わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

マリアさん被爆地へ=広岩近広

2009-08-09 | Weblog



 セミの鳴き声にせかされて、今夏も被爆地を訪れた。何度足を運んでも、その時々に感情を揺さぶられる。

 広島と長崎には、今なお原爆の後障害に苦しむ大勢の被爆者が暮らしている。ある人はがんとの闘いを続け、ある人は放射線の人体への悪影響におびえている。心の傷は深い。それでも懸命に生き続けることで、原爆の原罪を問うている。

 被爆地にはこうした生き証人の他に、負の世界遺産ともいうべき原爆の惨禍を見せつけてやまない資料館がある。感情を揺さぶる力は、広島と長崎に特有のものだろう。

 だから、オバマ米大統領を被爆地に招く運動も盛りあがる。大統領が被爆地に立ち、原爆資料館で一時を過ごせば、原子爆弾は使ってはならなかった、核兵器は地球上にあってはならない--との思いを強くするだろう。私はそう確信している。

 だが、オバマ大統領の広島、長崎訪問となると、そう簡単にはいくまい。極めて政治的な課題になるからだ。

 原爆の日、広島で思った。まず、オバマ大統領夫人のミシェルさんと長女マリアさん、次女サーシャさんを被爆地に招待できないだろうか。

 というのも先月イタリアで開かれたG8サミットの際、11歳のマリアさんが反核のシンボルマーク入りのシャツを着てラクイラの街を歩く姿をテレビで見たからだ。彼女なら被爆地の声を受け止め、発信してくれるにちがいない。

 安易に子どもに頼るなと、おしかりを受けるかもしれない。だが、今まで大人は核兵器を廃絶することができなかった。マリアさんたちの世代が核廃絶の推進力になってくれれば、きっと新たな地平が開けるであろう。(編集局)



毎日新聞 2009年8月9日 東京朝刊


マクナマラ、二つの顔=岸俊光

2009-08-09 | Weblog




 「あなた方、ベトナムの指導者は目の前で国民が死ぬのをどう感じていたのか。なぜ交渉に応じなかったのか」

 「独立と自由ほど尊いものはないからだ。ベトナム人は奴隷の平和を受け入れない」

 ベトナム戦争を指導し7月6日に93歳で亡くなったマクナマラ元米国防長官が、戦争の真相をめぐり、ハノイの元政府関係者と97年に討議したさいのやりとりである。

 その会議録を入手し、「我々はなぜ戦争をしたのか」というテレビ番組をつくった元NHKディレクターの東大作さん(40)に、マクナマラ氏の追悼文を書いてもらった。

 「たとえ相手が敵であっても、国家のトップ同士が対話を続けなければならない」。東さんはマクナマラ氏の言葉を教訓とするよう訴える。

 対話のきっかけは、戦争終結から20年後に過ちを認めた氏の回顧録だった。遅すぎる反省は議論を呼び、対話の場面でも冒頭の無神経な質問で相手を怒らせた。それでも、他の政治家と比べ、率直さを評価する声は少なくない。

 他方でマクナマラ氏の別の「顔」を教えてくれたのが、共同通信ワシントン支局長などを務めたジャーナリストの松尾文夫さん(75)だ。

 松尾さんは、マクナマラ氏が東京大空襲を計画した一員だった点を鋭く突く。氏が真相を初めて語ったのは、03年の映画「フォッグ・オブ・ウォー」の中でのことである。

 以前、松尾さんがインタビューした時も対日戦への言及は一切なかったという。晩年に目をうるませ告白した姿をどう考えればいいのだろう。

 人は確かに歴史に学ぶことができる。だが、血肉化するのはどれほど難しいことか。マクナマラ氏の振幅の大きい人生はそれを教えている。(学芸部)




毎日新聞 2009年8月8日 東京朝刊


毎日新聞コラム「発信箱」スクラップ 2009・08・01~07まで

2009-08-09 | Weblog
ミステリーとスポーツ=落合博


 恋愛は持ち込まない。トリックは構わないが、ペテンはいけない。天啓や直感、偶然に頼らない……。

 ミステリー(推理小説、探偵小説)を書く上でのルールで、作者による「ヴァン・ダインの二十則」や「ノックスの十戒」が知られている。読者が謎解きゲームを楽しむために作者はフェアプレーに徹しなければならない。数値目標や達成時期こそ明示されていないものの、作者によるマニフェストと言っていい。

 「ミステリーの社会学」(高橋哲雄著、中公新書)を開いて、ミステリーとスポーツの奇妙な取り合わせを知った。19世紀後半の英国で、ミステリーとともに近代スポーツは確立される。競技を統括する組織が設立され、ルールの統一や整備が図られた。

 ミステリーは「ルールブックの文学」でもあるという。二十則や十戒は「べからず集」で、やや窮屈な感じがする。だが、「ミステリーはいかにあるべきか」について、作者たちが考え、自らを律していた姿が見えてくる。

 日本のスポーツ界にも、マニフェストはある。日本学生野球憲章は、野球統制令で国家に介入された戦前を反省し、学生野球界が自らを律するという理念に貫かれている。2年前の高校野球の特待生問題では「現実にそぐわない」との批判を浴びた。

 一方で「なりふり構わぬ生徒集め」は世間の反発も集め、「各学年5人以下」というガイドラインが設けられた。国際水泳連盟が世界記録を連発する高速水着の規制に踏み切ったように「秩序ある競争」はゲームの構成要件だ。

 面白さを保証し、緊張と興奮を高めるための仕掛けとしてルールはどうあるべきか、もう一度考えてみよう。(運動部)



毎日新聞 2009年8月1日 東京朝刊







法王、麻生、オバマ=藤原章生


 イタリアでサミットが開かれた7月は、よく要人を目にした。ローマ法王ベネディクト16世は、麻生太郎首相との会談を終えると、その場にいた10人ほどの記者一人一人と握手をしてくれた。「日本の首相の印象は?」「とてもいい。とてもいい」。交わした言葉はそれだけだったが、意外に小柄な法王の、こちらをじっと見るその瞳に、謙虚さ、温かさを感じた。遠望したり、映像では毎日のように目にする人だが、身近で感じる印象は違う。

