わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

毎日新聞コラム 「発信箱」/2009・5・3~5・10までのスクラップ

2009-05-10 | Weblog

点字ブロック=萩尾信也


 東京都新宿区。JRと西武線と地下鉄が交錯する高田馬場駅周辺には、点字図書館や盲人福祉センターなどの視覚障害者用施設が点在し、「日本で一番、盲人の歩行者が多いエリア」と言われている。

 当然、街のあちこちに点字ブロックが整備されている。丸い点状の凹凸は「注意」、平行して並ぶ線状の凹凸は「進行方向」を示す。目の不自由な人はその形を白杖(はくじょう)で探りながら歩く。

 4月中旬の夕刻のことだ。通行人でにぎわう駅前広場で知人と待ち合わせをしていると、左手の改札から白杖を手にした中年の男性が、点字ブロックの上を歩いて来る。

 約束時間になっても現れない相手を探して、目を反対側に転ずると、右手からはビジネスバッグを小脇に抱えたスーツ姿の青年が、足早に改札の方向に向かっていく。

 そんな2人がすれ違った。

 と! 突然、青年が立ち止まり、きびすを返して白杖の男性を追い越していく。その行く手には、1台の自転車。点字ブロックの上に、はみ出すように止めてある。

 青年は自転車を歩道の隅に片付け、腕時計に目をやると、再び急ぎ足で駅に向かう。そして、事のてん末を知らぬままに白杖の男性が無事に通り過ぎる。

 街角で目撃したさりげない思いやり。

 ちなみに、点字ブロックは1965年に日本で生まれた。岡山県で旅館業を営んでいた三宅精一という「街の発明家」が、交差点を渡ろうとした視覚障害者がクラクションを鳴らされてうずくまる姿を目撃。「安全に街を歩ける方法はないか」と、私財を投じて開発したそうだ。

 点字ブロックにはそんな思いやりが込めてある。(社会部)



毎日新聞 2009年5月3日 東京朝刊





人間の健康=福島良典


 「人類の救済なんて、大げさすぎる言葉ですよ」「人間の健康ということが、僕の関心の対象なんです」。フランスの小説家アルベール・カミュ(1913~60年)は「ペスト」で、患者の治療にあたる無神論者の医師リウーにそう語らせた。

 他人とかかわることで生命が危険にさらされる伝染病は、人間社会のきずなの脆弱(ぜいじゃく)さをあぶり出す。流行をきっかけに「自分だけは助かりたい」という人間の自己保存本能が暴走しかねないからだ。理性の手を離れて。

 国家関係でも同じだ。新型インフルエンザの感染者を多数抱える国は自国経済への打撃を避けるためにも「パニック回避」を呼びかけ、他国は水際作戦や渡航制限に躍起になる。普段は「友好関係」のオブラートに包まれている国家のエゴがむき出しになる。

 欧州連合(EU、加盟27カ国)も、治療薬の備蓄共通化を巡り、足並みが乱れた。EUとして治療薬などを一括管理して、流行が発生した加盟国に投入するというイタリア提案の「治療薬・ワクチンバンク」構想が他加盟国の賛同を得られなかったのだ。

 浮かび上がるのは、我先にと治療薬の抱え込みに走る加盟国の姿だ。人の移動が自由なEU域内では対策の共通化が不可欠のはずだが、仕切り役の行政府・欧州委員会も、各国の治療薬備蓄状況を完全には把握できていない。

 「EU益に合致するのか、それとも加盟国の国益追求か」。新型インフルエンザの感染拡大への欧州諸国の対応に、知り合いのイタリア人記者の口癖を思い出した。

 疫病が猛威を振るうほど、個人も、国家も、他者を思いやるという「人間の健康」の質が問われている。それを人は連帯と呼ぶ。(ブリュッセル支局)

 

毎日新聞 2009年5月4日 東京朝刊






秩父の樹影=玉木研二


 埼玉県の西奥、秩父に初めて行った。この地方は東京、山梨、長野、群馬に接し、ひしめく山塊の間に盆地を抱く。岩を侵す荒川は名勝長瀞(ながとろ)を抜け、遠く東京湾へ注ぐ。

 ここに「困民党」と呼ばれる貧窮農民らの武装決起「秩父事件」が起きたのは、1884(明治17)年の晩秋のことだ。彼らは明治政府のデフレ政策や生糸暴落で多額の借金を抱え、銀行や高利貸につけ込まれていた。役所、警察に助けを求めても「当事者同士で」とそっぽを向く。ワイロが動いていたらしい。

 決起した彼らは高利貸を襲って証文を焼き、役人や警察官が逃げ出した中心地・大宮郷(現秩父市)を占拠した。ここに初めて「無政の郷」すなわちコミューンが出現し、資金受領書は「革命本部」名で出された。集まった農民らは1万人ともいわれる。

 幹部の分担や軍律が明文化され、戦闘形態もとった。従来の一揆や暴動と異なる反圧政と人権の意識もそこには芽生えていた。政府は驚き、軍を出動させる。農民らは火縄銃程度の火力では太刀打ちできない。「革命劇」は短かった。敗走が始まり、一部は長野県に転じ再起を図ったが、野辺山高原に果てた。決起からわずか10日間だった。

 連休の秩父は観光でにぎわい、長瀞の奇観と川下りに歓声が上がる。秩父事件を重ねて思えば、私たちの目を楽しませる景観は、岩多く険しい土地で狭い耕地を守ってきた困民の象徴と見える。ひだが幾重にも切り込み、森影深い地勢。これが分散集落のひそかな連絡を助け、連帯の「山林集会」も度々開けた。

 昨今、働く場から疎外され、切り捨てられる人々に必要なのは、分断分離を補う樹影かもしれない。(論説室)



