わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

論文クーデター=広岩近広

2008-12-02 | Weblog

 わが国は、まぎれもなく軍事費大国である。防衛庁は昨年、防衛省に格上げされた。自民党の憲法草案では自衛隊は自衛軍にすると明記されている。そうした実態から憲法を変えて軍隊を持てる国にすべきだ、との声が出るのである。

 ここで私が強調したいのは、軍隊と自衛隊は根本的に異なるということだ。軍隊について今春、作家の半藤一利さんからこう聞いた。「統帥権が独立していないと国防の徹底は図れませんから、軍隊は三権の外にあるべきだと考えたがるものです。行政、司法、立法から独立するので、軍隊の権限は原則として自由です」。戦前の日本軍がそうだった。

 しかし自衛隊はちがう。自衛隊は行政組織のなかにあるので、政府の制約を受ける。政治の指示に従わねばならない文民統制(シビリアンコントロール)下におかれる。半藤さんはこう強調された。「自衛隊を軍隊にするのは反対です。なぜなら、どの国もクーデターは軍隊が起こしているからで、自衛隊を武装クーデターを可能にする軍隊組織にしてはなりません」

 日本が先の戦争に突き進んだ原因は軍隊の暴走だった。その反省にたっての文民統制下の自衛隊である。ところが文民統制の危うさが露呈された。

 いうまでもなく田母神俊雄・前航空幕僚長の懸賞論文問題だ。これは言論の自由とは別問題で、政府見解と異なる発言をしたいのなら、立場を返上してから行うべきところを文民統制に挑戦するかのようにやってのけた。しかも、かの懸賞論文の応募総数の約40%が自衛官だった。私は「論文クーデター」の疑念がぬぐいきれない。(編集局)




毎日新聞 2008年11月30日 東京朝刊

イラクのオヤジに思うこと=松井宏員

2008-12-02 | Weblog

 イラクの話題といえばテロしか報道されず、それもまれになっている昨今だが、本紙大阪地域面の連載「棗椰子(なつめやし)はつなぐ~大阪から見えるイラク」は、枕言葉のないイラクが浮かび上がって面白い。

 現地取材の経験が豊富な大阪在住のジャーナリスト、玉本英子さんが描くイラクは--。武装勢力のメンバーは地区の世話役を務めるスポーツ用品店のオヤジで、今は銃を置いてタクシー運転手をしている。ホテルマンのオヤジは、「なんて暗い顔だ。笑えよ」と玉本さんのほっぺをつねる。戦火に恋を引き裂かれた通訳は、人妻となった元彼女が忘れられず、財布に写真を忍ばせている……。

 なんだ、イラクのオヤジたちは外国人の女性にちょっかいも出すし、恋もしてる。遠い国のオヤジたちが一気に身近になる。不穏なニュースばかりを耳にする国でも、人々には私たちと変わらぬ生活があるんだ、という当たり前のことに気付かされる。

 最近、大学生相手に講義する機会が何度かあった。「新聞記者に最も必要なものは、感性であり想像力だ」と話すのだが、「棗椰子」はそこを刺激してくれる。

 景気対策に、昔ながらのバラまきしか打ち出せない首相の発想の貧困さにはがく然とするが、そんな想像力の欠如が、この国にまん延しつつあるのではないか。金融危機や不景気で自分の生活で手いっぱいという状況だが、他者や遠国に思いをはせる余裕をなくした社会はカサカサ、ギスギスしてしまう。怖いのは想像力を失うことだ。イラクのオヤジたちが教えてくれているようだ。(社会部)




毎日新聞 2008年11月29日 大阪朝刊

東京裁判60年=岸俊光

2008-12-02 | Weblog

 昭和前期の政治軍事指導者が裁かれた東京裁判の判決から60年になる。7日がかりで判決文の朗読が終わったのが1948年11月12日、東条英機ら7被告に絞首刑が執行されたのは翌12月23日のことだった。節目の年とあって関連本の出版が多い。

 中でも人文、社会科学の登竜門サントリー学芸賞に決まった「東京裁判」(講談社)の著者日暮吉延さん(46)は東京裁判研究の気鋭の一人である。肯定論、否定論にこだわらずに事実を積み重ね、裁判の政策評価に挑んだところが本書の特徴だ。

 まともな議論をするには虚心に史料と向き合わなければいけない。その労力は、判決文からも想像がつく。ウェッブ裁判長は英文1212ページを10分間に約7ページ半の速さで読み続けたという。少数意見のパル判決も膨大だった。後年、公開の進んだ欧米の公文書も欠かせない。そんなハードルを越え、さまざまに再評価を試みる人が目立つ。

