わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

高齢化と担い手=磯崎由美

2008-04-23 | Weblog

 「恐ろしい……。子どもたちがやる気をなくし、社会の底辺に沈んでしまう」

 病気や自殺で親を亡くした子を支援する「あしなが育英会」の玉井義臣会長(73)はここに来て社会が崩れていく兆しを感じている。40年近く遺児家庭をみてきたが、親や子が頑張れば何とかなるという時代は遠くなった。

 高校進学の際、同会に奨学金を出願する母親の年平均勤労所得は06年、137万円。8年前より32%も減った。この間、一般世帯の勤労所得の減少は6%どまり。低所得者ほど貧しさに追い込まれる傾向は強まり、そこに今の物価高が追い打ちをかける。

 持病があっても、子どもの教育費のために通院を控える。生活保護を申請しようとしても「働けるだけ働いてから来なさい」と冷たい対応を受ける。そんな母たちの姿を見て進学を断念する子が後を絶たない。彼らが社会に出ても、受け皿のほとんどは母親同様、低賃金の非正規雇用だ。

 これは人ごとではない。現役世代がお年寄りを支える年金制度をはじめ、誰もが安心して暮らせるための社会保障システムは、若者がしっかりした生活基盤を築けない社会では維持できない。だが遺児家庭を支える遺族年金ですら、社会保障費の抑制策で削減に追い込まれている。

 後期高齢者(長寿)医療制度の是非が大きな論議を呼んでいる。大事な問題だが、貧困の連鎖が若年層から希望を奪っている現状にも、もっと関心を寄せるべきではないか。そこを軽視したまま高齢化が一層進めば、お年寄りにとっても、もっと過酷な時代が待っている。(生活報道センター)




毎日新聞 2008年4月23日 東京朝刊


聖火=玉木研二

2008-04-23 | Weblog

 1964年8月、東京オリンピックのためギリシャで採られた聖火は、アジア各地の中継地でお披露目をしながら、空路日本へ向かった。

 9月。香港から台湾そしていよいよ沖縄へという段でつまずく。台風である。飛行機が出せず、日程が1日ずれた。だが、東京での10月10日の開会式に合わせ、全都道府県を巡るリレーの順路、日時は精密に組み立てられていて変えるのは至難だ。

 そこで沖縄のリレー行程が1日分カットされようとした。沖縄は強く反発し「休まず徹夜で走り続ければ回れる」という声も上がった。

 結局、沖縄で「分火」し、一つは予定通りリレーをし、一つは先に本土に渡ることになった。沖縄の火は後で空路本土のリレーに追いつき、今度は「合火」するのだ。

 沖縄は米施政権下にあった。日の丸掲揚も制限されていたが、かまわずリレーの沿道は旗の波が揺れ、熱狂や感泣の歓呼が続いたという。

 しかし、その「祖国」への思いの深さの一方で、本土の都合に合わせた変則措置は裏切られた思いも刻んだ。当時のコザ市長の悲憤にじむ言葉が毎日新聞の記事にある。

 「聖火を分火することで、日本国民としての感情は完全にぶち壊された」

 中学1年生の私は広島市の近郊で予定通り来た聖火を見た。日曜日の午後、新聞社が配った出来合いの紙小旗と、若い走者たちの青ざめるほど緊張した顔を覚えている。

 思えばあれは「合火」後の聖火だったはずだが、当時知る由もない。静かな炎は沿道のつつましい拍手と掛け声に淡い煙を残し遠ざかった。(論説室)




毎日新聞 2008年4月22日 東京朝刊


五輪と政治=坂東賢治

2008-04-23 | Weblog

 「ボイコットは責任逃れだ」。ハドリー米大統領補佐官が各国首脳の北京五輪開会式ボイコット表明を批判した。外交的には正論だろう。

 チベット問題解決に向け、各国とも中国政府にダライ・ラマ14世との対話を求めている。しかし、欠席を明言してしまえば、中国を動かすテコがなくなる。

 「チベットは内政問題」と主張する中国は後ろめたさを感じていたとしても、外国の圧力には意地でも対抗する。対話に動くにしても自ら選択した形を取るだろう。

 変化を促すには一定の圧力が必要にせよ、逃げ道を残しておくことが常道だ。

 だが、ハドリー氏の言う「静かな外交」を進めるのはどの国の指導者にも難しい。人権弾圧に怒る自国民を納得させる必要があるからだ。

 米国でも大統領候補のマケイン、オバマ、クリントン3氏はそろってブッシュ大統領の開会式欠席を求めている。ブッシュ氏も再選を目指す年なら、同じように強い態度を取っただろう。

