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言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

元外務省国際情報局長、孫崎享の不可解な主張

2012-11-28 | 日記

 以下では、「日経ビジネスONLINE」に掲載された元外務省国際情報局長、孫崎享さんの主張を引用しつつ、私の意見を述べます。

 孫崎享さんの主張は、異常なまでに「中国寄りに偏っている」と思います。「意図的に、中国に有利に導こうとしているのではないか」と思われるほどです。



日経ビジネスONLINE」の「尖閣諸島、「棚上げ論」はまだ有効」( 2012年11月28日 )

 国境の無人島を巡って東アジアが揺れている。今年9月、尖閣諸島の国有化をきっかけに、中国で大規模な暴動が勃発、日本製品をボイコットする動きが広がった。習近平・総書記を中心とする新体制が新たに発足したが、対日戦略を大きく変える気配はない。
 領有権を主張し合う国のどちらかがこれを放棄することは、それぞれの国内政治を考えれば不可能に近い。それでも解決を目指そうとすれば、おのずと武力衝突に向かう。だが、日本と中国は互いに不可欠な貿易相手。武力紛争で経済活動が遅滞することは避けなければならない。
 国境紛争をどのように解決すべきなのか、未来志向の日中関係をどのように築くべきか――。11月29日発売の臨時増刊、「ビジネスパーソンのための新国境論」でもご登場いただいている、元外務省国際情報局長の孫崎享氏に話を聞いた。(まとめは篠原匡)

   ・・・・・

 尖閣諸島を巡って、日本政府は「日本固有の領土であり、領有権の問題は存在しない」という主張を繰り返しています。この考えが日本の世論を覆っていると言っていいでしょう。ただ、日中平和友好条約を調印した頃の世論は、領土問題の存在を明確に認めていました。

 例えば、1979年5月31日付の読売新聞の社説には、「日中双方とも領土主権を主張し、現実に論争が存在することを認めながら、この問題を留保し、将来の解決に待つことで日中政府間の了解がついた」と書いてあります。どちらかというと保守的な読売新聞ですら、尖閣諸島を巡る領土問題を明確に意識していました。

 ところが、今はどうでしょう。世論全体が領土問題は存在しないという見解に染まっており、1979年の読売新聞の視点は社会のどこにもありません。9月に開かれた自民党総裁選の候補者も領土問題に対して強硬な人たちが並びました。日本全体が右傾化していると言っても過言ではありません。その遠因を探れば、米国の影響が大きいのではないでしょうか。


 このように書いてあると、いかにも日本側が「途中から領有権の問題は存在しない」という主張に「変えた」かのように映ります。

 しかし、「日中双方とも領土主権を主張し、現実に論争が存在すること」と、「日本固有の領土であり、領有権の問題は存在しない」とは、矛盾しません。両立します。



 日本政府の立場は、中国が主張している領有権とは「言いがかり」に近いものである、というものだと(私は)理解しています。

 つまり領土をめぐる「争い」には、2種類あるわけです。「本当の争い」と「言いがかり」の2種類です。



 日本政府が突然、「上海は日本領である」と主張したならばどうでしょうか? そして中国に対し、「日中間には領有権をめぐる争いが存在することを認めろ」と要求したらどうでしょうか? 中国政府は当然、「上海は中国固有の領土であり、日中間には領有権の問題は存在しない」と答えるのではないでしょうか?

 孫崎享さんが言っているのは、「そうはいっても現実に、上海の領有権をめぐって争いが存在している」じゃないか、という意見に等しいわけです。



 「言いがかり」であっても「現実に争いがある」以上、尖閣諸島は「中国領かもしれない」のでしょうか? 、尖閣諸島は「日本固有の領土であり、領有権の問題は存在しない」と、日本は言えないのでしょうか?



 いわゆる「棚上げ論」の存在を日本政府が否定し始めたのは、私の感覚では1995年頃です。日米関係の流れで位置づければ、より鮮明になるでしょう。米国よりも国際社会との連携を目指した「樋口レポート」が登場したのは1994年のこと。衝撃を受けた米国は、東アジアの位置づけの再定義と日米同盟の重視をうたった「ナイレポート」を発表。それが日米同盟を重視した95年の防衛大綱につながりました。


 日中間には「棚上げ」の合意があったにもかかわらず、日本が「一方的に」合意を破ったという印象を与えます。

 しかし、「先に」合意を破ったのは中国側です。

 孫崎享さんはなぜ、その事実を言わないのでしょうか?