 麻生首相も予想外だった。新聞やテレビで見てきた印象に反し、血肉を感じる距離でみた実物は、笑顔も自然で、つき合いやすそうな人だった。ローマでの日本祭りでも、カタコトのイタリア語であいさつを始めた首相に、集まった500人ほどのイタリア人が好印象を抱いているのが手に取るようにわかった。

 印象が変わるのは、こちらの先入観も大きい。麻生氏については過去の差別発言疑惑や世襲の問題などから、その仕事だけでなく人物までも否定的にとらえていたところがある。法王の場合、偉大といわれた前法王ヨハネ・パウロ2世と比べがちだった。

 だが、それだけではない。文字情報を差し引いても、テレビ、写真写りの良しあしはあると思う。逆に実物がパッとしない例も多い。いずれにせよ、映像と実像に多少のずれは生まれる。ただ、ごくまれに例外がある。今回ではオバマ米大統領がそうだった。近くで演説を聴いたが、彼は小さくも大きくも温かくも冷たくもなく、普段目にする映像そのままだった。映像と実像に開きのない人。

 写真写りなどを乗り越えてしまう技量というものがあるのか。そんなことを考えた。(ローマ支局)

 

毎日新聞 2009年8月2日 東京朝刊







ユーラシアの未来=福島良典


 ヨーロッパはギリシャ神話のフェニキア王女「エウロぺ」に由来する。アジアの語源にはギリシャの神プロメテウスの母または妻「アシア」、アッシリア語で日の昇る土地の「アス」など諸説がある。

 そのヨーロッパとアジアの合成語ユーラシアを久しぶりに耳にした。日本に詳しいオランダ・アムステルダム大名誉教授のカレル・バン・ウォルフレンさん(68)からだ。

 日本は対米追従から脱却し欧州などと結び、ユーラシアのきずなを強固にした方がいい--というのが氏の主張。評価する日本の戦後政治家として田中角栄、中曽根康弘両元首相の名前が挙がった。

 2人には共通点がある。まず、官僚の使い方を知っていた。「田中さんは官僚との付き合いが天才肌だった。中曽根さんは閣僚を長く使い、官僚との関係を築かせた」

 そして、対米自立の模索だ。田中元首相は独自の資源外交を展開した。中曽根元首相はレーガン元米大統領とロン・ヤスの間柄だったが、「日米関係の問題点を分かっていたから、サミットで他国の首脳から一目置かれていた」。

 日本の対米依存は情報にも及ぶ。欧州単一通貨ユーロが産声を上げた時、米国情報に頼る日本では「ユーロは失敗する」との懐疑論が幅を利かせ、官民の対応が遅れた。

 教訓は生きているか。衆院選の政権公約を読んだ。民主党は「対等な日米関係」と「欧州との連携強化」を並列する。「日米同盟の強化」を掲げる自民党は、対欧関係には具体的に触れていない。

 ユーラシアの両端に位置する欧州と日本。地球環境やエネルギーなどの分野で協力の余地は大きい。この先、日欧関係はどう動くのか。総選挙を通じて見定めたい。(ブリュッセル支局)

 

毎日新聞 2009年8月3日 東京朝刊







夢見る学校=玉木研二


 正岡子規は肺結核に脊椎(せきつい)カリエスを患い、その苦悶(くもん)の病床で読み聞きする話から随筆「病牀六尺(びょうしょうろくしゃく)」を新聞に連載する。1902(明治35)年5月に始まり、9月に34歳で没する間際まで続いた。

 その冒頭に<土佐の西の端に柏島といふ小さな島があつて二百戸の漁村に水産補習学校が一つある>と高知県の離島の学校が登場する。

 教室12坪(約40平方メートル)、事務室兼校長寝室3畳敷き。生徒65人。校長の月給は4年間昇給なしの20円。実習で5銭の原料で20銭の缶詰ができ、生徒が漁の網を結ぶと80銭ほど賃金が出る。すべて郵便貯金にし、修学旅行用にしか引き出せなくなっている。

 子規は<この話を聞いて涙が出るほど嬉(うれ)しかつた>と書き、ここで<松魚(かつお)を切つたり、烏賊(いか)を乾(ほ)したり網を結んだりして斯様(かよう)な校長の下に教育せられたら楽しい事であらう>と夢見た。(岩波文庫)

 身動きできぬ東京の病床から南海の子供たちと篤実な校長の学校を想像し、思い募るものがあったのだろう。

 こうした実業補習学校は、小学校を出て働く子供らを対象に補習と分野別に初歩的な実業教育をするもので、戦前まで続いた。教程が不十分だったり、小学校に同居したりと決してバラ色ではなかったが、「学校」は明治期には新しさや希望の響きを持つキーワードでもあった。

 今若者と就職の「ミスマッチ」などによる離職率の高さから、自己に合った就職先、職種に直結するような専門教育をする新種類の大学設立がまじめに検討されている。

 工夫は結構だが、さて、そこから子規をして涙ぐませたほどの「感動」や「夢」が発信できるか。案外これが成否のキーポイントではないか。(論説室)



毎日新聞 2009年8月4日 東京朝刊







勝訴の中の悲しみ=磯崎由美


 裁判長がゆっくりと読み始めた判決は、予想もしなかった全面勝訴だった。「良かったね、勇ちゃん!」。心の中で語りかけようとして、上段(うえんだん)のり子さん(60)のまぶたに浮かんだのは、単身寮で冷たくなっていた息子の顔。歓喜する支援者の中で笑顔を保つのがつらかった。

 7月28日、東京高裁で偽装請負による過労自殺裁判の判決が言い渡された。23歳だった次男勇士さんは業務請負会社から光学機器大手ニコンの工場に送り込まれてうつ病になり、99年3月に命を絶った。特殊な光線と電子音に囲まれた無塵(むじん)室での、ほぼ立ちっぱなしの作業。時間外労働は月77時間に及び、辞めたいと訴えても聞き入れてもらえなかったという。

 当時まだ認められていなかった製造業への派遣。業務請負と言いながら発注元の指揮監督下に置く違法状態。のり子さんの提訴は、今でこそ多くの人が知る雇用の崩壊をいち早く告発した。だが勇士さんが亡くなった年に派遣対象業務は原則自由化され、その5年後には製造業への派遣も解禁された。

