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朝鮮半島の歴史 (その8)

2018-10-13 12:12:29 | 朝鮮半島の歴史
 今回は、三代続いた軍人政権時代の韓国の歴史です。(1961年~93年) 私は何時も不思議に思うのですが、韓国の経済を発展させたのは軍人出身の朴正煕と全斗煥です。

【朴正煕の時代と韓国の復興】 1961年~79年
 1961年に軍事クーデタによって、(旧日本軍の中尉だった)朴正煕が政権を奪取しました。その後、大統領に就任し、暗殺される1979年までの約18年間、韓国を支配しました。非民主的な独裁政権でしたが、韓国の経済を飛躍的に発展させたのです。

 13年間(1952年~1965年)にも及ぶ交渉の末に、佐藤栄作首相と朴正煕大統領によって”日韓基本条約”が調印されました。(当時の韓国は”最貧国”でした。)

 日本からの援助金は、3億ドル(無償)、2億ドル(有償)と3億ドル(民間借款)で、ウイキペディアでは合計11億ドルとなっています。無償の3億ドルには”日韓請求権協定”により、韓国政府が個人に支給する分も含まれていましたが、その分も経済復興に流用してしまいました。(徴用工への未払い賃金分なども流用)

 韓国は朝鮮半島唯一の合法国家であると主張して来ました。日韓交渉でも北朝鮮分も含めた経済援助を要求したのです。従って、北朝鮮は日本に要求するのでは無く、韓国に経済援助を要求するのが”筋”です。

 日本からの援助金は、下記の事業に集中的に投資され、韓国経済が発展し始めたのです。
 ①浦項総合製鉄(現・ポスコ) :日本の製鉄企業が技術支援も行いました。
 ②京釜高速国道

 1963年~76年には、西ドイツに炭鉱労働者や看護婦を合計9万人ほど派遣し、膨大な外貨を獲得する事が出来ました。(西ドイツ特需)

 1964年から韓国は進んでベトナム戦争に参戦しました。韓国から派遣された兵士(延べ32万人)の給料はアメリカが負担し、その大半は韓国に送金されました。さらにアメリカは膨大な軍事援助と韓国製品に対する輸入規制の大幅緩和を行いました。(ベトナム特需)

 三星(サムスン)、現代、、韓進、大宇などの韓国企業が、ベトナムで道路建設、浚渫工事、輸送などを行い、外貨を獲得しました。その後、これらの企業は成長して”財閥”になったのです。

 西ドイツ特需、ベトナム特需及び日本からの援助によって”漢江の奇跡”と呼ばれている、経済発展を達成しました。 朴政権の末期には特需による外貨獲得が終わり、経済は停滞する様になっていました。

【崔圭夏】  1979年12月8日 – 1980年8月16日 約8か月
 1979年10月26日に朴正煕が暗殺されたあと、朴政権の首相を務めていた崔圭夏が大統領になりました。 民主化を進めようとしましたが、戒厳令下であり在任期間が短かったために、ほとんど成果をあげられませんでした。 なお、崔圭夏は東京高等師範学校(現・筑波大学)出身の文民でした。

【全斗煥と盧泰愚の時代】 1961年~92年
 朴正煕が軍事クーデタを起こして以来、30年以上に亘って軍人出身の大統領が続きました。 (崔圭夏大統領の約8か月は除く。)

①全斗煥の時代(1980年 ~88年)
  1979年に全斗煥は軍事クーデタ(粛軍クーデター)によって政権を掌握し、翌年に発生したクーデタ反対の民衆蜂起(光州事件)を鎮圧して、大統領に就任しました。 (光州事件では154名が殺害されました。)

 ”漢江の奇跡”と呼ばれた経済発展は終わり、経済は低迷していました。 反対を許さない独裁政権でしたが、全斗煥は経済について勉強し、経済学者や財界人の意見を聞いて、経済の発展に注力しました。 そして、かなりの成果を収めました。
 1988年 :ソールオリンピック開催

②盧泰愚の時代(1988年 ~93年)
 盧泰愚は、1987年に実施された直接選挙で大統領になりました。  (最初は間接選挙→直接選挙→間接選挙で大統領が選ばれて来ましたが、盧泰愚からは直接選挙が定着しました。)

 元軍人でしたが「民主的な政治を行った最初の大統領だ」と私は思います。 外交に注力して、以下の成果を上げました。
 1990年 :ソビエトと国交樹立  (翌年にソビエトは崩壊しましたが!)
 1991年 :国連に加盟(北朝鮮と同時) ・・・日本の加盟は1956年です。
 1991年 :南北基本合意書を締結(南北対話)
 1992年 :中国と国交樹立        ・・・日中国交正常化は1972年です。

 退任後、政治資金隠匿と光州事件への関与で逮捕され有罪判決を受けて服役しましたが、数か月後に特赦で釈放されました。

【北朝鮮によるテロ】
 朝鮮戦争後に北朝鮮が韓国に対して行ったテロ事件を列記してみました。(拉致事件は除く) 多くの韓国人が犠牲になっていますが、不思議な事に韓国は殆ど反撃していません。

 韓国には現在でも沢山”北朝鮮シンパ”がいます。 彼らは、「李承福事件と大韓航空機爆破事件は、李承晩と全斗煥が北朝鮮に悪いイメージを持たせるために仕組んだ自作自演劇だった」と主張しています。 彼らは、神の様に北朝鮮を信じている様です!

1958年 :滄浪号ハイジャック事件  (李承晩/金日成)
1959年 :李承福事件    (李承晩/金日成) 5~9歳の子供3人と祖母を殺害
1968年 :青瓦台襲撃未遂事件    (朴正熙/金日成)
1969年 :大韓航空機YS11 ハイジャック事件  (朴正熙/金日成)
1974年 :文世光事件 (朴正熙夫人の暗殺)  (朴正熙/金日成)
1983年 :ラングーン爆弾テロ事件  (全斗煥/金日成)
1987年 :大韓航空機爆破事件   (全斗煥/金日成)
1996年 :江陵浸透事件     (金泳三/金正日) 工作員計26名が韓国内に侵入
2010年 :天安沈没事件     (李明博/金正日)  戦死46名

(注記) :天安コルベット艦が沈没した原因については、韓国内でも意見が対立しており、「北朝鮮の仕業とは断定できない」と私は考えています。

【韓国人の拉致問題】
 朝鮮戦争中に北朝鮮軍は韓国から10万人ほど拉致(拉北)したと言われています。その中には自らの意思で北朝鮮に行った者(北朝鮮シンパかスパイ)がいたと考えられて、朴正煕の時代には、拉致被害者の親族が不穏な動きをしないか情報機関が監視しました。

 日本人が拉致された1977年~83年頃(朴正煕から全斗煥の時代)にも韓国人が多数拉致されています。

 韓国政府認定の拉致被害者(拉北者)は486人もいますが、今までの北朝鮮との交渉ではこの問題は殆ど取り上げて来ませんでした。 拉致は国家の犯罪ですから、この問題の解決を最優先課題にすると、北朝鮮との平和交渉が永遠に進まないと歴代の韓国政府は考えてきたのだと推察します。(私は賢明な判断だと思います。)

★★予告★★
 次回は、現在の韓国の問題点について纏めてみました。


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