わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

甘えの構造=与良正男

2008-06-13 | Weblog

 「希望がある奴(やつ)にはわかるまい」とか、「夢…ワイドショー独占」とか。

 東京・秋葉原で起きた通り魔事件の容疑者が携帯サイトに書き記した言葉を見ていくと、自分はこんな境遇にいるはずではなかったという一種の被害者意識と、世間に認められたいという自意識が交錯しているように思われる。

 世の中、今の自分に満足している人の方が少ないのだ。それは当然の思いである。しかし、それがどうして、「社会が悪い=誰でもよかった」という無差別殺人に結びついてしまうのか。

 責任の一端は私たちマスコミにもあるのかもしれない。私たちはともすれば、何かことがあるたびに、社会が、政治が、教育が悪い--と、安易に、かつ漠然と結論づけてこなかったか。それが「自分は被害者」という甘えの構造、あるいは厳しい現実からの逃げ道をつくる要因になっているように思えるのだ。

 もう一つ、気になるのは建前が大切にされない風潮だ。建前より本音。例えば「人に迷惑をかけてはいけない」などと当たり前のことを語るのを偽善的ととらえる傾向が広がっている。ネットの掲示板には、まじめに生きようとしている人間をあざけり笑うような言葉が、どれだけあふれかえっていることか。

 いや、容疑者がネット世界の中で、他人を嘲笑(ちょうしょう)して憂さ晴らしができていたのなら、まだましだったかもしれぬ。そう考えると絶望的な気分になる。

 この国をみんなで立て直しましょう。きれい事と言われようと、私はそう繰り返していきたいと思っている。(論説室)





毎日新聞 2008年6月12日 東京朝刊

アキバの涙=磯崎由美

2008-06-13 | Weblog

 日が暮れて雨も降っているというのに、足を止める人が絶えない。7人が殺害された通り魔事件から一夜明けた9日、秋葉原の現場はまるで街が痛みを感じているかのように、静かだ。

 ジュース、カップラーメン、漫画、牛丼、ぬいぐるみ。路上に設けられた献花台にみんな思い思いの供え物をしては黙とうし、そっと去っていく。亡くなった人の数だけ花を手向ける人もいる。多くは逮捕された容疑者と同じ20代のアキバ系だった。

 「昨日、事件のことも知らずに買い物をしていた自分が恥ずかしくて」。専門学校に通う自称オタクの男性(22)は手ぶらで来たことをわびながら手を合わせた。就職先が決まったが、倒産するかもしれないのだという。「確かにため込むんです。嫌な事があると投げ出したくなるし、相談できるような人いないし」。そんな彼が幸せを感じるのが、この街に来てウルトラマンや怪獣のフィギュアを買い集める時間だ。

 物心ついたころから不況の時代を生きてきた今の20代には、親たちが当然のように手にした終身雇用もマイホームも遠い。社会を責め、自分を責めながらも趣味の世界を大事に生きている。その聖地が引き裂かれ、引き裂いた者が同世代だったことに、彼らにしか分からない事件の衝撃があるのかもしれない。

 凶悪事件が起きるたびに誰もが理由を探そうとするが、「心の闇」という言葉もありきたりになってしまった。祈りに訪れる若者たちを見ていると、それでも「なぜ」を考え続けることの大切さしか、思い浮かばない。(生活報道センター)




毎日新聞 2008年6月11日 東京朝刊

魔法のかたち=玉木研二

2008-06-13 | Weblog

 私の田舎では「馬の糞(ふん)を踏むと足が速くなる」と子供たちの間で伝えられていた。

 運送馬がすべてトラックに追われ、子供たちがみな靴を履いて遊ぶようになり、東方の大都会から転校生が来るようになってからは、さすがに廃れた。それでも運動会前日、夕暮れ時にそっと探して踏む子はいたらしい。私は過って牛のしか踏んだことはないが、まじめに馬のを足の裏につけておけば、1等のノートをもらえたかもしれない。

 今評判の「魔法の水着」が馬の糞だというつもりはない。選手の実力と驚嘆・称賛すべきハイテクの勝利に違いない。それに加え、着用が心身に暗示をかけるように自信をみなぎらせ、力を引き出す効能もあるのではないか。

