わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

元気浮揚策=福本容子

2009-02-28 | Weblog




 バンドラはインドの商業都市ムンバイにある。ゴミが散乱し汚水が流れ込むこのスラムで、10歳のアザルディン・イズメイル君と9歳のルビーナ・アリちゃんは暮らしてきた。やっと学校に通えるようになったのは、子役で出演した映画の製作会社が学費を払ってくれたためだ。

 作品賞、監督賞など8部門でアカデミー賞を取った「スラムドッグ$ミリオネア」である。スラム育ちの若者が、日本でもみのもんたさんが司会をしたあのクイズ番組に出演し、過酷な実体験で得た知識を味方に勝ち進んで、幼なじみの女の子をギャングから救うというお話だ。

 全編がムンバイで撮影され、出演もほとんどすべてインド人。国民的作曲家のA・R・ラーマンさんが音楽を担当し作曲賞と主題歌賞をもらったから、地元は歌うの踊るの大歓声の大騒ぎだ。「希望の勝利」。英字紙「ヒンズー」はたたえた。

 希望と喜びをもらったのは、スラムの人たちだけではない。ハリウッドの授賞式でオスカー像を手に丸い目を輝かせたルビーナちゃんや「情熱と信念の二つがあれば何でもかなうよ」と言ったプロデューサーの言葉が、弱った心のアメリカ人を明るい気持ちにさせた。イギリスも監督がイギリス人だから「イギリスの快挙」と誇らしげだ。

 「おくりびと」の受賞もそう。認められたり認めたりする喜びは、好景気の絶頂だとなかなかここまで味わえない。もっとこういう賞や国際大会やお祭りが要る。今みたいな時にスポンサーになった企業は「さすが」とほめられるし、足りなければ、これこそ公的資金の出番だ。保護主義などと非難されるどころか、世界から感謝される。(経済部)


 

毎日新聞 2009年2月27日 東京朝刊


小泉さんもずるい=与良正男(論説室)

2009-02-26 | Weblog




 「後が怖いから」だそうだ。定額給付金の財源を確保する08年度補正予算関連法案の再議決に小泉純一郎元首相が欠席したら処分をどうするか、自民党執行部が悩んでいるという。

 党内への影響力もさることながら、麻生太郎首相に対する小泉氏の批判は「ご説ごもっとも」の点があり、処分すれば国民の支持がますます離れていく心配もあるようだ。引退表明した人が一番目立つというのも役者がいない今の自民党を象徴しているのだろう。

 だが、小泉氏も今ごろ物を言い始めるのはずるいと思う。

 「最近の小泉さんは透明人間みたいだ」。首相退任からしばらく後、本欄でこう書いたことがある。一連の改革の後始末をせず、表に出てこないのは無責任だと考えたからだ。

 振り返ってみれば、その後の首相がこけ続けているのは、自民党総裁の任期切れが理由だったとはいえ、前回衆院選で圧勝した小泉氏がまるで勝ち逃げするように辞めてしまったことに始まる。そして、格差の拡大や市場原理優先の弊害など「改革の影」が指摘され始めても本人は音無しの構えだった。

 私は一部の人がいうように、「すべては小泉改革が悪い」と決めつけるのもまた単純過ぎると考えている。欠けているのは改革の何が「功」で何が「罪」だったかの具体的総括だ。

 それをきちんとしないから、自民党は次にどんな国造りを目指すのか分からない。いや、単に昔の自民党に戻りたいだけだという話(実際そうかもしれないが)になってしまう。

 麻生首相だけでなく自民党がぶれ続けているのだ。今さら言っても手遅れかもしれないが。

 

 

毎日新聞 2009年2月26日 0時07分


戦争が終わる日=磯崎由美

2009-02-26 | Weblog




 東京都内に住む内田道子さん(76)の腰には、拳が入るほど深く大きな傷がある。背骨は曲がり、骨盤がずれ左右の足の長さも変わってしまった。東京大空襲から2カ月後の山手空襲(1945年5月25日)で、靖国神社近くにあった家が焼夷弾(しょういだん)の爆撃を受けたためだ。まだ12歳の活発な少女だった。

