終わりの始まり=福島良典
歴史の神の所作だろうか。このところ国際社会で「終わりの始まり」を予感させる出来事が相次いでいる。揺さぶりを受けているのは政治体制や、既存の枠組みだ。
まず、イスラム法学者が統治する宗教国家イラン。アフマディネジャド大統領「再選」への抗議運動が止まらない。デモに最高指導者ハメネイ師の権威さえ曇りがちだ。
北朝鮮では核・ミサイル実験と歩調を合わせるように健康悪化が伝えられる金正日(キムジョンイル)総書記から三男正雲(ジョンウン)氏への後継準備が始まったという。
イランと北朝鮮の核開発への対応を協議したラクイラ・サミット(イタリア)には新興国など40カ国・機関の首脳が参加し、G8(主要8カ国)時代の終えんを告げた。
サミット拡大会合では中国の発案で基軸通貨の多様化が協議され、ドル帝国落日の兆しが表面化し始めた。その中国は新疆(しんきょう)ウイグル自治区の暴動への対応に追われる。
見逃せないのは、グローバル化時代に情報技術が果たす役割だ。イランの抗議運動は携帯電話で拡大した。中国政府は国外から暴動が扇動されたとしてインターネットの接続サービスを一部制限した。
在欧消息筋によると、金総書記が後継体制作りを急ぐ背景には昨年の脳卒中発作の情報が国内でも広まったことがあるという。「人心の動揺を避けるため」との解説だ。
かつて国家の脅威は敵国の軍事力だった。ネット時代の今、各国指導者にとっての新たな脅威は、やすやすと国境を乗り越える電子情報だ。
だが、彼らも、世界を駆け巡り、内外世論に影響を与える電子情報に配慮せざるを得ない。携帯電話とネットを手にした市民が国際政治の舞台に上がったのは間違いない。(ブリュッセル支局)
毎日新聞 2009年7月13日 東京朝刊
被爆瓦のメッセージ=玉木研二
広島原爆の被爆瓦片が英国で競売にかけられた。このニュースは、私に忘れかけていた広島の戦後風景を思い起こさせてくれた。
瓦片は原爆投下から7年後の1952年、英軍人が広島に旅行し、寺でもらったという。そのころ広島はどんなたたずまいだったか。見ることができる貴重な映像がある。この年広島に長くロケし、街と人を記した新藤兼人監督の映画「原爆の子」である。
戦後広島に生まれ育った私の記憶は55年ぐらいからあり、映画の風景の多くが懐かしい。出入り自由で英文の落書きもあった原爆ドーム。街に残るがれき。砂利とほこりの道をはさんで建ち並ぶ粗末な家屋。欄干が欠けゆがんだ橋と、川に飛び込み水泳に興じる子供の歓声。ケロイドを負った若い女性たち。銀行の石段に焼きつく人の影--。
こんな風景が日常生活に共存し、広島の街を形づくっていた。傷が深く刻まれた街であるとともに、復興の活気のようなものもあったと今にして思う。映画には「ぴかどん(原爆の異称)」と看板をかけた食堂らしい店も映っている。私はそんなことにも不屈のたくましさを感じ取る。
米兵や「オンリー」らが持ち込む品を扱いながら洋品店を興した女性など、焼け野原で腕一本で立ち上がった広島の人々の逸話は多い。どこの戦災地もそうだったろう。だが広島の場合、なぜか原爆後の人々の生身の人生が看過されてきたように思うのだ。
被爆体験とは何か。あの日あの時そこにいた、ということだけか。取材に「それから生き抜いた半生の重み」がすっぽり抜け落ちていないか。広島の日常の戦後風景の中から突然英国に現れた瓦片が、そう私に語りかけてくる。(論説室)
毎日新聞 2009年7月14日 東京朝刊
守るべき者が=磯崎由美
人と人とのコミュニケーションを豊かにするはずの技術が悪用され、子どもの人生を奪っている。増加を続けるインターネット上の児童ポルノ犯罪。奈良県警が1月に摘発したファイル交換ソフトによる事件では、自営業の男が開設したサーバーにマニア約200人が群がっていた。
交換されていた画像には5歳ぐらいの女児への強姦(ごうかん)場面もあった。捜査員が付け加える。「内容から親が撮ったとしか思えない」。6月に宮城県警が摘発した事件では、パートの女が2歳の娘を裸にして撮影し売っていた。
