代史=は「戦争を目の前にした貴重な行為として位置づけられる」と語る。

 もっとも世界大恐慌の後、多くの失業者を抱えた欧米諸国でユダヤ人難民入国に厳しい制限をつけたうえ、当時の対ドイツ宥和(ゆうわ)政策で批判を浴びた英国政府が子供だけ受け入れを認めたところに外交的思惑もあった、と木畑教授は指摘する。実際に集会の討論では、キンダー・トランスポートについて「英国の国家的意図は何だったのか」と詰問する場面もあった。

 英国への疎開児童だったユダヤの人々には癒やしようのない恐怖心が残っている。フランク・ベックさん(77)の言葉は現在への警鐘に満ちている。

 「悲劇はドイツのせいだと限定して言われる。真実ではない。どこでも起こり得る。最近の経済危機によって無意識の偏見と少数派迫害が高まるだろう。多分、今度はイスラム教徒に対して」【ロンドン町田幸彦】





毎日新聞 2008年12月8日 東京朝刊

米国 家族との時間

2008-12-13 | Weblog

 米国人は早起きだ。日の昇らぬうちに出勤する人も珍しくない。午前5時半過ぎには、まだ暗い住宅街を、乗用車が行き交う。高速道路の渋滞も、ピークは午前7時台。「米国人は働き者か」と思いきや、実は家に帰るのも早かった。午後4時過ぎには帰宅ラッシュがピークになる。

 彼らの帰宅が早いのには理由がある。子供の野球チームのコーチから芝刈り、家の修繕に落ち葉拾い。家には仕事が山積しているのだ。

 「力仕事は父親の担当」が不文律の社会。母親と子供で落ち葉を掃けば、近所から「虐待か」と疑われる。

 うちの息子の野球チームのコーチ、ルイスは弁護士。頻繁にニューヨークとワシントンを行き来する多忙な毎日を送る。ところが、その彼が、平日午後5時半からの練習には欠かさず出席している。「忙しくて、朝は目を覚ました子供とは会ったことがないんだ。せめて野球だけでも付き合ってやりたいと思ってね」とルイスは笑顔で話す。

 彼に限らず、米国の少年野球チームのコーチはほとんどが選手の父親だ。聞いてはいたが、その参加率の高さには圧倒される。

 私はといえば、週末の試合に時々、パソコン持参ではせ参じるのがやっとだ。

 そこでつくづく考える。日本で働く父親、母親のうち、いったい何人が週3回、5時半からの子供の行事に参加できるのだろうか、と。

 働き方の違いと言ってしまえばそれまでだが、「家族との時間」へのこだわりには、見習うべきものがある。【斉藤信宏】





毎日新聞 2008年11月16日 東京朝刊

あまのじゃくでいい=元村有希子(科学環境部)

2008-12-13 | Weblog

 ノーベル賞ウイークが終わった。10月の発表以来、露出量が際だっていたのは物理学賞を受けた益川敏英・京都産業大教授(68)だろう。

 カメラが囲む中で「ばんざーい、なんて言わないよ」とおどけたり、授賞式に臨む心境を聞かれて「2カ月も前から分かっていること」と淡々と答える。マスコミの期待をことごとくはぐらかし、予定調和を壊す様子は痛快で、「あまのじゃく」と呼ぶにふさわしい。

 あまのじゃく。仁王様に踏んづけられているあの子鬼である。失礼ながら、小柄な益川さんのイメージにぴったりだ。実際、益川さんは研究人生にもあまのじゃく精神で臨んできたと私は想像する。他人が期待すること、誰でもやっていることをなぞっていても、本当の独創は生まれない。

 青色発光ダイオードの量産技術を発明した中村修二・カリフォルニア大教授は、あらゆる研究者が挑戦し尽くしてあきらめた窒化ガリウムという材料を使い、不可能を可能にした。選んだ理由は「もう誰もやらない材料だから」だった。