 「1980年とは全く状況が違う」。79年末の旧ソ連のアフガニスタン侵攻でモスクワ五輪(80年)ボイコットを決めた民主党のカーター元大統領は最近の記者会見で北京五輪ボイコット論を一蹴(いっしゅう)した。

 80年も大統領選の年。再選を狙うカーター氏は侵攻を許したことを共和党から攻撃され、強硬姿勢を選択するほかなかったとの指摘がある。

 イラク戦争など自国中心的外交を続けてきたブッシュ政権が後がないことで冷静な対応を取っていることは皮肉だが、意外に効果的な対中外交につながるかもしれない。(北米総局)




毎日新聞 2008年4月21日 東京朝刊


橋下「一徹」ですか=西木正(論説室)

2008-04-23 | Weblog

 経営状況を質問された社長が、ぐっと言葉に詰まった。その瞬間、横の女将(おかみ)がマイクを取って「私も何をささやいたらええもんやら」。「くいだおれ」閉店発表の記者会見でのひとコマだ。ああ、大阪のノリだなあ、と思う。

 間の悪さを笑いで和らげる呼吸、直截(ちょくさい)な物言いを避けて相手を立てる気配りが関西流儀だ。そのかけらもないのは、橋下徹・大阪府知事の意図的な強面(こわもて)作戦なのだろう。

 つい先日も、政財界挙げて企画したイベント「水都大阪2009」の実施計画を決める土壇場で「費用負担の効果が見えない」と、ものの見事にはしごを外してみせた。マスコミが注目した中で、朝日新聞社会面トップの見出しは「橋下流ちゃぶ台返し」。うまいねえ、座布団1枚!

 この手のイベントで大阪が盛り上がるのか、という疑問はあっていい。だが、「内容は昨日聞いたばかり」なのに1年がかりで練ったプランを一顧だにしないやり方はフェアではない。

 文化や女性、人権、平和といった都市力を試される事業への補助削減問題も同断だ。「大阪維新」にかける情熱は買いたいが、事業にかかわった人たちの意欲や努力、実績をきちんと評価し、将来展望を示さなければ困る。いくらカネが浮く、だけでは府民も我慢のしようがない。

 府内首長との意見交換会で反対の連発に、涙をにじませて裏返った声で協力を求める場面もあった。どんな正論でも、抵抗勢力がやる気の若者をいじめているように見えるから始末が悪い。面(おもて)を冒して、耳元でささやいてあげる知恵袋はいないものか。




毎日新聞 2008年4月19日 大阪朝刊


未来のテレビ局=岸俊光

2008-04-23 | Weblog

 それはARTEという耳慣れないテレビ局だった。だがドイツ人の元番組編成部長、アイゼンハウアーさんの話には驚いたし、励まされた。

 ARTEは91年に独仏が共同で設立した公共テレビ局である。両国の交流を手始めにヨーロッパの文化的統一をという当時のドイツ首相コールとフランス大統領ミッテランの意思が結実した。しかし、一つの映像に言語はドイツ語とフランス語の二つ、それぞれの国で吹き替えると聞かされても半信半疑だった。歴史の問題となれば、解釈も一つとはならないだろう、と。

 普仏戦争、第一次、第二次世界大戦と独仏は150年の間に三つの戦争で対立した。「祖父母の世代のフランス人はドイツ語を聞くこと自体に抵抗があった」という。

 話を東アジアに置き換えた時、例えば日本と韓国、中国の間で近い将来こんな放送が実現するとは考えにくい。

 さらに日本との違いを感じたのはメディア自身が和解の一翼を担ったことである。

 耳目を集めるドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」では、一部週刊誌の「反日」報道が冷静な議論を難しくした。映画館の上映中止もメディアの役割を問うものだった。多様な意見は必要だが、狭いナショナリズムに傾いてはいないだろうか。

 「フランスがどう受け止めるか。番組を作る際、ドイツはそれを考える」と、シンポジウムのため来日したアイゼンハウアーさんは語った。

 国の内外で意見の割れる過去の問題で、一方だけが完全に間違っていることはあまりない。だが加害国に慎みがなければ始まらないと思う。(学芸部)