 そして昨年始まった大量の派遣切り。「働くことは、命と直結しているのに」。何年たっても、息子と同じ思いをしている若者たちがたくさんいる。彼らのぎりぎりの訴えを、のり子さんはどれほど聞き続けてきたことだろう。

 間接雇用は労働者の健康や権利を守る責任をあいまいにしてしまった。規制緩和へと一気に進んだ時計の針をどこまで戻せるのか。歴史的な総選挙が迫るというのに、その行方は見えてこない。

 のり子さんはこの勝訴が自分たちだけのものではなく、国の道しるべとなることを願っている。(生活報道部)

 

毎日新聞 2009年8月5日 東京朝刊







仕組みを変える=与良正男


 「そんな提案をしたらウチの次官が手を挙げるぞ」といった言い方を官僚の間ではするそうだ。通常、週2回の閣議前日に各省庁の事務方トップが集まって法案や政令などを調整するために開かれる事務次官会議のことだ。

 「手を挙げる」とは「反対する」の意味だ。会議は全員一致が原則で、1省庁でも反対すればおじゃん。そもそも会議には各省庁の部やら課やら(加えて一部の族議員やら業界やら)の調整を経て決定されたものしか出てこない。かくして閣議には事務次官会議で了承された案件のみがはかられ、閣僚はほとんど議論もなく、書類に署名するだけとなる。

 明治以来の慣習という。実際には首相が会議の結論を覆すことはできるのだが、例は少ない。何かを改革しようと思っても1省庁1部署の利害に阻まれてなかなか前に進まない。行政が官僚主導で進む構造になっていることは分かっていただけるだろう。

 その事務次官会議の廃止を民主党はマニフェストに盛り込んだ。与党議員100人以上が政府に入るという公約より、政策決定システム、いや日本の政治そのものを大きく変える可能性があるように私には思える。

 当然、ここでも官僚に頼らないほどの能力が民主党の政治家にあるのか、混乱するだけではないかという反論が出てくるだろう。一方では「能力」を言い出すのは官僚の思うつぼで、仕組みを動かさない限り結局、何も変わらないという意見もあるだろう。

 子ども手当などの財源論も大切だが、メディアもこうした話をもっと議論した方がいい。仕組みをチェンジできるかどうかは政権交代の本質的論議だと思うからだ。(論説室)



毎日新聞 2009年8月6日 東京朝刊







検証魂=福本容子


 傍聴券を求め、早起きして裁判所前に並んだ。6年前の夏、ロンドン。イギリス人科学者が自殺し、その背景を調べる独立調査委員会の審問が毎日のように開かれていた。

 当時のブレア首相や有力側近、国防相らが証言させられ、傍聴希望の市民や記者の列は200人を超えることもあった。イラク戦争とは何だったのか。英政府はイラクの大量破壊兵器をめぐり情報を操作したのか。真実を知る手がかりを期待していたのだ。

 740ページの調査報告書がまとまった。でも謎は解けなかった。世論やメディアの大ブーイングが起き、すぐ別の調査委員会ができた。前進はあったけれど開戦の真相はここでも明らかにならなかった。

 そして先週、また新しい調査委員会が動き出した。イラク戦争関係では5度目。犠牲になった兵士の遺族も世論もメディアも野党も与党の議員さえ、全然納得していないのである。責任がはっきりするまで検証を続けるのだろう。

 イラク戦争に限らず、「済んだことは」とあきらめ、勝手に納得してしまう日本。イギリスをまねたマニフェストも「これからやります」はてんこ盛りなのに、本場と違い「これまで」の成果や批判がほとんど抜け落ちている。

 4年前、「すべての改革の本丸」として自民党公約の一点豪華主役になった郵政民営化は今回、マニフェストの記述がたったの1文だ。民主党も、国や地方の財政がここまで悪くなったのはどうしてなのか、これまでの「改革」は何だったのか、もっとしつこく、国民にわかりやすく追及したらいいのに。

 過去をていねいに掘り起こす作業は未来のため。納得するまでしぶとく検証、の魂こそイギリスをまねたい。(経済部)

 

毎日新聞 2009年8月7日 東京朝刊


毎日新聞コラム「発信箱」2009・07・28~31まで

2009-08-09 | Weblog

語りの夏=玉木研二


 ドキュメンタリー映画「嗚呼(ああ) 満蒙(まんもう)開拓団」は全編を残留孤児ら体験者たちの語りで貫いている。監督の羽田澄子(はねだすみこ)さん(83)自身、旧満州大連からの引き揚げ者だが、当時は情報が閉ざされ、開拓民らの惨状は知らされなかった。「ラストチャンス」と意を決して撮られた作品である。

 驚くべきことに、戦争の最末期まで開拓団の募集は続けられた。1945年5月26日に山梨から渡った一家がある。海軍は壊滅し、沖縄が落ちようとしていた時である。ドイツもとうに敗れ、日本は文字通り「世界の孤児」だった。

 それでも「土地も米もある」とこの世の楽土のように言い、国民を送り出し続けた行政とは何か。役場の吏員に悪意はなく、中央に連なる役人たちも「職務通りにやっただけ」と言い張るだろう。

 8月、一家は遅れて家財荷物が届いたその日、団長から「日本は負けた。逃げろ」と言われ、異土に離散した。

 20歳だった元憲兵の証言。軍と官庁の高官家族専用の避難列車が仕立てられ、護衛を命じられた。駅頭に一般の難民が続々集まり列車を求めたが、乗せない。その時「何ら罪悪感は感じなかったです。当然の行動だと思った」。

 また軍人の息子だった男性は難民をかき分けて行く軍のトラックに乗せられた。軍人家族は最優先だ。「乗せて」とすがる人々の手が振り払われる光景を忘れない。

 証言者の多くは当時未成年だった。その後に子供の目に焼き付けた逃避行中の惨劇は聞くにいたたまれない。

 そして、かいま見える軍や官庁のノッペリとした非情の顔。個々の構成員に悪意はなくとも全体で大きく誤る、今に通ず不可解でおぞましい組織メカニズムがそこにある。(論説室)



