わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

悲しいほどの……=与良正男(論説室)

2008-12-11 | Weblog

 森喜朗内閣発足時の00年春から1年、官邸取材の責任者(キャップ)として過ごした。

 政策の記事を書いた記憶がほとんどない。失言ばかりを追いかけるような悲しい毎日だった。この直後、政権に就く小泉純一郎元首相が「郵便ポストが赤いのもみんな森さんが悪いような状況になっちゃったなあ」とぼやいていたのを思い出す。

 麻生太郎首相を指して「あの時と似てきた」との声を聞く。相次ぐ失言などで本人の資質が問われ、支持率低下を招いている状況は確かに似ている。だが、大きく違う点もある。

 当時は橋本派という強大派閥があり、首相を降ろしたければいつでもできたし、その筋書きを綿密に書く人がいた。一方で小泉氏のように空気を一変させるウルトラC(古いな私も)的選択肢もあった。そして、時の首相が行きづまったら野党に政権交代させたらという気持ちも国民の間に乏しかった。

 麻生内閣の支持率は21%(毎日新聞調査)にまで落ち込んだ。それでもなぜ、打開策を見つけ出せないのか。森時代との違いを考えれば、自民党の七転八倒ぶりが分かるはずだ。

 私は本欄でも「単に首相になりたいだけでなくて、首相になって何をしたいかが肝心」と再三書いてきた。ところが自民党は国民的人気なるものに頼って首相に選び、人気がなくなると一転して無責任に「麻生離れ」だ。これは自民党の構造的な行きづまりなのだと思う。

 この国全体が泥沼にはまってしまったような師走。私は森内閣時代と比較にならないほど悲しい気分になっている。早く衆院選をするよう大きな声を上げ、有権者が打開しましょう。





毎日新聞 2008年12月11日 0時08分