英語・ダイエット・その他徒然なるままに

趣味の英語学習(TOEIC 970点)やダイエットの成功談など、色々書いていきます。

向き不向き

2015年09月05日 21時53分58秒 | 英語
少し間が空きました。

前回、受験勉強を楽しがる子が必ずしも社会に出てから勤勉な人間になれるとは限らないという話をしました。要するに、人から与えられる勉強に慣れ過ぎてしまうと、結局は「受け身」の人間になるのがオチ、ということが言いたかったわけです。

しかし、例えば仕事とか、仕事に結びつく勉強とか、どうせやらなきゃならない事なら、楽しくやった方がいいに決まっています。いや、楽しくないととてもじゃないけど続けられないでしょう。半ば義務的な仕事や勉強を少しでも楽しいものにするためにどのような工夫をすればよいのか、そういう事を自分自身でしっかり考えられる人間になることが大事なのです。受け身人間はそういう時でも人からマニュアルを仕入れるという発想しかしません。「TOEICで900取るための参考書を教えて下さい」なんて質問をする輩は、その最たるものです。そんな質問をするアホウは私は相手にしません。「英語の何が面白いんですか?」こういう質問をしてくる人と、私は話がしたい。

先に言っておきますが、今日は疲れてますので深い話はしません。私自身が何を面白い、何を面白くないと思うかというマッタリとした話をします。なので、適当に流してください。

前にこのブログの中でチラッと書いたと思いますが、私は基本的に沢山の種類があるものを暗記して知識を片っ端から頭の中に叩き込んでいく営みを”楽しい”と感じる人間です。子供の頃は虫の名前をひたすら暗記するのが楽しかったですし、大人になってそれが英語の暗記に変わっただけです。どちらかというと断片的な知識を大量に仕入れていく営みに向いている人間なのでしょう。言語学習なんて、所詮そんなもんです。文法だの何だの偉そうに言ったところで、論理的整合性なんてほとんど関係ありません。単語とか熟語とか、定型表現をいかに沢山知っているか、結局はそれだけです。そして、それらを一旦覚えて身につけてしまえば、いざそれらを使う時にはほとんど頭を酷使しない(当たり前ですよね。万人のためのツールなんですから)。しかも、覚えるのに学ぶ順序の制約もない。好きなものを好きな順番で覚えていけばいい。この二つの特性が、私はたまらなくラクだと感じるんです。だから、英語学習は私にとって、特別な手段を講じなくてもラクに、楽しく続けていけるものです。

逆に、”学ぶ”という観点から私が苦痛だ、自分には向いていないと強烈に感じるものが、”将棋”です。将棋、全く覚えられません。駒の動かし方を覚えるだけでも苦痛で、いまだによく分かりません。たまーに真面目に勉強してみようと思ってトライするのですが、無理です。私は英語音痴の人を理解できませんが、将棋が得意な方からすると私のような将棋音痴は理解できない人種かもしれません。

駒の動かし方だけならまだしも、同じ列に歩を二つ置いちゃいけないとか(二歩って言うんですかね?)、どこそこのエリアに入ると裏表がひっくりかえるとか、駒の取り合いをしてお互いに何の駒を持ってるかとか、色々なことを同時に考えないといけませんし、ルールも複雑すぎる。私にはとてもこなせません。決してパズル系全般が苦手という訳じゃないんです。数学的な論理系も特に苦手という訳でもない。でも、将棋だけはダメ。頭が付いていかないです。きっと頭の作りが”同時思考”に向いていないのだと思います。

将棋といえば羽生。私と同世代の人ですけど、羽生さんの何がどれだけ凄いのかを理解したくても、棋譜を追いかけることができないから、実感としてあの人の凄さを味わうことができない。将棋が理解できたらもっとあの人の凄さが分かるんだろうなーといつも思うのですが、無理ですねぇ。

このように、人それぞれ、向いているもの、向いていないものはあります。体育系じゃない文化系の営みの中だけでも、得手・不得手があります。だから、優秀な人でも”英語だけはどうしてもダメ”という方も当然おられるでしょう。そういう人に英語の楽しさを理解しろと言っても多分無理なのでしょうね。私がいまさら将棋の世界を理解しようと思っても多分無理なのと同じように。関わらない方がよい分野というのは、誰にでもあるのです。私にとって将棋はこの世で最も”難しい”と感じるものです。同じように英語を”この世で最も難しい物”と感じる人への最適な処方箋とは何なのか、これは今の私にも分かりませんね。