日本人に生まれて

前期高齢者の仲間入りをしました。昭和、平成、令和を振り返りながら、日常の出来事を綴ります。

いつの時代でも息抜きは必要です。若き日の平凡と明星へ感謝の気持ちを捧げます。2021/08/19

2021-08-21 00:50:00 | 日記
     今日の言葉

世にしたがえば、身苦し、したがわねば、狂せるに似たり   鴨長明「方丈記」


8月20日(金) 晴 B勤

今日は
「交通信号の日」
1931年、東京・銀座や京橋の交差点に、日本初の3色灯が自動交通信号機が設置された

歴史上の出来事

2006年(平成18年)
全国高校野球選手権大会の決勝で早稲田実業と駒大苫小牧付属が延長15回の引き分け。翌日37年ぶりの再試合となる

2000年(平成12年)
6月の全米オープン、7月の全英オープンに続き、全米男子プロゴルフ選手権でタイガ-ウッズが優勝。メジャー3連勝は史上初

1987年(昭和42年)
マガジンハウスが「平凡」「週刊平凡」の休刊(事実上廃刊)を発表

1980年(昭和55年)
世界最高峰エベレストの無酸素登頂に単独登頂成功

1941年(昭和16年)
高村光太郎が詩集「智恵子抄」を発表

週刊平凡VS週刊明星

              

1959年に週刊平凡、1958年に週刊明星が創刊されました。テレビ、ラジオ、映画で活躍している俳優、歌手、コメディアン等、スターの写真、記事が満載で、情報を得ていました。

きら星のごとく、次々とスターが誕生しました。そんな中で、三人娘、ご三家というふうに、日本人は”三”という数字を好んで使いました。代表的なご三家は、青春歌謡の橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦でした。毎日、青春ソングを口ずさんだものでした。

特に、記憶にあるのは、小学校の卒業式に合唱したのが「高校三年生」でした。歌詞の一部高校三年生を小学六年生に変えただけのものでしたが、ピタリ賞でした。中学の卒業式も同様なことをしたような気がします。

そんだけ、生活の中の一部として我々の世代には欠くべからざるものでした。平凡、明星のグラビアを切り取り、壁に貼ったり、定期入れのサイズに合わせて切ったり、それぞれの楽しみ方がありました。

平凡は1987年に廃刊になりましたが、私の青春の1ぺ-ジとして死ぬまで記憶に残っているでしょう。明星もしかりです。歴史上の出来事にでてきたので、ちょっと書いてみました。

今の時代に欠けているもの、ライバルがいなくなったことです。両雄並び立たずということわざがありますが、今は、一強の時代になりました。おれに従わないものは押しつぶせ、力で制圧される時代になりつつあります。昭和は自民党と社会党の二大政党がありました。令和は自民党と公明党のタッグで一党独裁状態です。平凡と明星のように競い合う環境を作らねばなりません。

追伸

議員の醜聞は日替わりで報道され、いかにいい加減な議員が多いか実証されています。

立民・小川淳也衆院議員「墓参りで実家へ」ツイートに批判殺到→謝罪「軽率だった」(デイリースポーツ) https://news.yahoo.co.jp/articles/01b141916048390391b23ff4f75d9d8188921455

今日の曲は


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