わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

12月8日・日米開戦=西木正

2008-12-06 | Weblog

 人物一代記を1年足らずでまとめて「大河ドラマ」はおこがましい。活字の世界には、滔々(とうとう)たる大河がいく筋もある。

 中里介山の「大菩薩峠」は1913年から28年にわたって書き続けられ、未完に終わった。92年から始まった塩野七生さんの「ローマ人の物語」は06年、15巻で完結した。

 歴史家・鳥居民(とりいたみ)さんのライフワーク「昭和二十年」(草思社)第12巻が今月1日に出た。歴史を変えた1年の政治、社会の動きを、元日から日を追って徹底検証する壮大な計画で、85年の第1巻から23年かけて、ようやく6月までたどりついた。

 日米開戦の直前、連合艦隊司令長官、山本五十六は、昭和天皇の弟で海軍軍人だった高松宮を「密使」として、戦争不可を説得させようとした。だが、正規の筋道から外れた工作に天皇が不快を示し、説得は口論の末物別れに終わる。

 最高政治補佐役であった内大臣、木戸幸一はなぜ、高松宮を再度呼んで話を聞くよう仲裁しなかったのか。その代わりに、海軍首脳に自信のほど確認すればいい、というおためごかしの助言をしたのはなぜか。「平和主義者」とされた木戸が実は、日米戦争に反対ではなかったせいではないか。鳥居さんが最新刊で示した開戦経緯の解釈だ。

 戦争回避に踏み込んだお言葉があれば、は詮(せん)ない歴史の「IF」だが、関係者の日記や著述から、開戦までの不可解な経緯を人と人のつながりを軸に解き明かし、説得力がある。

 終戦に向けた軍部や宮中の葛藤(かっとう)がどう読み解かれるか、期待は後を引く。だが、筆の運びは悠揚迫らず、大河の果てはとても見えてこない。(論説室)





毎日新聞 2008年12月6日 大阪朝刊

音楽を言葉に=伊藤智永(外信部)

2008-12-06 | Weblog

 音楽評論家の吉田秀和氏は、大好きな相撲の実況中継を通して音楽を言葉にする方法を学んだ。目まぐるしい動きと一瞬の勝負のポイントを的確に分かりやすく伝えるすべが、音楽批評の勘所に通じるという例えは素人にも得心がいく。

 95歳で現役の吉田氏の歩みを、鎌倉文学館が小さな企画展で紹介している(14日まで、月曜日休み)。感じ入るのは30代までの修業時代、吉田氏が方法論の前に、音楽を言葉にする仕事へにじり寄っていく精神の核を形作っていったことだ。

 詩人・吉田一穂との交友で「本質だけを追求すること」こそ快いと知り、中原中也の詩の朗唱に「小鳥と空、森の香りと走ってゆく風が、自分の心の中で一つにとけあってゆく」言葉の魔力を体感し、ニーチェの著作から「感覚と心情の芸術としての音楽のほかに、精神の科学としての音楽を教え」られた。

 50代で、なお「自分が一向に傷つかないような批評は、貧しい精神の批評だといわなければならないのではあるまいか」と青年のように宣言している。

 後の吉田氏は「~かしら?」と口語調の平明でふくらみある言葉づかいになった。固い心棒ができているからだろう。

 さて、新聞のコラムはとかく社会的教訓の落ちをつけたがる。ネットにあふれる他人を批評する言葉のゆるさ、政治や経済の言葉の薄っぺらさ……。

 興ざめでしょう。そこで、吉田氏が明かす相撲中継以外の名文修業のコツを。夏目漱石、小林秀雄、大岡昇平。共通するのは皆、落語調ということ。

 ちなみに吉田氏は、もう30年以上、FMラジオで一人語りを続けている。





毎日新聞 2008年12月6日 0時00分