 上記引用文を確認してください。孫崎享さんは、「いわゆる『棚上げ論』の存在を日本政府が否定し始めたのは、私の感覚では1995年頃です」と言っています。

 いいですか、1995年頃ですよ!

 次に、下記の情報を見てください。中国が「先に」棚上げの合意を破っています。中国側が「棚上げ」合意を破った以上、日本としては「棚上げ」は終わった、なくなった、と考える余地があります。



 「Wikipedia」の「尖閣諸島問題

・1992年2月25日:中華人民共和国領海法制定。 釣魚列島(尖閣諸島)が自国領であると記載。

・1993年6月:中国を訪問したポール・キーティング豪首相に対して、李鵬首相が「日本は取るに足るほどの国ではない。20年後には地上から消えていく国となろう」と語る。


 「日経ビジネスONLINE」の記事、つまり孫崎享さんの主張内容の引用(紹介)を続けます。



★日米同盟の深化とともに日中友好が後退した

 こういう雰囲気の中で、尖閣諸島問題に対する見方も変わってきたと思うんですね。

 「ナイレポート」以降、近隣諸国との協調よりも、日米安保条約の下、米国の力で日本の安全保障を図るという方向が鮮明になりました。その考え方は徐々に醸成され、2005年の「日米同盟:未来のための変革と再編」にいたりました。町村信孝外務大臣とコリンドーザ・ライス国務長官が話し合い、共通の戦略目標を定めたものです。日米同盟の深化とともに、「日中で仲良くしていこう」という雰囲気は後退したように思います。


 中国が勝手に尖閣諸島を自国領であると法律で定めたり、中国の首相が「日本は取るに足るほどの国ではない。20年後には地上から消えていく国となろう」と言ったりすれば、「日中で仲良くしていこう」という雰囲気がなくなるのは当然でしょう。

 元外務省国際情報局長の孫崎享さんは、なぜ、中国が何をしたかを言わないのでしょうか?



 ――領土問題をあえて曖昧にすることで、2国間に紛争の火種を残しておく――。冷戦時代の米国には領土を離間の計として用いる明確な意図が存在した。

 北方領土に関して言えば、領土問題の帰属を未解決にしておくことで日本とソ連を分断する、という意志が冷戦時代の米国には間違いなくありました。それでは、尖閣諸島はどうか。沖縄を返還した時に、米国が「尖閣諸島は日本の領有」と明言すれば何もなかったのに、米国は「領土問題については中立」と言った。

 これによって、尖閣諸島は日中間の問題になりました。

★日中関係にくさびを打った米国の深謀

 それと、石油の問題も大きい。尖閣諸島がここまでクローズアップされたのは、1960年代末に国連が石油の存在を指摘したためです。しかも、この頃は原油価格が1バレル1ドルだった。なぜ、オイルショックの前にわざわざ東シナ海の原油埋蔵量を調査しなければならなかったのでしょうか。

 もう1つ言えることは、田中角栄が日中国交正常化に踏み切った時、大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャーは「一番おいしいパイを取られた」と激怒したと伝えられています。日本は吉田茂・元首相以来、米国よりも先に中国市場に入ろうとしてきました。それに対して、米国は常にストップをかけてきた。あくまでも推論ですが、日中間にくさびを打っておくという発想をしても全然不思議がないと思います。


 たしかに米国側に、「日中関係にくさびを打ち込もう」とする意図はあったのでしょう。

 しかし孫崎享さんは、米国の陰謀については語るのに、なぜ、中国の一方的な行為については語らないのでしょうか?



 ――中国の国力が高まっている中で、「両国とも主権は主張するものの、紛争にさせないために現状維持を貫く」という従来の棚上げ論は通用するのだろうか。

 9月26日の日中の次官協議で、中国の張志軍・筆頭外務次官は「両国指導者が合意した共通認識に戻り、両国関係を安定的に発展させる正しい道に早く戻さなければならない」と発言しました。これは、「中国は棚上げで構わない」ということでしょう。主義主張を押しつけるより、棚上げによって紛争を解決する方が重要と判断しているわけですね。