毎日新聞 2008年4月19日 東京朝刊


第五福竜丸の神話=広岩近広

2008-04-23 | Weblog

 芸術家の岡本太郎(1911~96)が、原爆をテーマに描いた「明日の神話」は巨大壁画で知られる。03年9月にメキシコ市で発見されるまで、なんと35年もの長い間、行方がわからなかった。

 数奇な運命をたどり、このほど恒久展示先が決定した。東京都渋谷区のJR渋谷駅と京王井の頭線を結ぶ連絡通路に飾られるという。

 誘致をめぐって、広島市と「太陽の塔」のある大阪府吹田市も名乗りをあげたが、渋谷区に落ち着いた。実は静岡県焼津市の市民団体も熱烈だった。ビキニ事件で「死の灰」を浴びた焼津の第五福竜丸が描かれているからだ。

 岡本太郎が広島と長崎につぐ第3の核被害を受けた第五福竜丸に触発されたのはまぎれもなく、「燃える人」と題した油絵を残してもいる。それだけにビキニ事件を体験した町にふさわしい平和のシンボルをと、「明日の神話」を誘致する市民運動を展開したが、財政上の理由から断念せざるをえなかった。

 焼津市民の落胆はわかるが、私は渋谷で良かったと思う。なぜなら、渋谷から遠くない江東区夢の島の都立第五福竜丸展示館に、実物が永久保存されているからだ。

 見上げても、はるか上まで高い、第五福竜丸の船体に手を当てていると、この木造漁船の数奇な運命を思わずにはいられない。ゴミの海面に放置されていた第五福竜丸は、全国的な市民の募金により保存が実現した。今年は保存運動から40年だという。

 渋谷で「明日の神話」を見てから、ぜひとも夢の島に足を運んでほしい。そこには「第五福竜丸の神話」がある。(編集局)




毎日新聞 2008年4月20日 東京朝刊


あの時の選択が…=中村秀明(編集局)

2008-04-18 | Weblog

 流通業界が思い切ったリストラ策に走り出す。

 イオンは、向こう3年間でスーパー約100店を閉鎖または業態転換する。セブン&アイ・ホールディングスもスーパー数店、ファミリーレストランの「デニーズ」約130店、コンビニ600店などを閉じていく。「ジャスコ」「マイカル」の4分の1が消え、デニーズは2割が店をたたむことになる。

 イオンの岡田元也社長は「地元の反対もあるだろうが、旧態依然とした売り場から決別する」と語った。人口減少や高齢化、原材料価格の上昇などで、消費の形や消費者の行動が劇的に変化しているせいだ。一方で、イオンは海外投資を増やし中国などアジアの店舗網を200店近くにし、セブン&アイは中国でのスーパー出店を加速するという。このため、「地域の商店を駆逐しておいて、もうけが見込めなくなったらさっさと引き払い、海外の新天地に進出か」と社会的責任を問う声も起きている。

 ただ、こうした状況は消費者の選択の結果とも言える。20年以上前、ある地方都市でスーパー出店が議論になったことを思い出す。商店経営者ら一部を除けば、多くの人が「こんな大きな店ができてうれしい。1カ所で何でもそろう」と歓迎した。そして、八百屋を、魚屋を見限り、近所の定食屋に足を運ばなくなった。商店街はシャッター通りになり、さびれた。

 今、スーパーやファミレスが消えかかり、どこで買い物を、食事をすればいいのか途方に暮れる。そして、考え込む。自分で自分の首を絞めるとは、このことなのか。





毎日新聞 2008年4月18日 0時01分

先送り。福田です?=与良正男(論説室)

2008-04-17 | Weblog

 「ねじれ国会。福田康夫です」等々、福田内閣メールマガジンに掲載されている首相コラムの「○○。福田です」という毎度のタイトルは、妙に脱力感があって嫌いではない。だが、現実政治に目を移すと、力の抜け方は深刻さを増すばかりだ。

 最もいけないのは面倒なことを先送りする傾向だ。ガソリン税にせよ、日銀人事にせよ、首相も自民党執行部もぎりぎりにならないと動き出さない。で、騒ぎが一段落し、やれやれと一休みしている間に次の課題が押し寄せてくる。そんな繰り返し。

 首相からすれば「これだけ相談しようとしているのに何でも反対する野党が悪い」ということなのだろう。でも、最近は「野党との協議がまとまらないから」というのが、懸案先送りの言い訳に使われているように思える。

