言語空間+備忘録

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第三次ポエニ戦争の教訓

2009-05-26 | 日記
是本信義 『経済大国カルタゴ滅亡史』 (p.200)


 さて、ローマに後押しされたヌミジアの傍若無人の侵略に耐えかねたカルタゴは、ついにヌミジアに対し開戦した。
 これを条約違反としたローマは、紀元前一四九年、マンリウス、センソリウス両執政官の指揮のもと、八万のアフリカ遠征軍を編成して、シシリー島西端リリベウムに進出させた。
 驚いたカルタゴは、再度、使節を派遣して弁解につとめたが、ローマ元老院は、
「貴国がもし名家の子女三〇〇名を人質としてローマに送るならば、今回の罪を許し、その独立を保証する」
 と通告した。
 とにかくどんなことをしてもローマの怒りをなだめようとするカルタゴは、この理不尽な要求に屈し、カルタゴの子女たちは泣く泣く故国をあとにローマに送られたのであった。
 この人質をうけとったローマは、その約束を反故にし、さらにアフリカに兵を進め、かつて大スキピオが陣を張ったウチカに上陸した。
 この約束違反に強く抗議するカルタゴに対しローマは、
「貴国をヌミジアの侵略から守るため、わざわざアフリカに渡った。以後の貴国の安全はローマが保障するので、貴国は無用となった武器すべてを差し出せ」
 と厳命した。
 いまはローマの意をうかがうのに汲々とするカルタゴ政府は、愚かにもいわれるままに、その持てる武器である鎧、楯、鎗、剣など一式二十万組、投石機(カタパルト)二千基を差し出した。
 この武装解除により、カルタゴの防御力を奪ったローマは、最後の難題を吹きかけた。
 彼らは、カルタゴが常にことを起こして地中海の平和をそこなうのは、その海洋国家としての対外進出にあるとし、現在のカルタゴ本市をすて、内陸十二マイルに移転すべしと命じた。

(中略)

この期に及んでようやくローマの本心を知ったカルタゴは、もはやこれまでとローマと一戦することに決し、かつて死刑を宣告した勇将ハスドルバルを呼びもどして全権をあたえ、あらためて戦備に狂奔するのであった。

(中略)

 カルタゴ本市の市民七十万のうち、生き残った者わずかに五万。この者たちは、のちにすべて奴隷に売られた。


 引用部分は、第三次ポエニ戦争開戦の経緯と、終戦後の状況を示しています。

 要は、ローマから難癖をつけられたカルタゴは、譲歩に譲歩を重ねたあげく、やむなく戦争に至り、負けた。ほとんどすべての住民が死に、わずかに生き残った者も、奴隷として売りとばされた、というのです。

 ローマに目をつけられたのは、カルタゴが金持ち国で、繁栄していたのが原因。

 この話から導かれる教訓は、
  ・他国を侵略しなければ戦争にはならない、攻撃されない、というのは幻想である
  ・降伏すれば国民は助かる、というのも幻想である
  ・他国 (国際社会) の目があるから理不尽な攻撃を受けるはずがない、というのも幻想
ではないかと思います ( もっとも、現代にはあてはまらない可能性はあります ) 。