毎日新聞 2009年5月5日 東京朝刊





届かない叫び=磯崎由美


 工場地帯の運河はひどく暗い色をしていた。片隅には手向けられた花束と、あどけない似顔絵。寂しい風景が今も忘れられない。

 01年8月、兵庫県尼崎市。6歳だった勢田恭一君は児童養護施設からの一時帰宅中、実母と義父から30時間に及ぶ暴行を受け、運河にゴミのように捨てられた。よどみを漂うポリ袋から小さな腕がのぞかなければ、通りかかった作業員が目を凝らすこともなかっただろう。

 施設側は「何とかいい親になります」と訴える母親の言動に愛情の芽生えを感じ、一時帰宅を認めた。一方で恭一君は帰宅の朝、荷物をまとめながら「いややなあ……」と漏らしていた。小さな叫びは届かなかった。

 あれから8年。事件は繰り返され、そのたびに同じ言葉を聞いた。「あと一歩踏み込んでいたら」。奈良の山中に先月捨てられた松本聖香さんは9歳。学校は親の虐待に気づきながら、児童相談所に通告しなかったという。

 児童虐待防止法は今秋施行10年目を迎える。この間、家族への危機介入を進める法的な強制力は強まった。それでも最悪の事態を防げないのは、法が変わっても人の意識が変わらないからではないか。他人の家族にかかわることへのためらいは、プライバシー保護の壁に阻まれ、強まったようにも思う。加えて深刻な不況も家族の土台を危うくしていくかもしれない。

 児童虐待の検挙件数は昨年過去最高を更新し、この10年間で救えなかった命は450人を超えた。近所で尋常でない怒声を聞いたら。小さな体にあざを見つけたら。育てる力のない親はもはや珍しくない。一人一人が「一歩踏み込む」決意をするしかない。(生活報道センター)



毎日新聞 2009年5月6日 東京朝刊





イタリア式結婚=福本容子


 「若い女を追っかけてばっかり。もう我慢ならない!」と52歳の妻が72歳の夫に離婚を迫った。結婚20年目。夫とはイタリアで2位の富豪、兼首相のベルルスコーニ氏だ。

 若い女好きといえばソフィア・ローレン主演の「イタリア式結婚」という映画があった。

 元娼婦(しょうふ)で長年、内縁関係に甘んじてきた女が男相手に一芝居打つ。男が自分でなく若い女と一緒になろうとしたことから、重病人を装い「死ぬ前に結婚して」とゴールにこぎつけるのだ。仕掛けを知って結婚をいったん取り消す男だが、本当の愛に気付きもう一度、女と結婚し直す。映画の邦題はずばり「ああ結婚」。

 イタリア式はなかなか激しい。「死ぬ前に婚約して」と(オバマ大統領から)迫られ、クライスラーとの結婚を決めたばかりのフィアット。今度は同じく重病のゼネラル・モーターズ傘下にある独オペルと一緒になろうとしている。

 オペル買収を「天国で結ばれた結婚」と言うフィアットのマルキオンネ最高経営責任者。だったらクライスラー統合の方は?と聞きたくなるけど、イタリア国内中心のメーカーから一躍、トヨタに次ぐ世界2位の巨大グループに躍り出る野望があるらしい。

 資金力、買収先の労組や政府との関係など困難が多い。それでも「新しいことは大きな賭けが伴う」と危機をチャンスとばかりに攻めるマルキオンネ氏である。気が多いイタリア男の火遊びで終わるか、はたまた自動車業界の世界的大再編へ発展するのか。

 危なっかしくはある。けれど、挙式から何年もたつのに社長ポストは夫方、会長は妻方から、と実家を引きずり続け、全然愛が育たない和式合併より、うんとドラマチックなイタリア式だ。(経済部)

 

毎日新聞 2009年5月8日 東京朝刊






子どものスポーツ=落合博


 少女の蹴(け)ったボールは空中で勢いを失って守備側の選手の胸に収まり、得点機はついえた。その瞬間、指導者の男性が吐き捨てるように言った。「アホッ、ボケッ」。ベースに向かって懸命に走っていた少女は分からなかったかもしれないが、男性の横に整列していたチームメートの女子小学生には聞こえたはずだった。

 「ガンガン厳しく怒って鍛えないと勝てない」。そう考える指導者が少なくない。「バスケットボールの家庭教師」として首都圏で年間約400回の指導を続けている鈴木良和さん(29)によると、人格を否定するような叱責(しっせき)を受け続け、胃潰瘍(かいよう)になった女子中学生もいるという。

 小学生が加盟するある競技団体はホームページで「暴力行為の断絶に向けて」と題する通知を複数回、出した。暴力行為には言葉も含まれ、勝ち負けしか頭にない指導者の存在が浮かび上がる。

 「スポーツと文明化」(法政大学出版局)で、歴史社会学者のノルベルト・エリアスは18~19世紀の英国でスポーツが発生する過程と議会制度の発生の過程が相関関係にあることを指摘している。

 武力を否定して議論によって物事を決める議会制度の発展とともに、野蛮な身体の闘争は非暴力化のルールを整えることで近代スポーツへと変貌(へんぼう)していく。だが、自己抑制できなければ、スポーツは容易に暴力化する。一時の感情に駆られた子どもへの暴言が「文明化の過程」に逆行することは言うまでもない。

 鈴木さんは言う。「国語でも数学でも英語でもなく、スポーツだからこそ伝えられることに着目して、子どものスポーツに情熱を注ぐ指導者が増えていく。それが目指すスポーツ文化の一つです」(運動部)



毎日新聞 2009年5月9日 東京朝刊






「いざとなれば」=藤原章生


 「白い歯を見せるな」。子供のころ、学校の避難訓練でよく怒られた。リーンと鳴る警報、重々しい校内放送、「机の下に避難!」と叫ぶ教師の真剣な顔、座布団をかぶる級友たち。ついうれしくなり、笑って走っていると怒られた。

