わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

政権担当能力=与良正男

2009-06-18 | Weblog





 政権交代が現実味を帯びて語られ始めたからだろう。「で、民主党には政権担当能力があると思うか」と質問を受ける機会が増えた。私はこう答えるようにしている。

 「結局は、やってみないことには分からない」

 無責任に聞こえるかもしれないが、実際、未知数なのだから、それが一番誠実な答え方だと思う。ブラックボックスのような予算書などを分析し、無駄遣いをあぶり出す力は今の与党議員より数段上だと考えるが、それだけで政権を担えるわけではない。不安は多々ある。

 ただし、この議論をする際には同時に「では今の自民党に政権担当能力があるのか」と問い直すことも必要だ。

 首相が簡単に政権を投げ出して、ころころ代わる。麻生太郎首相で次の衆院選を戦うかどうか、党内では再び「麻生降ろし」が真顔で語られている。しかも、国民のためでなく自分の選挙のためだ。

 鳩山邦夫前総務相の辞任に至った西川善文日本郵政社長の進退問題は首相の決断力と統治能力の欠如をさらけ出した。消費税率をどうする、社会保障費はどうするという問題では、個々の議員が好き勝手に発言し、もはや学級崩壊のような様相である。

 それでもこれまでの実績を重んじるか。未知数だけれど「一度、政権を交代させてみよう」と考えるか。次の総選挙はそんな選択となる。もちろん、自民、民主以外の他党が増えた方がいいという人もいるだろう。

 私たち有権者は、もう「政治家にお任せ」ではいられない。責任はより重大。というより、政治の行く道を自分たちが決するのだから「こんなにワクワクする話はない」と考えることにしましょう。(論説室)




毎日新聞 2009年6月18日 0時21分(最終更新 6月18日 0時37分)


寺よ、いずこへ=萩尾信也

2009-06-18 | Weblog





 「葬儀屋に尋ねられ、初めて我が家の宗派を知った」。50代半ばの同窓会で一人が切り出すと、「オレも同じだ」という声が相次いだ。

 昨今の葬儀は大半が業者任せで、式はセレモニーホールの使用が増えている。「式の当日に見知らぬ僧侶と初顔合わせして、一周忌、三回忌、七回忌と全部お坊さんが違った」という例もある。かくして、ちまたでは仏教の存在感が薄れ、「葬式仏教」とやゆする声も耳にする。

 そんな折、長野県松本市にある神宮寺の高橋卓志和尚から著書「寺よ、変われ」(岩波新書)を頂いた。第1章は「寺は死にかけている」。宗教法人としてのさまざまな庇護(ひご)を受け、寺の世襲化を重ねながら、「今生の苦」から乖離(かいり)してきた仏教界を憂い、将来像を模索している。

 そこには、自らケアタウンを運営して「老い」や「看(み)取り」に立ち会い、生前に延命措置や葬儀のあり方を考える「リビング・ウイル」の普及や、遺族の悲しみに向き合う「グリーフケア」を続けて、試行錯誤してきた和尚の思いが込められている。

 ちなみに、国内には8万軒の寺があり、20万人余のお坊さんがいる。全国4万軒のコンビニの2倍の数に達しているのに、その影は薄い。

 そうした中、現代社会に広がるさまざまな苦に向き合う活動も萌芽(ほうが)している。自殺予防活動や、ホームレスや派遣切りの炊き出しで出会う若き僧侶たちはひとつの希望だ。

 平安末期。飢饉(ききん)や疫病や戦が続いた「末法の世」に、民衆に向き合って広まった浄土信仰の例もある。未曽有の経済危機で人々の心に苦しみが広がるこの時代こそ、人々と仏教がつながる糸口があるように思うのだが。(社会部)


 

