わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

万葉の心のかけら=佐々木泰造(学芸部)

2008-03-30 | Weblog

 春は別れと出会いの季節。春分の日の20日にあった「なにわの宮新作万葉歌」の授賞式で、その思いを強くした。

 古代の宮殿跡である難波宮(なにわのみや)跡(大阪市中央区)出土の木簡に万葉仮名11文字で書かれた言葉を使って短歌を創作するこの催し、第2回の今年は最初の8文字「春草(はるくさ)のはじめ」で始まる短歌を募集した。

 春草のはじめはそばにいた君が今は一番遠くの人に

 これは佳作に選ばれた兵庫県川西市立東谷中学校3年、坪内健悟さんの作品。失恋の歌だと思っていたら、授賞式の受賞者インタビューで意外な答えを聞いた。一緒に野球をしていた友達が事故で亡くなったのだという。

 「万葉集」の約4500首は、「相聞(そうもん)」と呼ばれる恋の歌、人の死を悲しむ「挽歌(ばんか)」、それ以外の「雑歌(ぞうか)」に大別される。坪内さんの作品は挽歌なのだが、相聞歌にもなりうる。「あなたがいなくて寂しい」「ここにいたら」と、人は人を恋う。相手が同性であれ異性であれ、人は失うことの悲しみ、別れのつらさを歌にするのだと気づかされた。

 そして春は旅立ちのとき。今月末で退職する藤原健・毎日新聞大阪本社編集局長は授賞式でこんな歌を披露した。

 春草のはじめの心思い出し今ひとたびのはじめの心

 それに応える私の歌。

 春草のはじめの心忘れじとなりたきものを問い直してみる

 7世紀中ごろの万葉人(まんようびと)が土の中にすてきな言葉のかけらを残した。それを拾って現代の私たちが思いを歌に紡ぐ。1350年の時空を超えたコラボレーション(合作)をもうしばらく続けようと思う。




毎日新聞 2008年3月30日 大阪朝刊


海の男の誇りを=大島透

2008-03-30 | Weblog

 海の男を歌う演歌は聴くたびに涙腺がゆるむ曲が多い。79年の村木賢吉「おやじの海」も、82年の鳥羽一郎「兄弟船」も涙なしには聴けない。経済的に豊かな生活が実現し、暗い酒場の女の恨みや未練などを描く演歌が絵空事になる一方で、海を歌う演歌は現実感を保っている。真冬に雪のすだれをくぐって進む船も、全身に潮を浴びて巻き上げる網の重さも、命がけの労働の現実だ。いや、演歌の話ではない。海の男の話だ。

 イージス艦と漁船の衝突事故で、海上自衛隊側の当初の発表が「事実とは違う」と勝浦の漁師たちが記者会見などで説明した。「回避義務は自衛艦側にあったのに、自分たちの都合のいいように発表している」という趣旨だ。

 事故原因の解明は海上保安庁の捜査結果を待たねばならない。ただ一連の報道で、テレビで流れた勝浦の漁師の一言が胸に突き刺さった。そこに憤りや反発は感じられず、穏やかな口調だったので逆に印象が強い。「沖で自衛艦と出合うたび、心の中で『お互いに頑張ろう』と声援を送ってきました。自衛官も漁師も海で働く仲間同士だからです。しかし今回の弁明を聞き、海の仲間という連帯感が何だか薄れてしまいました」

 自己保身に走る者は海に生きる仲間ではないと言っている。これほど悲しい言葉はない。どの職業人にもそれぞれの職の誇りがある。自衛官こそ国を守る誇りを胸に、苦しい訓練に耐えている人たちではないか。期待すればこそ失望も深いのだ。組織防衛より国民に誇れる姿を見せる方が大切だ。公に尽くす誇りが折れた時、組織は保てない。(報道部)




