日本人に生まれて

前期高齢者の仲間入りをしました。昭和、平成、令和を振り返りながら、日常の出来事を綴ります。

収入源を探して

2018-02-16 18:53:18 | 日記
 年齢満六十四歳になりました。健康面と精神面は何も問題はありません。目標は九十歳まで生きることです。両親は二人と九十二歳でなくなりました。親よりも長く生きることが親孝行になるのではないかと思う今日この頃です。
 生きていく上で必要なものは「衣食住」です。先立つものはお金です。一つの収入源では心もとないので複数の収入源を確保すべく努力しています。その一環として株を購入しようと口座を設け、入金する寸前まで準備していました。そうしたら、その日に、日米の株価が突如下落しました。その結果、自分は株で儲けようとする気分はすっ飛びました。
 先月より、シェアハウス「かぼちゃの家」が問題になっています。何年か前に
自分もオ―ナ―になることを検討したことがありました。社名が「スマートハウス」の頃です。家賃保障、メインテナンス、女性入居者紹介等、魅力あるフレ―ズがうたわれていました。財源の確保の一方法の説明を受けました。あらましは以下のとおりです。
 「若い女性にしぼりこんで入居者を募集します。地方から都会へ働きたいと希望される女性を企業に紹介します。その紹介料も家賃と同様収入源になりますのでオ―ナ―さんには安心して賃貸経営ができす。」
なぜ、断念したかというと土地が狭くて四部屋しかとれないので採算が合わなかったからでした。被害者の一人として自己破産になったかもしれないことをかんがえると背筋がぞっとしています。
 株とシェアハウス危うく損害をこうむるところでした。運の良い人生をおくれていることに感謝しています。懲りずに別の収入源を探してみます。ちなみに、給料、年金、アバ―ト一棟の家賃三本柱で暮らしています。

肉体は正直である。

2018-02-14 09:23:30 | 日記
 生活習慣病の検査が年一回八月にあります。再検査の項目の左枠に○が毎年増えていきます。昨年は三ヶ所でした。聴力、心電図、血便です。血便の原因は大腸ポリープでがんステージ1でした。摘出も無事すみ、五年間経過観察し再発するかどうか様子見です。3月に血液検査の予定をいれてあります。

 今日は聴力の検査を受けに地元の耳鼻咽喉科に行きました。結果は加齢による軽度の難聴でした。経過様子見です。検査用のボックスに入り音が聞き取れたらボタンを押す。神経を研ぎ澄ませて真剣にやりました。人間ドックに比べて密室ですので音が聞きとりやすかったです。

 がんに難聴、二つの再検査が終了しました。心電図の再検査は去年に済んでいます。会社に三つの検査解決の報告をします。
 「前門の虎後門の狼間に獅子」
去年の習慣病の三大問題が解決しました。
一番の収穫はダイエットできたことです。
約10キログラム減量できました。退院後、1ヶ月たちますがリバウンドせずに維持できています。

 節酒が最大の効果発揮されてます。一昨年は血圧と血の脂質が再検査の項目に並びましたが今は正常です。この二年サプリメントを飲んでいたからです。しかし、入院中血圧測定しでも正常でした。病院食と禁酒のおかげでした。

 これから、節酒と腹八分目で日々暮らしていきます。今年の夏に行われる生活習慣病の検査の結果が楽しみです。正直に反応してくれる自分の五臓六腑を大切にしなから。

 

大腸ボリ―プ摘出後の食事

2018-02-13 15:24:17 | 日記
 2月9日午前中に入院手続き終わり910号に入室しました。看護士から入院時の注意事項の説明を受け、仕上げにビデオを鑑賞しました。印象に残ったのは転倒場面で、きちんとインプットしました。
 「転倒して骨折でもしたら入院期間の延長しなければいけない。気を付けよう。」
肝に命じながらバジャマに着替えをしました。余談ですが、ゆかた、ガウン、甚平の三種類があり自分は甚平を選びました。

 翌日の手術に向けて準備にとりかかります。まずは異と腸をきれいにするために2リットルの下剤入りのお水を一杯180ccを10分から15分かけて飲みます。1リットル過ぎるころからトイレに分刻みでかけこみます。便が透明な水になればおしまいです。その状態を看護士に確認してもらい「OK」がでるまで駆け込みは継続します。