 菊池寛に「形」という短編がある。

 勇猛とどろく戦国の侍大将。その槍(やり)にかなう者はなく、戦う姿は常に水際立っていた。いつも身に着ける華麗な陣羽織やかぶとを見ただけで敵は浮足立ち、陣を崩した。

 ある日、可愛がっている若武者が初陣を迎え、ぜひそれを身に着けて出陣したいと願い出てきた。喜んだ侍大将は快く貸してやる。果たして若武者は一気に敵陣に乗り入れ、大いに活躍した。

 一方、いつもとは違う装いで敵陣に突入した侍大将は--。勝手が違う。浮足立つはずの敵が全く動じず、猛然と攻めかかってくる。どうしたことか。いつものように虎を前にした羊のようなおびえが敵の表情にない。

 気軽に陣羽織やかぶとを貸したことに後悔のようなものが頭をかすめた瞬間、敵の槍が彼のわき腹を貫いていた。(論説室)





毎日新聞 2008年6月10日 東京朝刊

国際緊急援助隊の役割=近藤伸二

2008-06-13 | Weblog

 中国・四川大地震は間もなく発生から1カ月を迎える。隣国で起きた未曽有の大災害に、日本も人的・物的支援を続けてきた。

 その象徴が国際緊急援助隊の派遣だ。だが、中国側の受け入れの遅れが影響し、生存者を救出することはできなかった。入れ替わりに現地入りした医療チームも、活動場所をめぐって中国側と行き違いがあり、思い描いていた医療活動はできなかった。

 両国が情報交換を密にし、援助隊が最大限、能力を発揮できる環境を整えるのは今後の課題だ。ただ、万全でなかった結果だけを取り上げて、日本隊派遣の意味を過小評価する必要はない。

 99年の台湾大地震でも、日本隊は各国の中で被災地に一番乗りした。懸命の救助活動を繰り広げたが、人命を救うことはできなかった。後から来た韓国隊ががれきの中から5歳の子供を助け出し、隊長は一躍ヒーローになった。

 当時、私は現地で取材に当たったが、台湾の人たちは韓国に感謝しながらも、それ以上に日本に感謝してくれた。中国の意向を気にしがちだった日本の援助隊が真っ先に駆け付けたことが、台湾の人々の心を打ったのである。

 今回、中国のネットを見ると、日本隊への感謝や称賛の声が並び、「あなた方に能力がなかったのではなく、我が政府の決定が遅すぎたのだ」という書き込みもあった。困った時こそ他人の親切が身にしみるのは、国の関係も同じだ。

 日本隊は日中関係において大きな役割を果たした。隊員だけでなく、送り出した私たちも胸を張っていい。(論説室)





毎日新聞 2008年6月8日 大阪朝刊

目立たないのが持ち味=藤原章生

2008-06-13 | Weblog

 もし福田康夫首相が制限時間を無視し激しい演説をしたらどんな反応が起きたろう。そんな事を想像したくなる。

 ローマの食糧サミットでは150カ国もの代表が演説をした。ブラジルのルラ大統領は予定の5分を大幅に超え、20分近くもしゃべり続けた。ずぶとさが持ち味のルラ氏はサトウキビ燃料への取り組みなど国の自慢を米国への皮肉を込めて語り、配られた演説文はすぐになくなった。

 議長のベルルスコーニ伊首相が「1人がそんなに話したら、1カ月たっても終わりませんよ」といさめながら笑い話を披露し、さらに5分が浪費された。その直後が福田さんである。300人ほどが出入りする記者室の空気がすっと動いた。イヤホンを外したり、コーヒーを飲みに席を立つ人が揺らす空気だ。演説は米国などを刺激しそうな部分をわざわざ省いて、短めに終わった。誰の反発も買わない、おとなしい語りは、ほとんど報じられなかった。

 会場の片隅に目をやると、官僚が20人もの日本人記者を集めて会議内容を逐一伝えていた。国際会議で必ず目にするこの光景を、以前は異様と思っていたが、少し離れてながめると、その集団は大声一つあげず、壁の絵のようにある。近づけば、ささっと資料を手渡してくれる。

 国際会議で日本の代表には自分の言葉で語り、もっと目立ってほしいと思った時期があった。でも最近は、何も無理しなくていいと思うようになった。場の邪魔にならず、誰とも対立せず、決して目立たない。それはそれで、一つの持ち味で、いいのではないかと思う。(ローマ支局)