 靖国問題に直結する今日性はあるにしても、なぜ東京裁判なのか。どこが今の研究者を引きつけるのだろうか。「政治と法の結節点であり、特異な占領期の出来事だから」。日暮さんは今年5月の本紙書評欄インタビューで、こう答えている。他の学者も、少年時代に読んだ歴史の本がきっかけになるなど知的関心が出発点のようだ。

 そこには東京裁判と同時代人の体験に根ざした動機はもはやないし、当事者の証言を聞く機会も確実に少なくなっている。しかし代わりに彼らは、過剰なバイアスからの自由を得ているようにも見える。

 時と共に裁判を知らない世代は増えてゆく。一方で知の世界では地殻変動が静かに進む。(学芸部)




毎日新聞 2008年11月29日 東京朝刊

ブッシズムとアソイズム=福本容子

2008-12-02 | Weblog

 黙っていてばかだと思われた方が口を開いてばかをさらけ出すよりまし--。第16代米大統領エイブラハム・リンカーンの言葉だという。

 ただ政治家ともなれば黙ってばかりもいられない。というわけで第43代米大統領は、8年間に数々の迷言を生んだのだった。彼の単語の言い間違いや文法の誤りは「ブッシズム」と呼ばれ、何冊もの本になっている。

 「child」の複数形である「children」に複数のsを付けたり、「shake」の過去分詞が「shaken」ではなく「shaked」だったりだ。

 「アソイズム」はまだまだである。本1冊どころか1章分にもなっていない。しかも1文字に何通りもの読み方がある高度な言語での間違いだから、世界で笑いを取れるかどうか。

 でも笑い事で済まないと、かえって問題だ。次期大統領のことを「オバマという人」と言ったり「何となくインテリジェンスのとても高そうな英語だった」と印象を述べている様子だと、海外では?と心配になる。

 ワシントンでの首相会見でこんな発言があった。英語の質問に日本語で答えた後、英語で「正しく訳されてたらいいけど。ゆがめて訳してない? OK?」。受け狙いなのだろうが、アソイズムで一番苦労しているはずの通訳の人に申し訳ない。

 日本語が「ヒラリー」と呼び捨てでも「ヒラリー・クリントン上院議員」と訳し「新聞のうわさくらいあてにならないものはないでしょう。こういう人たち(日本の記者?)が作っている話ですから」はあえて訳さないでくれるプロなのに。あのまんまきっちり外国語にしてたら、どうなります?(経済部)




毎日新聞 2008年11月28日 東京朝刊

民主主義を守る=与良正男

2008-12-02 | Weblog

 元厚生事務次官宅連続襲撃事件が起きた時、最初に考えたのは、年金問題をめぐって厚生労働省を再三、批判してきた私たちメディアの報道が、結果的にこうした許しがたい行為をあおってしまったのではないか、ということだった。

 小泉毅容疑者の動機など、まだ、はっきりしない点が多い。だが、この事件にも東京・秋葉原での無差別殺人事件と共通する「自分の人生はこんなはずではなかった」「それもこれも社会が悪い」といった短絡思考が背景にある気がする。「悪い社会」「悪い官僚」という口実をメディアは彼らに与えてしまったのかもしれないと思うのだ。

 無論、私たちは批判すべき点は言論で批判する仕事をやめるわけにはいかない。でも、「人を殺してはいけない」という当たり前の話が通じない時代が来ていることも残念ながら認めなくてはならないのだろう。

 求められているのは、感情的にあおり立てるだけではない、冷静で理性的な批判であり、言論なのだと思う。社会に不満があるのなら、言葉の力で変えていく、選挙での投票を通じて変えていくのが民主主義だ。それを私は繰り返し、言い続けていくしかないと考えている。

 インターネットには今回の犯行を称賛するかのような意見も見受けられる。書き込むのは少数の人だと思うし、本気で書いているとも信じたくない。

 勝手気ままに話すのが「言論の自由」ではないのだ。無責任な発言ばかりになれば、かえって時の権力者により、言論は制限されていくだろう。その点も含めて、民主主義が危機にあることを、私たちは今一度、確認しておく必要がある。(論説室)




毎日新聞 2008年11月27日 東京朝刊

老いて負う罪=磯崎由美

2008-12-02 | Weblog

 隅田川の流れを眺めハトに餌をやると、白髪の女はビルの屋上に上った。今年7月。知る人のない土地で死のうと奈良から東京に来たが、79年生きても自ら命を絶つのは難しかった。