毎日新聞 2009年5月31日 東京朝刊


むなしい科学=元村有希子

2009-06-18 | Weblog





 雨降れば雨に放射能雪積めば雪にもありといふ世をいかに

 湯川秀樹はこの歌を、米国の水爆実験(1954年3月1日)の後に詠んだ。ノーベル賞受賞後は核兵器廃絶運動に取り組み、激しさを増す核開発競争を批判した。

 太平洋上での実験は予想以上の破壊力を示し、操業中の「第五福竜丸」の乗組員23人が「死の灰」を浴びた。日本は広島、長崎に続いて三たび核兵器を経験している。

 そして今月、北朝鮮が地下核実験を実施した。「成功」を伝える発表文は「科学者、技術者らの要求に従い」と始まる。作っては試し、改良してまた試す。こうした試行錯誤なしに科学の発展はない。だが、科学者たちは結果の深刻さについて一度でも想像したことがあるだろうか。そう考えたらむなしくなった。

 戦時中、米国で原爆開発計画に参加した科学者の回想録(「原爆をつくった科学者たち」岩波書店)。巨額の金を使って刺激的な先端研究ができる喜びと、世界初の核実験を成功させた興奮がつづられている。広島と長崎への原爆投下手順表を作った科学者は「当時の最大の心配は、手順表を実行した時の深刻な影響ではなかった」と語った。

 砂漠の真ん中の実験場は放射能に汚染され、今も自由に立ち入れない。日本でも陸軍と海軍が原爆開発を計画し、湯川ら多くの科学者がかかわった。未完に終わったから「加害者」にならずに済んだ。

 人間はこの60年間、同じことを繰り返してきた。政治家が科学者を利用し、科学者は無邪気に目標を追いかけ、多くの命を奪い、地球を汚し、誰ひとり幸せにしなかった。どう考えても、これ以上むなしい営みはない。(科学環境部)


 

毎日新聞 2009年5月30日 東京朝刊


ぬれ手に泡=福本容子

2009-06-18 | Weblog





 経済紙ウォールストリート・ジャーナルの電子版で金融の記事を探していたら、全然関係ない話に行き着いた。

 正しい手の洗い方。メリンダ・ベックさんというベテラン科学記者によるもので、本人の実演動画付き。最低15秒はせっけんの泡でこすりましょう。歌いながらやるといいです、とか大まじめに言っている。「ハッピーバースデー」なら2回歌う長さらしい。

 手洗いの効果を初めて説いたのがイグナーツ・ゼンメルワイスというハンガリー人の産科医だったというのも知る。1847年、医者が汚れた手で患者を診ていた時代。ゼンメルワイス先生は笑い者になり、病院から追放され、精神科病院に閉じ込められた。功績が認められたのは、20年もたってからだったようだ。

 今、手洗いを笑う人はいないだろう。でも地味な作業なので軽く見られがちだ。多くの病気から守ってくれるのに、危機が去れば15秒がせっけんなしの5秒になりそう。

 金融もいっしょ。景気がよくなると、手洗いみたいな基本から外れ「ぬれ手で粟(あわ)」の短期的利益追求に走る。

 新型インフルエンザと金融危機。結構、似たところがある。一つの国が震源でも、影響はたちまち地球規模で広がる。水際対策は限界があり、貧しい国ほど犠牲が重い。一度、恐れや不安が勢いづくと、何でもかんでも誰でも彼でも「危険」と避けまくる。

 プラスの共通項もある。スペインかぜが大流行した1919年ごろや大恐慌の30年代とは比べようのないほど進歩した技術に、富や知識の蓄積、国際協調の体制や瞬時に情報を共有できるシステムが今はそろっている。

 自信をもって。でも「ぬれ手に泡」の基本は忘れずに。(経済部)



 

毎日新聞 2009年5月29日 東京朝刊


ああ選挙目当て=与良正男

2009-06-18 | Weblog





 民主党が新体制になって支持率が再び上昇していることに焦っているのだろう。出るわ、出るわ。自民党から「政治改革案」が。

 国会議員のボーナス削減に続き、「民主党に後れをとっては」と世襲制限を言い出したかと思えば、国会議員定数の削減、さらには2院制の見直し検討まで。

 近づく衆院選。この不況の中、国会議員自らが身を削る姿を示さねばという趣旨は分かる。でも、国民の代表としてふさわしい仕事をしてくれてさえいれば、国民もそんなに文句は言わない。むしろ、選挙前に「あれも、これも」と突然言い出すのは、自分たちはちゃんと仕事をしていないという自信のなさの表れのように私には映る。

