わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

民主化と司法の重み=近藤伸二

2008-12-15 | Weblog

 市民生活や経済に深刻な影響を与えたタイの反政府団体による空港占拠を終わらせたのは、軍でも警察でもなく、憲法裁判所だった。選挙違反事件にからんで与党3党に解党を命じ、政権を崩壊させたのだ。

 結果的に、司法が社会の混乱を収拾する役目を果たしたことになる。だが、憲法裁判事は反政府派が主流で、政府支持者は「司法によるクーデターだ」と強く反発しており、不安定な状況は解消しそうにない。

 台湾では、横領などの容疑で検察当局に逮捕された陳水扁(ちんすいへん)前総統が「政治的な迫害だ」と非難し、一部の支持者らも抗議活動を続けている。

 陳前総統の支持者らは、もともと司法を信用していない。独裁体制を敷く国民党が、検察も裁判所も意のままに動かす時代を経験しているからだ。

 司法が重みを持たない社会では、何が正義なのかあいまいになり、不正を指摘・摘発されても「開き直った者勝ち」という風潮がはびこってしまう。私が台湾をウオッチしていて痛感することだ。李登輝元総統も退任後、やり残した仕事の一つに司法改革を挙げていた。

 経済発展と民主化を達成し、アジアの優等生といわれたタイと台湾が、ともに司法の独立で試練を迎えているのは偶然ではない。直接選挙など民主主義の枠組みが整う速度に、法の支配や市民社会という意識の確立が追い付けなかったことが今日の事態を招いたのである。

 日本では来年から裁判員制度が導入される。これで国民の司法に対する信頼を高めることができるのか。司法制度でも日本がアジアのリーダーになれるかどうかが問われる。(論説室)





毎日新聞 2008年12月14日 大阪朝刊