毎日新聞 2009年7月28日 東京朝刊







RIMIの世界=磯崎由美


 彼女の名前はRIMI(利美)。生まれも育ちも東京・六本木で、アラフォーのバツイチ。事務のバイトや手話通訳が普段の仕事だ。

 7月最後の日曜日、彼女は川崎市の小劇場で舞台に立った。猛暑というのに150人の客席は満杯になった。

 自身を「手話パフォーマー」と呼ぶ。手話とダンスをミックスし、流れる曲に合わせ歌を体全体で表す。初めは歌詞を直訳するので精いっぱいだった。今は詞を読み込みどう表現するか考える。美空ひばりもEXILEも、彼女が演じれば「RIMIの世界」になるから不思議だ。ある健聴者のファンは言った。「何気なく聞いていた歌が、こんなにいい曲だったなんて」

 先天的な聴覚障害で高音が聞こえていないと分かったのは、小学生になってからだ。「たまご」と「たばこ」が同じに聞こえる。新しい言葉を覚えられず、教科書や友達との会話で意味の分からない言葉が増えた。社会に出ても、障害があると知られてはクビになる繰り返しだった。

 30歳を過ぎ、手話を学んでみた。音楽や芝居で自分を表現している多くのろう者たちと出会い、気づかされた。「ミュージカル女優になりたくても、私には言葉が足りない」と扉を閉ざしていたのは、自分自身だった。

 客席には聞こえる人、聞こえない人、何度も来ている人もいる。明るい歌の中で、気がつくと私は泣いていた。手話を知らなくても、見るたびに胸にこみあげてくるものがある。なぜだろう。彼女の苦労を知っているからではないことだけは分かった。

 あきらめかけたものを自分の力でたぐり寄せた。その誇りと喜びが伝わってくるからかもしれない。(生活報道部)

 

毎日新聞 2009年7月29日 東京朝刊







「民主政権」の信を問う?=与良正男


 変われば変わるものだと思う。民主党の衆院選マニフェストを発表した鳩山由紀夫代表の記者会見には約500人の報道陣が詰めかけ、新聞だけでなくテレビでも大々的な報道が続いている。政権交代が現実味を帯びてきたからだろうが、野党の政策がこんなに注目されたのは今までなかっただろう。

 三重県知事だった北川正恭・現早大大学院教授が「何でもやります。でも当選した後は知らんぷり」の従来型公約ではなく、政策を実行するため必要な財源や計画表をきちんと書き込んだマニフェストを--と初めて提唱したのは03年1月だった。

 当時は政治記者の中にも「カタカナ言葉に変えただけ」とからかう向きがあった。北川氏や周辺の学者らが「マニフェスト=政権公約」と日本語に訳すのにもかなりの議論を費やしたものだった。

 それがどうだろう。今や言葉の意味など説明しなくても済むほど定着した。「民主党は本当に約束を実現できるのか」「財源は大丈夫か」など、まさにマニフェストの本質といえる議論が人々の間でも日常的に交わされるようになった。これは大きな変化だ。

 前回衆院選のような刺客ブームといったものがないのも、きっといいことだ。より政策中心の衆院選になる予感がする。というより、自民党が「絵空事だ」「ばらまきだ」といった民主党批判を繰り返すのを聞いていると、既にどちらが与党か野党か分からなくなっている。

 何だか「民主党政権」の信を問う選挙のような様相だ。これもまたマニフェストの力かもしれぬ。無論、民主党にとっては、これからますます有権者の厳しい目が注がれるという話でもある。(論説室)

 

毎日新聞 2009年7月30日 東京朝刊







プリウスの国では=福本容子


 日本の少子化について話す機会があった。相手はアフリカなど途上国から研修に来ている政府関係の人たち10人。最近は晩婚や非婚で30代、40代でも独身というケースが増えています、と説明していたら質問が出た。「結婚はしないけど同居って人たちですか」

 ? 何を聞かれたのか、ぴんとこなかった。「1人暮らしが多いですけど」と答えたら「えー!」となった。「寂し過ぎ。あり得ない」--。「親と同居、もあります」と付け足すと、困惑はもっと深まった。お金の余裕がないから、と言ってみたけれど説得力がない。彼らの国に経済支援している日本だ。「草食系男子」の説明も試みた。だけど本物の草食系がいっぱいのアフリカから来た人には不思議なイメージだったかも。

 「結婚しないで同居か」と質問したキヤバさん(35)の国、ザンビアでは親類が集落を作り大家族のように暮らしているそうだ。食事はみんなで分け合い、兄弟の子と自分の子を一緒に育てたりする。子供にとっては「いとこ」と「兄弟」が同じ。「子供がたくさんいることは誇り、自慢です。『誰の子』ではなく、育てられる人が育てます」

 1人暮らしを「あり得ない」と言ったアモさん(40)はガーナ出身。3人いる子供のうち1人は、知り合いが貧しくて育てられないというから引き取った。「別に珍しいことではありません」

 彼らはプリウスを生産しているトヨタの工場も見学した。最高の技術で世界一多く車を造るまでになったトヨタ。けれどそのトヨタの国は今、どうしたら子供がもっと生まれるのかと悩んでいる。

 経済の発展って。どんな思いを抱え、それぞれ家族が待つ国に帰るのだろう。(経済部)

 

毎日新聞 2009年7月31日 東京朝刊


毎日新聞コラム「発信箱」スクラップ 2009・07・20~27まで

2009-08-09 | Weblog
はじめの一歩=福島良典


 「すべてはここの国防委員会から始まった」。不発弾による市民の被害が絶えないクラスター爆弾。日本政府が禁止条約の批准手続きを終えた翌日、ベルギー議会に訪ねたフィリップ・マウー上院議員(65)が述懐した。

 国防委員会で禁止を求めたマウー議員の提案に当初、軍は「廃棄したら大変なことになる」と反対したという。世界初の禁止法案が議会で可決されたのは06年2月。「それがオーストリア、ノルウェーへと広がり、禁止の国際的なドミノ現象が起きた」

 外科医として国際医療団体「国境なき医師団」などの活動に参加し、紛争に巻き込まれた市民の手当てにあたってきた。対人地雷、クラスター爆弾に続き、ベルギーは世界に先駆けて劣化ウラン弾を禁止した。「いずれも市民が死傷し、使用後も被害が長期にわたって続く」兵器だ。