 血を流しながら父に背負われ、火の海を逃げ病院に運ばれた。戦争末期で薬は底を突き、暑さで傷口はみるみる化膿(かのう)する。「痛いよ痛いよ。もう殺して」。泣き叫び終戦を迎えた。

 戦後は障害、偏見、貧しさとの闘い。親は治療代のため働きづめ、自分も足を引きずり畑に出た。結婚し3度身ごもったのに、股(こ)関節が開かず2人は出産で亡くなった。大手術で両方の股関節を人工骨にしたが、それも加齢とともに体と合わなくなり、古傷もうずき始める。空襲以来、不安と痛みから解放された日はない。それでも恨みは口にせず、運命と受け止め必死に生きてきた。

 そして約5年前、報道で東京空襲犠牲者遺族会の存在を知る。旧軍人・軍属には補償があり、なぜ民間人犠牲者は放置されるのか。国に賠償や謝罪を求める訴訟の原告団に加わった。証言のため記憶をたどるうちにこみ上げてきたのは「戦後64年と言うけれど、戦争は今も私を追いかけてくる」との思いだ。

 孤児となり差別された人、障害を負った姉を今も介護する人……。平均年齢76歳の原告らが抱え込んできた無念を法廷で語る。夏にも言い渡される地裁判決を待てず、2人が逝った。

 内田さんはこう訴えた。「せめて心と体の傷を癒やし、一生を終わらせてください」(生活報道センター)


 

毎日新聞 2009年2月25日 東京朝刊


生きるか死ぬかの英語=玉木研二

2009-02-26 | Weblog




 当然ながら外国語会話のテキストに描かれる家庭や町は大抵善意と善人に満ちている。こんな好人物ばかり世の中にいるものか、とこちらが日常の現実に失意を味わっている時は悪態もつきたくなるが、ジャックやベティに行儀悪い話や世の憂さを語らせるわけにはいくまい。

 しかし、本来会話は世の現実と切り結ぶ手段のはずだ。

 研究社の「英語青年」2月号に堺女子短期大学の玉木雄三教授が「英会話教本に見る占領期の世相」という特別記事を書いている。教本とは、敗戦翌年の1946年3月、三省堂が刊行した小冊子「会話便覧米兵との話方」である。

 大半の日本人にとって初めて間近に見る米国人とどう意を通じ合うか。まず「会話道」というのがあって、「機転利かし、勇敢に、臆(おく)せず」「封建的な言語心理からの脱却」を説く。お辞儀をしたり、あいさつ代わりに「どちらへ?」(Where are you going?)と聞くのも戒める。彼らはどこへ行こうと他人の干渉は受けない、というのである。大変だ。

 こんな例文があるのも当時ならではだ。「誰か?」「日本人です」「出ろ! 早くしろ!」「撃つな!」「動くな!」「助けて!」「証明書を見せろ!」

 娯楽と慰安のホールの場面もある。「ひとつ踊ってください」「どうぞお願い致します。随分踊りなさるのでしょう」

 旅館ではこうだ。「シャボンと便所紙とタオルはないでしょうか」「お気の毒様です。戦争以来そういう物は手に入らないのです」……。

 懸命に暗記する姿を思う。英会話が今と違い、リアルに生きるすべだった時代の話である。(論説室)




毎日新聞 2009年2月24日 東京朝刊


日本語のすすめ=福島良典

2009-02-26 | Weblog




 江戸時代、日本はオランダ語を通して西洋の知見を手にした。医師・杉田玄白(1733~1817年)の著書「蘭学事始」に詳しい。「今時、世間に蘭学といふこと専ら行はれ、志を立つる人は篤く学び、無識(むしき)なる者は漫(みだ)りにこれを誇張す」