毎日新聞 2008年6月8日 東京朝刊

より速く=落合博

2008-06-13 | Weblog

 子どものころ、運動会の駆けっこが待ち遠しかった。東京オリンピックの余韻が残っていただろう40年ほど前、子どもたちの世界では、速く走れることは、勉強ができるのと同じように(それ以上かもしれない)、あこがれ、称賛の対象だった。

 小学生の間で今、靴底が左と右で異なる運動靴が人気らしい。学校の校庭は土と砂が入り交じり、コーナーでバランスを崩しやすい。左回りのトラックに合わせ、滑り止めの突起物を右足は内側、左足は外側に配置してグリップ力を高める工夫がされている。

 「瞬足」とネーミングされたこの靴は5年前の発売以来、運動会でヒーローになれるシューズとして、口コミやテレビCMで広がり、少子化の時代にもかかわらず、累計で1000万足(今年3月)を突破した。近年の運動能力低下は、運動嫌いの子どもが増えたためと想像していたので、「速く走りたい」と願う子どもたちが今でも少なくないことは意外だった。

 水の世界では、着用した外国人選手が世界新記録を連発した英社製水着が話題になっている。靴にしろ、水着にしろ、「魔法の道具」は人の心を引きつける。自分が子どものころ速く走れるシューズがあったとしたら、どうしただろう。親にせがんで買ってもらったか、それとも愛着のあるシューズで勝負したか。

 はっきりしているのは、速くなれば、走ること、泳ぐこと、つまり体を動かすことが好きになるということ。そんな子どもが一人でも増えれば、運動能力の向上につながる。そんな期待と予測を抱くのは、無邪気過ぎるだろうか。(運動部)




毎日新聞 2008年6月7日 東京朝刊

「信」を取り戻せるか=中村秀明

2008-06-13 | Weblog

 後期高齢者医療制度への批判に戸惑うことがある。

 特に「これじゃあ、うば捨て山だよ」「さっさと死ねというのか」「戦後の復興を支えてきた世代にひどい仕打ちだ」と声を荒らげる年寄りを目にすると、つらい。父親や母親に面と向かって、ののしられている気分になる。

 年寄りをないがしろにする気はない。逆に敬意を抱いてきたからこそ、キレたような激高ぶりに困惑してしまう。そうさせる制度が問題かもしれないが、酸いも甘いも知り尽くした人生の先輩には似つかわしくない。

 そこまで追い込んだものは何か。思い当たることがある。朝日新聞が3月に発表した世論調査結果。世の中で「信用できる人が多い」と思う人は24%で、「信用できない人が多い」は64%。「たいていの人は他人の役に立とうとしている」との回答は22%で、「自分のことだけ考えている」が67%にのぼった。

 ある財界人は「国を治める重要な要素の『信』が失われつつある」と憂えている。相次ぐ偽装、官の不正や職務怠慢、鈍い政治など数々の積み重ねが「信」をむしばんできた。だから高齢者は疑心暗鬼になり、現役や孫の世代の負担を論じるに至らないくらい内向きになってしまったのだろう。とすれば、負担の軽減とか、制度を廃案にするとかで解決するわけでもない。

 私たちは、不祥事によって信頼を失墜させ、存続の危機に立つ企業のような状態かもしれない。「経営者(政治家)が悪いんだ」と言い募っても意味はない。「信」を取り戻すために何をするかが問題なのだと思う。(編集局)




毎日新聞 2008年6月6日 東京朝刊

福田スタイル=与良正男

2008-06-13 | Weblog

 ご本人は意地でも否定するだろうが、このところ福田康夫首相の変身ぶりが目立つ。

 例えば近く成立の運びとなった国家公務員制度改革基本法案。決め手は衆院審議の最終局面で、首相が民主党に大幅譲歩してでも成立を目指すよう自民党側に指示したことだった。「まず政府自らが身を削る努力を」としつこいほど本欄でも書いてきた。内閣支持率が下がる一方で、首相にも危機感があったはずだ。支持率18%のプラス効果でもあろう。

 クラスター爆弾の禁止条約案も政府内の反対論を抑え、賛成に踏み切った。「首相は当初、関心がなかった」との説もあるが、トップの政治決断がいかに重いか、久しぶりに知らしめたのは確かだ。

 「静かなる革命だ」。力を入れている消費者庁構想について、首相はそう語ったそうだ。おそらく「静かな」がミソ。そこに「小泉純一郎元首相のような派手なパフォーマンスは絶対にしない」という頑固さを感じるからだ。

