metch Happy days

クリスチャンで、韓国で神学を学んでいるめっちの毎日の成長をつづるブログ

神の国のうわさ

2007-03-15 09:28:58 | クリスチャンとしての私
ルカの福音書17章に、神の国に関する記事がある。
20;神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに訪ねられた時、
イエスは答えて言われた。神の国は、人の目で認められるようにして
くるものではありません。・・・
21;神の国はあなたがたのただ中にあるのです。

先週から私は神の国を時々体験している。
ほんとうには、いつも体験しているんだと思うけれど、
あなたがたのただ中にある、というみ言葉を読めば、
複数の人の集まりの中に、あるのかもしれないとも
思っている。

先週、教会のお兄さんと天国のうわさをした。
「ここにある」「あそこにる」と言っても惑わされてはいけない、
と聖書に書かれているように、私たちはそんな話をしたわけではない。

天国に行って、イエス様を見たら、どんな気持ちがするかということを
二人で話していたのです。
「めぐみは、走っていくとおもうな~イエス様~きゃ~って」
「僕は、もしかしたら、もっと主のために何かをしたかったと思って
恥ずかしい思いをしているかと思うよ…」
いろんな天国イメージがある。
そして、彼は言う。
「走っていく人もそうでない人にも、イエス様はそばに来て、うつむいて
いる人がいたら、背中に手を置いて名を呼んで話しかけてくれると思うよ。」
と言っていた。

天国を想像するだけで、イエス様の姿を想像しただけで、涙が出るくらい
「懐かしい」っていうのは変だけど、「恋しい」?どんな日本語がいいかな。
分からないくらい、心が動く。
そして、そんな話をして、心を動かしている私たちの中には、同じ天を
待ち望む期待とともに、同じ神様の子供として生きている平安や、幸せが
満ちていて、そこに天国があるかのようだった。
涙がでるね。。。
場所は、韓国食堂でしたが。

今週の月曜日は、別の友達に会った。
彼らは、木曜日に一緒にお祈り会をしているメンバーだ。
一緒に長野にも行った。
松代大本営も一緒に見た仲間だ。

痛めつけられた韓国、朝鮮の方たちの苦しみを見て、そのうえで、神様の
前に、和解の祈り、赦しの祈りをしてくれたみ言葉に従う、神に忠実な
大切な友人たち。
その時も、私は涙が止まらなかった。
赦しと和解が必要だと思っていたけれど、目の前にある松代大本営には、
当時連行されてきた人たちの悲しみや涙が詰まっていて、自分はいっしょに
行った皆とは違う国のもので、皆を傷つけた側のものだと、実感していた。
ところが、皆は、祈ってくれた・・・。

そして、
月曜日彼らと会った時に、ある兄弟がこういうのだ。
「まず、韓国が日本に謝罪しなければいけない」
なんだ?それは。
韓国が謝る何があると言うのか。松代まで行ってそれを見た上での言葉とは
思えなかった。

「韓国には、赦しなさい、和解しなさいという聖書の言葉を聞いている
クリスチャンがたくさんいるのだから、イエス様の言葉に従順に従う事は
クリスチャンとして当たり前なのだ。
しかも、日本時代に抑圧された韓国の歴史ある教会には、むしろ一般の人より
もっともっと、日本への憎しみがあるんだよ。今まで憎んでいたことを
ごめんなさいと謝らなければいけないんだ!聖書に従うのは、当然だからね」
驚くべき言葉だった。
聖書に従順になるってここまでなのか。

そこでも、涙が出た。
場所は、コーヒーショップだったけれど、神様の国を体験した。

彼も言っていた。
神の国はここにあるんだよって。
僕らが和解をすることを見れば、世界中が驚くよ。
世界中が日本と韓国の間にある、神の国をみたら、世界中が、復興するよ。

神様の国は、あっちにあるとか、ここにあるとかまどわされない代わり、
今日も私がみ言葉に従順になれば、「ここ」にあるんだ。
私と話す人との間に、神様の国が体験されるように、なりたい。

こんな、からし種のような小さな人の心に、聖書への従順がもたらす
神の国。