 聞いてみると、イタリアではこうした訓練がほとんどない。イタリア中部地震の現場で分析作業を続ける地震学者、ジュリオ・セルバッジさん(45)に日本での訓練の話をすると、「広めるのは難しい気がするな」と答えた。「大人も子供も大騒ぎになって収拾がつかなくなる。そういうメンタリティーがないし」。セルバッジさんが勤めるローマの国立地球物理・火山学研究所では生徒たちの社会科見学の受け入れを考えているが、「まだ言っているだけだからどうなるか」。

 1カ月が過ぎ、中部地震を伝えるニュースは格段に減った。耐震建築の不備など行政批判もあまり聞かない。新型インフルエンザについても、国内感染者は「みな全快」と強調されていた。マスクをしている人もまず見ない。経済危機でも人々は淡々としている。2カ月後に震災地ラクイラで開く主要国首脳会議の計画も詰められていない。何につけ随分落ちついている。

 それでも地震の時は瞬く間に支援物資とボランティアが集まった。誰も指揮しないが、「いざとなれば」「下手に騒ぐな」という考えが人々の根にある気がする。これをふまじめ、楽観主義と見ると、早とちりになる。ファビオ・ランベッリ氏の著書「イタリア的」(講談社)の言葉を借りれば、裏には「人生はつらいもの」という悲観的な気質が隠れている。のんきさは「悲観的状況への対応能力の表れ」なのだそうだ。(ローマ支局)

 

毎日新聞 2009年5月10日 東京朝刊


正しく怖がる=元村有希子

2009-05-10 | Weblog




 「ものを怖がらな過ぎたり、怖がり過ぎたりするのはやさしいが、正当に怖がることはなかなかむつかしい」と書いたのは地球物理学者の寺田寅彦(「小爆発二件」)。このことは新型インフルエンザにぴったり当てはまる。

 私たちが聞かされていた新型インフルエンザのイメージは、日本だけで最悪64万人の死者を出す恐ろしい感染症だ。だが今回メキシコで発生したのは「弱毒性」という。怖がる必要はないのか。

 否。弱毒性とはいえ、人類が免疫を持たない「新型」であることは事実だ。ワクチンがある通常のインフルエンザでさえ、毎年約1万人の命を奪っている。今回のウイルスが広がりを見せる中、自分が感染しないという保証はない。

 国立感染症研究所の田代真人氏は「世界的流行が起きたらアジア風邪規模だろう」と予測している。アジア風邪(1957年)の死者は世界で200万人。犠牲の大きさにひるむが、怖がるべきか。

 否。この50年で診断技術は格段に進歩し、栄養状態も向上した。万一感染しても、タミフルなどの治療薬がある。

 何より私たちは「情報」という武器を持っている。どこで何が起きても、その情報を専門家がすぐに共有し、ネットや電話会議で戦略を練る。20世紀の3回の大流行から学び、21世紀に入ってはアジアの鳥インフルエンザという脅威に向き合うことで、多くの経験も積んできた。

 寺田は、近代化した昭和初期の日本を「一つの高等な有機体」とたとえた(「天災と国防」)。今や世界が一つの人体のようなものだ。そこに侵入した未知のウイルスに対してできるのは、用心深く、冷静に向き合うことだ。難しいけれど、それに尽きる。(科学環境部)

 

毎日新聞 2009年5月2日 東京朝刊


危機時の語り手=福本容子

2009-05-10 | Weblog



 テレビをつけっ放しで、うたた寝してしまった。はっと目が覚めたのは、その「語り」が聞こえてきたからだ。

 新型インフルエンザの記者会見を中継していた。それがあまりにも見事で思わず引き込まれる。この人は何者?

 米疾病対策センター(CDC)で所長代行を務めるリチャード・ベッサーさん(49)という人だった。連日、記者会見やインタビューでテレビに登場し、新型インフル関連の最新情報を発信する。目下、政府の危機管理の顔だ。

 話を聞いていると、危機なのに不安でなくなる。やさしい言葉ながら自信と責任感がにじむ。予防について質問されると「小さいころ教わった、よく手を洗う、せきをする時は口を覆う、をみんなでやれば、広がりを抑えられます」。分かっていることと、分かっていないことを正直に区別して語るので信じられる。

 大学時代の専攻は経済学。卒業後、南アジアを旅し医療の国際格差に衝撃を受けた。医学の道に進み、小児科の臨床経験を積む。バングラデシュでコレラ対策を研究し、カリフォルニアでは医療関係のテレビリポーターもした。リンゴ園でシカのフンを丹念に調べ続け、ある感染症のもとを突き止めたこともある。

 1月に代行になる前はCDCでテロへの準備や危機対応を担当する責任者だった。着任日にハリケーン・カトリーナが上陸。危機時のコミュニケーションや連携のあり方などを学んだという。傍ら、職場のあるアトランタで小児科のボランティア医もしてきた。やはりただ者でなかった。

 手元にある情報量と対策の準備度が仮に同じでも、誰がどのように語るかで、危機の結果は大きく変わり得る。日本のベッサーさんは誰?(経済部)

 

毎日新聞 2009年5月1日 東京朝刊


もう見た?=福本容子

2009-05-10 | Weblog



 本の良しあしを表紙で評価するなかれ。

 
この英語の格言に今週何度も出会った。「本」とは人の才能で「表紙」は容姿と置き換える。英テレビの歌唱コンテストに出て一躍世界的スターになったスコットランドのおばさん、スーザン・ボイルさんのことだ。

 確かに彼女のビジュアルと声の落差はかなりのもの。インターネットの動画サイトでオバマ大統領顔負けの記録的ヒットになった理由の一つはそこだろう。毒舌で有名な男性審査員が素直に圧倒される様が小気味いいのもある。