毎日新聞 2008年3月30日 東京朝刊


花見ノ勧メ=渡辺悟

2008-03-30 | Weblog

 ガソリン暫定税率をめぐる迷走、ただ殺したかったから殺す若者、円高・株安……。なのにサクラが咲き始めた。のんきに咲いてる場合ではないけどやっぱり咲く。

 「世の中は桜の花になりにけり」。良寛さんの句そのままの世界だ。

 先祖代々1000年以上愛し続けてきたサクラの季節到来は、答えが見つかりそうもない自問につながる。最近の美しくない日本は、一体どこに原因があるのだろう。

 作詞家、故阿久悠さんは日常敬語の喪失を嘆いていた。「日本人の最も優れ、最も美しく見える姿は、何気ない日常の中に『敬語』を組み込むことが出来た、知性の高い生活哲学である」と(文芸春秋特別版「和の心 日本の美」2004年)。

 同じ本で編集者、松岡正剛さんは母親の言葉の美しさを取り上げ、言葉が「つねに四季の景物や、近づく行事の気配や、自分が着ている着物や客に出す和菓子につながっていた」と書いていた。

 昔がすべてよかったとは言わないが、伝統と言葉が今よりはるかに美しく調和共存した時代があったことは記憶にとどめておいていい。

 サクラに戻る。少し前、戦艦大和から生還した元兵士の話をうかがう機会があった。「豊後水道で見たサクラがすごくきれいでした」。それだけだったが、強く印象に残った。死闘前日、1945年4月6日夕。喫水線から40メートル、防空指揮所付近から見たというサクラを思う。

 「さまざまのこと思ひ出す桜かな」。芭蕉の句である。日常から少し離れるためにも花見に出かけようと思う。(編集局)




毎日新聞 2008年3月29日 大阪朝刊


「クリンチ国会」の裏事情=松田喬和

2008-03-30 | Weblog

 国会での与野党間のクリンチ状況が止まらない。いずれも有効打は少なく、国民の政党不信は募るばかりだ。「ねじれ国会」が要因である以上、解散・総選挙に持ち込むことが、手っ取り早い解消策のはずだ。だが、解散風は吹いていない。

 2大政党制の出現で、政権交代が可能な政治状況が期待された。だが、「ねじれ国会」で、政策決定の遅れをはじめマイナス面が目立つ。与党は3分の2以上を占める衆院の優位性に頼りすぎた。一方、民主党も政権担当能力以上に対立軸を誇示している。

 与野党対決が深まるものの、早期解散論は盛り上がらない。福田内閣の支持率も低落傾向にある。仮に与党が勝利できても、衆院での再議決権を維持できるような大勝は期待薄だ。自民党内の大勢は先送り論だ。最大の人事権である解散権を封じられ、福田康夫首相は指導力も思うように発揮できないでいる。

 対する民主党の小沢一郎代表は「今国会の解散を大前提にがんばる」と檄(げき)を飛ばす。争点の道路特定財源問題でも妥協を拒否する。解散に腰が引ける自民党の対応を見込んだ上の強気作戦といわれている。

 両党の選対幹部に自党の総選挙予想をただしたところ、自民党は「215±10」、民主党は「210~220」が返ってきた。いずれの計算も次のようなものだった。

 「衆院の総数(480)のうち、公明以下の第3勢力が50議席は確保する。残りの430議席の過半数216議席を獲得した方が勝ち」

 互いに勝算が立つまで「クリンチ国会」は続くようだ。(論説室)




毎日新聞 2008年3月29日 東京朝刊


値上げの春の想像力=中村秀明

2008-03-30 | Weblog

 4月、政府が製粉会社に売り渡す小麦価格が30%引き上げられる。大衆的な食を扱う店には頭が痛い。

 大阪市内で約50年続くタコ焼き店は「去年、タコの値上がり分で値段変えたばかりやからね」と浮かない表情だ。マヨネーズや油、ガス、また小麦粉。相次ぐ値上げで、10個340円では利益が出ない。かつての勤務地・宇都宮市で、一番うまいと評判のギョーザ店は来月から、6個170円が210円になる。11年ぶりの値上げという。

 ただ、30%アップでも小麦の国際価格の上昇には追いつかない。国際相場はこの1年でほぼ倍になった。そして、最も深刻な打撃を受けているのは、飽食の先進国ではなく、途上国である。

 来年度に78カ国・7300万人への食料支援を予定する国連の世界食糧計画(WFP)は、穀物と輸送費の上昇で5億ドル(約500億円)の資金が足りない。このままだと、援助の量か人数を減らさざるを得なくなる。ジョゼット・シーラン事務局長は英経済紙に窮状を訴え、「途上国では1日3食を1食にする動きがある」「インドネシア、イエメン、メキシコなど、かつて問題がなかった国までも差し迫った状況だ」と語った。

