わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

裁判官との対話=池田昭

2008-12-08 | Weblog

 彼のお陰で裁判を身近に感じたことがある。

 10年以上前の話だ。男の職業は裁判官。法廷の姿が気になった。黒の法服の右ひじ辺りがほつれて擦り切れていたからだ。 法服は七、八年もたつと傷みが出て新調するらしい。完ぺき主義者といわれた男だが、任官して20年以上になるのに、お構いなしだった。

 裁判官の初心を貫こうとする意志のあらわれか。身を乗り出して事件の当事者の話に聴き入るうち、擦り減ってしまったのか。想像し、心ひかれた。

 来年の裁判員候補者約29万5000人が選ばれた。通知が届き、戸惑っている人もあろう。実際の裁判員はさらに面接や抽選で絞り込まれるのだが、最高裁の意識調査では、裁判への参加に意欲的な人は2割にも満たなかった。

 この数字をどう見るか。彼に尋ねようにも既に亡く、同期の裁判官に会った。

 「裁判所は遠い世界。最初に負担感や不安があるのは、自然な感情でしょう。むしろ、結構いい数字」。穏やかな口調で、意外な答えが返ってきた。

 「職業裁判官でも死刑が予想される裁判には、当たりたくないものです。判決前に悩み、言い渡し後も悩みは消えない」

 模擬裁判で市民の、ごく常識的な指摘に鋭い視点を感じ、はっとさせられたことがあるという。「裁判員一人が全責任を負うわけでない。みんなの意見を聞く。批判し、励ましあう。そして判断すればいい」

 新たな世界の扉を開き、裁判官と対話するのもまんざらではない。法服の訳は聞けずじまいだったが、あの男のような裁判官に出会えるかもしれない。(論説室)





毎日新聞 2008年12月7日 大阪朝刊

トルコの仲介力=福島良典(ブリュッセル支局)

2008-12-08 | Weblog

 トルコのイスタンブールは時代によって名を変えた。古代のビザンチウム、東ローマ帝国時代のコンスタンチノープルから、オスマン帝国以降のイスタンブールへ。欧州とアジアが出会う文明の十字路には帝国の栄枯盛衰史が刻まれている。

 ブリュッセルのトルコ人市民団体が今月3日夜、9人のピアニストによる演奏会を開いた。変わっていたのは顔ぶれだ。米国、イラン、イスラエル、トルコ、アルメニア、ギリシャ、南北キプロス、エジプト--。政府レベルではいさかいの多い「敵同士」の国出身の音楽家が多彩な演奏を披露した。

 「平和のメッセージ発信を」とイスタンブール出身の演奏家、フセイン・セルメットさん(53)が5年前に作った「平和芸術家連合」の面々だ。音楽会を企画したトルコ人ジャーナリストのゼイネップ・ギョユスさん(50)は「音楽で紛争を乗り越えることができる」と語る。

 文明間対話による紛争解決に努めているのは市民団体だけではない。イスラエルとシリアの中東和平交渉を仲介しているのは穏健派イスラム系のエルドアン・トルコ政権だ。最近は、イランの核問題を巡ってオバマ次期米政権とイラン政府の間を取り持つ用意も表明している。

 中央アジアから中東にかけての地域で影響力を増し、欧州に対する地歩を固める国家戦略が透けて見える。思惑があるにせよ、トルコの仲介外交は地域の緊張緩和に貢献している。

 橋渡し役を演じる原点には「多様な人々が共生してきたトルコの歴史」(ギョユスさん)がある。音楽で、外交で、人々を引き合わせるトルコの仲介力から当分、目が離せない。





毎日新聞 2008年12月8日 0時06分