点字ブロック=萩尾信也
東京都新宿区。JRと西武線と地下鉄が交錯する高田馬場駅周辺には、点字図書館や盲人福祉センターなどの視覚障害者用施設が点在し、「日本で一番、盲人の歩行者が多いエリア」と言われている。
当然、街のあちこちに点字ブロックが整備されている。丸い点状の凹凸は「注意」、平行して並ぶ線状の凹凸は「進行方向」を示す。目の不自由な人はその形を白杖(はくじょう)で探りながら歩く。
4月中旬の夕刻のことだ。通行人でにぎわう駅前広場で知人と待ち合わせをしていると、左手の改札から白杖を手にした中年の男性が、点字ブロックの上を歩いて来る。
約束時間になっても現れない相手を探して、目を反対側に転ずると、右手からはビジネスバッグを小脇に抱えたスーツ姿の青年が、足早に改札の方向に向かっていく。
そんな2人がすれ違った。
と! 突然、青年が立ち止まり、きびすを返して白杖の男性を追い越していく。その行く手には、1台の自転車。点字ブロックの上に、はみ出すように止めてある。
青年は自転車を歩道の隅に片付け、腕時計に目をやると、再び急ぎ足で駅に向かう。そして、事のてん末を知らぬままに白杖の男性が無事に通り過ぎる。
街角で目撃したさりげない思いやり。
ちなみに、点字ブロックは1965年に日本で生まれた。岡山県で旅館業を営んでいた三宅精一という「街の発明家」が、交差点を渡ろうとした視覚障害者がクラクションを鳴らされてうずくまる姿を目撃。「安全に街を歩ける方法はないか」と、私財を投じて開発したそうだ。
点字ブロックにはそんな思いやりが込めてある。(社会部)
毎日新聞 2009年5月3日 東京朝刊
人間の健康=福島良典
「人類の救済なんて、大げさすぎる言葉ですよ」「人間の健康ということが、僕の関心の対象なんです」。フランスの小説家アルベール・カミュ(1913~60年)は「ペスト」で、患者の治療にあたる無神論者の医師リウーにそう語らせた。
他人とかかわることで生命が危険にさらされる伝染病は、人間社会のきずなの脆弱(ぜいじゃく)さをあぶり出す。流行をきっかけに「自分だけは助かりたい」という人間の自己保存本能が暴走しかねないからだ。理性の手を離れて。
国家関係でも同じだ。新型インフルエンザの感染者を多数抱える国は自国経済への打撃を避けるためにも「パニック回避」を呼びかけ、他国は水際作戦や渡航制限に躍起になる。普段は「友好関係」のオブラートに包まれている国家のエゴがむき出しになる。
欧州連合(EU、加盟27カ国)も、治療薬の備蓄共通化を巡り、足並みが乱れた。EUとして治療薬などを一括管理して、流行が発生した加盟国に投入するというイタリア提案の「治療薬・ワクチンバンク」構想が他加盟国の賛同を得られなかったのだ。
浮かび上がるのは、我先にと治療薬の抱え込みに走る加盟国の姿だ。人の移動が自由なEU域内では対策の共通化が不可欠のはずだが、仕切り役の行政府・欧州委員会も、各国の治療薬備蓄状況を完全には把握できていない。
「EU益に合致するのか、それとも加盟国の国益追求か」。新型インフルエンザの感染拡大への欧州諸国の対応に、知り合いのイタリア人記者の口癖を思い出した。
疫病が猛威を振るうほど、個人も、国家も、他者を思いやるという「人間の健康」の質が問われている。それを人は連帯と呼ぶ。(ブリュッセル支局)
毎日新聞 2009年5月4日 東京朝刊
秩父の樹影=玉木研二
埼玉県の西奥、秩父に初めて行った。この地方は東京、山梨、長野、群馬に接し、ひしめく山塊の間に盆地を抱く。岩を侵す荒川は名勝長瀞(ながとろ)を抜け、遠く東京湾へ注ぐ。
ここに「困民党」と呼ばれる貧窮農民らの武装決起「秩父事件」が起きたのは、1884(明治17)年の晩秋のことだ。彼らは明治政府のデフレ政策や生糸暴落で多額の借金を抱え、銀行や高利貸につけ込まれていた。役所、警察に助けを求めても「当事者同士で」とそっぽを向く。ワイロが動いていたらしい。