 劣化ウラン弾禁止法発効に合わせ、ベルギー議会では日本の報道写真家、豊田直巳さんの写真展「ウラン兵器の人的被害」が開催中だ。写真の少女が指のない手を空に差し出し、見る者に行動を促す。

 マウー議員が劣化ウラン弾の先に見据えるのは核兵器だ。今月、米露首脳は戦略核兵器の削減で合意し、オバマ大統領の掲げる「核なき世界」の目標は主要国首脳会議(サミット)で共有された。

 世界的な服飾デザイナーの三宅一生さんは米紙への寄稿で原爆体験を語り、こう訴えた。「世界中の人々がオバマ大統領に声を合わせよう」

 対人地雷禁止条約の締約国は156カ国に達した。クラスター爆弾に続き、劣化ウラン弾、そして核兵器の全廃へと道は開けるか。「なせば成ると信じることだ」。マウー議員の言葉が胸に響いた。(ブリュッセル支局)

 

毎日新聞 2009年7月20日 東京朝刊







仕事か介護か=磯崎由美


 介護休業制度が創設されて10年になるが、取得率が上がらない。全常用労働者の0・04%(04年度)というから、2500人に1人の割合だ。先の国会での改正も、小さなものにとどまった。

 「まるでフルタイムで働いた後、そのまま夜勤をするような毎日です」。高校教諭のS子さん(46)はため息をつく。半身まひで認知症の母と2人暮らし。午前5時半に起き朝食を済ませ、デイサービスへ行く母の身支度をして出勤する。帰宅後は家事に追われ、介護ベッドの脇で横になる。真夜中も用便や足の痛みを訴えるたびに介助し、2時間と続けて眠る夜はない。

 母が倒れて4年たつが、彼女は介護休業制度を利用したことがないという。まとめてしか取れないので、長期間の介護には適さない。しかも職場は育児休業と違い、無給扱いにしている。介護保険サービスの自己負担額は月10万円近いというのに。

 そもそも今の制度は在宅介護をしながら働くためのものではなく、親が倒れた後で施設を探し、その後の方針を立てる準備期間といった趣旨のものだ。介護は育児と違い終わりが見えず、休み続けるわけにもいかない。でも先が見えないゆえに、介護や看護を理由に離職する人は年間15万人近くに上っている。働き盛りの人たちがリタイアせざるを得ない現状は、職場にとっても大きな損失のはずだ。

 「つらいけれど仕事を辞めなくて良かった」とS子さんは振り返る。介護に行き詰まっても、教室で自分を待つ子らがいる。母を通して生きることを深く考え、生徒との向き合い方も変わった。

 仕事か、介護か。二者択一を迫られるものであってはならない。(生活報道部)

 

毎日新聞 2009年7月22日 東京朝刊







なめたらいかん=与良正男


 先週に続いて05年の前回衆院選の話を。衆院解散直後からテレビを中心に「郵政民営化」「刺客」一色になって1週間後、私は出演している大阪・毎日放送の情報番組「ちちんぷいぷい」のスタッフにこう提案したのだった。

 「そろそろ刺客は飽きたって放送してみない?」

 刺客といっても自民党の内紛話。総選挙は政党同士の争いのはずで、そもそも郵政ばかりが争点ではないと考えたからだ。番組では提案に乗ってくれて、当時はほとんど話題になっていなかった格差問題などを連日取り上げた。

 今さら言い訳にもならない。結局、私たちは少数派だった。テレビ関係者によると、実際、当時は「刺客選挙区」さえ取り上げれば視聴率はぐんぐん上がったそうだ。

 それに比べてどうだろう。例えば東国原英夫宮崎県知事の衆院選出馬問題。要請した自民党は「テレビで話題になる」と考えたはずだ。民主党からは「またマスコミは自民党に利用されている」との批判もあった。だが、確かに毎日ニュースにはなったもののメディアに露出すればするほど知事も自民党も評判を落としていったのではなかったか。そこに国民意識の変化を感じないわけにはいかない。

 そう。5人も出馬して、連日メディアジャックしたのに、ちっとも盛り上がらなかった昨秋の自民党総裁選のころから、国民はやすやすと踊らず、実像を冷静に見つめ始めていたのだ。

 1年前から書き続けている言葉をもう一度、記しておく。国民をなめたらいけないということだ。自民党の中には「私だけは違う」と勝手にマニフェストを作る動きがあるという。もう、そんな姑息(こそく)なまねはおよしなさい。(論説室)

 

毎日新聞 2009年7月23日 東京朝刊







パリはほほ笑む=福本容子


 清潔で礼儀正しく、物静かで文句を言わない……。そんなわけで、日本人観光客が好感度世界一になった。インターネット専門の旅行会社「エクスペディア」が世界のホテルから聞いた結果である。

 ところが各国のメディアが話題にしたのは27カ国中最下位のフランス。「ケチで無礼で旅先の言葉を使おうとしない」が不評の理由だった。調査の中立性は不確かだけど、少なくともフランス人観光客は人気者ではなさそう。

 人気といえば、フランスにいるフランス人も、ない。大手旅行情報サイト「トリップアドバイザー」のランキングではパリが「欧州で最も無愛想な都市」に選ばれた。

 普段なら無視できても、不況で外国人旅行客が急減中のパリである。プライドを封印し変身作戦に乗り出した。名付けて「パリはあなたにほほ笑む」キャンペーン。観光案内所に「笑顔大使」を置き、市民に「外国人には笑顔で親切に」と呼びかけている。

 外国人旅行客の減り方がパリ以上の日本。もともとが感じいいから、笑顔キャンペーンは効かない。物静かにしていてもお客はやって来ない。

 米タイム誌の「東京10名所」は目からうろこだ。「渋谷駅前のスクランブル交差点を見ずに帰国するな」とある。「全信号が一斉に赤になるとあらゆる方向から歩行者が流れ込み、ビー玉の箱をひっくり返したよう。この秩序だったカオスはスターバックスの2階から楽しめる」

 毎日したり見たりしていることが外の人には結構おもしろい発見になる。神社仏閣やアキバだけじゃない。フランス人が笑顔なら、日本人に必要なのは、埋もれた「おもしろい!」を新しい発想で紹介する柔らかな脳かな。(経済部)