 道路特定財源の一般財源化もそうなる可能性がある。自民党の中には「一般財源化は09年度から。その時、福田首相かどうか分からない」と半ば公言する人もいる。ここは政府・与党内の手続きをもっと進める方が先ではないか。

 先送り傾向は首相だけではない。政界では党派を超えたグループや勉強会結成が相次ぐ。私たちもつい、「政界再編をにらんで」などと訳知り顔で解説してしまうが、ほとんどの議員が考えているのは「次の衆院選後」の話だ。

 「今」をどうにかするのが大事ではないのか。再編が必要というのなら、衆院選前に動き出すべきなのだ。選挙後に議員が勝手に離合集散するというのは、選挙=有権者など関係ないと言っているのに等しいのだ。




毎日新聞 2008年4月17日 0時01分

物差しが一つでは=松井宏員

2008-04-16 | Weblog

 「昔の大阪は、物差しが山ほどあった」と知り合いの大学の先生が言う。朝鮮半島から伝わった高麗尺に唐尺、着物を仕立てる時の鯨尺……。「時代とともに物差しが変わっても、大阪はいろんな分野で日本の中心地だったから、使い分けることを得意にしてた。まるで、背中に七つの物差しを差しているかのように」と先生は笑う。

 その伝でいくと、人をはかる物差しも山ほどあったはず。大阪で名をなした学者や実業家には、よそからやって来た人が多かった。多様な価値観を認める街だったということだろう。

 最近の大阪。大阪府は、歳出を大幅に削る「財政再建プログラム試案」を11日に発表した。道頓堀の「大阪名物くいだおれ」の突然の閉店発表もあって、なにかと騒がしいが、つい1カ月前のことを思い出してほしい。橋下徹知事が若手職員を集めた朝礼で、女性職員が超過勤務を巡って知事に反論した一件だ。

 東京都ではありえない、大阪らしい話だと思ったが、その女性職員を批判するメールや電話が府に殺到した。先の先生は「だいたい、テレビカメラを入れて、知事がパフォーマンスの場として設定したんやから」と首をかしげる。これも知事流のテレビの使い方なのだろうか。

 府議会で、知事の著書の一節を批判した民主党議員の事務所にも、非難のメールが来たという。お上にたてつくのは許さんという風潮は、まったく大阪らしくないし、気色が悪い。物差しが1本しかなくなっては、いくら財政を再建したって、おもろい街ではなくなってしまう。(社会部)




毎日新聞 2008年4月13日 大阪朝刊

ベタ記事復権を=玉木研二

2008-04-16 | Weblog

 新聞の1段見出しのベタ記事は“B級ニュース”の奥深さがある。昔は多かった。

 最近、60年安保のデモの記事をひっくり返していたら、全学連と対決すべく右翼や暴力団に動員された若者たちのベタ記事が目に留まった。

 「色とりどりの服装。マンボズボン、角刈りといったタイプが圧倒的。背広に赤い鼻緒の駒げたをつっかけた若者も交じっている……」

 昨今、こうした筋道とは関係ない光景を描写する記事は随分減り、記者が書いたところでデスクが削り落としてしまうようだ。「もっと大事な情報を入れろ」と。

 正論だ。しかし、靴までは格好つけられなかった「赤い鼻緒の駒げた」の背広青年が、デモの怒れる大学生たちの描写より、私にはよほど印象的である。当時、同世代で学生は圧倒的に少数派。騒ぎの陰に無数のさまざまな境遇の若者がいた。長大な記事より短いベタ記事の方がよほどそれを教えてくれるのだ。

 また、こんな記事。62年2月の社会面ベタ記事は、前年事故死した映画スター赤木圭一郎の一周忌を前に東京都墨田区の住み込み女子工員(17歳)が横須賀線に飛び込み自殺したと報じている。

 「ビニールコートのポケットに『トニー(赤木の愛称)、早くあなたのそばに行きたい』と書かれた」彼のブロマイドがあったという。

 今なら「ファンが後追い自殺」と略記するか、ボツだろう。だが「ビニールコート」「ブロマイド」の言葉が引き起こす集団就職世代の貧しさや夢、挫折のイメージ。記事14行は無限の語りをはらむ。

 ベタ記事恐るべしである。(論説室)




毎日新聞 2008年4月15日 東京朝刊

ハーブの香り=磯崎由美(生活報道センター)