決起した彼らは高利貸を襲って証文を焼き、役人や警察官が逃げ出した中心地・大宮郷(現秩父市)を占拠した。ここに初めて「無政の郷」すなわちコミューンが出現し、資金受領書は「革命本部」名で出された。集まった農民らは1万人ともいわれる。
幹部の分担や軍律が明文化され、戦闘形態もとった。従来の一揆や暴動と異なる反圧政と人権の意識もそこには芽生えていた。政府は驚き、軍を出動させる。農民らは火縄銃程度の火力では太刀打ちできない。「革命劇」は短かった。敗走が始まり、一部は長野県に転じ再起を図ったが、野辺山高原に果てた。決起からわずか10日間だった。
連休の秩父は観光でにぎわい、長瀞の奇観と川下りに歓声が上がる。秩父事件を重ねて思えば、私たちの目を楽しませる景観は、岩多く険しい土地で狭い耕地を守ってきた困民の象徴と見える。ひだが幾重にも切り込み、森影深い地勢。これが分散集落のひそかな連絡を助け、連帯の「山林集会」も度々開けた。
昨今、働く場から疎外され、切り捨てられる人々に必要なのは、分断分離を補う樹影かもしれない。(論説室)
毎日新聞 2009年5月5日 東京朝刊
届かない叫び=磯崎由美
工場地帯の運河はひどく暗い色をしていた。片隅には手向けられた花束と、あどけない似顔絵。寂しい風景が今も忘れられない。
01年8月、兵庫県尼崎市。6歳だった勢田恭一君は児童養護施設からの一時帰宅中、実母と義父から30時間に及ぶ暴行を受け、運河にゴミのように捨てられた。よどみを漂うポリ袋から小さな腕がのぞかなければ、通りかかった作業員が目を凝らすこともなかっただろう。
施設側は「何とかいい親になります」と訴える母親の言動に愛情の芽生えを感じ、一時帰宅を認めた。一方で恭一君は帰宅の朝、荷物をまとめながら「いややなあ……」と漏らしていた。小さな叫びは届かなかった。
あれから8年。事件は繰り返され、そのたびに同じ言葉を聞いた。「あと一歩踏み込んでいたら」。奈良の山中に先月捨てられた松本聖香さんは9歳。学校は親の虐待に気づきながら、児童相談所に通告しなかったという。
児童虐待防止法は今秋施行10年目を迎える。この間、家族への危機介入を進める法的な強制力は強まった。それでも最悪の事態を防げないのは、法が変わっても人の意識が変わらないからではないか。他人の家族にかかわることへのためらいは、プライバシー保護の壁に阻まれ、強まったようにも思う。加えて深刻な不況も家族の土台を危うくしていくかもしれない。
児童虐待の検挙件数は昨年過去最高を更新し、この10年間で救えなかった命は450人を超えた。近所で尋常でない怒声を聞いたら。小さな体にあざを見つけたら。育てる力のない親はもはや珍しくない。一人一人が「一歩踏み込む」決意をするしかない。(生活報道センター)
毎日新聞 2009年5月6日 東京朝刊
イタリア式結婚=福本容子
「若い女を追っかけてばっかり。もう我慢ならない!」と52歳の妻が72歳の夫に離婚を迫った。結婚20年目。夫とはイタリアで2位の富豪、兼首相のベルルスコーニ氏だ。
若い女好きといえばソフィア・ローレン主演の「イタリア式結婚」という映画があった。
元娼婦(しょうふ)で長年、内縁関係に甘んじてきた女が男相手に一芝居打つ。男が自分でなく若い女と一緒になろうとしたことから、重病人を装い「死ぬ前に結婚して」とゴールにこぎつけるのだ。仕掛けを知って結婚をいったん取り消す男だが、本当の愛に気付きもう一度、女と結婚し直す。映画の邦題はずばり「ああ結婚」。
イタリア式はなかなか激しい。「死ぬ前に婚約して」と(オバマ大統領から)迫られ、クライスラーとの結婚を決めたばかりのフィアット。今度は同じく重病のゼネラル・モーターズ傘下にある独オペルと一緒になろうとしている。
オペル買収を「天国で結ばれた結婚」と言うフィアットのマルキオンネ最高経営責任者。だったらクライスラー統合の方は?と聞きたくなるけど、イタリア国内中心のメーカーから一躍、トヨタに次ぐ世界2位の巨大グループに躍り出る野望があるらしい。
