わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

ルビの効用=玉木研二

2008-12-02 | Weblog

 何かと首相の漢字誤読が話題になるが、メディアもそう胸を張れたものではない。トップの食言を戒める「綸言(りんげん)汗のごとし」をあるテレビは字幕で「人間汗のごとし」とした。単純なキーの打ち間違えだろうが。

 私もひどいもので、例えば、瓜(うり)を「つめ」とよく間違え、高僧鑑真(がんじん)は「がんしん」と平然(鑑真は学習指導要領によって小学校で習う歴史上人物)。師から弟子に伝える奥義「衣鉢(いはつ)」は「いはち」と誤った。汗顔の至り、挙げればきりがない。

 私は胸中ひそかに、刊行物の漢字にルビが復活することを望んできた。まだ多くの方は体験上分かるだろう。子供が大人の本に手を伸ばす時、ルビは不可欠の水先案内人だ。意味分明ならずとも先に進め、大意や雰囲気はつかめる。今日流にいえば、空気が読めるのである。

 ルビがなければ、私は小学4年生で、「天一坊」が御落胤(らくいん)と偽って徳川家を乗っ取ろうとする物語(古本)など、とても面白く読めなかっただろう。読んでいるうち「落胤」の意味ぐらいぼんやり分かってくる。

 難解な漢字や煩雑で細かなルビの追放論は戦前からあり、「真実一路」の山本有三はその先鋒(せんぽう)だった。敗戦後、占領政策の一環で日常使用の漢字は「当用漢字」に限られ、新聞もほとんどルビをやめた。私の記憶では、50年代までは新聞記事を声に出して読む年配者がいたと思う。戦前の習慣を続けていたのだろう。ルビとともに消えた。

 私たちの社会は、とうに漢籍はおろか漢字そのものから縁遠くなろうとしている。ルビの出番が再び来たのではないか。昨今の「首相の誤読」の話題をこっちへ転じてはどうだろう。(論説室)




毎日新聞 2008年11月25日 東京朝刊

1 コメント

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大学教員 (平松幸三)
2008-12-03 12:37:48
ルビの効用に賛成。玉木さんが触れなかった効用。ルビがあると、日本語を学ぶ外国人にとって辞書を引く困難が格段に緩和されます。
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