 

毎日新聞 2009年7月24日 東京朝刊







青空研究=元村有希子


 22日の皆既日食。普段はケータイとにらめっこしている大人たちが一心に空を見上げ、歓声を上げる。好奇心には大人も子どももないのだ、とうれしく思った。

 「なぜ空は青いの?」と子どもに聞かれて戸惑った経験を持つ人は少なくないだろう。科学者たちはいくつになっても、こんな問いを発し続けている。答えが見つかるか分からない、まして一文の足しにもならない、それでも「なぜ?」と感じた素朴な疑問を追いかけるような研究を、欧米ではブルースカイ・リサーチ(青空研究)と呼ぶ。

 とはいえ、最近は研究にも目的と成果が求められるようになった。いついつまでにこれだけの成果を出し、こんなに役立ちます、とあらかじめ申告しないと研究費がもらいにくい仕組みになっている。青空研究は分が悪い。

 400年前、同じ思いで空を見上げた男がいた。ガリレオ・ガリレイ。彼が「科学の父」と呼ばれる理由は、宗教的な価値観に支えられていた中世世界の秩序に、科学の目で見直しを迫ったからだ。

 自作の望遠鏡で月を観察し、それまでは傷一つないと信じられていた月の表面がでこぼこだと確かめた。太陽の黒点の数や金星の大きさの変化を記録し、「天体の不変性」を前提にした天動説に異を唱えた。宗教裁判にかけられ、晩年は失明するなど不遇だったが、彼の好奇心から生まれた知識は宇宙の理解を大いに進めた。青空研究の醍醐味(だいごみ)である。

 今年は、ガリレオが初めて望遠鏡で天体観測をして400年になるのを記念した「世界天文年」。日食の朝、空を夢中で見上げた子どもたちの中から、21世紀のガリレオが育つことを期待しよう。(科学環境部)

 

毎日新聞 2009年7月25日 東京朝刊







時代を映す街=萩尾信也


 横浜市の「寿地区」。300メートル四方に「ドヤ」と呼ばれる簡易宿泊所が密集するこの街を、先日久しぶりに再訪して変容ぶりに驚いた。

 出合いは1970年代後半だった。米軍の接収地跡に誕生したドヤ街は日雇い労働者が暮らす街として復興し、東京の「山谷地区」や大阪の「釜ケ崎地区」とともに「日本の3大寄せ場」と呼ばれていた。当時大学生の私は生活費に窮すると、ドヤの住民と一緒に車に詰め込まれて建設現場や工事現場に向かい、日銭を稼いだ。日雇い労働者が高度経済成長期を下支えしたころの思い出だ。

 再訪したのは80年代後半、バブル経済の時代だった。就労が多様化する中で、肉体労働を「汚い」「きつい」「危険」の頭文字をとって「3K仕事」とさげすむ風潮が生まれていた。そこに高騰する人件費を嫌う雇用側の思惑が加わり、日本人に代わって東南アジアからの外国人労働者が流入。人権侵害や賃金未払いなどのトラブルも頻発していた。社会部の駆け出し記者だった私は、その実態をドヤに寝泊まりしながら取材した。

 3度目は00年、バブルがはじけ経済が失墜していた。日雇いの仕事が激減して外国人労働者が姿を消し、ドヤ代も払えずにホームレスになった人々が路上で暮らしていた。

 そして未曽有の経済危機にある09年、寿地区は「老人と福祉の街」へと変容していた。かつての日雇い労働者は高齢化して、84年に9%だった60歳以上の高齢者は08年には58%に跳ね上がり、生活保護受給者は86年の30%から75%に拡大していた。

 人通りでにぎわう中華街に隣接する寿地区。その街角には、日本の戦後史と未来が映って見える。(社会部)

 

毎日新聞 2009年7月26日 東京朝刊







インドの花嫁=福島良典


 求愛の言葉を選ぶのは難しい。振り向いてもらいたい時、「好きだ」と相手の感情に直接、訴えるか、「一緒に暮らす方が合理的だ」と提案するか。人柄が表れる。

 米国とフランスの南アジア外交を目にして、インドを取り合う恋敵同士のつばぜり合いを想像した。愛の国フランスは情熱派。清教徒の末裔(まつえい)の米国は説得型だ。

 「フランスはインドが好きだ。インド文明を尊敬している」。サルコジ大統領は7月14日、パリでの仏革命記念日の軍事行進にインド軍を招き、シン首相に秋波を送った。

 対するクリントン米国務長官は正攻法。17~21日のインド訪問で「最古の民主主義(米国)と最大の民主主義(インド)は意見の相違を乗り越えられる」と力説した。

 米仏には打算がある。参入を競うのは、老朽化するインドの軍備と原発の近代化だ。インドは軍備刷新に今後5年間で300億ドル(約2兆8000億円)を投じる。深刻な電力不足の解消も急務だ。

 クリントン長官の訪印で、米国はインドに武器を輸出するための協定を結んだ。原子力分野では米印原子力協定に基づき、米企業が原発2カ所の建設に乗り出す。

 フランスはインド空軍のミラージュ戦闘機更新の契約を取り付けたい。米国に負けじと、ウラン濃縮・再処理で協力する用意も表明している。

 インドには「米国はパキスタン対策で我が国を必要としているだけ」とのさめた声もある。米国が見え透いたテロ対策の理に走れば、インドの自尊心を傷つけかねない。

 多極化が進行する国際社会で重みを増すインド。その心をつかむのは情熱派か、説得型か。外交も恋愛同様、駆け引きの妙が肝心だ。(ブリュッセル支局)



毎日新聞 2009年7月27日 東京朝刊


毎日新聞コラム「発信箱」スクラップ 2009・07・13~19まで

2009-08-09 | Weblog
終わりの始まり=福島良典


 歴史の神の所作だろうか。このところ国際社会で「終わりの始まり」を予感させる出来事が相次いでいる。揺さぶりを受けているのは政治体制や、既存の枠組みだ。

 まず、イスラム法学者が統治する宗教国家イラン。アフマディネジャド大統領「再選」への抗議運動が止まらない。デモに最高指導者ハメネイ師の権威さえ曇りがちだ。

 北朝鮮では核・ミサイル実験と歩調を合わせるように健康悪化が伝えられる金正日(キムジョンイル)総書記から三男正雲(ジョンウン)氏への後継準備が始まったという。

 イランと北朝鮮の核開発への対応を協議したラクイラ・サミット(イタリア)には新興国など40カ国・機関の首脳が参加し、G8(主要8カ国)時代の終えんを告げた。

 サミット拡大会合では中国の発案で基軸通貨の多様化が協議され、ドル帝国落日の兆しが表面化し始めた。その中国は新疆(しんきょう)ウイグル自治区の暴動への対応に追われる。