 そしてスーザンさんの道のり。田舎の教会でボランティアをしている無職の独身中年。プロの歌手を夢見て数多くオーディションに臨むも、ことごとく敗れた。介護していた母親が2年前に亡くなり歌から遠ざかる。もう若くないし、とあきらめかけた時、歌の恩師に「もう一度」と背中を押され最後の賭けに出た。

 感動は人に伝えたくなる。私がユーチューブを見たのも遠く離れた親友がメールで教えてくれたから。すぐ何人かに「もう見た?」と転送。その集積が何千万件の閲覧だ。

 「ネット時代の動画は贈り物」と言うのはメディア論が専門のジェンキンス米MIT教授だ。「スーザンの映像は、笑い、涙、夢がかなうかもという希望、と多くの感情を生みます。その体験を大事な人と共有したい思いが現象の後ろにあるのです」。教授自身、大勢にネット経由で教えてあげた1人である。

 お金をかけず世界の何千万人と「わあ」や「へえ」を共有できる動画サイト。明るさを拡散させようとする力が働いた時の威力に気づかされる。

 当然、80年前にはなかった。大恐慌と今を単純に比べていけないもう一つの理由。(経済部)


 

毎日新聞 2009年4月24日 東京朝刊


毎日新聞コラム 「発信箱」/2009・4・23~4・30までのスクラップ

2009-05-10 | Weblog

オタク首相=与良正男



 同じ土俵に上がりたくないが、どうも勘違いしているようだから書く。先の記者会見で麻生太郎首相がファッション誌を取り出し、「表紙の顔を見て名前が言える人?」「あゆ(浜崎あゆみ)、香里奈、エビちゃん(蛯原友里)といわれる人」などと得意げに語ったという一件だ。

 イチローが安打数の日本プロ野球記録を更新した時には水島新司さんの野球漫画「あぶさん」に話を転じ、「あぶさんっていくつ? 答えて」と記者団に尋ねて、「何だ、新聞記者っていうのはアレだねぇー」と上機嫌だった。

 私はあゆとエビちゃんしか分からなかった。あぶさんも年齢までは知らない。だが、「首相なのだからもっと別の知識や教養も身につけてほしい」と嘆きたくなったのは私だけではないはずだ。

 言いたいのはそれだけではない。アニメや音楽、ファッションなどが日本文化の底力だという首相は「2020年には20兆~30兆円の産業に育成したい。販路開拓や資金提供を一体的に行う組織を創設する」とも会見で表明した。

 あまり新聞は読まないという首相は、さぞかし新聞記者は古臭いと思っているのだろう。でも毎日新聞の社説でさえ(!)、例えば04年9月、「文化競争力を強化するには」と題してアニメなどのオタク文化を論じ、「日本文化の輸出競争力は彼らに支えられている面が大きい。もっとオタクに学ぶべきではないだろうか」と書いている。特段、新しい発想でもないのだ。

 支援は大いに結構だが、新組織とか言って役所がこうした分野に口出しし過ぎると魅力がうせるのが常。もしや、新たな天下り組織でも作るつもりか、と突っ込んでみせるのが今風の議論であろう。(論説室)

 

毎日新聞 2009年4月23日 東京朝刊







野火と壁の恩恵=伊藤智永


 万緑という季語がぴったりの季節になった。休日は家の裏山をはさんだ谷戸を散歩する。戦後間もなく大岡昇平が住んでいた借家が、60年たった今も残り、その前にしばしたたずむ時間がいい。

 ここで「野火」に手を入れ、「続俘虜記」「中原中也伝」「武蔵野夫人」を書いたのか。そう思うと、平屋が何だか聖地のように見えてくる。

 今年生誕100年。没後20年が過ぎてなお、大岡に代表される戦後派文学は、私たちの源泉であり続けている。

 例えば2月に東京で見た野田秀樹作・演出の芝居「パイパー」。宮沢りえ・松たか子競演の話題作だったが、人肉食というテーマの核心部で、「食べてはいけないものを食べようとする私の右手を私の美しい左手が上から握る」という「野火」の有名な一節がセリフに使われていた。

 言葉遊びや古典の縦横な引用は野田演劇の特徴だとしても、主題を語るイメージや表現が戦後派文学からの借り物では、後世代としていかにも独創に乏しくはないか。

 あるいは村上春樹がエルサレムで、イスラエルのガザ攻撃を批判した演説。国家や戦争といった社会の強大なシステムを「硬い大きな壁」、壊れやすい個人の尊厳を「卵」にたとえて反響を呼んだが、同じ「小説家の嘘(うそ)」なら安部公房や埴谷雄高が、もっとずっと上手についていた。

 世襲のひ弱さは、果たして政治だけの問題だろうか。

 早くも東京オリンピックの前には「戦後文学は幻影だったか」という論争が起きた。大岡は当時、自分たちが「多くの失敗作にもかかわらず、くり返し問題にされるのは、その思想に人生の普遍に根ざしたものがあったからだ」と自信たっぷりに反論した。(外信部)

 

毎日新聞 2009年4月25日 東京朝刊






ユニクロパパ=潟永秀一郎


 《着がえても着がえてもユニクロ》 今年読んだ川柳で一番笑って、一番しみじみした一句だ(ビッグコミックオリジナル09年4号掲載)。

 “本歌”はご存じ、漂泊の俳人・種田山頭火の「分け入つても分け入つても青い山」。あてどもない旅の始まりのわびしさや戸惑いを表した名句とされるが、冒頭の句も、おかしみの中に、家計のやりくりに追われる家庭の悲哀がにじんで、深い……というかまあ、我が家そのもので胸が痛かったのですが。

 私ごとながら、愚息2人が大学と高校に通う今、妻は毎月、財務省主計局もかくやという真剣さで家計簿に向かっている。2人の大学卒業まで順調に行ってあと5年。うち2年間は大学が重なり、収入の半分が授業料と仕送りに消える計算だ。久々に会った同級生も「ここが踏ん張りどころ」と小遣いを減らしていた。