 小麦が上がれば、私たちは、満腹感に浸れなかったり、財布が軽くなったりするだろう。ところが、途上国では同じ理由で、飢餓や命の危険に直面し、テロや紛争の火種が生まれる。落差をどう埋めればいいのか、食べ物は本当に足りないのか。身近な値上げにため息をつくだけでなく、遠くの飢えに思いをはせる機会にしたい。(経済部)




毎日新聞 2008年3月28日 東京朝刊


「解散を」という理由=与良正男

2008-03-30 | Weblog

 「早期に衆院解散・総選挙を」と書くと必ず次のような反論を受ける。

 民主党が過半数を取って民主党政権が誕生すれば基本的に衆参のねじれは解消されるが、過半数に至らない可能性が高い。一方、自民、公明両党も大幅に減らし、衆院での3分の2を確保するのは難しい。与党は衆院再可決の手段を失い、国会は今以上に何も決まらず混乱する。

 まあ、そういう人の多くは「民主党政権なんてとんでもない」と考えているのだが、衆院解散は与党にとっても活路を開く手でもあるのだ。

 例えばこんな方法がある。与野党ともにマニフェストで掲げた(少なくとも)上位10項目程度の政策については、選挙で勝利した方の考えに他党も従う。それを事前に約束して選挙に臨むのである。

 そうすれば各党はもっと真剣にマニフェスト作りに取り組むだろう。政策の優劣が政権の選択に直結するのだから有権者も従来以上に厳しい判断が求められるし、政治への参加意識も高まる。本来、マニフェスト型選挙とはそういうものだ。

 さてガソリン税。私は一般財源化には大賛成だが、ここで暫定税率が期限切れを迎えるのは、混乱のリスクがあまりに大きいと思う。与野党が泥縄式で対応しているのは明らかで、想定外の事態が相次ぐのを恐れる。

 社説が提案しているところだが、ここは暫定税率を1年だけ延長して、その間に総選挙をし、有権者の判断に委ねたらどうか。そう、先ほど書いた方法で。道路=公共事業をどうするか。政権を争うのに十分なテーマと思う。(論説室)




毎日新聞 2008年3月27日 東京朝刊


離れていても=磯崎由美(生活報道センター)

2008-03-26 | Weblog

 朝、お年寄りがおさげ髪の人形の手を握る。「おはよう」。孫の声が流れる。

 武蔵野美術大学通信教育課程を今春卒業した浦島沙苗(さなえ)さん(25)は卒業制作でこんなシステムを考案した。人形は端末で、離れて暮らす家族の画像や声を記録している。手を握ったことは家族の携帯電話にメールで伝わり、元気でいると分かる。家族が動画を送ると人形が抱えている画面に映し出され、お年寄りも子や孫の様子を見られる。

 人形を選んだのは、認知症が進んだ人でも逆さにしたりせず、子どもをあやすように大切に抱くのだという話を聞いたからだという。

 この作品には、幼いころ離婚した両親の代わりに育ててくれた祖母(84)への思いがこめられている。町工場で働き、還暦を過ぎて再び苦労する姿を見て、「老後は私が世話をする」と思ってきた。

 大学に通いながらヘルパーの資格を得て働いていた時だった。祖母が突然倒れた。在宅介護の日々が始まる。介護のことはよく知っていたはずなのに、声を荒らげてしまう。「こんなに大好きなのに。もうどうにもならない」

 昨秋、知人に介護施設を紹介された。苦しみからは解放された。これで良かったんだとも思ったが、どこか寂しかった。きっと祖母も同じだ。

 介護が必要な親と離れて暮らさざるを得ない人が増えている。「せめて日常の中でお互いの存在を感じることができたら」という彼女の願いに共感する人は多いはずだ。

 「おばあちゃんが元気なうちに実用化したい」。沙苗さんは協力してくれる企業を探している。




毎日新聞 2008年3月26日 0時05分


「政治家だって使い捨て」。小泉純一郎元首相が…

2008-03-25 | Weblog

「政治家だって使い捨て」。小泉純一郎元首相が、いわゆる「小泉チルドレン」にそう言い放ったら、ワーキングプアといわれる若者たちの間で、小泉人気が急上昇したそうだ。明日への希望をもてない「使い捨て」扱いの気持ちがよく分かっているというのだ。