 しかも、定数削減や2院制見直しは実現の可能性がまったく不明。世襲の制限も「仮に小泉純一郎元首相の次男が公認されず無所属で出馬しても、当選すれば追加公認するのでは」と早くも抜け道を指摘される始末だ。

 以前にも書いたが、政治家や政党は国民の支持や理解を得る努力をすべきだという意味で、「選挙目当て」が悪いというわけではない。ところが議員本人たちは選挙目当てと思っても票につながらない場合が往々にしてある。最近はこの民意とのギャップが一段と広がっていると思う。

 約14兆円の09年度補正予算案が間もなく成立するという。「国立メディア芸術総合センター」(アニメの殿堂?)の建設は本当に緊急性があるのか。46の基金に約4・3兆円を交付するというが、事業のニーズはあるのか。

 まだ遅くない。補正予算案を修正し、少しでも無駄を削った方が与党にとってもよっぽど選挙目当てになる。(論説室)




毎日新聞 2009年5月28日 東京朝刊


裁判員と性被害=磯崎由美

2009-06-18 | Weblog





 被告側弁護人がいぶかしげに言った。「あなた、前にも痴漢に遭ってますね。どうして何度も遭うんでしょう」。ついたての向こうで被害女性の声が震えた。「そんなこと……好きで痴漢される人がいるって言うんですか!」

 ある痴漢事件の法廷で見た光景だが、性犯罪の裁判では珍しくないやりとりだ。取調室で「スキがあったんじゃないの?」と責められた、といった話も幾度となく聞いた。セカンドレイプを恐れて警察に訴えられない被害者は今なお多いことだろう。

 そんな現状を少しずつ変えてきたのは、立ち上がった当事者たちだ。証人尋問では希望すればついたてを立てられるようになり、別室からモニターで証言できるビデオリンク方式も導入された。

 だが21日スタートした裁判員制度で、またも被害者の個人情報保護が問題になっている。裁判員の選任にあたって事件の当事者と関係する人を外すため、候補者に被害者の名前が伝わってしまう恐れがあるのだ。最高裁は候補者全員に対しては実名を伏せて大まかな情報を伝えるだけにとどめるというが、被害者は不安をぬぐえないままだ。

 ある女性は事件から3年以上がたっても、家族に被害を明かせない。「大事な人にショックを与えたくないし、自分も受けたくない。分かってくれると信じて打ち明けた友人も去っていったから」

 制度のスタート直前にプライバシーの問題が浮上したのは、犯罪被害者の思いに対する司法の理解がまだ十分でないことの表れとも映る。裁判員制度の課題として、裁く側の負担に焦点が当てられているが、事件に巻き込まれざるを得なかった人たちの視点も忘れてはならない。(生活報道センター)



 

毎日新聞 2009年5月27日 東京朝刊


パラパラ漫画=玉木研二

2009-06-18 | Weblog





 江戸東京博物館で開かれている生誕80周年記念の手塚治虫展がにぎわっている。外国人も多い。原作漫画やアニメの原画、ゆかりの用具などファンにはたまらないだろう。その中に1点、戦前の手塚少年に母親が描いてやった「パラパラ漫画」がある。

 子供の時、授業中にこっそりこれを作った人は多いはずだ。教科書などの端に1ページごと形をずらせて人や物を描き、パラパラめくると絵が動いて見える。原始的アニメである。手塚の歩みを示す多彩な展示物の、その原点が眼前にあるような気がした。

 今「国立漫画喫茶か」と政府追及の的になっている国立メディア芸術総合センター構想。批判は大いにやるべしだが、「たかが」という冷笑が感じられ、昭和30年代の元漫画少年としてはせつない。

