わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

その時その一言=玉木研二

2008-12-24 | Weblog

 とっさの時にジョークを飛ばす。アメリカ大統領の必須条件らしい。靴を投げられたブッシュ氏は「サイズは10だった」と応じたが、これよりペリーノ報道官の「今後記者会見では靴を預けてもらいます」の方がずっと出来がいい。彼女は騒ぎで倒されたマイクで顔にあざをつけていた。女は強しである。

 数ある前例の中で最も有名なのは、81年、時のレーガン大統領が銃撃で胸に重傷を負い、病院で手術前に医者たちに言った「君たちみんな共和党員だろうな」。ナンシー夫人に「弾をよけるのを忘れていたよ」。

 なかなかの役者である。実際映画俳優だった。大統領人気は高まり、政権は安定した。

 だが、機知の一言常備の大統領ばかりではない。74~77年在任のフォード大統領は、地位に野望はない議員だったようだが、辞任の副大統領を継いだ後、大統領(ニクソン)がウォーターゲート事件で辞任、気づくと白亜館の主になっていた。

 総じて地味だった。だからか、彼が75年9月に2度も銃で暗殺されかかり、間一髪逃れたことを大方の人は忘れている。気の利いた一言はなかったものかと、事件当時の記事をめくったが、見当たらない。「フォード回顧録」では、上に重なった警護員に「そろそろ、のいてくれよ。息が詰まってしまうぜ」というのがあるが、これではね。

 でも平時では気の利いた自己評の一言を残している。「私は(大衆車の)フォードで(高級車の)リンカーンではない」

 期せずして世界最強国のトップに立たされた男の苦笑の一言かと思えるが、未曽有の破滅的自動車危機に揺れる今のアメリカにはどう聞こえるだろう。(論説室)





毎日新聞 2008年12月23日 東京朝刊

コメントを投稿