2008-04-16 | Weblog

 山桜に彩られた高台を上ると、眼下に瀬戸内海が広がる。朝露が乾くころ、若者たちは園に出て、開き始めたカモミールの花を摘む。

 高松市の「喝破(かっぱ)道場」は脱サラで出家した野田大燈(だいと)さん(62)が約30年前に開いた。不登校、校内暴力、引きこもり。時代とともに変容する子どもの問題と向き合い、畑仕事と座禅を通じて再出発を後押ししている。

 人のすすめで菜園の片隅にハーブを植えた。虐待などを受け精神科に通う子たちは、薬の副作用で農作業を10分と続けられない。ある時、1人の子がハーブの近くで雑草を熱心に取っていた。「和尚さん、もっとやりたい。気持ちいい」。香りが心を落ち着けるのだと気付いた。

 道場はニート対策で国が05年度に始めた「若者自立塾」でもある。3カ月間の合宿を経て就学・就労へつなぐ。ここを含む全国30カ所で今年1月末までに1491人が修了し、うち6割が職に就いた。全国62万人との推計に照らせばあまりに少ない。国の事業委託を受ける社会経済生産性本部は「親から相談が来ても、本人が集団生活を嫌がる例が多い」と難しさを語る。

 だが、「少数でも人材は確実に育っている」と野田さんは実感する。むしろ問題は雇用の乏しさだ。地中海に環境が似るこの地では、無農薬で良質のハーブが育つ。これを量販する会社を作り、若者を雇うのが次の目標という。

 長い引きこもりから一歩踏み出した若者たちが丁寧な手つきでハーブをブレンドし、袋に詰めていく。いれたてのティーをいただいた。味も香りも柔らかだった。




毎日新聞 2008年4月16日 0時27分

覇気のない犬=藤原章生(ローマ支局)

2008-04-13 | Weblog

 イタリアに赴任して10日が過ぎた。自宅を兼ねた毎日新聞のローマ支局は下町のアパートの3階にある。着いた翌朝、初めて目にしたのは散歩する犬たちの姿だった。

 老いた男性には老犬が、中年女性にも大型犬が静かについてくる。皆、ひもをつけていないが、さして周りに関心を示さず、うつむき加減に静かに歩いている。ほえたり、互いにかぎ合ったりせず、自分の世界に没頭している。悪く言えば、覇気がない。

 街でも同じだった。日本で多い、何かと騒ぎ、あちこちにおいをかぎ、落ち着きのない犬をまず見かけない。しつけがいいのかと犬好きの獣医に聞いたら「イタリア人がしつけなんかするわけないじゃないか」と言う。

 犬は主人に似るという。人の心を察する点で霊長類以上だと言う学者も。もしそうなら、犬に国民性があってもいい。古代からイタリア人に慣れた犬は、日本の犬とは違う。イタリア語で犬はカーネ。スペイン語のペロのように甘えた響きがなく、結構、孤高の動物なのではないか。

 イタリアで「犬の先生」と慕われるマッシモ・ペルラさん(50)はこう言う。「犬を厳しくしつける英独に比べ、イタリアの犬はかなり繊細だと思う。人の側に決まりや理屈はなく、異常にかわいがったり、ひどく感情的にしかる。だから、強弱や高低の激しいイタリア語の声色に、ここの犬はいつもピリピリしている。それだけ人間と交流しているということでしょうが」

 主人に似たというより、表現豊かで気まぐれな主人を前に、妙に落ち着いてしまったのかもしれない。




毎日新聞 2008年4月13日 0時07分

より良い世界のために=落合博

2008-04-13 | Weblog

 ものみな萌(も)えいずる春だというのに、鳥の鳴き声もミツバチの羽音も聞こえず、静まりかえっている。米国の架空の田舎町を舞台に、そんな寓話(ぐうわ)から始まる「沈黙の春(原題=Silent Spring)」は、化学物質の大量生産と大量使用による環境の汚染と破壊を初めて告発する書として1962年秋に出版され、社会的論議を巻き起こした。あさって14日は、44年前に56歳で亡くなった作者の海洋生物学者レイチェル・カーソンの命日にあたる。

 北京五輪の聖火リレーが行く先々で、もみくちゃにされている。開会式欠席を決めた首脳もいる。チベット情勢など人権をめぐる中国政府の対応への抗議行動は広がるばかりで、7日のパリでは柔道の五輪金メダリスト、ダビド・ドイエ氏らが大会ボイコットには反対しながらも「より良い世界のために」と記したバッジを胸につけて走った。