 見逃せないのは、グローバル化時代に情報技術が果たす役割だ。イランの抗議運動は携帯電話で拡大した。中国政府は国外から暴動が扇動されたとしてインターネットの接続サービスを一部制限した。

 在欧消息筋によると、金総書記が後継体制作りを急ぐ背景には昨年の脳卒中発作の情報が国内でも広まったことがあるという。「人心の動揺を避けるため」との解説だ。

 かつて国家の脅威は敵国の軍事力だった。ネット時代の今、各国指導者にとっての新たな脅威は、やすやすと国境を乗り越える電子情報だ。

 だが、彼らも、世界を駆け巡り、内外世論に影響を与える電子情報に配慮せざるを得ない。携帯電話とネットを手にした市民が国際政治の舞台に上がったのは間違いない。(ブリュッセル支局)

 

毎日新聞 2009年7月13日 東京朝刊







被爆瓦のメッセージ=玉木研二


 広島原爆の被爆瓦片が英国で競売にかけられた。このニュースは、私に忘れかけていた広島の戦後風景を思い起こさせてくれた。

 瓦片は原爆投下から7年後の1952年、英軍人が広島に旅行し、寺でもらったという。そのころ広島はどんなたたずまいだったか。見ることができる貴重な映像がある。この年広島に長くロケし、街と人を記した新藤兼人監督の映画「原爆の子」である。

 戦後広島に生まれ育った私の記憶は55年ぐらいからあり、映画の風景の多くが懐かしい。出入り自由で英文の落書きもあった原爆ドーム。街に残るがれき。砂利とほこりの道をはさんで建ち並ぶ粗末な家屋。欄干が欠けゆがんだ橋と、川に飛び込み水泳に興じる子供の歓声。ケロイドを負った若い女性たち。銀行の石段に焼きつく人の影--。

 こんな風景が日常生活に共存し、広島の街を形づくっていた。傷が深く刻まれた街であるとともに、復興の活気のようなものもあったと今にして思う。映画には「ぴかどん(原爆の異称)」と看板をかけた食堂らしい店も映っている。私はそんなことにも不屈のたくましさを感じ取る。

 米兵や「オンリー」らが持ち込む品を扱いながら洋品店を興した女性など、焼け野原で腕一本で立ち上がった広島の人々の逸話は多い。どこの戦災地もそうだったろう。だが広島の場合、なぜか原爆後の人々の生身の人生が看過されてきたように思うのだ。

 被爆体験とは何か。あの日あの時そこにいた、ということだけか。取材に「それから生き抜いた半生の重み」がすっぽり抜け落ちていないか。広島の日常の戦後風景の中から突然英国に現れた瓦片が、そう私に語りかけてくる。(論説室)

 

毎日新聞 2009年7月14日 東京朝刊







守るべき者が=磯崎由美


 人と人とのコミュニケーションを豊かにするはずの技術が悪用され、子どもの人生を奪っている。増加を続けるインターネット上の児童ポルノ犯罪。奈良県警が1月に摘発したファイル交換ソフトによる事件では、自営業の男が開設したサーバーにマニア約200人が群がっていた。

 交換されていた画像には5歳ぐらいの女児への強姦(ごうかん)場面もあった。捜査員が付け加える。「内容から親が撮ったとしか思えない」。6月に宮城県警が摘発した事件では、パートの女が2歳の娘を裸にして撮影し売っていた。

 昨年検挙された児童虐待事件の3割近くが性的虐待だった。82件で4年前の2・1倍。最も顕在化しにくい虐待とされ、実際は統計よりはるかに多いはずだ。生きていくうえで大切な「性」を、自分を一番守ってくれるはずの親に傷つけられる。以前精神科の閉鎖病棟で会った被害少女たちは、事件から何年たっても入退院や自殺未遂を繰り返し、医師は回復への道の険しさに言葉を詰まらせた。

 子どもを保護すべき立場の者として絶対に越えてはならない壁が崩れていく。特異な親たちの話だけだろうか。この国では児童の性虐待画像を入手することが合法で、大人社会が子どもを性的な対象と見ることを許している。一度製造されたデジタル画像はマニアの手から手へと渡り、被害児童をおびえさせている。

 国際社会の非難でようやく国会が重い腰を上げ、入手した者も処罰する法改正案ができたのが1年前。政局の混迷でたなざらしになり、ようやく審議が始まったが、衆院解散で廃案になるという。審議入り前、レイプ場面を撮られた少女はこう訴えていた。「早く安心して眠りたい」(生活報道部)

毎日新聞 2009年7月15日 東京朝刊







まず4年前を=与良正男


 05年の8月8日。郵政民営化法案が参院で否決され、時の小泉純一郎首相が衆院解散に踏み切った時、私はこんな原稿を事前に用意していた。

 「どうせ民営化に反対した議員も自民党は公認するに違いない。それなら何を争う選挙なのか分からない」

 ところが、機先を制するように小泉氏は直ちに造反議員は公認しない方針を表明した。「そんなことできるわけがない」と党執行部がおたおたしたのを今も思い出す。

 刺客騒動は、決して「先に演出ありき」ではない、この無謀ともいえる決断に始まる。その後、報道する側、とりわけテレビは他の政策課題そっちのけで刺客一色になった。その点について私たちは猛省しなくてはならない。

 でも、多くの人々が小泉氏の「思い込んだら絶対に曲げない、ぶれない」姿勢に大きな期待を寄せたのも間違いない事実だったと思うのだ。

 多分、「自分が最も降ろされにくい道」を選んだのだろう。与党側に押し切られ「8・30総選挙」を決めた麻生太郎首相がインタビューで、なぜかメモを見ながら「解散予告」する姿を見て、小泉氏との本気度や迫力の違いを感じないわけにはいかない。