 「動脈硬化のペニシリン」と呼ばれるコレステロール低下薬を発見した遠藤章・東京農工大特別栄誉教授。60年代、遺伝子研究全盛の米国に留学した若い遠藤さんが興味を持ったのは、時流に遅れているうえ「脂質なので実験器具を洗うのが面倒」と敬遠されていたコレステロールだった。

 もちろん困難な道ほどリスクは高く、成功の陰には失敗の山がある。しかし、あまのじゃく精神を発揮してこそ得られる何かがある。独創を武器に戦う科学者の信条といってもいい。





毎日新聞 2008年12月13日 0時04分


ニューヨーク いつかは白人客も

2008-12-13 | Weblog

 ふとした縁で知り合った黒人女性のビビアンさん(56)が経営する米コネティカット州の理髪店に、3年前から通い続けている。月1回、ニューヨーク郊外の自宅から1時間以上かけて通うのは、彼女の温かい人柄のせいだ。

 ビビアンさんは米国における人種問題の貴重な先生でもあった。故郷の米南部ジョージア州では、いまだにメディアに報道されない黒人への「リンチ」が起きていること。多くの黒人居住区では学校にも家にもプールがなく、住民がスイミングスクールに通う経済的余裕もないため、黒人が水難事故に遭う割合が白人の数倍であること……。

 ビビアンさんは、黒人初の米大統領就任が決まったオバマ氏の信奉者だったが、今回の大統領選民主党候補者選びでは意外にも白人女性のヒラリー氏を支持していた。大統領選における「ヒラリーの勝利」を望んでいたわけではない。未来を託せる唯一の存在が大きなダメージを受けることになる、「オバマの敗北」を回避したかったのだ。

 「彼はまだ若い。もっと経験を積んでからの方がいい。それからでも間に合う」。人種差別の現実を生きてきたビビアンさんだけに、人種によって分断された米国を一つにと、理想を訴える47歳のオバマ氏が、危うく映ったのかもしれない。

 オバマ氏は「黒人のアメリカも白人のアメリカも、ラテン系のアメリカもアジア系のアメリカもない。あるのはアメリカ合衆国だ」と語る。いつしかビビアンさんの店にも、白人客が髪を切りにやって来る日が訪れるのだろうか。【高橋秀明】





毎日新聞 2008年12月7日 東京朝刊

究極の原因は「官僚主導」であること

2008-12-12 | Weblog
2008年12月11日(木)




 江戸幕府は、なぜ崩壊したのか。将軍も老中も名ばかりの操り人形で、支配層に統治力がなかった。だから薩長に倒される前に自壊していたのだ。文芸評論の野口武彦さんが、そう言っている(「政体の末期に人材が払底するのはなぜか」中央公論十二月号)。

 井伊大老暗殺から明治に至る十年に満たぬ間に、老中は二十人以上もいた。彼らは譜代の大名で世襲ポストだった。操っていたのはたたき上げの奥右筆(ゆうひつ)、今の官僚たちだ。野口さんの自壊論は、これらを証左に挙げている。そして「政治力の衰退を示す生体標本」だと。改革派に担がれた徳川慶喜も時すでに遅く、最後の将軍となったのは歴史の教えるところだ。

 右の指摘をまつまでもなく、平成の世もよく似ている。二十年間で首相は十三人を数える。自民党政治が衰弱する一方で、官僚たちの操りの術は健在だ。加えて、ここへ来て麻生人気の急降下だ。報道各社の世論調査で、内閣支持率は軒並み20%台に落ち込んだ。きりもみの飛行機やら泥舟やらと、永田町はかしましいほどだ。

 ぶれと迷走。失言や国語力も。二カ月半にして問われること多く、かくて危険水域へと。選挙の顔だったはずが、もはや戦えぬと離反の声も相次ぐ。選挙を経ない首のすげ替えは今や許されまい。さりとて人材難か、代わる表紙も見えない。争鳴と漂流の図か。

 野口さんによれば鍵は「自己修繕能力」となる。さて大修繕ができるか、それとも歴史は繰り返すのか。歳晩の政権に寒風が吹く。




東奥日報