 芸術も科学もしばしば1枚の紙と1本の鉛筆の着想から生まれる。漫画、アニメ、ゲームなどもそうだ。世界に冠たる「クールジャパン」とか、ソフトパワーの中核とかことさら力む必要はない。

 それはパラパラ漫画のような素朴な感動や好奇心からさまざまな分野に枝分かれして増殖、発展してきた。その勢いを「国策文化」にまるめては元も子もない。もしセンターを造るなら、官は運営に口をはさまず天下りもなしが最低限必要だ。官に頼るほど漫画はヤワではない。

 さて、昭和30年代には漫画も多分野あった。貧しい時で私は10円、20円の貸本が多かった。暗い。「子供が読むもんじゃない」と言われ、ますます読みたかった。漫画は反面ならぬ反骨の教師である。

 センターは、きらびやかな展示や仕掛けの陰に、ぜひ今はなき貸本史料の収集とコーナーを忘れないでほしい。(論説室)


 

毎日新聞 2009年5月26日 東京朝刊


航海の達人=福島良典

2009-06-18 | Weblog




 「大使とは、自国のためにうそをつくよう外国に派遣された正直な人物である」。英国の外交官、ヘンリー・ウォットン卿(きょう)(1568~1639年)は戯れに書き記し、ジェームズ国王の怒りを買った。

 自国を売り込むセールスマンとしての大使の職務を誇張した警句だろう。首脳外交の比重が増したとはいえ、現代でも、相手国の要人と日々、接する大使の役割は重要だ。

 オバマ米政権が主要国に送る大使の顔ぶれが決まり始めた。日本は大統領選の資金集め役を務めた弁護士のジョン・ルース氏。中国には共和党の中国通、ジョン・ハンツマン・ユタ州知事を配した。

 ハンツマン知事は共和党の次期大統領選候補とも目されていた実力者。「オバマ政権の中国重視姿勢の表れ」として米中2大国(G2)による世界管理論が熱を帯びる。

 欧州連合(EU)の動きを追う中でも中国の存在が大きくなっているのを感じる。良きにつけあしきにつけ、中国が話題に上るケースが多い。

 欧州委員会が指弾する「危険な玩具」の多くは中国製だし、欧州議員は中国の人権抑圧を非難する。だが、世界経済の回復に向けてEUが期待を寄せるのも「世界の成長センター」の中国だ。

 先週、プラハでEUとの首脳会議に臨んだ中国の温家宝首相は「米中だけで世界が管理されるという見方は間違っている」とG2論を否定し、「これからは多極化世界」と欧州の自尊心をくすぐった。

 米中に日本、欧州、ロシア、インドが絡み、世界は群雄が割拠する戦国時代の様相だ。各国が国益に応じて連携相手を変え、しのぎを削る。激しさを増す外交の荒海を行くには、仲間を集める求心力と、確かな羅針盤が必要だ。(ブリュッセル支局)


 

毎日新聞 2009年5月25日 東京朝刊


よくある質問=潟永秀一郎

2009-06-18 | Weblog




 Ques.
 まだ使える家電製品を買い替えることは、環境保全に反するのでは?


 Ans.
 エネルギー効率の低い旧型の家電製品を使い続けることで、余分にエネルギーを使用し二酸化炭素を排出することになるため、本制度では省エネ効率の高い製品への買い替えを促進するものです。




 環境省のホームページ。エコポイント制度の「よくある質問」コーナーに並ぶQ&Aの一つ。痛い質問を載せた勇気は評価するが、やはり答えに無理がある。素直に「これはエコロジカル(環境配慮)のエコでなく、エコノミック(経済配慮)のエコです」と書いてあれば、なるほドリも「!」と納得しただろうに。

 何が無理があるといって、大型家電ほど付与ポイントが高いことだ。特に薄型テレビ。10年近く前の29型ブラウン管テレビを、最もポイントの高い46型以上の薄型に買い替えると、大半は消費電力が増える。42型でも同様で、ようやく32型で下回る例が多くなる。価格相応のポイントスライドだが、環境の方の「エコ」を目指すなら、思い切って一律にしてもよかった。

