国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

東方見聞録

2017-03-31 | 日記
昨年と同じく出張にLindaを連れてきました。私が学会に参加している間、彼女は従姉妹夫婦のご厄介になります。

今回も前日は東京見物。もちろん訪問する場所は変えました。




噂には聞いていましたが築地は外国人観光客で溢れ返っていました。場内市場の見学は午前10時からということで私達はさっさと移動。

わざわざ一駅前からまで歩いて向かった(2kmぐらい?)というのに当日入場券の売場で90分待ちと聞かされて退散。相撲ファンのLindaのため両国国技館へ行くことにしました。


彼女は稀勢の里の大ファン。逆に嫌いなのが白鵬。ということでこの優勝額をバックに撮影するのは断固拒否。



ほとんど毎年のことですが、夜はとある音楽集団のファンによる「オフ会」に出席。Lindaと向かい合っている男性が場所をセッティングして下さったのですが、この方が手に持っているのは英西&西英辞典。学生時代にスペイン語を習っていたにもかかわらず昨年の会で彼女とほとんど会話できなかったため一念発起して教室に通い始めたとのことで、7ヶ月間学習した成果を見事に発揮されていました。Lindaにとっても日本語会話の良い練習になったはずです。


翌日私は講演会の開かれている都内の大学へ。ここへ来るのは11年ぶり2度目ですが、前回は農学部のある弥生キャンパスから外へは出なかったので、この建物や下の門などを実際に見たのは初めて。要はミーハーなのですが、春の講演会の開催地は農学系学部を持つ関東地方の大学による持ち回りなので、もしかしたらもう2度と来ることはないかもしれない(次にここで開かれる時も今の職に留まっている保証は全くないため)と思い写真を撮る気になりました。が、門の方は光の加減で赤がイマイチ出ていないのが残念。


この正門もたいそう立派なものです。ちなみに私の職場には門も塀も全くないのですが、地域住民との「壁」を作りたくないという初代学長(この大学の卒業生)の希望でそうなったとのことです。

2日目の午後は早めに抜けさせてもらってLindaを迎えに日野へ。(掲載許可を取ってないのでモザイクかけておきます。)

そして夜はパラグアイ関係者(同業者とその院生さん)との懇親会。(先に同じ。)二次会では滅多に足を踏み入れないところへ行きましたが、思い返してみればその前(たぶん2009年)も関東出張の時でした。あの頃と比べたら声帯がまるで鈍っているのに愕然。ボイストレーニングをしないとどんどんダメになりそうです。(それで生活している訳でもないので別に構いませんが。)なおこの歌詞を憶えていたのは自分でも驚きでした。

夜行バスで滋賀に戻り、帰宅後とんぼ返りで大学に来ています。眠気と闘いながら溜まった仕事(うち一つは今日締め切り)を片付けているのですが、世間(の一部)では「プレミアムフライデー」ということで私もサッサと帰りたいというのが本音です。うちは無関係なので許されるはずもありませんが。
Comments (3)
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