 蘭学を英語に置き換えると、今の日本の状況を指しているようだ。英語学習熱が高まり、何かというと、英語の効用を言い立てる人もいる--と。

 医学書を翻訳した先達の苦労を追体験できればと、外国人向けのオランダ語教室に通い始めた。ベルギーの公用語はフランス語、オランダ語、ドイツ語。主催はオランダ語振興団体だ。

 夕刻、文化センターに三々五々、生徒が集まる。ヘジャブ(イスラムのスカーフ)姿の女性も。授業には移民のオランダ語能力を高め、社会に同化させる移民政策の側面もある。

 欧州に暮らして感じるのは、人々の言葉への思い入れの強さだ。自らの言語と文化に誇りを持ち、それを海外に発信する国家戦略が徹底している。

 文化大国を自任するフランスは仏語の普及に努め、文化省予算(05年)は国家予算の約1%に上る。これに対して、日本の文化予算は約0・1%だという(平林博・前駐仏大使「フランスに学ぶ国家ブランド」)。

 日本は自国の言葉と文化を冷遇する一方、英語学習にエネルギーを費やし、外国の流行を追う。外来知識の獲得にきゅうきゅうとする受け身の態度だ。

 蘭学事始から2世紀。外国から学ぶだけでなく、海外への日本語・文化の発信に力を入れる時だ。日本ブランドを世界に広め、知日派を増やそう。きっと、国益につながるはずだ。(ブリュッセル支局)




毎日新聞 2009年2月23日 東京朝刊


被爆樹コカリナ=広岩近広

2009-02-26 | Weblog




 「木でできたオカリナ、コカリナを知っていますか。この楽器を日本に紹介したのは黒坂黒太郎さん」

 そんな語りから始まる、サントリーホール(東京都港区)のラジオCM「コカリナ」は、じんわりと胸底に響く。琴線に触れる2分間である。

 「これはエノキ。広島に原爆が落とされた時、からだを焼かれた1本のエノキ。地元の高校生たちが大切に保管してきた、この被爆した木から小さなコカリナが生まれたのです」

 コカリナ奏者の黒坂さんはCMの中で、こう語っている。

 「こんなにひどい状態になっている木でも、こんなにきれいな音が出てくる、生きているということなのですね。この木と同じように焼かれていった、その子たちの思いがこの木の中に、木の魂と一緒に眠っているような気がしてならないのです」

 実は、黒坂さんがそう話すのを、山里の小学校や町の公民館のコンサートで、じかに耳にしてきた。子どもから大人まで、居ずまいを正して聴き入る姿を目の当たりにした。被爆樹コカリナにはメッセージがある。私はそのつど確信したものだ。

 ラジオCMのナレーションはこう結ぶ。「コカリナの音は木に宿った魂。生き続ける魂の音。音に込められた思いまで響かせたい」

 一編の詩のようだった。哀愁を帯びた被爆樹コカリナの音色は、静かに、しかし確然として、「ノーモア原爆」を奏でてやまない。追記すると、ACC(全日本シーエム放送連盟)主催の08年度ラジオCM部門「ジャーナリスト賞」を受賞した。私は録音し、折に触れて聴き入っている。(編集局)




毎日新聞 2009年2月22日 東京朝刊


外国人労働者との共生=近藤伸二

2009-02-26 | Weblog




 インドネシア人の介護福祉士と看護師の候補者第1陣の約200人が半年間の研修を終え、全国の福祉施設や病院で働き始めた。今春には、フィリピン人の候補者もやってくる。

 これらは日本と両国の経済連携協定(EPA)に基づく措置で、それぞれ2年間で最大1000人の制限がある。政府は特例と位置付けており、これで一気に外国人労働者の受け入れが進むわけではない。

 だが、少子高齢化が加速する日本で、将来的には介護・看護分野の労働者不足は避けられない。ならば、今回のインドネシア人来日を、異民族・文化との共生について考えるきっかけにしてはどうだろう。