そのことに文化人類学者の上田紀行さんは大きなショックを受けた。「使い捨てにされているのは政治が悪いからではないか」と怒るどころか、「そうだ、みんな使い捨てなんだ」というふうに納得してしまっている、と。

このまま「使い捨て」が社会の標準になれば、取り返しがつかなくなる。私たちは交換可能な消耗品ではなく、一人一人がかけがえのない存在ではないか。上田さんは最新刊「かけがえのない人間」(講談社現代新書)でそんな思いを熱く語っている。

その本で「使い捨て」の対極に置かれているのは、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が説く「愛と思いやり」だ。そんなことを言えば、国際的な競争力が低下し、国民にも依存心が広がり、弱い国になるとの批判を浴びそうだが、社会への信頼を取り戻すのが大切だという。

そのダライ・ラマは今や中国政府の最大の敵。チベット暴動の収拾に向けた対話を呼びかけても、中国側は激しい敵意を表すだけだ。外国メディアなどの現地立ち入りが拒否され、閉ざされた中で悲劇が続いていないか気がかりだ。

人は何によって生き、どんな社会を求めるのか。ダライ・ラマは「愛や思いやりの心を持てばこそ、差別や暴力に怒るべきだ」という。チベット暴動は遠い世界のことではない。日本人は「思いやり」も「怒り」も忘れている。




毎日新聞 2008年3月24日 東京朝刊


理不尽な運命の交差

2008-03-25 | Weblog

 ツゲの櫛(くし)を持って四つ辻(つじ)に立つ。道祖神に祈りながら、そこに最初に通りかかった人が何をしゃべっているかに耳を傾ける。かつてはその言葉を自分の境遇にひきつけて解釈し、吉凶を占った。ツゲは「お告げ」の語呂合わせだ。

 いわゆる「辻占(つじうら)」だが、昔の人は見知らぬ人同士が行き交う四つ角を、それぞれの運命が交差する場所と考えたのだろう。また人が四方から集まり、去っていく辻はこの世と異世界との結び目で、魔物が怪異を起こす場所でもあった。

 今なら四方八方から道が集まり、鉄道ともつながる場所は駅である。そこでは日々見知らぬ人同士の運命がさりげなく交差する。だがまさか白昼、「誰でもいいから、人を殺したかった」という24歳の男のとんでもない殺意が自分の運命と重なり合おうとは誰だって予想できない。

 茨城県のJR荒川沖駅で通路などにいた8人が相次いで刃物で襲われ、死傷した。逮捕された男は別の殺人容疑で指名手配中だった。しかも男はこの事件に先立ち、小学校を襲う計画だったと供述しているという。胸の悪くなる冷血である。

 聞けば荒川沖駅には男の捜査のために8人もの私服刑事が張り込んでいたという。だがうち1人は手傷を負い、容疑者はまんまと現場から姿をくらました。起こった結果を見れば、やはり警察の手抜かりを指摘する厳しい声が出るのも仕方がない。

 四方八方から駅に集まる道は、悪事をはたらく者には逃げ道となる。プロの捜査員として、より周到な網の張り方はなかったのだろうか。挑発を繰り返す容疑者の危険を知っていた警察は、まず市民を理不尽な運命の交差から守る策をとってほしかった。




毎日新聞 2008年3月25日 0時09分


中国当局の失敗=町田幸彦(欧州総局)

2008-03-25 | Weblog

 百聞は一見にしかず。中国政府はそう考えたのか、チベット自治区内外で起きた騒乱の模様を伝える映像を部分的に公開した。自治区の中心都市ラサ街頭で地元住民が商店の玄関を壊したり、チベット仏教の若い僧侶たちが治安部隊に挑みかかり連行される姿。「暴徒なのだ」と言いたげな光景が撮影されている。

 英BBC放送で中国テレビ局の録画を見ながら、解説者の指摘にうなずいた。まったく別のことを映像は見た者に考えさせてしまうのだ。

 いまの中国で中央権力に刃向かう姿勢を公に見せることは、長期の刑務所か収容所入りを覚悟しなければならない。行動に出るチベット人たちにはよほどの決意があるはずだ。何が彼らを反抗に駆り立てるのか。「陰謀による扇動」だけで説得しきれまい。