 そんな福田スタイルが世間に浸透するかどうかは、同じように中央官僚らの抵抗を封じる決断が必要となる消費者庁構想や地方分権改革の進展次第だ。いや、ここまで来たら、後期高齢者医療制度も静かに、そして大胆に75歳の線引きをやめたらと思うがどうだろうか。

 そうそう。公務員制度改革では民主党が修正協議をリードした点を忘れてはいけない。基本的に同じ方向を向いているのなら与野党審議を通じて、よりましな法案にしていくのがねじれ国会の役割の一つだ。この国会の変身ぶりも素直に歓迎したい。(論説室)




毎日新聞 2008年6月5日 東京朝刊

改ざん=磯崎由美

2008-06-13 | Weblog

 午前2時に携帯電話が鳴るまで知らなかった。「磯崎さん、記事改ざんされてますよ」。多重債務者の支援団体で活動する男性からだ。

 男性に教えられたブログを見ると、5月14日にこの欄で書いた記事「樹海からの生還」が無断転載されている。しかも多重債務者から「命の電話」を受けている市民団体「全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会」(被連協)が別の団体名に、電話番号もその団体のフリーダイヤルに書き換えられていた。ヤミ金融サイトを調べていた仲間が偶然見つけたという。

 被連協の本多良男事務局長は「地道な活動を悪用された」と怒りを隠さない。世間が多重債務者に無理解だった時代から借金の相談に応じ、生活再建した人が手弁当で相談員に回る支え合いを続けてきた。命の電話は自殺寸前の人がいちるの望みを託す場所で、改ざんはあまりに罪深い。

 フリーダイヤルに電話すると、電話番のような若者が出て、その後代表者という男性から連絡が来た。男性は「無知なバイトがしたことで申し訳ない」とわびるものの、どんな団体かと尋ねても「債務整理の無料相談をしている」などと言うだけで住所も明かさず、「もう会はつぶしますから」と電話を切った。

 ネット上にはニュースを転用した情報も多いが、こうも簡単に改ざんできるものかと、身をもって知らされた。特に過払い金返還が急増してから、多重債務者の味方を掲げた広告があふれている。

 人を信じられない社会なんて悲しいけれど、情報の大海を生き抜くには、まずは疑え、の心得も必要なのだろう。(生活報道センター)





毎日新聞 2008年6月4日 東京朝刊

セメントの恋人=玉木研二

2008-06-03 | Weblog

 小林多喜二の「蟹工船」が書店で平積みの人気だ。ワーキングプアや格差社会に響くという。1920年代、厳寒のカムチャツカ沖、船内工場の地獄の搾取に抗し、ストライキに憤然と立ち上がった労働者たちの悲劇である。

 彼らは沖に現れた駆逐艦を味方と思い込み歓声を上げたが、逆に鎮圧された。絶望の声が上がる。「国民の味方でない帝国の軍艦、そんな理屈なんてあるはずがあるか」

 「帝国の軍艦」という言葉を「国」「行政」に置き換えたら今に通じるのだ。

 これで初めてプロレタリア文学作品を読んだ若い人は、ぜひ葉山嘉樹(よしき)にも触れてほしい。例えば「セメント樽(だる)の中の手紙」という短編がある。

 セメント工場。破砕機に巻き込まれ、セメントと骨肉が混然となったまま出荷された労働者。袋を縫う恋人の女子工員が、このセメントがどう使われるのか尋ねる手紙をそっと樽に忍び込ませる。

 「あなたは左官屋さんですか、それとも建築屋さんですか。私は私の恋人が、劇場の廊下になったり、大きな邸宅の塀になったりするのを見るに忍びません」

 今身分不安定のまま使い捨てられる若い人たちにもどこか共鳴するものがないか。収奪と疎外。その不条理、かなしみ、怒りを表すのに必ずしも激語や多弁は要しない。

 「蟹工船」から4年後、小林は警察の拷問に屈さず殺された。29歳。葉山は境遇変転して旧満州に渡り、敗戦引き揚げの途中病死した。51歳。故郷の福岡・みやこ町の碑に「馬鹿(ばか)にはされるが真実を語るものがもっと多くなるといい」と刻んである。(論説室)