 弁護士によれば、女は小さいころ両親が離婚して身寄りがない。戦後の混乱期は米兵に体を売って生き抜き、家政婦として働きながら一人つましく暮らした。だが年とともに仕事はなくなり、年金は月3万円余り。家賃も公共料金も滞納した。

 上京したものの死にきれず、所持金も底をつき、留置場に泊めてもらおうと思いつく。万引きして自首すると、警官は親身にしてくれた。施設に入ったが、他の入居者と物音で言い争いになった。民家の車庫で野宿し、住民に追い払われた。

 その夜、女は果物ナイフを買い渋谷へ向かう。「屋根の下で寝たい。警察に泊めてもらうには、もっと大きなことをせなあかん」。若者でにぎわう繁華街。自分は女子挺身(ていしん)隊に召集されていた年ごろだ。友達を待つ若い女性が楽しそうに見え、切りつけた。悲鳴が響いた後も、刃物を手に街をさまよった。

 今月19日、東京地裁。傷害罪などに問われた女は曲がった腰をかばうようにすり足で法廷に現れ、独りごとのように言った。「自分が恐ろしうて。早く死んでおれば皆さんにご迷惑もかけなかった」。接見で弁護士は「命あって出所したら、どこに行けばいいのでしょう」と聞かれ、返事に窮したという。

 高齢化率を上回る勢いで増える高齢者犯罪。豊かさを追い求め手にした長寿の時代を、素直に喜べなくなってしまった。

 女が傘寿を迎える12月、判決が言い渡される。(生活報道センター)




毎日新聞 2008年11月26日 東京朝刊

ルビの効用=玉木研二

2008-12-02 | Weblog

 何かと首相の漢字誤読が話題になるが、メディアもそう胸を張れたものではない。トップの食言を戒める「綸言(りんげん)汗のごとし」をあるテレビは字幕で「人間汗のごとし」とした。単純なキーの打ち間違えだろうが。

 私もひどいもので、例えば、瓜(うり)を「つめ」とよく間違え、高僧鑑真(がんじん)は「がんしん」と平然(鑑真は学習指導要領によって小学校で習う歴史上人物)。師から弟子に伝える奥義「衣鉢(いはつ)」は「いはち」と誤った。汗顔の至り、挙げればきりがない。

 私は胸中ひそかに、刊行物の漢字にルビが復活することを望んできた。まだ多くの方は体験上分かるだろう。子供が大人の本に手を伸ばす時、ルビは不可欠の水先案内人だ。意味分明ならずとも先に進め、大意や雰囲気はつかめる。今日流にいえば、空気が読めるのである。

 ルビがなければ、私は小学4年生で、「天一坊」が御落胤(らくいん)と偽って徳川家を乗っ取ろうとする物語(古本)など、とても面白く読めなかっただろう。読んでいるうち「落胤」の意味ぐらいぼんやり分かってくる。

 難解な漢字や煩雑で細かなルビの追放論は戦前からあり、「真実一路」の山本有三はその先鋒(せんぽう)だった。敗戦後、占領政策の一環で日常使用の漢字は「当用漢字」に限られ、新聞もほとんどルビをやめた。私の記憶では、50年代までは新聞記事を声に出して読む年配者がいたと思う。戦前の習慣を続けていたのだろう。ルビとともに消えた。

 私たちの社会は、とうに漢籍はおろか漢字そのものから縁遠くなろうとしている。ルビの出番が再び来たのではないか。昨今の「首相の誤読」の話題をこっちへ転じてはどうだろう。(論説室)




毎日新聞 2008年11月25日 東京朝刊

歴史の始まり=福島良典

2008-12-02 | Weblog

 「今日の米国、ロシア、明日の中国、インドに見合う現代世界には、私たちの国々はあまりに小さくなってしまった」

 中印の隆盛を前にした嘆き節のようだが、「欧州統合の父」と呼ばれるフランスのジャン・モネ(1888~1979年)の半世紀前の言葉だ。欧州連合(EU)の原点・欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)最高機関の初代委員長を務めた。

 欧州統合は非戦の誓いだけでなく、このままでは国際社会で埋没してしまう、との危機感から出発した。遺伝子は「国際競争力の強化」というEU戦略として今に引き継がれている。

 キーワードは世界の多極化への対応だ。EU加盟27カ国の対日輸出は2000~07年平均で1%減なのに対し、対ロシア、ウクライナはともに22%の増加。中国、インドへの輸出もそれぞれ16%、12%伸びている。