 アジアの人々なら、生活習慣は比較的近いのでは、と思われがちだが、現実には国や民族によって大きく異なる。

 例えば、日本でホームステイしたシンガポールの男女中学生二十数人のほとんどが、食事の際、まだ半分も食べないうちにホスト家族は全員食べ終わり、バツが悪い思いをしたという(小竹裕一著「アジア人との正しい付き合い方」)。

 日本の家庭では普通の「さっさと食べる」習慣が、南国の少年少女には驚きだったわけだ。逆に、ホスト家族は、シンガポールの子供たちはなぜこんなにゆっくり食事をするのかと不思議に思ったかもしれない。

 こうした場合に大切なのは、相手を一方的に非難したり、拒否したりするのではなく、互いの違いを理解し、尊重し合うことだ。日本人が真の意味で外国人労働者と共生できるかどうかは、まずは一人一人が寛容の精神を持てるかどうかにかかっている。(論説室)


 

毎日新聞 2009年2月21日 大阪朝刊


身近な緑のニューディール=岸俊光

2009-02-26 | Weblog




 第1回経営者「環境力」大賞の発表会に参加した。主催は、環境文明21という東京のNPO(特定非営利活動法人)である。

 日本を再び元気にするカギは環境だ、それには企業の姿勢が大切になる、変革を担う経営者に前向きになってもらおうと、長年の活動を結実させた。

 共同代表の加藤三郎さんは「NPOが経営者を表彰するのは恐れ多い」と謙虚だが、その信念には年季が入っている。

 厚生官僚だった加藤さんは、当時の環境庁に転じ公害や環境畑を歩いて、初代地球環境部長を務めた。公害対策を口にするだけで、他の省庁から「産業をつぶすつもりか」と非難された時代である。それでも、企業家がこの問題に関心を持てば社会は良くなるはずだという思いは、揺るがなかったという。

 役所をやめ環境文明21を設立したのが93年。高級官僚の転身としては異色に違いない。

 そんな加藤さんが、もう一人の共同代表の藤村コノヱさんらと作り、本紙に寄稿してくれた経営者評価項目は練り上げたものだ。<100年先を見通した企業価値><事業を大きくしすぎない勇気>の見識に驚く。

 「環境はビジネスになる」と日ごろ周囲に話しているという大阪の東亜電機工業社代表取締役、麻生義継さん。家業の電気工事会社を、エネルギー多消費型から自然エネルギーの普及に転換してきた。こうした受賞者7人の言動からは、排ガス対策が逆に自動車産業を育てたような環境の力を実感する。

 「恐慌を乗り越えるのも結局は人なんです」。加藤さんの話を聞いて、かけ声先行の「グリーン・ニューディール」がようやく身近になってきた。(学芸部)




毎日新聞 2009年2月21日 東京朝刊


ドランク・ミニスター=福本容子

2009-02-26 | Weblog




 今思えば漢字騒ぎはまだマシだった。かなり上手に翻訳できても外国語では、首相が踏襲を「ふしゅう」と読む情けなさがぴったり伝わらない。

 今度は全然違う。インターネットの動画サイトに乗り、たちまち地球を何周もした。会見の発言を訳す必要もないところが悲しい。「ドランク・ミニスター(酔っ払い大臣)」のタイトル付きで、そのまんま流れている。

 「麻生・中川コンビ級の芸才を期待できる政治家は世界にいない。戦争を起こすわけでもなし。延々と軽い芸で楽しませてくれる。あのレベルの政治家がもっと必要だ」

 「天使はゾンビを救えるか」と題した英タイムズ紙電子版のブログ記事にそんなコメントが書き込まれていた。「ゾンビ」とは麻生太郎首相と自民党のこと。皮肉と嘲笑(ちょうしょう)が飛び交う。

