わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

健全な赤字部門=落合博(運動部)

2008-12-20 | Weblog
 1930年代、大恐慌時代の米国でスポーツが衰えることはなかった。生活は困窮していたが、人々は球場に足を運び、チームのオーナーは入場料を下げ、選手の年俸を引き下げても試合に参加させた。スポーツがいかに社会に浸透していたかの例として、思想家の多木浩二さんが「スポーツを考える」(ちくま新書)で引用している。

 「100年に一度」の危機だという。先日出かけた企業スポーツ関係者の集まりでは「不況」という言葉が飛び交っていた。90年代初めのバブル崩壊後、企業スポーツは経費削減の象徴として、リストラの標的となった。その記憶が生々しい。

 採算が合う企業スポーツはまずない。では、収支に貢献しない部門は不要なのか。「企業は健全な赤字部門を持たなければならない」は、旭化成中興の祖、宮崎輝氏の言葉だ。目先の損得ばかりに気をとられて、先を見据えた投資を怠れば、未来はない。大事なのは、息長く続ける、ということだろう。

 サントリーのビール事業が参入から45年で初めて黒字化する見通しだ。非上場企業だから赤字でも続けられたとの見方もあるが、執念を感じる。

 製造業、ものづくりの現場では、職場の一体感が欠かせず、それを醸成するものとしてスポーツを重要視する経営者は少なくない。効率一辺倒では息が詰まる。苦しい時ほど、人は楽しみを求める。社会の安全保障にとって、軍事力よりもスポーツが重要との指摘さえある。

 21世紀初頭について後世の学者はどう記すのか。「日本の経営者は、利益還元を求める株主を説得しつつ、企業スポーツの灯を守った」。それとも……。





毎日新聞 2008年12月20日 0時00分

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