 が、思う。標準的なサラリーマン世帯の多くが40代、教育費負担で30代より生活が苦しくなる国は正常なのかと。いや、苦しくとも出せる家庭はまだいい。大学の初年度納付金は国立でも約80万円。リストラで転職し、年収が半減した鹿児島の知人は「自分がしてもらったように子供も県外の大学に進ませたいが、無理かもしれない」と嘆いた。

 この未来図が見えるから、サラリーマンになった同級生の大半は、子供は2人以下だ。政府は出産から幼児期の子育て支援に重きを置くが、子供の数を決める最大要因は中高年時の生活設計、というのが私の実感だ。OECD(経済協力開発機構)加盟30カ国で高校の授業料が有料なのは5カ国だけ。選挙目当てのバラマキ公約はご免だが、次世代のため、総選挙は教育政策に注目するつもりだ。(報道部)

 

毎日新聞 2009年4月26日 東京朝刊






文明の十字路=福島良典


 宗教の熱情は時に芸術にも暴力の牙をむく。トルコ・イスタンブールのアヤソフィア大聖堂。キリスト教のモザイク画は、偶像崇拝を禁じるイスラム教のオスマン帝国時代にしっくいで消された。

 トルコはアジアか、欧州か--。4月上旬のオバマ米大統領の欧州・トルコ歴訪を機に問いかけが熱を帯びている。「欧州の一部」と断じたオバマ大統領。これに「口出し無用」とかみついたのが、サルコジ仏大統領らだ。

 異文明が出合う時、火花が散る。オスマン帝国時代から欧州はトルコとの緊張関係の中で生きている。根底には「キリスト教を母体とする欧州と、イスラムは共存できるか」という難題が横たわる。

 トルコ人作家のオルハン・パムク氏は小説「わたしの名は紅」でオスマン朝に仕える細密画家の世界を描き、「欧州とイスラム」の摩擦に光を当てた。小説では、「人間の視点」による西洋の遠近法を取り入れる欧州派の画家と、それを「アラーへの冒とく」とみなすイスラム伝統派が敵対し、殺人事件に発展する。

 だが、パムク氏が信じるのは欧州とイスラムの接触による相乗効果だ。「トルコが欧州連合(EU)に加盟すれば、欧州はより寛容、多文化になる。トルコの民主主義にとっても良いことだ」と語る。

 トルコは近年、EU加盟を目指して国内改革を進めてきた。だが、EUの欧州議会選挙(6月)を控え、欧州の一部政党では、社会の閉塞(へいそく)感に乗じて、加盟反対世論にこびる動きも出始めている。

 経済不況下、排他的なナショナリズムで内向きにならずに、「開かれた欧州」の精神を堅持できるのか。トルコとどう向き合うかは、EUの懐の深さを占う試金石だ。(ブリュッセル支局)

 

毎日新聞 2009年4月27日 東京朝刊







点と線の愉悦=玉木研二


 松本清張は推理小説「点と線」の登場者に時刻表の魅力をこう独白させている。

 <そこにはたいそうな人が、それぞれの人生を追って降りたり乗ったりしている。私は目を閉じて、その情景を想像する。そのようなことから、この時刻には、各線のどの駅で汽車がすれ違っているかということまで発見するのだ。たいへんに愉(たの)しい>

 そこから巧妙なトリックが考案されるのだが、その時刻表の<孤独な、夢の浮遊する愉しさ>は作者自身のものであったに違いない。

 敗戦で復員した清張は、北九州・小倉の朝日新聞社の広告図案の職に戻った。8人家族の生活は苦しい。彼は休日を利用し、ホウキ仲買の内職を始めた。月1回は列車で広島まで行って注文を取る。限られた時間と旅費でもっと効率よく、他の町も回れないか。時刻表を調べて日程を立て、大阪、京都まで足を延ばした。(自伝「半生の記」)

 40歳前。生活に追われ、希望もなく、おそらく最も苦しかった時期である。実際、もっと直接的な動機があったら自殺を企てたかもしれないと彼は書いている。家から新聞社へは線路を歩いて通った。そのずっと先に東京があったが、数年後作家となった自分がそのずっと先にいようとは想像もしなかっただろう。

 今、通算1000号を迎えたJTB時刻表5月号に敗戦直後の全国路線図が復刻されて付いている。目を凝らして見ると東小倉から1本線が南下し、日豊本線と交わる。清張が毎日歩いた線だ。廃線で現在の路線図にはない。

 私はそこに、ぼろ兵隊靴で砂利と枕木を踏み通勤する清張の孤影と、時刻表で未知の土地へ愉悦の想念をめぐらす彼とを思い描いて飽きない。(論説室)

 

毎日新聞 2009年4月28日 東京朝刊






老いてこそ=磯崎由美


 読んだら早く老人になりたくなる本を出したい。鴻池雅夫さん(78)がそんな思いで「老人讃歌(さんか)」(燦葉出版社)を書いたのは55歳の時だ。当時は山形県・鶴岡教会の牧師で幼稚園長だった。

 子どもと高齢者にはどこか通じる神秘的な力がある。なのになぜ老人だけ厄介者と見られるのか。地域の講演会で「老人の生きがい」をテーマに語ってほしいと言われるたびに「生きがいもない存在」というまなざしの裏返しと感じ、礼拝に来る農村の高齢者たちが生き生きと暮らしている姿をつづった。

 それから23年たった今春、「続 老人讃歌」を出版した。後期高齢者医療制度への憤りに背中を押されたという。平均寿命は延び、パワフルな団塊世代も還暦を超えた。時代は変わったと思っていたのに「効率優先で、若くなければ社会の役に立たない。病気がちな老人は今もお荷物としか見られないのか」。

