まつなが畑のはたけ日記

農ある生活をするため奈良御所市金剛山の麓に農地を借りスタート
素人農業の何気もない日々の日記

畑のようちえん

2010年04月14日 20時31分43秒 | Weblog
今日は畑のようちえんの日。

皆が保育中私はハウスでトマトの植替えをする。いよいよ忙しくなってきて作業が常に停滞しているという時期に入ってきた。

午後からは母親ミーティングに参加する。
だんだん皆さんが打ち溶け合ってきているように思う。
そして皆さんが帰ってから二人で2次ミーティング。

見えてくるのは都会と田舎の生活の差。
あるお母さんが「子供から目が離せない」という。続いて「私も」という声が聞こえる。

私達の普段の育児は少々子供の姿が見えなくても何とも思わない。それは太陽が危険な場所などある程度把握して親子関係がそれなりの信頼関係があるから。そして田舎だから。
都会は車通りも多いし身の回りには知らない人が多い。危険が多い。当然、目が離せない場所で私たちはそういう都会での育児は出来ないとここへ来た。

そして太陽を子供として、宝物として付き合うのではなく、一人の人として付き合う。太陽は生まれて2年半であるというだけ。
すると子供って本当に我がままなんだなぁと思う。
良く嫁さんが「周りの子供を見ているととても聞き分けが良い様におもう」と言う。子供に「あれしたらダメ」「これしたらダメ」と言い続けると聞き分けが良い子に育つのだなぁと我が子と比べて思う。

ここでは出来るだけ子供たちは自由に遊ぶ。
保育園と違い皆と一緒に何かをしなければいけないということはない。一人先に行っても、遅くても良い。水溜りにも靴が濡れようと服が濡れようと構わない。
大人が遊びを仕切るのでなく子供が遊びを自ら作り出すことを大事とする。
遊びを細切れにしない。
子供の気持ちを尊重し、大人の都合でものを言わない。
大人は出来るだけ口は出さない。

と言うのが私たちが思う保育なのだが今回嫁さんは皆との意識が違うように感じたようで少し悩む(でも母親ミーティングでは迷いもあり上手く伝えられなかった)次回の議題にしようと思う。

しかしそこで我が子を見て、こういう子に育つと都会くらしは大変だなぁ・・・と。服はすぐ汚れるし、時間は関係なく(子供は当然なのだが)遊ぶ、行こうと言っても聞かない。
くらしの延長線上での保育なのに田舎くらしと都会くらしの子供たちが果して同じ保育で良いのだろうか?と悩む。

私達の育児は出来るだけ太陽の自由にさせる。命に関わらないなら声に出さない。転ぼうが落っこちようが濡れようが死なないなら怪我をしても構わない。
彼は身体でここでの生き方を学ぶ。だから彼を信用できるようになる。

彼の自由を奪う権利は私たちにはない。
私達の手を離れれば彼は一人で生きなければいけない。その時に世の中の多くのしがらみにとらわれることなく自らの足で歩める人、自由を訴える力を持てる強い人になってもらいたい。という願いをこめて、
私たちは彼を世の中に送り出すという使命に責任を持って育児をしているつもりである。

決して世の中の風潮に流され、自らの意思と反してサラリーマンになることはして欲しくないのだ。なりたいなら構わないけど。

そして人が集まってくると周りの目が気なってくる。迷惑に思っている人はいないだろうか?都会から来て人を集めると言うのはどうなのだろう?
対策は練らないといけないものの、例えば村から手が上がり農業が出来なくなったとしてもそれは仕方ないと私は腹を括っている。決して農業の片手間ではない。
集まってくれる子供たちには責任をもって私たちは関わっていく。場を作っていく。

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