 10年前、映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」の原作者ハインリヒ・ハラー氏(06年1月死去)をオーストリア西部の自宅に訪ねた。1951年の中国軍進駐前にラサ入りしダライ・ラマ14世の家庭教師を務めたハラー氏は「ミミズさえ殺さないようにあらゆる生命をいとおしむチベット人の心」を絶賛した。そんな人々に怒りを募らせる支配統治が続いたのだ。

 ロンドンの中国大使館前で先週開かれたチベット支援集会で、中国での投獄経験のあるチベット人尼僧がほおに幾筋もの涙を流し、黙って目を閉じていた。故郷の同胞の運命に思いをはせたに違いない。情報を制限しても、人々が考えることまで封じ込められない。チベットに向けた連帯意識は幅広いことを中国当局は知るべきだ。




毎日新聞 2008年3月24日 0時08分


「都市格」と大阪=藤原規洋(論説室)

2008-03-23 | Weblog

 関西活性化をテーマにした議論で、「都市格」という言葉をよく耳にする。「人格」になぞらえたもので、精神性をも含めた地域特性と言えようか。実はこの言葉、大阪と大変縁が深い。初めて使ったとされるのが、大阪府の第19代知事、中川望なのだ。

 1925(大正14)年の講演で「人格に欠くところあれば決して人として尊きものにあらず」と述べ、商工業都市として成功をおさめた大阪に求められているのは「都市格の向上」だと力説した。

 中川は、人格は「知識・道徳・趣味・信仰(信念)」から成ると考え、都市格を高めるためにもこの四つの要素が必要とした。具体的には、まず教育の充実。そして、子どもには伸び伸びと遊べる場所を提供し、「立派な正しい遊戯」を教えることで自然に道徳的な行いや考えを身につけさせる。成人やお年寄りには質の高い文化・娯楽施設を提供することなどを挙げた。

 中川と二人三脚で大阪の舵(かじ)取り役を務め、名市長とうたわれた関一は「大阪は住み心地よき都市にする」と言っている。市民の生活レベルで分かりやすく言い換えたものと理解していいだろう。

 2人の言葉から、「子どもが笑う大阪」をキャッチフレーズとする橋下徹知事の言葉を思い出してしまった。ただし、文化芸術施設については違う考えのようだし、何より、まちづくりの理念や中川のような品格は、まだ感じられない。

 もっとも、政治家としては大ベテランの永田町のリーダーたちも同じようなものだから、ひとり橋下知事に求めるのも酷というべきか。




毎日新聞 2008年3月22日 大阪朝刊


長崎から中国へ=広岩近広(編集局)

2008-03-23 | Weblog

 浅い春の日、長崎を歩いた。中国とつながりの深い都市だとあらためて実感した。

 鎖国時代は唐貿易の唯一の窓口だった。1670年代の長崎の人口約6万人のうち約1万人を中国人が占めていたそうだ。坂道の途中にある唐人屋敷跡には、当時のよすがが今も色濃く残っている。

 その近くに建つ中国歴代博物館で、長崎県日中親善協議会の第61巻ニュースを読んだ。2人の中国人女性の手記は印象深い。長崎県立西高の李芳シ(ほうし)さんは、日中戦争の歴史観から「日本人に対するイメージは冷たくて情けがない」と思っていた。しかし今は、「私の第二故郷だと思えるぐらい好きです」と書いている。県立長崎シーボルト大に留学した李偉さんは「原爆のつらい思い出のある長崎」を語り、前長崎市長の射殺事件に触れて、こう述べる。「市民たちの怒りや平和を追求する強い意志を感じ取って、誠に感動しました」

 彼女たちの国が今世紀の主役であることは間違いあるまい。それは良くも悪くも、ということだ。著しい経済発展を遂げている一方で、軍拡もまたすさまじい。

 それだけに彼女たち長崎の留学生に、私は託したい。中国に帰ってから、友好と平和にとって何が必要で、何が邪魔かを訴えてほしいのだ。

 --率先して核軍縮に努めるべきです。武力に頼る国家や民族の統制は避けなければなりません。

 大甘だろうか。だが、急がば回れというではないか。中国の若者が多く留学する米国の都市に比して、古くから交流の歴史を刻んだ長崎には平和を育てる潜在力がある。




毎日新聞 2008年3月23日 9時37分


イマジン=花谷寿人(社会部)