 新興国を含む20カ国・地域(G20)金融サミット開催を呼び掛けたのは、75年に第1回先進国首脳会議を主催したフランスだった。主要8カ国(G8)からG20へ。国際社会の主役交代は「多極化した地球の誕生」(ロイター通信)を印象付けた。

 だが、EUの姿勢は「米国一極支配の終焉(しゅうえん)」に留飲を下げる反米ではない。「多極化世界の不安定さ」(ベドリヌ元仏外相)も自覚している。元気なあまり列を乱しそうな国々を取り込む国際ルール作りに力を入れているのも、そのためだ。

 EUと比べ、日本には多極化時代を生きる準備が欠けていないか。地球温暖化対策や世界経済問題で新興国と対話を深め、新世界の青写真を決める話し合いをリードする--。そんな役回りを見てみたい。(ブリュッセル支局)




毎日新聞 2008年11月24日 東京朝刊

過去の闇を照らす=佐々木泰造

2008-12-02 | Weblog

 差別などの人権問題を専門とする大阪人権博物館(リバティおおさか、大阪市浪速区)を訪れる外国人が増えている。ガイドブックや口コミで知った欧米やアジアの研究者、学生らで月に150人前後にのぼる。

 「」は英語でもBURAKU。肌の色や言葉、生活習慣の違いではなく、生まれた場所のわずかな違いによる日本に特有の差別だ。他にも民族差別、性差別など、均質社会と思われがちな日本に多種多様な差別がある。そのすべてを対象とする博物館は世界でも珍しい。

 今年度、大阪府、市からの事業費を全額カットされ、自主財源(入館料や図録販売などの収入)のみでの運営を余儀なくされている。そうした中で開いている特別展「アジア・大阪交流史-人とモノがつながる街」(12月21日まで)は、これからの世界に求められる多文化共生について考える材料が足元にあることを教えてくれる。

 古代から日本の玄関口だった大阪には、中国や朝鮮半島から先進文化を携えた人々が渡来した。江戸時代には朝鮮通信使や琉球使節が通り、善隣友好の舞台になった。近代には、働き口を求めて朝鮮半島や沖縄からやってきた人たちが、差別を受けながらも生活の場を築いた。

 差別の歴史は不幸な過去の「負債」だが、人間はなぜ差別をするのか、差別のない社会を築くにはどうすればいいのかという問題を解く手がかりを得る「財産」にもなる。橋下徹知事の指示もあって、子どもたちの教育との連携を深める取り組みも始めた大阪人権博物館が、過去の闇をライトアップし、明るい未来を生み出す場としてさらに充実することを期待する。(学芸部)




毎日新聞 2008年11月23日 大阪朝刊

妙になめらか=藤原章生

2008-12-02 | Weblog

 学生時代、車に乗ると人が変わる先輩がいた。普段ははにかみ屋で、ぶつぶつと何を言っているのかわからないタイプだったが、無理な追い越しをされると「ぶっ殺されてえか、この野郎」と叫び、相手の前に割り込んで急ブレーキを踏んだりする。

 酒や賭け事と同じく、運転は人の一面をあらわにする。ローマ市民も普段はのんびりしているが、車の中ではずいぶんせっかちだ。時々、「モルタッチ、トゥア」というローマ人の怒鳴り声を耳にする。「死んだお前の身内はろくでなし」といった意味なので「ぶっ殺す」よりは柔らかい。言わずにおれないというふうに叫んでいく。

 外国人女性がゆらゆら運転していた時、後ろのバイクの男がこの言葉を投げつけてきた。だが、こちらが外国人とわかると、今度は「ビッチ(雌犬)」と怒鳴り走り去った。英語に言い直すところが律義だ。ただし、言葉も感情もその場だけで、暴力になることはほとんどない。

 車線や後続の車を一切気にせず、むやみにエンジンをふかし、クラクションを鳴らす運転は同じラテン世界、中南米と同じだ。ただ、一つ違うところがある。中南米では込み入った交差点や車線が減ると必ず車が詰まり、身動きできなくなる。しかし、ローマではきちんと譲り合うわけでもないのに、一台一台が流体物のようになめらかに流れていく。歩行者も走ったりせず、川を渡るように平然とすり抜けていく。大事な場面では我を張らず、調和が保たれるのだ。

 私の車は12年前の物なので時々、街なかでエンコする。「大丈夫か」「熱湯に気をつけろ」。誰かが必ず声をかけてくれるのもローマの良いところだ。(ローマ支局)