資金力、買収先の労組や政府との関係など困難が多い。それでも「新しいことは大きな賭けが伴う」と危機をチャンスとばかりに攻めるマルキオンネ氏である。気が多いイタリア男の火遊びで終わるか、はたまた自動車業界の世界的大再編へ発展するのか。
危なっかしくはある。けれど、挙式から何年もたつのに社長ポストは夫方、会長は妻方から、と実家を引きずり続け、全然愛が育たない和式合併より、うんとドラマチックなイタリア式だ。(経済部)
毎日新聞 2009年5月8日 東京朝刊
子どものスポーツ=落合博
少女の蹴(け)ったボールは空中で勢いを失って守備側の選手の胸に収まり、得点機はついえた。その瞬間、指導者の男性が吐き捨てるように言った。「アホッ、ボケッ」。ベースに向かって懸命に走っていた少女は分からなかったかもしれないが、男性の横に整列していたチームメートの女子小学生には聞こえたはずだった。
「ガンガン厳しく怒って鍛えないと勝てない」。そう考える指導者が少なくない。「バスケットボールの家庭教師」として首都圏で年間約400回の指導を続けている鈴木良和さん(29)によると、人格を否定するような叱責(しっせき)を受け続け、胃潰瘍(かいよう)になった女子中学生もいるという。
小学生が加盟するある競技団体はホームページで「暴力行為の断絶に向けて」と題する通知を複数回、出した。暴力行為には言葉も含まれ、勝ち負けしか頭にない指導者の存在が浮かび上がる。
「スポーツと文明化」(法政大学出版局)で、歴史社会学者のノルベルト・エリアスは18~19世紀の英国でスポーツが発生する過程と議会制度の発生の過程が相関関係にあることを指摘している。
武力を否定して議論によって物事を決める議会制度の発展とともに、野蛮な身体の闘争は非暴力化のルールを整えることで近代スポーツへと変貌(へんぼう)していく。だが、自己抑制できなければ、スポーツは容易に暴力化する。一時の感情に駆られた子どもへの暴言が「文明化の過程」に逆行することは言うまでもない。
鈴木さんは言う。「国語でも数学でも英語でもなく、スポーツだからこそ伝えられることに着目して、子どものスポーツに情熱を注ぐ指導者が増えていく。それが目指すスポーツ文化の一つです」(運動部)
毎日新聞 2009年5月9日 東京朝刊
「いざとなれば」=藤原章生
「白い歯を見せるな」。子供のころ、学校の避難訓練でよく怒られた。リーンと鳴る警報、重々しい校内放送、「机の下に避難!」と叫ぶ教師の真剣な顔、座布団をかぶる級友たち。ついうれしくなり、笑って走っていると怒られた。
聞いてみると、イタリアではこうした訓練がほとんどない。イタリア中部地震の現場で分析作業を続ける地震学者、ジュリオ・セルバッジさん(45)に日本での訓練の話をすると、「広めるのは難しい気がするな」と答えた。「大人も子供も大騒ぎになって収拾がつかなくなる。そういうメンタリティーがないし」。セルバッジさんが勤めるローマの国立地球物理・火山学研究所では生徒たちの社会科見学の受け入れを考えているが、「まだ言っているだけだからどうなるか」。
1カ月が過ぎ、中部地震を伝えるニュースは格段に減った。耐震建築の不備など行政批判もあまり聞かない。新型インフルエンザについても、国内感染者は「みな全快」と強調されていた。マスクをしている人もまず見ない。経済危機でも人々は淡々としている。2カ月後に震災地ラクイラで開く主要国首脳会議の計画も詰められていない。何につけ随分落ちついている。
それでも地震の時は瞬く間に支援物資とボランティアが集まった。誰も指揮しないが、「いざとなれば」「下手に騒ぐな」という考えが人々の根にある気がする。これをふまじめ、楽観主義と見ると、早とちりになる。ファビオ・ランベッリ氏の著書「イタリア的」(講談社)の言葉を借りれば、裏には「人生はつらいもの」という悲観的な気質が隠れている。のんきさは「悲観的状況への対応能力の表れ」なのだそうだ。(ローマ支局)
毎日新聞 2009年5月10日 東京朝刊