昨年検挙された児童虐待事件の3割近くが性的虐待だった。82件で4年前の2・1倍。最も顕在化しにくい虐待とされ、実際は統計よりはるかに多いはずだ。生きていくうえで大切な「性」を、自分を一番守ってくれるはずの親に傷つけられる。以前精神科の閉鎖病棟で会った被害少女たちは、事件から何年たっても入退院や自殺未遂を繰り返し、医師は回復への道の険しさに言葉を詰まらせた。
子どもを保護すべき立場の者として絶対に越えてはならない壁が崩れていく。特異な親たちの話だけだろうか。この国では児童の性虐待画像を入手することが合法で、大人社会が子どもを性的な対象と見ることを許している。一度製造されたデジタル画像はマニアの手から手へと渡り、被害児童をおびえさせている。
国際社会の非難でようやく国会が重い腰を上げ、入手した者も処罰する法改正案ができたのが1年前。政局の混迷でたなざらしになり、ようやく審議が始まったが、衆院解散で廃案になるという。審議入り前、レイプ場面を撮られた少女はこう訴えていた。「早く安心して眠りたい」(生活報道部)
毎日新聞 2009年7月15日 東京朝刊
まず4年前を=与良正男
05年の8月8日。郵政民営化法案が参院で否決され、時の小泉純一郎首相が衆院解散に踏み切った時、私はこんな原稿を事前に用意していた。
「どうせ民営化に反対した議員も自民党は公認するに違いない。それなら何を争う選挙なのか分からない」
ところが、機先を制するように小泉氏は直ちに造反議員は公認しない方針を表明した。「そんなことできるわけがない」と党執行部がおたおたしたのを今も思い出す。
刺客騒動は、決して「先に演出ありき」ではない、この無謀ともいえる決断に始まる。その後、報道する側、とりわけテレビは他の政策課題そっちのけで刺客一色になった。その点について私たちは猛省しなくてはならない。
でも、多くの人々が小泉氏の「思い込んだら絶対に曲げない、ぶれない」姿勢に大きな期待を寄せたのも間違いない事実だったと思うのだ。
多分、「自分が最も降ろされにくい道」を選んだのだろう。与党側に押し切られ「8・30総選挙」を決めた麻生太郎首相がインタビューで、なぜかメモを見ながら「解散予告」する姿を見て、小泉氏との本気度や迫力の違いを感じないわけにはいかない。
もちろん、麻生首相だけの責任ではない。小泉氏は一連の改革の後始末をせずに自民党総裁任期を理由に退陣。その後、造反議員たちも続々と復党した。今の自民党の体たらくは、自ら郵政解散の意味を否定したところから始まったと私は考えている。
長い選挙戦が始まる。4年前の郵政選挙とは一体何だったのか。小泉改革のどこがよくて、いけなかったのか。政党もメディアも、そして有権者も、もう一度考えてみることが出発点だと思っている。(論説室)
毎日新聞 2009年7月16日 東京朝刊
グーグルと選挙=福本容子
「衆院選の行方を占う」と注目されていたから、結果を見てがっかりだった。54・49%。東京都議選の投票率だ。
新聞は「前回を10ポイントも上回り有権者の高い関心を示した」と評価したけれど、54%は本当に高い? スウェーデンの全人口より有権者が多い東京で、半分近い476万人も不参加だったのが気になる。
BBC東京特派員のローランド・バーク記者は熱狂不足に驚いた。「白手袋にたすきの候補者が空っぽの駐車場で演説し、言葉が周囲のマンションにこだましてました。有権者はあまり関心がなかったようです」とリポートしていた。これまで世界で見てきた選挙とかなり違う。候補者と有権者の距離を感じたという。
オバマさんの勝利に効いたのは若者の投票率アップだった。彼らとの距離を縮めようとインターネットをフル活用。流した動画は1800本を超えた。でも日本ではこれができない。はがきやビラなど公職選挙法が認める道具にネットは含まれないのだ。