毎日新聞 2008年6月3日 東京朝刊

「オバマ・モデル」=坂東賢治

2008-06-03 | Weblog

 米国の選挙は金がかかる。歴史的な激戦となった民主党の大統領候補指名争いではオバマ、クリントン両上院議員を合わせ、4月末までに約400億円が使われた。

 激戦州を制する最後の切り札はテレビCMの集中投下だ。資金がなくなれば、撤退を迫られる。大統領候補の資格の一つは資金集め能力だ。

 資産家か、有力な支援者の多いベテラン政治家か。これまでは長い大統領選を乗り切れるだけの資金力を持つ人材は限られてきた。

 そうした常識を変えたのがオバマ氏だ。インターネットを通じて少額寄付を薄く広く集め、ブッシュ大統領が04年選挙の予備選段階で集めた過去最高記録(約260億円)を更新した。

 秘策は日本でも普及が進むソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を選挙戦略に取り込んだことだ。登録制で「友だちの輪」を広げるSNSは参加者の一体感を強める効果があるとされる。

 大手SNS「フェースブック」の創業者の一人を陣営に招き、支持者拡大や資金集め、集会への動員が可能なホームページを立ち上げた。膨大な登録者情報はデータベース化され、陣営側からの働きかけが容易になった。

 クリントン氏は夫のビル・クリントン前大統領以来の「選挙のプロ」を陣営に抱え、大口の献金者が多かった。知名度も高く、当初は最強とみられたが、結局は古い選挙戦略から抜けられなかった。

 新たなビジネスモデルを打ち立てたオバマ氏が老舗企業を翻弄(ほんろう)し、稼ぎ頭となった。これが資金、戦略面から見た民主党予備選の構図だ。(北米総局)




毎日新聞 2008年6月2日 東京朝刊

まさかよもやの安積山=佐々木泰造

2008-06-03 | Weblog

 安積山(あさかやま)影さへ見ゆる木簡の薄きまさかを我が思はなくに

 紫香楽宮(しがらきのみや)跡とされる滋賀県甲賀市信楽町の宮町遺跡で出土した木簡に、万葉集に載っている安積山の歌が書かれていた。発見した栄原永遠男(さかえはらとわお)さん(大阪市立大学教授)の驚きを替え歌にしてみた。

 木簡の厚さは1ミリ。今見ると裏側の文字の影が透けて見える。難波津(なにわづ)の歌が書かれていることはわかっていたが、木簡の表面を薄く削った時にできたくずだと思い込んで、裏にも字があるとは、まさかとも思わなかったそうだ。

 くずではなくて木簡の本体だったのだが、なぜこんなに薄いのか。歌の手習いか、書き方の練習か、書いては削り書いては削りを繰り返し、そこまで薄くなったのではないだろうか。勉強に励んだ万葉人の苦労がしのばれる。

 安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに

 万葉集の元歌は男女の掛け合いの歌。「浅き」と言うために、音が共通する「安積山」で始め、山のわき水(底が見えるほど浅い)を直前に置いた。だじゃれ連発の掛け合い漫才と同じ言葉遊びを8世紀半ばの人たちも楽しんだ。

 安積山の表記は万葉集では「安積香山」だが、木簡では「阿佐可夜……」。「安」の崩し字が平仮名の「あ」になり、「阿」のこざと偏が片仮名の「ア」になった。

 その裏には難波津の歌。

 難波津に咲くや木(こ)の花冬こもり今は春べと咲くや木の花

 「咲くや木の花」を繰り返すのがこの歌の面白さ。文部省唱歌の「春が来た」も「来た」「来た」と繰り返す。

 現代につながる浅くも薄くもない影が歌木簡に見える。(学芸部)





毎日新聞 2008年6月1日 大阪朝刊

つつましい老人医療=野沢和弘

2008-06-03 | Weblog

 国民医療費33兆円のうち11兆円が高齢者、1人当たりの高齢者の医療費は若年世代の4倍以上--といわれると、病院でチューブやセンサーの管を体中に付けられているスパゲティ症候群のような過剰医療を思い浮かべる人がいるかもしれない。高齢者の医療費を抑制するための世論形成に使われそうだが、それはちょっと違うのではないか。

 死亡するまでの一定期間の医療費を年齢別に比較したところ、高齢になるほど低いという調査結果がある。その分介護に費用がかかるケースもあるが、医療も介護も手が届かずに孤独死する高齢者だって毎年多数いる。最近は高額な先進医療を対象にした民間医療保険が人気だそうだが、後期高齢者はそうした潮流からも取り残されている。

