青島神社の入り口。横は「鬼の洗濯岩」である。
会社の慰安旅行で大阪から日向(ひゅうが、宮崎県)までフェリーで行き、
宮崎、鹿児島旅行に行った思い出はあるが、ほとんどが鹿児島の観光地を巡った。
だから、自分の中では、宮崎は未踏の地だった。今回、宮崎の温泉巡りをしたが、
思った以上に魅力的な観光地だった。
宮崎…。宮崎と言えば、中学時代のある男を思い出す。自分も九州男児、鹿児島生
まれではあるが、5歳から山口県新南陽市(現・周南市)で高校まで過ごした。だか
ら彼、Yが宮崎から転校してきたときは大いに歓迎した。彼の宮崎弁は耳に心地よ
く、毎日一緒に遊んだ。ともに家は貧乏、食うものも食わず、欲しいものは手に入
らず、それでいて文句も言わず…。男はじっと我慢ーそんな毎日だった。
中学3年の時、ある事件が勃発し、それまで一枚岩の、仲が良かったグループが二
分した。彼がAのトップ、そして自分がBのトップだった。毎日学校で小競り合い
が続き、いよいよ総勢の対決間近だった。それを知らせに来たのは彼だった。昼休
みに彼ひとりが我々(20名ぐらい)の前に来て、「××で、5時に待っている」と告
げ、自分を睨んだ。
その時、自分のグループ(B)の一人が、「お前、ええ根性しているじゃないか」と
言い、いきなり彼の顔にパンチを食らわした。その男は体も大きく、力自慢でYは
吹っ飛んだ。しかし、彼はそれで終わらなかった。Yは数秒倒れていたが、むくりと
立ち上がり、鳩尾(みぞおち)に逆襲のパンチを出した。それが見事に決まり、逆に味
方の男がうずくまってしまった。「じゃあ、待っているから」と、彼は何事もなかっ
たように教室から出て行った。
その騒動を見ていた女生徒が学校に通報し、対決は未遂に終わったが、Yの評判はう
なぎ上りになった。事件は誤解から生じた事が判明し、まだグループは一枚岩になっ
た。自分とYは、元の親友に戻ったのである。しかし、彼は中学卒業後に行方をくら
ました。彼の家族も一家離散、まったく情報が途絶えてしまった。
それから7、8年後、大阪で彼の存在を知ることになった。自分も田舎の生活が嫌にな
り、突発的に大阪に出てきたのだが、彼の名前を聞くことになるとは思ってもみなか
った。それも、大阪ミナミの居酒屋である。友人と飲んでいると、隣の席で喋ってい
たヤーサン二人の会話が衝撃的だった。『宮崎生まれのメチャ喧嘩の強い男、男前で、
組長の娘が惚れて、将来の組長候補」…。
最初は、「まさか!」と思っていたが、Yの本名を聞いて間違いないと思った。その
組は大阪市内ではなく、大阪の地方都市だったが、一般人だった彼が何かの弾みで喧嘩
騒動になり、相当に暴れたらしい。それを見ていた組の幹部がスカウトしたというが、
彼の生活も行き詰っていたのではないかと思う。大都会で徒手空拳でのし上がることな
ど、夢また夢である。
その後は何も知らないし、知りたくもなかった。彼にはゆるぎない根性があった。「や
くざは嫌いだ」と言っていたが、それは将来の自分を予想していたのではないか…と思
う。何十年前のことを、宮崎市青島の温泉ホテルで、しばし回想にふけった。
会社の慰安旅行で大阪から日向(ひゅうが、宮崎県)までフェリーで行き、
宮崎、鹿児島旅行に行った思い出はあるが、ほとんどが鹿児島の観光地を巡った。
だから、自分の中では、宮崎は未踏の地だった。今回、宮崎の温泉巡りをしたが、
思った以上に魅力的な観光地だった。
宮崎…。宮崎と言えば、中学時代のある男を思い出す。自分も九州男児、鹿児島生
まれではあるが、5歳から山口県新南陽市(現・周南市)で高校まで過ごした。だか
ら彼、Yが宮崎から転校してきたときは大いに歓迎した。彼の宮崎弁は耳に心地よ
く、毎日一緒に遊んだ。ともに家は貧乏、食うものも食わず、欲しいものは手に入
らず、それでいて文句も言わず…。男はじっと我慢ーそんな毎日だった。
中学3年の時、ある事件が勃発し、それまで一枚岩の、仲が良かったグループが二
分した。彼がAのトップ、そして自分がBのトップだった。毎日学校で小競り合い
が続き、いよいよ総勢の対決間近だった。それを知らせに来たのは彼だった。昼休
みに彼ひとりが我々(20名ぐらい)の前に来て、「××で、5時に待っている」と告
げ、自分を睨んだ。
その時、自分のグループ(B)の一人が、「お前、ええ根性しているじゃないか」と
言い、いきなり彼の顔にパンチを食らわした。その男は体も大きく、力自慢でYは
吹っ飛んだ。しかし、彼はそれで終わらなかった。Yは数秒倒れていたが、むくりと
立ち上がり、鳩尾(みぞおち)に逆襲のパンチを出した。それが見事に決まり、逆に味
方の男がうずくまってしまった。「じゃあ、待っているから」と、彼は何事もなかっ
たように教室から出て行った。
その騒動を見ていた女生徒が学校に通報し、対決は未遂に終わったが、Yの評判はう
なぎ上りになった。事件は誤解から生じた事が判明し、まだグループは一枚岩になっ
た。自分とYは、元の親友に戻ったのである。しかし、彼は中学卒業後に行方をくら
ました。彼の家族も一家離散、まったく情報が途絶えてしまった。
それから7、8年後、大阪で彼の存在を知ることになった。自分も田舎の生活が嫌にな
り、突発的に大阪に出てきたのだが、彼の名前を聞くことになるとは思ってもみなか
った。それも、大阪ミナミの居酒屋である。友人と飲んでいると、隣の席で喋ってい
たヤーサン二人の会話が衝撃的だった。『宮崎生まれのメチャ喧嘩の強い男、男前で、
組長の娘が惚れて、将来の組長候補」…。
最初は、「まさか!」と思っていたが、Yの本名を聞いて間違いないと思った。その
組は大阪市内ではなく、大阪の地方都市だったが、一般人だった彼が何かの弾みで喧嘩
騒動になり、相当に暴れたらしい。それを見ていた組の幹部がスカウトしたというが、
彼の生活も行き詰っていたのではないかと思う。大都会で徒手空拳でのし上がることな
ど、夢また夢である。
その後は何も知らないし、知りたくもなかった。彼にはゆるぎない根性があった。「や
くざは嫌いだ」と言っていたが、それは将来の自分を予想していたのではないか…と思
う。何十年前のことを、宮崎市青島の温泉ホテルで、しばし回想にふけった。