 結局のところ、中国は世界秩序を壊して世界秩序からはしめ出されることよりも、世界秩序を守る側に回って利益を得た方がプラスと考えている。それが中国の姿勢だとすれば、日本側が仕掛けなければ現状維持を受け入れるでしょう。その代わり、日本が状況を変えて領有権を強く主張すれば座視しない、というスタンスだと思います。


 ここまでの孫崎享さんの主張を読んでいると、日本が約束を一方的に破り、米国は狡猾であるにもかかわらず、中国は「大人の態度」で「棚上げで構わない」と言っているかのように聞こえます。

 まるで、悪いのは日本と米国だ、と言っているような感じがしますよね。

 でも孫崎享さんは、「なぜか」中国側が「先に」一方的に約束を破って「領有権を強く主張した」ことを言わないのです。



 変だと思いませんか?

 「わざと」中国側に有利になるように「日本の世論を誘導している」ような感じがしますよね。



★「島を獲得したら資源総取りはやめよ」

 ――互いの主張が異なる以上、領土問題は解決しない。ならば、漁業や資源開発などプロジェクトごとに関係を積み上げるべきという意見もある。

 私自身は「島を獲得したら(資源を)総取り」という考え方をやめるべきだと思います。島の領有権については、合意点を見出すことは難しい。しかし、「漁業」「資源」とプロジェクトをばらしていけば、どこかに必ず合意点があるはずです。

 私はフランスのアルザス・ロレーヌ地方に学べると考えています。この地域を巡って、ドイツとフランスは激しい領土紛争を繰り返しました。第二次世界大戦後はドイツの敗戦によってフランスが獲得しています。これ以降、ドイツは、奪われたものを奪い返すという選択肢を取らず、奪われたものを欧州全体のものとする制度を求めました。

★紛争解決は独仏に学べ

 それにフランスが呼応。紛争の火種だったルール地方は欧州石炭鉄鋼連盟が管理することになりました。アルザス・ロレーヌ地方の中心都市、ストラスブールも、欧州議会本部が置かれるなど欧州の都市としての道を歩みました。敗戦によってドイツは大幅に領土を失いましたが、その一方でEUの盟主となり、存在感を発揮しています。名より実を取ったと言うことができるでしょう。

 反日デモが起きたものの、日本の貿易相手は圧倒的に東アジアです。領土問題や歴史認識など紛争の火種はいくつもありますが、日本にとって東アジアとの結びつきは切っても切れない。そうであるならば、領有権は棚上げし、資源開発などで実を取った方がいいのではないでしょうか。


 たしかに「領有権は棚上げし、資源開発などで実を取った方がいい」かもしれません。その考えかたはわかります。

 しかしそれは、
  1. 中国側が棚上げを「一方的に」破ったにもかかわらず、日本が「がまんして」再び棚上げする
  2. 日本領であって、中国側の主張は「言いがかり」に等しいけれども、「資源の半分」を中国に与える
ということですよね。

 孫崎享さんは「中国に有利になるように、意図的に日本の世論を誘導しようとしている」と思いませんか?



★ポツダム宣言にさかのぼって考えよ

 いずれにせよ、日本人は領土問題の歴史的な経緯を全くと言っていいほど勉強していません。すべての大本にあるのは1945年のポツダム宣言です。ここで、本州、四国、九州、北海道は日本の領土だが、その他の島々の帰属は連合国側が決めることになりました。その後、1945年9月に降伏条件を詰め、1951年のサンフランシスコ平和条約で確認しています。

 「その他の島々」に関しては、ポツダム宣言の時点で「固有の領土」という議論が通用しなくなっている。それにもかかわらず日本は、この流れとは違ったところで領土論を展開しているんですね。領土問題は正しい認識なくして前進しません。国境や領土に、もっと関心を持ってほしいと思います。


 たしかにポツダム宣言には、そのように書かれていますが、その直後に孫崎享さんご自身が言っている「サンフランシスコ平和条約」で放棄することに決まった領土には、尖閣諸島は含まれていませんよ?

 それを元外務省国際情報局長の孫崎享さんが知らないはずはない。

 孫崎享さんは「中国に有利になるように、意図的に日本の世論を誘導しようとしている」と思いませんか?



 あなたは、どう思いますか?