 この間、自らも老いと病を経験した。同時に地元病院の嘱託カウンセラーとして患者や家族の話を聞く「しあわせ医療」を始めた。新刊はその実践で気づいたことを書いた。例えばがんなどで入院してきた高齢者は、初めのうち将来を悲観するばかり。それが次第に穏やかによく笑うようになり、逆に鴻池さんを励ましたりもする。なぜか。

 「入院することで、人間本来の姿になるのでしょう」。元気な時には自分のことばかり考えがちだが、病んで社会から切り離され、人に大事にされるうちに人を大事にすることを知る。それを鴻池さんは「成長」と呼ぶ。

 老老介護の果ての心中や殺人。長命時代の悲劇を取材する中で、鴻池さんの言葉に触れた。とても新鮮に響いた。(生活報道センター)

 

毎日新聞 2009年4月29日 東京朝刊







危機管理力=与良正男


 ここしばらくの内閣で、危機管理能力の欠如を最も厳しく批判されたのは村山内閣だったろう。

 1995年1月の阪神大震災。当時の村山富市首相は地震の発生を午前6時ごろのテレビニュースで知った。後に村山氏が語ったところによれば、映像は神戸ではなく周辺の京都や滋賀のもの。役所からの情報は入らず、首相自ら関西の知人に電話をかけて状況を聞き続けたという。

 一方、東京にいた国会議員の関心は、発生後しばらくの間、もっぱら前夜まで続いていた旧社会党の分裂騒動の方にあったと記憶する。

 背筋が寒くなるような光景だ。だが、今でこそ当たり前の存在になっているが、首相官邸に24時間体制の危機管理センターなどができたのは震災後のことだ。つい最近まで私たちメディアを含め、国全体に危機対応という意識が乏しかったことは、何度でも思い返していい。

 大震災と今度の新型インフルエンザ対応とでは無論違う。でも、村山氏があの時の教訓として挙げる素早く的確な情報収集と事態の見極めが、危機管理の基本であることには変わりはない。パニックや風評被害の防止など極めて難しい対応も想定しておかなくてはならないだろう。

 「初動体制の遅れは弁明しようもない。もう少し早く手を打てれば死なずに済んだ人もいると思うと……」と語る村山氏は時のリーダーとして今も重荷を背負い続ける。

 ことさら大げさに騒ぎ立てるのは慎むべきだろうが、リーダー=麻生太郎首相の言動と統率力、いや、政権そのものの力が試される局面になるかもしれない。まず初動が肝心だ。麻生首相もそれは百も承知だろう。(論説室)

 

毎日新聞 2009年4月30日 東京朝刊


モラトリアム=磯崎由美

2009-05-10 | Weblog




 「やっと内定出ました!」。就職活動の取材で知り合った女子学生が電話口で声を弾ませた。不況で門戸が狭まる中、第1志望の大手で働けることになるのだから、どれほどうれしいことだろう。

 学生たちに聞いた今の就活事情は、私が経験した20年前とは全く違った。スタートは3年生になったばかりの6月。各企業は夏休みにインターンシップを実施し、既にこの段階で優秀な学生に目を付ける。彼女は前期試験と重なる時期に13社の企業情報を調べ、エントリーシート(志望書)をぎっしり書き込み、参加資格を得た。就活を優先しすぎた友人は単位を落としたうえ、インターンシップにも採用されなかったという。

 青田買いが横行し、就職協定が「意味がない」と廃止されたのは97年。以来、優秀な人材を求める企業は採用スケジュールを早め、少子化の中で生徒を確保したい大学も大企業への入社率を上げたいのが現実だ。

 「できれば就活は卒業の半年前が良かった」。やはり志望企業に内定をもらった男子学生が言う。「社会人になる準備をしたのに、まだ入社まで1年もある。この1年間で自分は随分成長したし、きっと1年後も変わっている。その時、今の選択で良かったと思えるのでしょうか」

 かつてキャンパスライフは否定的な意味合いをこめ「モラトリアム(猶予期間)」と称された。実社会に身を投じる前の特別な時間に、若者たちは達成感や挫折を重ね、自分の土台を築く土をこねた。私の時代がすべて良かったわけでもないが、あのころは無意味に思えたことも、社会でちゃんと生きている。

 今の学生たちが何だか気の毒になってきた。(生活報道センター)


 

毎日新聞 2009年4月22日 東京朝刊


国勢調査=玉木研二

2009-05-10 | Weblog



 <事実に依(よ)るので、本人同士が夫婦と思ひ、近所隣の人々も夫婦と認めて居るものなら、即ち夫婦とするので、戸籍の届け出のあるなしには依らないのであります>

 別に事実婚の奨励文でもない。89年前の大正9年、初めての国勢調査を前に、東京市が新聞に出した広報の一節である。1ページを全部つぶして細々と記入例や注意を並べている。二十数万人動員のこの調査はお祭り騒ぎだが、これでやっと近代国家にという気負いが底にあった。

 実施日時10月1日。当時は午前0時時点の居住実態をありのまま記録する方式をとった。折しも台風が列島を直撃したが、調査員たちは深夜の担当区域に散る。東京朝日新聞は浅草のルポを載せた。

 <大提灯(おほぢやうちん)の下に素肌に単衣(ひとへ)の一群が十五人ばかり。係が鉛筆と手帳を出して「名前は。生まれた年は」ときく。「長崎です。嬶(かかあ)もありましたが三年前に死に別れて……」と顔をそむける。「商売は何だね」「乞食(こじき)です」>

 水上生活者も多くいた。調査員は小さな荷足舟(にたりぶね)で向かったが、風雨と増水で断念せざるを得なかったと記事は報じている。命がけだった。

 現在調査は5年に1回。社会のプライバシー意識の高まりから調査員の書き漏らし点検を嫌がったり、オートロックが増加したりで訪問回収が次第に難しくなったという。ついに来年の調査から票は面会回収にこだわらず、郵送もいいことになった。精度はやや落ちても回収率低下に歯止めをということなのだろう。