2008-03-23 | Weblog

 中学の校長先生から「卒業を祝う会」への案内状をいただいた。4年前にこの欄で、卒業後に不慮の事故で亡くなった少年をしのぶ「記念樹」を紹介した縁だった。

 阪神大震災の体験を基にボランティア活動を広め、生徒会長として抜群のリーダーシップを発揮した山田聡君。校庭に植えられた桜の木は大きく育ち、後輩の門出を祝うように毎年、花を咲かせる。

 その東京都文京区立第五中学は来年の春に62年の歴史に幕を閉じ、近隣の学校と統合されてこの地を離れる。少子化や公立離れの影響で生徒が激減したためという。学校は、校舎が取り壊されても記念樹は残してほしいと教育委員会に要望している。

 「祝う会」では最後の卒業生になる2年生が劇を上演した。元校長で学校演劇の第一人者の小野川洲雄先生が書き下ろした「イマジン(想像してごらん)~たとえば、五中ものがたり」。2年生が3年生を送るためにどんな劇を作ればいいかを考えていく劇中劇だ。生徒たちが学校の歴史を振り返りながら、ここで学び、巣立っていく意味に思いをはせる。彼らが直接は知らない山田君も「我らが誇る先輩」として登場した。

 私は舞台を見つめていて、自分の母校ではないのに卒業生の一人になったような感覚にとらわれた。学校とは不思議な場所である。時代が流れ、人が入れ替わっても、卒業生が残したものが受け継がれている。劇はそれを実感させてくれた。

 山田君の桜の木は、たとえ校舎がなくなろうとも多くの卒業生が心に刻む「記念樹」として残るに違いない。




毎日新聞 2008年3月22日 0時03分


歴代総裁の責任=中村秀明(経済部)

2008-03-21 | Weblog

 マスコミの編集幹部が数人集まった会合で、だれかが言った。「いまさらだけど、日銀総裁って、大事な仕事なのかな?」

 「通貨の番人」も「物価の番人」も、確かにピンとこない。自民党は、だれでも務まるとばかりに、泥縄的に後任人事の差し替えをやった。とうとう戦後初の空席になったが、市場の動揺を増幅するようなことは起きていない。

 かつて、中央銀行とそのトップの役割についてこんな説明を受けたことがある。

 人は本能や欲望、気分で動く。飲みすぎたり、食べすぎたり。悲嘆にくれて絶望することもある。それにブレーキをかけ、時に鼓舞するのが理性だ。同じように経済活動にも理性が必要で、それが担うべき役割なのだ--と。

 きれいごとすぎると思った。だが、うなずける面もある。現実には難しくても、日銀と日銀総裁がそういう方向を目指そうとしているのは、世の中にある種の安定感と希望をもたらす。

 ところが、澄田智、三重野康、松下康雄、速水優、福井俊彦氏といった歴代総裁は、どうだったのか。心掛けていたかもしれないが、国民にはほとんど届いていない。多くの人たちの評価は「大事な仕事なの?」である。

 空席の直接の責任は政治にある。だが、こんな状況を許したうえ、経済界を除けば、たいして援護もない空気を作りあげた歴代総裁の責任こそ重い。特に福井氏は、後任に仕事をスムーズに引き継ぐという組織の長として当然の職務を果たせずに終わった。花束を手に職場を去る姿に苦いものがこみ上げてきた。




毎日新聞 2008年3月21日 0時02分


強大・プーチン後継体制、実は危うい=杉尾直哉(モスクワ支局)

2008-03-20 | 追加カテゴリー

 ◇批判封じられ、白け蔓延--市民「ソ連時代と同じ」

 2日のロシア大統領選挙で、プーチン大統領側近のメドベージェフ第1副首相が初当選した。8年ぶりの政権交代となるが、米国の予備選挙とは対照的に、不気味なほどに白けた空気が年始以降、この国を覆っている。プーチン氏が昨年末に第1副首相を後継者に指名した時点で結果が決まったからだ。