毎日新聞 2008年11月23日 東京朝刊

愛国心=落合博

2008-12-02 | Weblog

 先の米大統領選では「愛国心」も争点になった。

 ある集会で「大人になってから初めて自分の国に誇りを持てるようになった」とスピーチしたオバマ氏の妻、ミシェルさんは、対立候補のマケイン陣営など保守派から「非愛国者」との批判を浴びた。「国への忠誠」を強調して反論に躍起となるオバマ陣営の動きを伝える記事を読みながら、考えた。

 海を隔てた国から日本は戦後、生活様式やさまざまな文化を受容したが、「忠君愛国」の反動で、国や愛国心と向き合い、語ることを避けてきた。

 学習指導要領の改定に伴い、2012年から中学1、2年生の授業で、現在は選択制の武道がダンスとともに男女で必修化される。武道特有の礼儀作法をはじめ、日本の伝統文化に触れる機会を広げるのが狙いで、2年前に改正された教育基本法の精神が反映されている。

 その際、愛国心をめぐって、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」という、米国人が見れば、どうということのない文言に落ち着くまで、すったもんだの議論が交わされた。

 米国在住の作家、冷泉(れいぜい)彰彦さん(49)のブログを読んで、かの国の「愛国」の懐の深さを知った。元職業軍人のマケイン氏が「仮に政府に誤りあらば、そこに訂正を迫るのも愛国心」と主張していることを挙げ、「面目躍如」と指摘している。マケイン氏によると、政府のできない、地域のさまざまな活動(少年野球やオーケストラなど)への献身も愛国的行為だという。

 では、被害者意識を強調する陰謀論を展開した前航空幕僚長の「愛国」とは?(運動部)





毎日新聞 2008年11月22日 東京朝刊

オバマ・ベビー(Obama Baby)=福本容子

2008-12-02 | Weblog

 インターネット上の英語俗語辞典「アーバン・ディクショナリー」に、新しい言葉が加わった。「Obama Baby」。大統領選後の歓喜の中で授かった赤ちゃん、またはオバマ政権の期間中に生まれた赤ちゃん、がその定義である。

 オバマ効果で出生率が上がるとさえ言われ始めた。「Yes We Can」の興奮がベビーブームに火をつけるのだそうだ。本当かな、と思うけれど、産婦人科専門のマニュエル・アルバレズ博士が米誌「ニューズウィーク」に語っている。「国のムードや指導者への期待感と出生率は常に関連性がある」

 なるほど。日本の少子化を考えると急に説得力が出てくる。減る一方の子供の数は、変化のワクワクがある政治や希望を与えてくれるリーダーの到来を催促していたのだ。担当大臣を置いたり少子化対策予算を倍にしてどうなるという話ではない。

 「バラク・オバマ大統領」の喜びは、新生児の名前にも表れ始めている。アメリカ国内ばかりか、オバマさんの父親が生まれたケニアでも赤ちゃんに「バラクちゃん」と名付けるブームが起きているそうだ。

 さて、日本で首相の名前が赤ちゃんの人気ネームになったことは? 毎年、新生児の名前ランキングをまとめている明治安田生命によると、吉田茂首相就任の翌年1947年から59年まで「茂」が男の子のトップ10に入り、51年からは4年連続で首位を占めた。でもこれは例外みたいで、「角栄」も「登」も「純一郎」も上位に登場しない。

 茂さんの孫の太郎さん。あのかんじじゃ、ベビーの名前は厳しいか。「馬楽ちゃん」の方が多かったりして。(経済部)





毎日新聞 2008年11月21日 東京朝刊

されど読み間違え=与良正男

2008-12-02 | Weblog

 麻生太郎首相が若い人の前で「僕は新聞なんて読まない。見出しだけで十分だ」と語るのを聞いたことがある。若い人たちも「身近な人」と感じたのか、結構、受けていた。

 まだ首相就任前。「新聞は政治家の悪口ばかり書く」といった文脈だったと記憶するが、新聞記者としては悲しかった。

 麻生首相が「踏襲」を「ふしゅう」、「頻繁」を「はんざつ」と読み間違えたとの話を聞いて思い出したのは、この一件だった。「漫画ばかり読んでいるからだ」というつもりはない。たかが読み間違えである。私も時にする。

 だが、教養や常識(それほど新聞は高尚ではないけれど)など不必要と言わんばかりの発言が歓迎される風潮が、首相の「国民的人気」なるものの一つの要素だったのではなかろうか。そう考えるとまた悲しくなる。