 「ありのままを」。ぬれネズミの調査員が路上生活の母子に呼びかける。第1回の様子を朝日は書いているが、今なら、たぶん、冷笑か不審の目で射返されるだけである。(論説室)


 

毎日新聞 2009年4月21日 東京朝刊


イランの夜明け=福島良典

2009-05-10 | Weblog



 獄中ハンストで抗議する意向だという。イランで禁固8年の1審判決を受けた日系米国人の女性記者、ロクサナ・サベリさん(31)。記者証を取り上げられた後も記者活動を続け、入手した情報を米政府に流していたとしてスパイ活動の罪で起訴されていた。

 ペルシャ語由来で「夜明け」を意味する名前を持つロクサナさん。父親はイラン人、母親は日本人。支援団体のウェブサイトに掲載された写真では、ハタミ前イラン大統領と並んで笑顔を見せている。日本人の血が流れているのが分かる東洋的な顔だちだ。

 6年前から米英メディアにイラン、アラブ諸国の素顔や人々の暮らしを報じてきた。父親のレザ・サベリさんによると、最近は大学でのペルシャ語とイラン文化の勉強に力を入れていたという。

 オバマ外交の始動を受け、欧米はイランに核問題での対話を呼びかけ、イランも応じる構えだ。アフガニスタンの安定を目指して米・イランの高官接触も始まっている。

 正式な外交関係のない両国の国籍を持つロクサナさん。米政府は3月末、早期釈放を促す書簡をイラン側に手渡した。だが、身の上を案じ、釈放を求める家族らの訴えは、核問題などの「大きな政治」の陰に隠れてしまいがちだ。

 支援関係者の間では「米国との取引材料に使われるのではないか」との憶測が流れる。「日本はイランと関係が良い」。レザさんは日本政府の仲介にも期待を寄せていた。

 対話外交の名の下に米国とイランは近く、関係改善に向けての「夜明け」を迎えるかもしれない。だが、両国の指導者は、国家関係に翻弄(ほんろう)される個人の運命を忘れないでほしい。ロクサナさんの弁護側は控訴する意向だ。(ブリュッセル支局)



毎日新聞 2009年4月20日 東京朝刊


ロシアよ、動け=広岩近広

2009-05-10 | Weblog




 旧ソ連(ロシア)によるシベリア抑留について、司馬遼太郎さんの一文「無辜(むこ)の悲しみ」を読んだ。舞鶴引揚記念館(京都府舞鶴市)がパネルにして展示している。司馬さんは、こう書いていた。

 <20世紀は、近代国家群による蛮行の時代で、それ以前の世界史にはない巨大な不幸をつくりに造った。シベリア抑留は、その最(さい)たるものだった。“祖国”といわれたものの実体は亡(ほろ)び、ひとびとは国際法に拠(よ)らざる--ロシア・ソ連の野蛮な国内慣習--にひきこまれ、罪なくして死の労働を強いられた>

 司馬さんのロシア観がのぞいている。北方領土交渉などをみるかぎり、私には誠意の深さが読み取れない国との印象がある。

 このロシアと米国の対立は冷戦となり、戦後の国際社会に脅威と不安を落としてきた。朝鮮半島の分断で生まれた北朝鮮は、他国の上に弾道ミサイルを走らせる横暴国家として存在している。だが、そこに住む民衆に罪はなく、「無辜の悲しみ」が現存していよう。だから私は、冷戦の原罪こそ問いたい。

 冷戦の産物といえば核軍拡だが、やっと明るいきざしが見え始めた。米国のオバマ大統領が核兵器の廃絶を究極的目標にすると、あらためてプラハで宣言したからだ。

 そこで一方の核大国であり、米国と冷戦を演じてきたロシアである。米国が申し出た核軍縮交渉に難題を持ち込んではなるまい。

 東西冷戦が終わっても負の遺産は残っている。脅威と不安を解消する役目が、米国だけでなくロシアにもあるはずだ。両国は歴史的責任を負っている。米国が前へ動いた以上、ロシアは国際社会に誠意を示さねばならない。(編集局)


 

毎日新聞 2009年4月19日 東京朝刊


100年前の朝鮮報道=岸俊光

2009-05-10 | Weblog




 大阪毎日新聞特派員、高石真五郎がオランダ・ハーグから放ったスクープ記事は、一大センセーションを巻き起こした。1907年、韓国密使事件の始まりである。

 日露戦争の勝利を背景に、この2年前に結ばれた日韓協約で韓国の外交権は奪われていた。皇帝・高宗は日本の強圧による協約の無効をハーグ平和会議で訴えようと、3人の使節を派遣したのだった。

 のちに主筆、会長を歴任し東京五輪、札幌五輪の招致に尽くす高石も、当時は28歳。密使を探しだし面会した唯一の日本人として、彼らが露英米仏に取り合ってもらえないことなどを連日報じる。世は帝国主義の時代だった。

 村瀬信也上智大教授によると、そうした中でも使節たちは高石を信頼し内実を詳しく打ち明けていた。「あなたは新聞記者だから会うが、日本の官僚に会う必要はない」と語った記録も残っている。

 「赤心より国家の衰亡を憂ひ、進んで此(この)任に当れる如(ごと)き概あり」。立場は違っても、高石は使節への賛辞を惜しまなかった。「西洋中心だった19世紀までの国際法を拒絶したことは普遍的意味を持つ」と評価する村瀬教授は、モスクワに住む、最年少の密使の孫を突き止め話を聞いた。

