日本人に生まれて

前期高齢者の仲間入りをしました。昭和、平成、令和を振り返りながら、日常の出来事を綴ります。

よかれと思ってしたことでも余計なお世話になることもままあります。2021/08/23

2021-08-23 23:08:59 | 政治

     今日の言葉
 
苛政は虎よりも猛し(かせいはとらよりもたけし)         『礼記』
[悪政は人を食い殺す虎よりおそろしいというたとえ]

孔子が泰山のふもとを歩いていると、一人の婦人が墓の下でないており、そのわけを聞くと、婦人は「夫と子どもと舅が虎に食い殺された」と答えた。それならば何故この地から出ていかないかと尋ねると婦人は「ここでは税金を取り立てるむごい政治がおこなわれていないと答えた」と言ったという故事に基づく。 故事ことわざ辞典より




8月23日(月) 晴 B勤

今日の日は
「白虎隊の日」
1868年、戊辰戦争で会津藩の白虎隊が飯盛山自刄した

歴史上の出来事

2008年(平成20年)
ヤンキース松井秀喜が日米通算444本塁打を放つ。巨人時代の監督・長嶋茂雄の記録に並ぶ

2003年(平成15年)
世界体操選手権の種目別あん馬で鹿島丈博選手が優勝。同種目では日本人選手初の金メダル

1953年(昭和28年)
NHKがプロ野球を初めてテレビ中継

1935年(昭和5年)
吉川英治の「宮本武蔵」が朝日新聞で連載開始

1914年(大正3年)
第一次世界大戦で日本がドイツに宣戦布告

横浜市長選挙の結果

新横浜市市長に山中竹春氏が決まりました。

小此木八郎氏は、残念ながら落選しました。自民党での役職を歴任任、祖父、父親、そして本人、三代に渡って議員を勤めたので、地元での信頼は篤いものがあったかと思います。8人の立候補者の中でも政治家としての実績、知名度、は、当選に一番近い人ではないかと予想してしました。菅首相のバックアップも受けていたにもかかわらずにです。勝負は水物、下駄をはくまでわかりません。

落選の要因は、菅首相とのつながりがマイナスに働いたのではないでしょうか?五輪後の支持率アップを狙ったにもかかわらす、内閣支持率はあがらません。それどころか28%という数字は、国民投票の支持をえられていないことの証明になります。完全に菅内閣は死に体になりました。どのような幕引きになるのか興味がわいてきます。というわけで、小此木氏は議員を辞職し、必勝をきして出馬しましたが落選。原因は菅首相の不人気が足を引っ張った格好になりました。

任期満了による衆院選があります。この調子でいくと野党の大幅議席増しもありそうです。ということは、自民党の勢いがそがれるということになります。

手のひらを返し

国民の思いは、熱しやすく覚めやすいのは全世界共通です。強い旋風が起こればその方向にむかってしまいます。そこには、理性がなくなり感情むき出しになります。国民という大衆は流されるのが常です。

与党から野党に政権が移動したとき、”マニフェスト”という横文字のもと、景気よく”仕訳”を実行しました。「二番ではだめなんですか」このことばが耳にこびりついています。インフラの予算を削減し、台風の襲来したときにダムが役に立たず、被害がでたこともありました。そのときは、誰も責任をとりませんでした。政治家というのは、大風呂敷を広げ発言しますが、ほとんど実現したためしはありません。小池都知事の公約が典型的なものです。公約を実行するそぶりもまったくありません。

支持するのも、見捨てるのもはやいのが、大衆の得意技です。ちなみに、小池都知事の公約を載せておきます。懲りずに投票する人もいるのです。一票は1票です。

                         





今日の曲は


今日の記事三連発です。
横浜市長選から一夜 山中竹春氏が当選(tvkニュース(テレビ神奈川)) https://news.yahoo.co.jp/articles/02043ab3fc7af40ad74b235c681372247cf6f32c
菅首相「現職総理で史上初の落選」危機! 横浜市長選で地元有権者もソッポ(日刊ゲンダイDIGITAL) https://news.yahoo.co.jp/articles/9a007991742fb6f8d66ed9d360e5135c28df2659
野党勝利の裏に元「自民党プリンス」 若手連れ黄門行脚 https://www.asahi.com/articles/ASP8Q4VY9P8LUTFK00C.html