 例えば一律2万ポイントとすれば、店頭価格6万円台の省エネ評価五つ星・26型液晶テレビは実質4万円台で買える。2人世帯で定額給付金を充てれば持ち出しは2万円を切り、共に65歳以上なら数千円で済む。ポイント対象に薄型テレビを入れたのは、残り2年余となったアナログ停波を前に、地デジ視聴テレビを普及させる目的もあるはず。買い替えが進まない高齢・年金世帯も、これなら手が出る。

 一連のばらまき政策には反対だが、続けるならせめて看板と制度のずれは修正してほしい。次の内閣で見直しを検討願えないだろうか。(報道部)


 

毎日新聞 2009年5月24日 東京朝刊


拝啓、渡辺恒雄様=伊藤智永

2009-06-18 | Weblog




 読売新聞グループ本社会長にして倍も年長の大先輩に、ぶしつけをお許しください。終生哲学徒たらんとする姿勢に常々敬服しております。「文芸春秋」6月号のエッセーに考えさせられました。

 あなた様は、青年期にあこがれた20世紀最大の哲学者の一人ハイデガーが、ナチ政権の誕生後、43歳で大学総長に就任するや、ユダヤ系の恩師フッサールを追放したナチに入党、学生たちにヒトラー支持を呼びかけたと知って失望し、絶縁を宣言されています。

 政治に未熟な学者が、年来の理想だった精神革命の断行を独裁者に託したものの、独り相撲で挫折、「人生最大の愚行だった」と気付き、以後は哲学に没頭した有名な事件です。忘恩、密告の暴露あり、思想への指弾ありで、今も論議は絶えません。

 学問のみならず、文学、芸術、スポーツなど、およそ精神の営みが政治と交わると、深刻な責任問題と醜悪な人間ドラマを引き起こすのは歴史の習い。げに政治は怖い。

 記者の傍ら多年、現実政治に深くかかわってこられたあなた様は当然、清濁併せのむ雅量の方と拝察しておりましたので、ハイデガーへの潔癖な嫌悪感は意外でした。

 そこで思い出すのは、あなた様が仲立ちされた一昨年の大連立騒動です。当時、民主党の小沢一郎代表は参院選で大勝しながら、なぜ連立を仕掛けたのか。肝心のなぞが明かされないと、また「政権交代」と言われてもうのみにはできませんが、あなた様は一度は信じた小沢氏への不信を広言するだけで、真相を語ろうとなさいません。

 あるいはハイデガーへの失望から、小沢氏に期待する者たちへの苦い警告を読み取るのはうがち過ぎでしょうか。(外信部)


 

毎日新聞 2009年5月23日 東京朝刊


50年後のアジアは=福本容子

2009-06-18 | Weblog




 日本が新型インフルエンザで大騒ぎしていた先週末、ヨーロッパはのど自慢大会に沸いた。「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」という恒例イベントで1億人以上がテレビ中継を見る。ロシア初開催の今年は42カ国が競った。

 優勝したのはノルウェーのアレクサンダー・ルイバクさんだ。ブラッド・ピット風の23歳でバイオリンが上手。凱旋(がいせん)した母国の空港は5000人のファンでごった返し、滑走路では消防車4台が搭乗機を放水の大アーチで迎えた。

 コンテストは1956年から毎年開かれている。歌謡ショーだけど政治と背中合わせの歴史だ。フォークランド諸島の領有をめぐりアルゼンチンと戦っていたイギリスへの嫌みでタンゴを披露したスペイン。ボスニア・ヘルツェゴビナは内戦の砲撃下でも参加を続けた。今年プーチン首相を皮肉った歌で出場しようとしたグルジアは失格に……。

 視聴者投票で決まる審査も政治色が出る。自分の国以外の出場者に投票する仕組みだが、歌より国の好き嫌いで選んだりする。お友達国がいないと昨年のイギリスみたいに最下位になる。これはまずい、と今年から専門家の審査も取り入れることにした。