 もちろん、麻生首相だけの責任ではない。小泉氏は一連の改革の後始末をせずに自民党総裁任期を理由に退陣。その後、造反議員たちも続々と復党した。今の自民党の体たらくは、自ら郵政解散の意味を否定したところから始まったと私は考えている。

 長い選挙戦が始まる。4年前の郵政選挙とは一体何だったのか。小泉改革のどこがよくて、いけなかったのか。政党もメディアも、そして有権者も、もう一度考えてみることが出発点だと思っている。(論説室)

 

毎日新聞 2009年7月16日 東京朝刊







グーグルと選挙=福本容子


 「衆院選の行方を占う」と注目されていたから、結果を見てがっかりだった。54・49%。東京都議選の投票率だ。

 新聞は「前回を10ポイントも上回り有権者の高い関心を示した」と評価したけれど、54%は本当に高い? スウェーデンの全人口より有権者が多い東京で、半分近い476万人も不参加だったのが気になる。

 BBC東京特派員のローランド・バーク記者は熱狂不足に驚いた。「白手袋にたすきの候補者が空っぽの駐車場で演説し、言葉が周囲のマンションにこだましてました。有権者はあまり関心がなかったようです」とリポートしていた。これまで世界で見てきた選挙とかなり違う。候補者と有権者の距離を感じたという。

 オバマさんの勝利に効いたのは若者の投票率アップだった。彼らとの距離を縮めようとインターネットをフル活用。流した動画は1800本を超えた。でも日本ではこれができない。はがきやビラなど公職選挙法が認める道具にネットは含まれないのだ。

 それでも法の枠内で何とか距離を縮めてみよう、とグーグルが新サービスを始めた。候補者への質問をネット上で集め、よい質問を投票で選び候補者に動画で回答してもらう。「これから生まれる子供が、日本に生まれてよかったと思うためにあなたは何をしますか」--。すでに2800を超える質問が届いた。公示後の質疑応答はできず制限付きだけれど一歩進みそう。

 若い層が動くと世の中はかなり変わるはず。年金制度の都合で、「結婚しろ」「子を産め」とばっかり言ってないで、彼らがもっと政治に関心を持ち、投票所に列を作るような選挙にしていかないと。

 グーグルに導いてもらってばかりでは情けない。(経済部)

 

毎日新聞 2009年7月17日 東京朝刊







密約告白ラッシュ=伊藤智永


 何十年も組織の中枢で受け継がれてきた秘密の取り決めを、ある時から、辞めた元幹部たちが口々に「実は隠してました」と白状しだす。

 秘密といっても、中身はとうに知られており、取り決め相手の資料や証言でも裏付けられていた。一方の当事者が認めていなかっただけ。新たな驚くべき事実もない。

 これが、日米の核持ち込み密約をめぐる現状だ。

 さて、これを「皆一斉に悔い改めたか」と受け取ったら、相当なお人よしである。

 「けしからん。他の関係者も今こそ真実を話せ」という反応も単純すぎる。確信犯だから、尋ねればまだ何人も話すだろう。だが、同じ日米密約でも、沖縄の地位協定については、なお口をつぐむ。

 今や核密約を「認めた」だけでは、ニュースと言えない。なぜ今、OBだけが、多くは匿名で(実名証言は旧条約局系でない人たちばかり)、認めだしたのか。うそを反省したわけではなく、新たな思惑があると疑うべきだ。

 北朝鮮の核実験とオバマ米大統領の核軍縮が、日本の核政策に見直しを迫った。

 核の傘は、相手が合理的に行動するのが前提だが、北朝鮮はそうでない。日本はこれまでと違う「北への抑止力」を構える必要がでてきた。

 オバマ核廃絶は「生きている間は実現しない目標」で、重点は核不拡散体制の再構築にある。「核兵器なき世界への核管理」だ。核の国際政治を、日本はどう生き抜くか。

 恐らく外務省は国内の政権交代に乗じ、もはや無用になった核密約を脱ぎ捨て、新たな核政策へ移行しようとしている。相次ぐ「告白」は良心や正直といった道徳心の問題ではなく、したたかな環境作りだろう。(外信部)

 

毎日新聞 2009年7月18日 東京朝刊







太郎さん=潟永秀一郎


 四半世紀前、初任地は福岡県飯塚市の筑豊支局だった。まだ青年の面影を残す麻生太郎衆院議員の地元。閉山後の苦境の中ではあったが、元炭鉱王家の長男というブランド力は絶大で、「太郎さん」と目を細めるお年寄りが少なくなかった。森のような邸宅、系列の大病院と多数のスーパー……。「太郎さんが小学校に上がる前、麻生家はそのために小学校を造った」と聞いた時は、目が点になった。

 もっとも当時、ご本人は浪人中。83年12月の総選挙で落選し、86年7月の衆参同日選で返り咲く。落選後、地元の人は「坊ちゃんにはいい薬」と手厳しかったが、次の選挙では妻千賀子さんの存在が大きかった。ご存じ、鈴木善幸元首相のお嬢さん。落選直前に結婚し、小さな行事にも足を運んで深々と頭を下げる姿に、「千賀子さんを悲しませるな」という声が広がった。

 あのころを知る一人として「麻生首相誕生」の報は感慨深かった。正直、そんな日が来るとは思いもしなかった。本人が「冷や飯のおいしい食い方はおれに聞いてくれ」と言うくらい、中枢には縁遠かった。当地の知人も「まさかなあ」と笑っていた。

 かつてない逆風の中、解散に打って出る首相。だが地元・飯塚市も今、選挙どころではない苦境の中にある。空き店舗が目立つ商店街で、唯一の百貨店まで閉店を発表し、存続を願う署名活動が始まった。前回総選挙から4年、構造改革の痛みは地方の衰退を加速させた。「だからおれが経済対策をやった」と誇る前に、今一度浪人中を思い、古里を見つめ直すことから選挙に臨んでほしい。ETCもエコポイントも無縁なのに、なお「太郎さん」と慕ってくれるお年寄りたちの暮らしを。(報道部)

 

毎日新聞 2009年7月19日 東京朝刊