 もっと深刻な問題がある。なぜ、報道される前に周辺の政治家や秘書官が一言、「首相、それは……」と言ってあげなかったのかということだ。

 定額給付金の問題にも通じるところがある。実施しようと思えば、さまざまな矛盾や問題点が出てくるのは、しろうとでも分かるはずだ。それを事前に進言すれば済むものを、首相が「全世帯に給付する」と記者会見で大見えを切った後、閣僚や自民党の幹部たちが好き勝手に発言する。

 以前、本欄で最近の自民党は総裁選ではなだれを打って支持するのに、いざ、首相になって人気が落ちると組織として守らなくなると書いた。今の麻生内閣は早くもそんな状況になっていないか。これは漢字の読み間違え以上に重大である。(論説室)




毎日新聞 2008年11月20日 東京朝刊

町工場の底力=磯崎由美

2008-12-02 | Weblog

 米国発の金融危機で大打撃を受ける東京都大田区の町工場。堀越精機の2代目社長、堀越秀昭さん(51)は「来年はさらに厳しい年になる」と言う。自動車、パソコン、携帯電話……今や暮らしに欠かせない半導体。その製造装置の部品が主力だが、10月は売り上げが前年比9割減に。それでも従業員50人の雇用は守らねばならない。

 そもそも今回の危機以前から、町は産業空洞化や後継者難にあえいできた。緊急融資も応急処置にはなるが、経営者が何より求めているのは新規顧客の開拓だ。「もう『待ち工場』ではいられない」。堀越さんは景気に左右されにくい医療や食品業界を狙い、積極的な営業に出た。まいた種が芽を出し、回転ずしチェーンなど上場企業4社と新たな取引が始まった。

 でも結局は少ないパイの奪い合いだ。地域が一丸となり、海外に販路を開けないか。若手経営者で勉強を重ねる中、女性IT起業家の奥山睦(むつみ)さんがひらめいた。世界1600万人が利用するというインターネット仮想空間「セカンドライフ」。そこに大田区製造業のバーチャル集合工場を設け、各社の技術と大田区のブランド力をPRするのだ。国の補助金も得て来春、本格稼働することになった。

 バブル崩壊時、奥山さんの会社は経営難に陥ったが、大田区の融資で倒産を免れた。企業規模で価値を判断しない工場町の懐深さに触れ、恩返しの思いで地域活動に取り組んできた。

 「地域が良くならなければ、日本経済は活力を失う。ここには幾度もの不況を乗り切った経験がある」。職人の町の底力を信じる若き経営者たちがいま、強く手を握り合う。(生活報道センター)




毎日新聞 2008年11月19日 東京朝刊

語りの力=玉木研二

2008-12-02 | Weblog

 西武ドームがプロ野球日本シリーズの熱戦で沸いた晩、東京で広島カープの昔話を聴くというまことにしみじみとする会があった。県人会の招きで広島からOB会会長の元捕手、長谷部稔さん(77)と元球団職員の渡部英之さん(78)が上京、貧窮の草創期を語ったのである。

 「見とってつかあさいや。今季はやりますけえのう。こいつのシュートは誰も打てんけ」

 1950年代初め、用具やユニホームも満足にそろわぬカープは、街でこんな呼びかけをして市民から募金した。古い白黒写真を映し出しながら、2人の語り手は身ぶり手ぶりで当時の口上や逸話を再現する。

 練習後、寒風の商店街で「カープ鉛筆」を売る選手。説得に折れ広島入団を決めた有名選手が夜行で駅に降り立つと万歳と歓迎のラッパ。グラブを買う夢をあきらめ200円入りの貯金箱を持参した小学生。この辺りになると100人余の会場は笑いだけでなく、あちこちハナをすすり上げる音が起きた。

 多くの人たちが久しぶりに故郷の言葉と一時代の物語にたっぷり浸った。学問の世界では「オーラル・ヒストリー」(口述の歴史)の研究手法があり、政治史などで実践されている。文字の史料より、人間が生の言葉で伝える記憶や感情は、語る者も聴く者もその現場に立っているような心境に引き込む。そして、ふと意識の奥に隠れていたものを掘り起こす力がある。

 あの晩、予定時間を超え続いた語りに聴き入り、私は何を思い起こさせられていたのか。多分、今の整然と澄ました街並みの底に塗り込められた、かつての雑然としながらエネルギッシュだった広島の街である。(論説室)




毎日新聞 2008年11月18日 東京朝刊