 で、ふと思う。日本が話題になったのは実に久しぶりではないか。「ユーチューブ」(動画サイト)でこんなに有名になった日本の政治家はいない。外国の笑いものになるのは不愉快だけど、恥をさらした以上、注目をチャンスに変えない手はない。

 今、選挙をやって政権が交代したりすれば、普段なら「また変わったの」で終わるのが「お、今度はどんな人だ」となる。うまくいけば、ようやく「変化」を国内外で印象付けられる。

 うまくいく保証はない。とはいっても、ここで変えようと動かないなら野党はいらないし、動かす力を信じなければ世論もマスコミも存在意義がない。

 「酔っ払い大臣」を任命したうえ失態後もすぐクビにしない人たちが政権に居座り続ける。ローマのレロレロよりこっちがずっと恥ずかしいと思う。(経済部)

 

毎日新聞 2009年2月20日 東京朝刊


「何となく」と「無責任」=与良正男

2009-02-26 | Weblog




 「何となく」と「基本的には」と「いわゆる」が麻生太郎首相の口癖だ。いずれも物事をアバウトにくくり、具体論には踏み込まないといった時に使いたくなる言葉ではなかろうか。べらんめえ調で一見、強気そうだが、かねて私はそこに首相の自信のなさを感じてきた。

 特に気になるのは官僚が事前に用意したペーパーだけでは通用しない国会の委員会での答弁だ。あまり報道されないが、多少複雑な社会保障などの論議の際、首相は「基本的には……」などを連発して大ざっぱな答えはするが、具体的に突っ込まれると「あなたは何を聞こうとしているのか」と時におどおどした表情を見せることさえある。

 「基本」を外してくれなければいいとは思う。が、「どうも首相は政策そのものの理解度が足りないのでは」と、こちらも不安になってしまうのだ。

 先日、麻生首相は自民党の研修会であいさつし、自身を「何となく評判が悪い」と語ったそうだ。自虐ギャグのつもりかもしれないが、もちろん、もはやギャグにする時期は過ぎた。

 なぜ、評判が悪いのか。一番の理由は郵政民営化見直し発言を見るように自らの立場を忘れたような無責任さだと思う。

 「もうろう会見」で世界に醜態をさらした中川昭一氏もしかり。いや、「何となく人気がありそう」と麻生首相を選びながら、評判が悪くなると「私は賛成でなかった」とひょう変する自民党全体が著しく責任感を欠いているといえるかもしれぬ。

 今度の中川氏の辞任劇を見ると、政権自体がしどろもどろ状態。何となくではなく今の与党にはもう政権担当能力がないのでは、と私は思っている。(論説室)


 

毎日新聞 2009年2月19日 東京朝刊


親の年金=磯崎由美

2009-02-26 | Weblog




 首都圏の閑静な住宅街で1年ほど前にあった話だ。ある住民が自宅の玄関を開けると、近所のおばあさんが器を抱えて立っていた。「小麦粉をいただけませんか」。何に使うのかよく分からないまま、とりあえず家にあった小麦粉を分けた。

 おばあさんがこの家を訪ねたのは、実はこれが初めてではなかった。1000円単位のお金を借りに来たこともある。そのうち心配になった住民は行政の窓口に連絡した。

 関係者によれば、おばあさんは1人暮らし。職を失った息子がよく出入りし、母親の年金を使い込んでいた。やがて家は電気も止められ、食べ物も底を突く。そこでおばあさんは近所でもらった小麦粉を水で溶かして口に入れ、飢えをしのいでいたのだ。それでも息子を責める言葉はなく「働けなくてかわいそう」とかばうばかりで、福祉関係者は「介入のしようがない」とやりきれない。

 親の年金を子が使い込む。世話をすると言って財産目当てで実家に戻り、介護は放棄したまま。そうした高齢者虐待が頻発している。親の死後も遺体を隠し、年金をもらい続けるといった事件も後を絶たない。親子がそれぞれ自立して暮らすことが、なぜこうも難しくなったのか。家族関係の変質とともに、働き盛りの子世代が就労意欲を失っているからだろうか。