 高齢になるほど病気にかかることが多くなり、その高齢者が猛烈な勢いで増えているのだから医療費も増えるのであって、むしろ一人ひとりの高齢者を見れば、つつましく医療を受けている人が多いのではないか。さらに抑制すればどのような現実をもたらすだろう。

 たしかに後期高齢者医療制度を廃止しただけでは医療保険そのものが破綻(はたん)するのは目に見えている。空からカネが降ってくるわけではないから、どこかを削って財源を確保しなければならない。

 特別会計や行政の無駄を徹底して見直せば既得権益を失う人々が抵抗し、消費税を上げようとすれば庶民は猛反発するだろう。だからといって何もやらないのは、戦中戦後のこの国を支えてきた人々に「早く死んでください」というようなものではないか。(夕刊編集部)




毎日新聞 2008年6月1日 東京朝刊

88日後の地震報道=渡辺悟

2008-06-03 | Weblog

 北京五輪の開幕は08年8月8日。縁起がよい「8」にちなんで決めた日程だという。数字遊びをするつもりはないが、四川大地震から88日後が開幕日に当たる。

 95年1月17日の阪神大震災から88日後は4月15日。震災がどう報じられていたのか、毎日新聞を広げた。ニュース面はオウム真理教一色。「4・15異変説」が流れた新宿はテロを恐れて人波が消えた。3月20日の地下鉄サリン事件を境に紙面に「オウム」が躍り出、震災は後退した。

 だが、決して忘れ去られたわけではない。15日朝刊オピニオン面の6割方は連載コラム「小松左京の95大震災」が占めていた。「この私たちの体験を風化させないために」というサブタイトルに筆者の思いが凝縮されている。

 25面は「希望新聞」。生活再建に役立つ情報を提供しようと震災2日後の1月19日朝刊から始まった特別面で、この日のトップは「被災分譲マンション再建資金の援助」。周囲は心の相談、行政手続き相談、交通規制・不通道路、激励、義援金などの情報で埋め尽くされていた。

 生活再建と防災を柱に、89日後も90日後も粘り強い報道が続いた。それでも「被災者生活支援法」成立までに3年余りを要した。災害に強い街づくりは今なお道半ばだ。

 88日後の中国はどうだろうか。五輪の陰に地震が隠されてしまう心配はないか。報道の自由がない「よその国」に対してできることは限られてはいるが、少なくとも、五輪に目を奪われて被災者を忘れ去ることだけはすまい。一人一人の関心が「国際世論」という無形の力となる。




毎日新聞 2008年5月31日 大阪朝刊

地下装置=青野由利

2008-06-03 | Weblog

 岐阜県・神岡鉱山の地下にニュートリノ観測で知られるスーパーカミオカンデがある。昨年、この薄暗い地下施設を訪れた時に、ちょっと意外なものを目にした。小説家、池澤夏樹さんのサインだ。

 先月、たまたま顔をあわせた池澤さんに聞くと、その話は小説にしたと言う。確かに、3月に刊行された「星に降る雪」はこの施設が舞台だ。スーパーカミオカンデは宇宙から飛来する見えない素粒子を水をたたえたタンクでとらえる。ここで働く主人公は、「向こう側」からやってくる星のメッセージを待つ。

 小説の読み方も、「向こう側」への思いも人それぞれだろう。個人的に印象深かったのは主人公の孤独な静けさだ。地上の雑音を避け、ニュートリノを辛抱強く待ち受ける装置とイメージが重なる。

 カミオカンデが超新星からのニュートリノをとらえたのは87年。スーパーカミオカンデがニュートリノ振動の証拠をつかんだのは98年。この現象はニュートリノに質量があることを示し素粒子の標準理論に書き換えを迫った。それでも、さらに精密な観測が必要で、次の実験の準備が進む。

 ニュートリノの地下観測施設はカナダにもある。今月、両施設の代表が顔をそろえたシンポジウムでは「世界でひとつの次世代観測施設を」という将来構想も話題に上った。一方で、「基礎科学に風当たりが強い」というぼやきも日本の研究者から漏れた。

 もちろん、素粒子の理論を書き換えても経済効果はない。それでも、私たちの生活を豊かにするメッセージがある。それは、ここから生み出される小説にとどまらない。(論説室)





毎日新聞 2008年5月31日 東京朝刊