 過去8年間、強権体制を敷いてロシアを大国に復興させたプーチン氏。2期目の任期満了となる5月に退くが、退任後は首相として権力の中枢にとどまる考えだ。「プーチン時代は始まったばかり」と喜ぶ政権派のアナリストもいる。だが、私だけでなく、「同じ人物による長期支配はうんざり」というのが一般市民の本音ではないだろうか。

 「プーチン首相・メドベージェフ大統領」の新体制がうまくいく保証はない。そう予感させられる経験を私は身をもってした。

 先月、私の妻が当地で出産した。妊娠35週目の深夜に突然出血し、救急車を電話で呼ぼうとした。急患の場合、産院が救急搬送しか受け入れてくれないからだが、来たのは3時間後だった。最初は「車がない」と拒否され、市内の救急隊をたらい回しにされた。

 自宅に到着したのは女性の救急隊員1人だけ。この隊員と私、駆けつけてくれた友人のロシア人女性の3人で3階の自宅から担架で妻を運んだ。救急車の車体には「国家プロジェクト」のシンボルマークが描いてあった。メドベージェフ氏が過去2年間取り組んできた医療拡充などの社会政策だ。この予算で配備された車両だったのだ。

 産院では、「少し遅れていれば、胎児は危なかった」と言われた。この話をプーチン、メドベージェフ両氏の出身地、サンクトペテルブルクの知人にすると、「首都でさえそんな体たらくなら、地方都市、まして田舎ではどうなるのか」と皆一様に口をそろえた。

 「国家プロジェクトを成功に導いた」。プーチン氏は、事あるごとにメドベージェフ氏を称賛する。新たに導入された最新医療設備と、視察するメドベージェフ氏……。国営テレビが伝えるのは、前進し続けるロシアの姿だ。同氏のお陰で「減少傾向だった出生率がプラスに転じた」とも喧伝(けんでん)されている。

 モスクワの知人の高齢者は「ソ連時代と同じ。テレビが映す『すばらしい世界』を見て、誰もが『自分だけ不幸だ』と思っている」と話す。別の知人の舞台俳優は、「ロシア人は火山と同じ。忍耐力は強いが、がまんの限界を超えれば一挙に噴火する」と、不吉なことを口にした。

 そうした私の周囲の人々の声とは裏腹にプーチン大統領は、政権末期の今も7割の高支持率を維持している。石油価格高騰に支えられ、資源輸出国として高成長を遂げたこと、国民の平均月収も8年前の約7倍(約6万円)になったことなどが背景だろう。

 その半面、貧富の格差は広がり、反体制派弾圧や徹底したメディア統制により、息苦しさは増すばかりだ。官僚の腐敗は慣習化しており、当局からのわいろ要求や嫌がらせに市民は苦しんでいる。

 腐敗問題はプーチン氏も自覚している。2月にクレムリンで行った演説で、消防や衛生当局の役人が次々と中小企業家らにわいろをたかる様を「ひどい」と嘆いた。メドベージェフ氏も「腐敗との戦い」や、国民の経済活動の「自由」を保証すると公約した。

 この公約が実現すれば、プーチン氏による長期支配への納得も得られよう。だが、腐敗問題は、8年もかけて解決できなかったと大統領自身が認めている。人ごとのように嘆くその姿に、「無責任」と感じた人は少なくないはずだ。

 だが、そんな批判の声は表には出ない。メディア統制で反対意見は封じられてきた。その結果、「決めるのは上」というシニカルな気分が蔓延(まんえん)しているように思う。高い支持率も「ほかに選択肢がないから」と消極的な支持をする人々に支えられているのが内実だろう。

 モスクワ大のシェストパル教授(政治心理学)は、「国民無視のやり方に人々はいら立っている。権力側は、市民社会を取り込む仕組みを考えないと、いずれ国民の信頼を失い、大きな困難に直面することになる」と指摘する。

 ロシアに5年以上滞在し、強く感じるのは、この国には、我々と通じ合える、ごく普通の神経や感情を持った人々が住んでいることだ。「異質な国」ではない。市民の思いが為政者とは別であることは知っておいた方がいい。



毎日新聞 2008年3月4日 東京朝刊