 スポーツに政治を持ち込むつもりはない。ただ、肖像権を主張して独自の商業活動に精を出す余力があるのなら、日本のアスリートたちも海の向こうの人権状況に想像力を働かせ、声を上げられないかと思う。鳥のさえずりほどでいい。そんな気概や勇気を示せなければ、万が一、日本政府がモスクワ五輪同様の不参加を決めた場合、もの申すことなどできないだろう。

 今月26日、聖火が長野市内を巡る。総勢80人の走者の中には有森裕子さん、岡崎朋美さん、荻原健司さん、北島康介さんら五輪メダリストも交じっている。言論・表現の自由は憲法で保障されている。その権利を、彼らは行使するのか、「沈黙の春」を過ごすのか。(運動部)




毎日新聞 2008年4月12日 東京朝刊

食い倒れの終えん=中村秀明

2008-04-13 | Weblog

 上位は北海道、秋田、山形で、下位は東京、大阪、神奈川の順。農水省が先月発表した06年度の都道府県別の食料自給率だ。

 北海道の195%を筆頭に100%を超えたのは青森、岩手を加えた1道4県。米どころの新潟は99%だった。一方のダメな方は東京1%、大阪2%、神奈川3%。

 「自給率1%」とは、1日の食事でとる2548キロカロリーのうち、自らの地域で確保できるのはレタス1個か、イチゴ5粒か、ご飯なら、お茶わんの10分の1に相当する食料だけという状況だ。

 そもそも農漁業生産がわずかで、抱える人口が多い都会だから、自給率が低いのは仕方ないといえる。なにしろ、東京は自称「日本の頭脳、心臓部」(石原慎太郎都知事)だ。がんがん稼いで、よそから食べ物を買えば問題はないのかもしれない。しかし、今後も、ずっと大丈夫と言い切れるのだろうか。

 財政力格差や人口流出に悩む栃木県のある町長の言葉を思い出す。「都会に向かって、言いたくなる時があるんです。もう、自分らが吸う空気の分しか山を手入れしないし、自分らで食べる分しか作ってやんねえぞ、ってね」

 いまさら東京や大阪などに自給率を高めろと言っても、難しい。だが、自らを頭脳、心臓と呼び、「食べる側」を満喫し続けたいならば、背中や手足の痛み、疲れを思いやることも必要だろう。

 まもなく、大阪名物の飲食店「くいだおれ」が店をたたむ。「食べていれば、それでハッピーという時代ではなくなった」と暗示しているようにも思える。(編集局)




毎日新聞 2008年4月11日 東京朝刊

「反小沢」357本=与良正男

2008-04-10 | Weblog

 日銀総裁人事をめぐって、民主党内では小沢一郎代表に近い人々と「反小沢」「非小沢」の人々との対立が再び頭をもたげ始めた。

 こうした「反小沢」といったレッテル張りが政治記者の悪弊であり、ワンパターンの政局報道だとの批判があるのは承知のうえで、試みに、これまで何本の記事に「反小沢」のフレーズが登場したか、毎日新聞のデータベースで検索してみた。その数、東京本社発行分で357本。

 初出は小沢氏が自民党幹事長だった1991年2月。この年の東京都知事選で旧社会党が「反小沢」をアピールするため独自候補を出すのかどうかとの記事だった。「反小沢」の動きはその後、自民党内で激しくなり、小沢氏は離党。そして細川政権を樹立、新進党を結成して解体……。

 双へきをなすのは小泉純一郎元首相だ。「反小泉」が登場する記事は375本。「反森」は2本、「反安倍」は39本、「反福田」がまだないことと比較すれば、2人が群を抜いた対決型政治家であるのが分かる。ただ、小泉氏は自ら抵抗勢力との対立を演出していたし、「反小泉」は首相在任5年余の期間限定だ。そう考えると小沢氏がいかに長い間、政治闘争の中心にいるか、改めて感じ入るのだ。

 政治取材の中心にいると言い換えてもいい。私も小沢氏の「日本は政権交代が必要」との主張はずっとその通りだと思ってきたし、一方で随分、批判記事も書いてきた。

 次の衆院選。小沢氏は政治生命をかけるという。政治はどれだけ変わったか。私たちにとっても、この20年近くの総決算となる気がする。(論説室)




毎日新聞 2008年4月10日 東京朝刊