 無事に自分も終了しました。お腹は空っぽになりました。点滴二種類セットされ、尿道に管を差し小水をビニールに入れるように準備万端、正真正銘の入院患者に変身しました。後はベッドに横たわるだけです。食物は口に入れることははできませんが空腹感はありません。点滴のお陰のようです。手術終わるまでは現状維持てす。
午後10時就寝、明日に備えて眠ります。

 2月10日夕方から手術開始しました。
時間が三時間の予定が倍の六時間かかりました。脂肪が患部にまつわりついていてはがす過程が大変だったようです。とにもかくにもベッドに無事生還できひと安心でした。麻酔が徐々にきかなくなりジワリ傷口が痛みだしました。こらえながら安静にす以外になす術がありませんでした。

 翌朝から大腸が癒着しないように点滴棒を杖がわりに廊下を往復します。三日間食事していなかったので回収された朝食のトレーの上に食べ残しがかなり残っていました。歩きながらおもわず手がでそうになりました。我慢です。夕方も往復します。夕食のトレーも朝と同じでした。少し朝より豪勢です。ここも我慢でした。

 手術してから六日目の夕方に食事が出されました。下記のメニューです。

生まれて初めて三分粥をたべました。三分とは、お湯十に対して、米が三の割合しかはいっていないということです。確かにお湯の中に米つぶが浮いている状態でした。始めにさじに粥をのせて口に運びました。胃の中は空、腸はしぼんでいますので、久しぶりの感触に五臓六腑も喜んでくれました。ゆっくりと味わいながら副菜と交互にいただきました。仕上げはヨ―グルトです。満腹感はまったくえられません。腸を摘出したので、消化に負担をかけないように配慮した献立と頭では理解できましたが
気持ちは真逆です。いつ銀シャリがでるのかと楽しみに待つことにしました。

 翌日の朝昼夕食、次の日の朝食まで三分粥でした。昼から全粥300に昇格しまた。
米がぎっしり詰まっているお粥です。前の粥に比べれば食べごたえ充分です。この日のおやつがでました。びっくりしました。懐かしいたまごポ―ロと200ccの牛乳でした。おいしくいただきました。そして最後の食事は退院する日の朝食です。またも全粥300でついに白米はお預けとなりました。

 入院した十日間最大の自慢は約10キログラム減量できたことです。恐ろしくて、現在ヘルスメ―タ―にのることは避けています。晩酌はお湯割り一杯、食事は腹八分で栄養日々過ごしていくつもりです。

 

大腸がんになるお酒の飲み方

2018-02-11 19:46:38 | 日記
 お医者さんに言われました。
 「お酒の飲みすぎですね。チャンポンしましたね。」
 「そのとおりです。」
 患部を見ただけでズバリ当てられてしまいました。

 大腸がんで入院する前のある休日のお酒の飲み方を申し上げます。
 お昼はビールとカップ麺です。それから夕方まで芋焼酎「黒霧島」を20ccストレートで五杯、夕食時に白スパークリングワインを家内と一本空にします。とどめは就寝までに「黒霧島」を20ccで ストレートで四杯仕上げです。ものすごいいびきをかいて寝てると家内が申しました。翌朝の寝起きがシャキットせずからだが鉛がついたみたいに重いのです。

 退院してからお酒の飲む量を減らしました。30ccの芋焼酎に対して470ccのお湯で薄めで時間かけていただきます。約15分ぐらいです。熱いので冷ましながらのむほかないのです。手術後、一ヶ月すぎましたので焼酎お湯割りのほかにスバ―クリングワインをワイングラス一杯いただきました。
就寝前に少し頭が痛みました。原因は二種類のお酒を飲んだことしか考えられません。   「二日酔い」
  「まじかよ!ウソだろう!」
心の中で絶句してしいました。アルコールを受け付けない体になりつつあることに
逆に感動を覚えました。

 大腸ポリ―プの原因がお酒です。これからは、焼酎お湯割り一杯の晩酌で我慢していきます。500cc飲めばお腹いっぱいになります。節酒が、がん摘出後の一番の教訓となりました。

続きはまだあります。
 
 生活習慣病の再検査を指摘された項目は
大腸ポリ―プのほかに。血圧、心臓、難聴それにメタポです。還暦越えると続々と体のひずみが白日のもとにさらされます。これらの敵に打ち勝つことにより少しでも寿命を伸ばしたいと思う今日このころです。