 そんなこんなをヨーロッパの人たちは50年以上やっている。サミットや経済協定だけでなく、音楽やサッカーとかで本気の競争をし、ののしり合いもあるけれど、ヨーロッパという大きな村で一緒に暮らす工夫をずっとしてきた。

 アジアはまだまだ。日韓の野球もアメリカがかまないと燃え上がらない。でも芽生えはある。今年から同じような歌コンテストをやろうと準備が始まったし、サッカーも地域大会に熱が入ってきた。

 50年後も今日の一歩から。(経済部)


 

毎日新聞 2009年5月22日 東京朝刊


「民主は変わらぬ」は違う=与良正男

2009-06-18 | Weblog




 民主党は鳩山由紀夫代表になっても、小沢一郎代表代行が裏で実権を握るから何も変わらない--。こんな論評が一部にある。

 党内議論を封じるかのように急いで進めた今度の代表選のやり方には私もテレビで不満を口にした。小沢氏の政治資金問題が決着していないのも事実だ。だが、まだ新体制が動き出す前から「二重権力」とことさら言い立てるのはフェアではない。先週書いたように「小沢剛腕神話」を、民主批判のために都合よく利用している気がする。

 何より民主党は「首相候補」が代わったのだ。これは大きな変化である。

 西松建設事件前から私は本欄で「小沢氏は本当に首相になる気があるのか」と再三、疑問を呈してきた。小沢氏がとかく政策は二の次だった点も批判してきた。

 各党の首相候補と政策を有権者が比較して政権を選択するのが今の衆院選だ。実は民主党内には「選挙で勝って小沢氏が首相になっても短期間だ」と語る議員が多かった。「いずれ短期だから」という奇妙な見立てが小沢氏への不満を抑えてきた節さえある。これではコロコロと首相が代わる自民党と変わらない。

 少なくとも鳩山氏は明確に首相を目指し、マニフェストの重要性も認識している。その点で小沢氏とは違う。

 民主党の支持率が再び上昇に転じたように、有権者はメディアの小沢批判とは裏腹に冷静に政治を見つめていると思う。自公政権とはどう違い、どう具体的に日本を変えていくのか。党内でもっとオープンに、激しく議論してほしい。そして説得力のあるマニフェストを作り、それを鳩山氏が国民に発信できるのか。重要なのはそこなのだ。(論説室)




毎日新聞 2009年5月21日 東京朝刊


抵抗力=磯崎由美

2009-06-18 | Weblog




 新型インフルエンザが国内で急速に広がるにつれ、行き過ぎではないかと思える対応も目立つようになった。

 北九州市教委は関西方面の修学旅行から戻った中学生と教職員を1週間出席・出勤停止にしている。19日までに対象となったのは14校の1600人以上。これに対し、兵庫県の井戸敏三知事が「風評被害を助長しかねない」と不快感をあらわにした。

 確かに関西を訪問しただけで行動を制限する必要があるのなら、関西人は地元から出てはいけないということになる。それでも北九州市教委は「批判は承知しているが、万が一感染が広がれば大変。対応は適切だ」との考えを崩さない。市民からは「旅行から戻った生徒だけでは甘い。家族にも外出を自粛させるべきだ」といった声まで寄せられているという。

 弱毒性だが感染力が強い。想定外だった新型インフルエンザが浮かび上がらせたのは、ウイルス自体の問題よりも社会の抵抗力の弱さだった。成田空港で大阪府立高の生徒らの感染が分かった時も「治療費を税金でまかなうのはおかしい」「感染者の氏名を発表しろ」といった抗議や中傷が相次ぎ、府教委は電話がパンク状態に陥った。

 病原菌との長い闘いの中で、人間は何度も差別や過剰反応といった過ちを繰り返してきた。どれだけ科学や情報網が発達しても、感染症の広がりを前にすると、不安を制御できなくなってしまうものなのだろうか。