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日中関係に改善に向けて動きだす兆し

2012-11-28 | 日記
 最初に、次の資料 (外交関係に関するウィーン条約) を引用します。



外務省」の「条約データ検索

「外交関係に関するウィーン条約」
http://www3.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdf/B-S39(2)-0335_1.pdf
http://www3.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdf/B-S39(2)-0335_2.pdf

第4条
1 派遣国は、自国が使節団の長として接受国に派遣しようとする者について接受国のアグレマンが与えられていることを確認しなければならない。
2 接受国は、アグレマンの拒否について、派遣国に対し、その理由を示す義務を負わない。




 条約の第4条には、「使節団の長」すなわち「大使」を派遣する際には、「接受国」すなわち「相手国」のアグレマン(同意)が必要であると書かれています。



 次に、元外交官(元駐レバノン特命全権大使)、天木直人氏のブログ記事を引用します。



天木直人のブログ」の「なぜメディアは木寺駐中国大使の発令の遅れについて書かないのか」( 2012年11月10日 )

 とっくの昔に木寺駐中国大使の閣議決定がなされていなければならないはずだ。

 しかし一向にその気配はない。

 丹羽大使は大使のまま中国に残り、新しい大使が赴任するという話は聞かない。

 日中外交がこれほど大切な時にこの遅れはあまりにも異常だ。

 なぜか。

 それはいつまでたっても中国政府が新大使に対する合意(アグレマン)を出そうとしないからではないか。

 野田首相と中国の外相が異例の怒鳴り合いをしているぐらいだから出るはずはないのだろう。

 野田首相が首相でいる限り、中国政府はすべてを凍結するつもりだろう。

 なぜメディアはスクープしないのか。

 中国政府は新大使の合意を与えないから野田政権は困っていると。

 それを国民に教えようとしないのだろうか。




 氏の「ブログ全体の主張」が正しいか否かはともかく、すくなくとも「とっくの昔に木寺駐中国大使の閣議決定がなされていなければならないはずだ」という部分は、間違いないものとして信用してよいと思います。

 元外交官でなければ、こういった「常識」(または慣例) はわかりません。そして(元)外交官であれば、経験上、誰でも間違いなく「わかる」ものだと思います。

 そして氏の経験をもとに考えれば、いかに西宮伸一駐中国大使の急死といった事情があろうとも「遅すぎる、おかしい」のです。



 とすれば、やはり「なぜなのか」が問題となり、

 その答えはやはり、氏の分析通り、「いつまでたっても中国政府が新大使に対する合意(アグレマン)を出そうとしないから」だという以外には考えられないのではないかと思います。



 ここで、私が昨日引用した日経の報道を見てください。といっても面倒だと思いますので、再び引用します。



日本経済新聞」の「中国の日本不要論「大変傲慢」 丹羽大使離任会見」( 2012/11/26 20:23 )

 【北京=島田学】近く離任する丹羽宇一郎駐中国大使は26日、北京の日本大使館で記者会見し、約2年半の任期を「心残りもある。今は風と雨の時代だが、日中関係の将来に明るい思いを強く持っている」と振り返った。就任直後に沖縄県尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件、離任直前には尖閣問題を巡る反日デモが発生した。会見では開口一番に「尖閣で始まり尖閣で終わった」と語った。

(中略)

 丹羽氏は2010年6月に就任、今月28日にも離任し帰国する。伊藤忠商事の経営者から中国大使となった丹羽氏は「官僚の特徴である前例主義にとらわれず、新しい発想で様々な試みをしてきた」と民間大使の意義を強調した。後任の木寺昌人前官房副長官補は12月中にも着任する。

 これに関連し、中国外務省の洪磊副報道局長は26日の記者会見で「日中関係の改善、発展において丹羽氏の努力を評価する」と語った。新大使の木寺氏には「日中関係の回復へ努力してほしい」と求めた。




 私が何を言いたいか、予想がついたのではないでしょうか?

 そうです。記事では、中国外務省の洪磊副報道局長が26日の記者会見で新大使の木寺昌人氏について、「日中関係の回復へ努力してほしい」と求めた、と報じられています。

 つまり、中国側が木寺大使に対する合意(アグレマン)を出した (または出す) 、ということです。

 これは日中関係が改善に向けて動きだす、ということを意味しています。

 もちろん結果として改善しないかもしれませんが、すくなくとも日中関係が再び「改善に向けて動きだす」ことは間違いないと思います。



 報道によれば、木寺新大使は有能な外交官らしいです。元外交官の佐藤優氏も木寺大使は有能である、と言っています。

 期待してよいと思います。



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