キズナをなくした日本人、行き場もなくしました。20た21/08/22

2021-08-23 06:25:00 | 社会
    今日の言葉

結局私たちの社会は約束事で成り立っているのだから、約束を守らなかつたら信用を失って孤立しかねない。社会人の義務として約束は守ろう
菊池寛「私の日常道徳」


   

8月22日(日) 晴 A勤

今日は
「チンチン電車の日」

歴史上の出来事

2004年(平成12年)

アテネ五輪女子マラソンで野口みずきが金メダル。前回シドニー五輪の高橋尚子に続き、日本勢として2大会連続の優勝

1988年(昭和63年)
山陽相互銀行がトマト銀行に改称

1981年(昭和56年)
作家向田邦子さんら搭乗の旅客機が台湾で墜落。110名死亡

1952年(昭和27年)
第一回全日本大学選手権大会が神宮球場で開幕

1910年(明治43年)
日韓併合条約を締結
Y!キッズより

特上・上・並・並下、四分割された日本人

所詮、下級国民は自宅療養、そして診察されることなく、「南無阿弥陀仏」、隔離され、火葬により骨だけが残り、骨壺に入れられるか、散布されるかどちらかになります。樹木葬などの新方式も話題を集めていますが、墓にはいれればいいほう、無縁仏として始末されてしまう遺骨もあるでしょう。人生の終焉は様々です。

コロナ禍で、よりいっそう上と下級国民に分断されてしまいました。前に「最」がつき、四分割にされました。デフレ経済で、給料が上がらず、消費税のような重税が肩に乗り、貧しい人はより貧しくなりました。人間同士、お互いが貧困になり、他人の面倒などみれる余裕ははありません。「貧すれば鈍する」、生活に余裕がなければ、他人のことなどかまってられません。自分が生きていくのがせいいっぱいです。自助努力は絵に描いた餅になりました。 
    
「懐さむし、心底冷える令和かな」

分断された原因の一つは貧富の格差が拡大したことです。また、最上級国民は、自分の地位と特権を利用、最下級国民の犠牲のもと、好き&やり放題です。役人の検査入院と同じ頃、妊婦さんの受け入れ病院がなく死亡されたというニュースがありました。コロナ禍の象徴的な出来事でした。

封建から自由平等の社会へ

分断された二つめの原因は、戦前と戦後の価値観の変化です。縛りのある封建からない自由へ、暗から明へ変わりました。戦前は家制度というものがあり、長男が家督を継ぐ代わりにその家の主としての義務を課せられました。戦後はみな平等ということになり、兄弟姉妹、継げるものが継げばいいという考え方になりました。すると、自由ということは、逆に不自由になります。いい例が、「親の面倒」をだれが見るのかという問題です。家制度があればそんな問題は起きません。そのタガが外れれば、誰が「親の面倒」をみるのか責任のなすり合いが始まります。束縛をはずすのは簡単ですが、後始末が大変で、親子のキズナが希薄になります。それにより、先祖から受け継がれてきた血脈の分断がおこりました。誘発したのが「核家族」という形態です。そして、また核が分裂し、親子がバラビラになり、挙句の果てが、孤島で暮らすがごとく、独身者や独居老人が増え続けています。

「井戸端会議」という言葉もなくなり、近所付き合いもなくなりました。結果、他人への“おせっかい“もなくなり、横の絆もなくなりました。隣にすんでいるひとはだれかな?向こう三軒両隣も死語になりました。

経済と人間関係がずたずたになった令和です。

今日の記事です。

杉田官房副長官、就任3134日で在職歴代最長に「代わりが務まる人いない・・・・」
読売新聞オンライン
2012年に発足した第二次安倍内閣で官僚機構の頂点である事務担当の官房副長官に就いた。17年8月からは、省庁幹部人事を統括する内閣総理大臣人事局長を兼務し、「官邸の要」(加藤官房長官)として霞ヶ関を統率している。

杉田官房副長官「発熱で検査入院」に大ブーイング! そして聞こえる後任人事“本命と対抗”(日刊ゲンダイDIGITAL) https://news.yahoo.co.jp/articles/4a7af8c345b051a4d007bf4f49cd11465183bd5e
今日の曲は



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