それでも法の枠内で何とか距離を縮めてみよう、とグーグルが新サービスを始めた。候補者への質問をネット上で集め、よい質問を投票で選び候補者に動画で回答してもらう。「これから生まれる子供が、日本に生まれてよかったと思うためにあなたは何をしますか」--。すでに2800を超える質問が届いた。公示後の質疑応答はできず制限付きだけれど一歩進みそう。
若い層が動くと世の中はかなり変わるはず。年金制度の都合で、「結婚しろ」「子を産め」とばっかり言ってないで、彼らがもっと政治に関心を持ち、投票所に列を作るような選挙にしていかないと。
グーグルに導いてもらってばかりでは情けない。(経済部)
毎日新聞 2009年7月17日 東京朝刊
密約告白ラッシュ=伊藤智永
何十年も組織の中枢で受け継がれてきた秘密の取り決めを、ある時から、辞めた元幹部たちが口々に「実は隠してました」と白状しだす。
秘密といっても、中身はとうに知られており、取り決め相手の資料や証言でも裏付けられていた。一方の当事者が認めていなかっただけ。新たな驚くべき事実もない。
これが、日米の核持ち込み密約をめぐる現状だ。
さて、これを「皆一斉に悔い改めたか」と受け取ったら、相当なお人よしである。
「けしからん。他の関係者も今こそ真実を話せ」という反応も単純すぎる。確信犯だから、尋ねればまだ何人も話すだろう。だが、同じ日米密約でも、沖縄の地位協定については、なお口をつぐむ。
今や核密約を「認めた」だけでは、ニュースと言えない。なぜ今、OBだけが、多くは匿名で(実名証言は旧条約局系でない人たちばかり)、認めだしたのか。うそを反省したわけではなく、新たな思惑があると疑うべきだ。
北朝鮮の核実験とオバマ米大統領の核軍縮が、日本の核政策に見直しを迫った。
核の傘は、相手が合理的に行動するのが前提だが、北朝鮮はそうでない。日本はこれまでと違う「北への抑止力」を構える必要がでてきた。
オバマ核廃絶は「生きている間は実現しない目標」で、重点は核不拡散体制の再構築にある。「核兵器なき世界への核管理」だ。核の国際政治を、日本はどう生き抜くか。
恐らく外務省は国内の政権交代に乗じ、もはや無用になった核密約を脱ぎ捨て、新たな核政策へ移行しようとしている。相次ぐ「告白」は良心や正直といった道徳心の問題ではなく、したたかな環境作りだろう。(外信部)
毎日新聞 2009年7月18日 東京朝刊
太郎さん=潟永秀一郎
四半世紀前、初任地は福岡県飯塚市の筑豊支局だった。まだ青年の面影を残す麻生太郎衆院議員の地元。閉山後の苦境の中ではあったが、元炭鉱王家の長男というブランド力は絶大で、「太郎さん」と目を細めるお年寄りが少なくなかった。森のような邸宅、系列の大病院と多数のスーパー……。「太郎さんが小学校に上がる前、麻生家はそのために小学校を造った」と聞いた時は、目が点になった。
もっとも当時、ご本人は浪人中。83年12月の総選挙で落選し、86年7月の衆参同日選で返り咲く。落選後、地元の人は「坊ちゃんにはいい薬」と手厳しかったが、次の選挙では妻千賀子さんの存在が大きかった。ご存じ、鈴木善幸元首相のお嬢さん。落選直前に結婚し、小さな行事にも足を運んで深々と頭を下げる姿に、「千賀子さんを悲しませるな」という声が広がった。
あのころを知る一人として「麻生首相誕生」の報は感慨深かった。正直、そんな日が来るとは思いもしなかった。本人が「冷や飯のおいしい食い方はおれに聞いてくれ」と言うくらい、中枢には縁遠かった。当地の知人も「まさかなあ」と笑っていた。
かつてない逆風の中、解散に打って出る首相。だが地元・飯塚市も今、選挙どころではない苦境の中にある。空き店舗が目立つ商店街で、唯一の百貨店まで閉店を発表し、存続を願う署名活動が始まった。前回総選挙から4年、構造改革の痛みは地方の衰退を加速させた。「だからおれが経済対策をやった」と誇る前に、今一度浪人中を思い、古里を見つめ直すことから選挙に臨んでほしい。ETCもエコポイントも無縁なのに、なお「太郎さん」と慕ってくれるお年寄りたちの暮らしを。(報道部)