 不況で職と住まいを一度に失い、いま緊急避難的に親元に身を寄せる人は少なくない。地方で再就職先を探すのは以前より難しく、失業状態が長引けば心も生活もすさんでいく。経済のせいばかりにはできないが、しわ寄せが最も弱い人へと及びはしないか、気がかりだ。(生活報道センター)




毎日新聞 2009年2月18日 東京朝刊


情と熱と=玉木研二

2009-02-26 | Weblog




 <中尾君は、やをら操縦席を立つて、機内に安置した伊勢大神宮の御神符に額(ぬか)づいた>

 1939年、毎日新聞社(当時大阪毎日、東京日日)が国際親善企画として三菱製双発輸送機「ニッポン」で世界一周に成功した。その終盤である。当時英領インドのカラチ離陸時、濃霧で視界が閉ざされ、突然鉄塔が眼前に現れ翼をかすめた。

 間一髪。その直後の機内の様子を親善使節役の航空部長・大原武夫はこう書き残している。世界最高レベルのパイロット技術と、動じない冷静沈着さを買われて機長に抜てきされた中尾純利も激しく動揺したらしい。彼は落涙さえし、「動悸(どうき)が収まらない。今日一日は回復しないだろう」と語ったという。

 一周飛行70周年の企画記事のため記録を読み返し引かれるのは、こうした人間臭い逸話である。ニッポン号の成功は優秀な設計、製造、操縦、チームワークなど総合力がもたらしたが、その間に絶えず顔をのぞかせる試行錯誤や感情の発露が凡人たる私を励ましてくれるのだ。

 一行が着陸地で、航空発展途上の空に散った内外の先人飛行士の墓や記念碑に参拝しているのも、この空前の冒険飛行に何かしら力づけが欲しかったのだろう。米ロサンゼルスでは日本人民間飛行士・後藤正志の墓に7人全員で花をささげた。

 後藤は大分の人。その10年前、米大陸横断に挑み、ロッキー山脈に墜死した。その遺志を果たしたのが仲間で石川出身の飛行士・東善作という。1930年、米、欧州、アジアと翔破(しょうは)した。複葉機の時代である。

 高度、精密の大事業に情あり、熱あり。「ニッポン号」は改めてそれを教えてくれる。(論説室)




毎日新聞 2009年2月17日 東京朝刊


手書きのぬくもり=福島良典

2009-02-26 | Weblog




 インターネットや電子メールが全盛のいま、手書き文字をつづるペンの人気が高まっている。コンピューター社会のストレスで、癒やしを求める人々が増えているのだろう。万年筆の売り上げは右肩上がりだ。

 私自身、人々の肉声をうまくノートに書き留められるような気がして、万年筆を愛用している。取材先でも同好の士を見かけ、ひそかに連帯感を覚えることが多くなった。

 ペンは時代を映し出す歴史の証人でもある。1963年、ケネディ米大統領は西独ケルン訪問で万年筆を忘れたアデナウアー首相に「私のペンを」とモンブランを差し出した。冷戦下、西欧の保護者としての米国の気配りを感じさせる一幕だった。

 90年代前半の米露核軍縮合意の際、使用されたパーカーは「平和のペン」の名を得た。昨年の北海道洞爺湖サミットでは、各国首脳にセーラー万年筆と磁器メーカー・香蘭社の「有田焼万年筆」が贈られ、日本文化発信の担い手となった。

 オバマ米大統領が先月20日の就任にあたり、関連文書のサインに使ったのは米ロードアイランド州に本社を置く老舗筆記具メーカー・クロスのローラーボール(水性ボールペン)だ。

 歴代の米大統領には、米国を代表する万年筆のシェーファーやパーカーなどの愛用者が多かった。あえてこれまでと違うクロスを選んだのは、オバマチームの新機軸路線かもしれない。