 ウイルスはいつ毒性の強いものに変異するか分からない。いくら大臣が「冷静に」と繰り返しても、人は動揺し、対応を誤ることがある。それが今回与えられた最も大きな教訓になるのかもしれない。(生活報道センター)



 

毎日新聞 2009年5月20日 東京朝刊


ある日突然=玉木研二

2009-06-18 | Weblog




 優れた風刺映画は時代を超える。キューブリック監督の「博士の異常な愛情」は1964年、米ソ冷戦期の公開だが、そのトゲ鈍るどころか、今見るとますます鋭い。

 共産主義者が水道に細工してアメリカ人の体液を汚しているという妄想にとらわれた米空軍将軍がある日突然、配下の爆撃機にソ連核攻撃を命じる。仰天の政府は機を引き戻そうとするが、無線が閉ざされ、どうにもならない。

 どうにもならないのは政府・軍要人もだ。常識あっても頼りない大統領。緊急会議中も愛人の方が気になる空軍司令官。大統領はソ連首相に事情を説明し報復しないでと電話するが、「人民の父であり、一人の男でもある」首相は愛人と密会中らしく、酔っていて要領を得ない。

 しかも、ソ連は核攻撃を受けたら自動的に核爆発で地球の生命を全滅させる「皆殺し装置」を開発し、配備したばかりという。コンピューターが支配し、人間が止めることができない。「これで攻撃されないようにする抑止効果が目的なら、なぜ配備を公表しなかった」と聞けば、来週の党大会で華々しく発表し、驚かせるつもりだったという。事態は破滅へ一直線……。

 実在人物は描いていない、とお決まりの断りを入れているが、痛烈な皮肉だ。45年たった今も映画登場者に重なり見える政治家らは尽きない。よその国の話ではない。

 さて、米軍当局は苦虫をかみつぶしたような顔をしたのだろう。映画冒頭、こんな声明が出てくる。「このような事故は絶対起こりえないことを合衆国空軍は保証する」

 その言やよしだが、かえって危機の深刻さを印象づけた。「保証」は核廃絶によってしかしようがないはずだ。(論説室)




毎日新聞 2009年5月19日 東京朝刊


宗教と政治=福島良典

2009-06-18 | Weblog




 「苦しい時の神頼み」なのか。昨年来の金融・経済危機をきっかけに宗教に助けを求める人が増えているという。

 調査会社ライフウェー・リサーチによると、米国のプロテスタント教会の62%で「信者以外からの金銭支援要請」が多くなり、「失業中の信者が増えた」は40%に達した。

 米ウォール街では昨秋以降、教会に出かける背広姿の銀行員や証券会社員が目立ち始め、「不確実な時代のストレスに対処する」ための講話会を開いた教会もあるそうだ。

 銀行員だけではない。欧州連合(EU)は今月、ブリュッセルの本部にキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の宗教指導者を招き、経済危機を乗り切るための助言を仰いだ。

 欧州では今、失業の急増が社会不安の拡大につながりかねない状況だ。「社会正義や連帯という倫理的な価値観を経済活動と両立させる」(バローゾ欧州委員長)。政治家の発言も宗教色を帯びる。

 もともと、資本主義と宗教の因縁は深い。市場に神の「見えざる手」を見たのは英経済学者のアダム・スミスだし、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーはプロテスタントの禁欲的労働を資本主義発展の動因と分析した。

 だが、金もうけの強欲と市場万能主義は弱肉強食の世界を生んだ。処方せんとして、EUが打ち出しているのがドイツ型の「社会的市場経済」という考えだ。市場の暴走に歯止めをかけ、社会正義と調和の実現を目指す。

 難局にあって人は利己主義に走りがちだ。ローマ法王ベネディクト16世は「声なき人々に目を向けず、自分たちの困難だけを考える」傾向に警鐘を鳴らす。宗教は現代社会のゆがみを直せるか。苦しい時こそ、真価が問われる。(ブリュッセル支局)



 

毎日新聞 2009年5月18日 東京朝刊