 朝鮮半島の安全保障はいつの時代も日本の難問だ。北朝鮮ミサイル発射をめぐり国連安保理は議長声明で決着したが、安定化の道は遠い。

 約100年前、民族自決の声を伝えた高石の報道に日本は硬化し、皇帝の引責退位につながった。日々に追われる新聞人が歴史にたえる識見を備えるのは簡単でない。それでも多くの人に会い国際社会の現実を伝える仕事は、一方に傾く世論に訴える力をいまもきっと持っている。(学芸部)


 

毎日新聞 2009年4月18日 東京朝刊


「第2位」が問うもの=福本容子

2009-05-10 | Weblog



 日本の話題で「世界第2位の」と来たら、普通「経済大国」と続く。パリに本部がある経済協力開発機構(OECD)の報告書にある世界2位は違った。1位にぐんぐん迫っているのが悲しい2位--自殺率である。

 人口10万人あたりの自殺者数で日本は20・3人となり、先進29カ国中2位。全体が減り続ける中、日本だけ高止まりだ。1位はハンガリーの22・6人だったが、80年代のピークから半減している。

 報告書「09年ファクトブック」にはこうある。「自殺率と国の経済水準は無関係だが生活満足度とは関連がある」

 確かに、国民の生活満足度で最低はハンガリー、日本は下から4番目だ。もっと詳しく見ていくと「2位」の輪郭が浮かんでくる。「昨日感じたこと」の調査で「私は大切にされている」の回答率が日本は最下位、「誇らしいことをした」も下から2番目。逆に「憂うつ」の多さは1位だった。「この1カ月で見知らぬ人を助けた」の回答率が一番低かったのも気になる。

 ハンガリーも、自殺を減らしたことで有名なフィンランドも、心の健康を重くみた自殺防止に国を挙げ取り組んできた。そのフィンランドでの調査に興味深い結果がある。「働きがいを高めてくれるもの」で最も答えが多かったのが「給料」でも「雇用の安定」でもなく「役に立っていると感じること」だったのだ。

 国によって事情は違う。昨年、日本で命を絶った3万2249人(警察庁調べ)には3万2249の背景がある。それでも、もっと頼り頼られる社会になったら救われる命もあるのでは。役に立った、必要とされている、と感じる気持ちは、思った以上に大きな力なのかもしれない。(経済部)


 

毎日新聞 2009年4月17日 東京朝刊


忘れてはいけない=与良正男

2009-05-10 | Weblog



 一時は忘れ去られたかのようになっていた消費者庁構想が動き始めたのはよかった。と評価しながら、改めて気づくことがある。このほかにも、どれだけたくさんの大事な政治課題が置き去りになっているか--である。

 例えばしばらく前までは、与党の議員も声高に叫んでいた「行政のムダ・ゼロ」話。消費者庁構想と同じ福田康夫前内閣の時に、政府は行政支出総点検会議なる有識者組織を作り、特別会計支出を約5600億円削減するなど提言は一定程度反映された。

 税金の無駄遣いこそ今も政治と行政に対する国民不信の核心だと思う。だが、会議は昨年暮れで事実上店じまい。15兆円の税金を投入する追加経済対策を見るように、舌の根の乾かぬうちに最近は大盤振る舞い路線に逆戻りだ。

 後期高齢者医療制度もそうだ。舛添要一厚生労働相は昨秋、「抜本的見直しを」と大見えを切った。ところが、いつしか、与党に判断を委ね、抜本的見直しとは到底言えない状況になっている。

 約束したことを現政権はきちんと実行しているか。それを検証したうえで、次の公約を選挙で各党が競い合う。そこで有権者は政権継続か、政権交代かを選択する。それがマニフェスト選挙だ。大半の地方自治体では当たり前になっているのに、国政ではなかなかそうはならない。

 政権の都合で忘れられている話を思い出させ、厳しく点検するのは、もちろん私たちメディアの仕事だ。そして、それは野党の責務でもある。

 与党も無責任だが、「政治家とカネ」という「政策以前の問題」(佐々木毅元東大学長)で、黙りこくったままになっている今の民主党が何ともふがいない。(論説室)



毎日新聞 2009年4月16日 東京朝刊


金の卵=磯崎由美

2009-05-10 | Weblog



 在宅介護の現状を伝えた連載「家族が危ない」を授業で取り上げた群馬県立伊勢崎興陽高校から、記事を読んだ生徒たちの感想文が届いた。

 <共働きの両親のかわりに私の面倒をみてくれたのがひいおばあちゃんだった>。ある生徒の書き出しにはこうある。優しい曽祖母が他の家族に疎まれていたことを、幼いころから感じていたという。そして曽祖母は自殺を図り、家族にまた責められる。<「苦労をかけてごめんね」と病室のベッドで言われ、涙が止まらなかった。少しでも気遣えたら、もっと笑える生活ができたのかもしれない>

 別の生徒は認知症の祖母とのことを書いていた。<同じことを繰り返し言ったり、何回もごはんを食べたりされると、どなって手をあげてしまいたくなることもよくあります。老老介護だったりすると、なおさら大変だろうなと思います>

 伊勢崎市は首都圏の食を支える近郊農業が盛んだ。同校は農業高校を母体とする総合学科の高校で、福祉系列を設けて5年になる。授業を企画した中山見知子教諭(42)は「福祉系のクラスには祖父母と同居していたり、高齢者とかかわりのある生徒が多い気がします」と話す。身近な老いと葛藤(かっとう)し悩む日々から、介護や福祉への関心が育っていくのだろう。

 それでも卒業生の多くは別の道へ進む。在学中に国家資格を取っても、周囲に将来を案じられ、一般企業に就職していった子もいるという。

 政府・与党の追加経済対策には、介護分野での雇用創出や待遇改善も盛り込まれた。不況下の一時的な取り組みにとどまらず、子どもたちの思いをはぐくんでいけるか。政治の思いが試される。(生活報道センター)

 

毎日新聞 2009年4月15日 東京朝刊