 さて、オバマ大統領は新しいペンでどんな世界の青写真を描くのだろうか。お気に入りの携帯通信端末は引き続き使用しているというが、政策には、電子メールの無機質さでなく、手書き文字のぬくもりがほしい。(ブリュッセル支局)




毎日新聞 2009年2月16日 東京朝刊


地デジ普及の正念場だ=西木正

2009-02-26 | Weblog




 案の定、である。

 米オバマ政権は、地上波テレビ放送の完全デジタル移行の期限を「今月17日」から約4カ月延期することを決めた。経済危機に直面して、市民の準備期間がさらに必要なため、という。いまの景気状況で、新しいテレビや別付けのチューナーを買おうという気になるものか。再延期、アナログ併存の可能性もあり、とみていい。

 98年末から地デジ放送を開始した米は、06年の完全移行予定を既に一度延期している。その間好況期もあったのに、受信機器の普及が遅れているのは「いまのテレビで、なにも不便はないのに」という消費者の声に答え切れないせいだろう。

 日本でも「11年7月24日」の移行期限を控えて、対応テレビの普及率は依然低いという。周囲の家庭を見渡すと、ブラウン管テレビがまだまだ健在で、買い替え機運は低調だ。

 たしかに、デジタル画質は素晴らしい。多機能も使いこなせば魅力的だ。加えて、膨大な投資を無駄にできない以上、消費者の関心を振り向けるのに必要な方策は二つある。

 まず政府がやるべきは、未対応世帯にチューナーをばらまくことではない。在来の電波帯を防災無線や高度道路交通システムに充てて、実際にどう役立つのか。それを改めて具体的に説明することが欠かせない。

 放送サイドにも注文がある。データ放送で鉄道の遅延、イベントの空席状況など細かい地域生活情報を拡充すれば、高齢者にも使いやすい家庭情報端末として利用価値は大きい。

 準備の時間はある。あえて言えば、少し先延ばしということだって、選択肢のひとつだ。(論説室)





毎日新聞 2009年2月15日 大阪朝刊


一般論はけっこう怖い=藤原章生

2009-02-26 | Weblog




 「イタリアの男って、変なのよ」。コロンビア女性(32)は夫がトイレに立ったすきにそう言った。ローマのピザ屋。イタリア人の夫(60)はメニューやウエーターの挙動に小言を言い、落ち着きがなく、彼女が余ったピザを持ち帰ろうとすると「みっともないから、やめよう」と懇願した。強迫観念のように、周囲の目を気にするというのがその女性のイタリア男性評だ。

 別の日。新婚のブルガリア女性(32)たちと語学学校で談笑していたら、10分おきにイタリア人の夫(52)から電話が入った。ついに彼女は電話を放り出し「イタリア男!」と顔をしかめた。妻の浮気を異常なほど心配すると言うのだ。

 二つの話をローマの女性(29)にしてみると「何よ、それ! 外国の女でしょ。お金のために結婚したくせに」とずいぶんむきになった。

 いずれの発言も一般論で、あまり当てにならない。人は外国に暮らすと、文化比較をしたくなるが、次第に大枠でものを語らなくなる。幾らでも例外がおり、ひとくくりにはできないと気づくからだ。一般論は単刀直入で耳に残りやすいが、長く反すうしていると、それを語った側の方に思いが至る。

 2人の外国女性は夫への不満を国籍の問題にすり替え、留飲を下げる。「そんな相手と暮らす自分は偉い」といった自慢やのろけもあるのだろうが、底には夫婦の日々の確執が隠されている。ローマ女性からは彼女の金銭への強い思いがうかがえる。一般論は集団を語るという本来の目的より、時に個人の心理、経験をさらけ出す点で優れている。「○○人は」と語る時は注意した方がいい。(ローマ支局)




毎日新聞 2009年2月15日 東京朝刊