皆さん、おはようございます!
プロ研修講師・プロコンサルタント・中小企業診断士の青木公司です。
今週もポジティブに過ごして頂けるようにいい言葉をお贈りいたします。
今回は、ある青年の詩です。詩なので全文を掲載します。
「ぼくの宝石」
川上千春
黒い山々が夏の夜の闇の中にけわしくそそり立っている
そこで、あなたの笑顔はいつも消える
青いインクが水ににじ滲むようにいったん大きく広がって旋回しながらやがて小さく淡く消えていく
母さん あなたはいつも笑顔でまるで僕を包むように
そして温めるようにやさしく見つめていましたね
僕が安心して遊んでいられたあの頃
そこにはいつもあなたの優しい笑顔と温かい声がありました
僕はその空気のふくらんだ温かい母さんを
まるで宝石か何かのように大切に握りしめて今日も目覚めるのです
あの朝、旅立つ日
母さんはいつものとおりその宝石を優しい笑顔に包んでそっと僕に手渡してくれましたね
あの時僕の周囲にはあたたかい空気が幾重にも流れていました
ああ母さん・・・
黒い怪物のような山々が夏の夜の闇の底に横たわっている
1985年8月12日、19時、群馬県 御巣鷹山
母さん、寒くはありませんか・・・
そこで、あなたの笑顔はいつも消える
母さん、淋しくはありませんか・・・
しかし、僕の中にあなたはいつも生きている
母さん、もう夜はふけました
あなたはどうか先に休んでください
僕はもう少し頑張ります
明日のために あなたにもらった宝石を失わないために」
・・・川上千春(日航機、JAL123便墜落事故の生存者川上慶子さんのお兄さん)
1985年の夏、日航機JAL123便墜落事故。
日航機のジャンボジェット機が圧力隔壁の破壊事故により、垂直尾翼と全油圧系統が吹き飛び、操縦不能になり、群馬県の御巣鷹山に墜落。
なんと520名もなくなった日本史上、最悪の航空事故でしたね。
700kmの高速で墜落した悲惨な事故したが、女性4名が生存者として助かりました。
当時12歳の川上慶子さんがヘリコプターに吊り上げられて救助されるシーンは本当に凄惨な事故の救いとなったと思います。
彼女のご両親、妹さんは一緒に事故でなくなりました。
墜落直後はお父さんと妹さんは生きていて、会話もしていたそうです。
このJAL123便には川上慶子さんの家族は北海道旅行の帰り、キャンセル待ちで乗ったそうです。最後の4席がキャンセルになったので、4名は乗ってしまったそうです。
生死の境は残酷です。
今回ご紹介した詩は川上慶子さんのお兄さんの詩です。事故の時は中学校2年生で、中学の野球部の部活の為に旅行に行かなかったそうです。
彼は事故を聞き、自分が北海道に旅行に行っていたら家族5名だから4名のキャンセル空きでは家族でのれないから、123便に全員のらず、助かったのではないか。そう悔やんだそうです。
その彼が、高校生の時に書いた詩がこれです。
優しい笑顔と温かい声、その空気を持つお母さんを宝物に例える感性。
夜の山の闇にお母さんは奪われてしまったけど、その宝石は彼の心に残り続けているのですよね。
この詩はたまたま高校生の時、彼が入った文芸部の顧問の先生に言われて書いたものだそうです。
そして島根県の「お母さんの詩コンクール」に応募して最優秀賞を取ったそうです。
事故後も川上慶子さんは取材攻勢を猛烈に浴び、彼女のご両親や妹の事、自己の事を避けるようになったそうです。
中2と12歳の兄と妹はどれほど大変な思いをして生きてきたのでしょうか。
それでもその兄と妹は優しい祖父母に囲まれ、そして、必死に生き、両方とも今は家族も持ち、社会で立派に生きているのですよね。
彼が宝石と表現した「やさしい笑顔と温かい声」と「その空気」。
僕ももう一度、その言葉を握り締め、皆に触れていきたいと思います。
2020年の自殺者数が10年ぶりに増加して、人口10万人あたりの自殺者数も16.7名と11年ぶりに増加したようです。
本当にもったいない。
人生、理不尽に奪われる命もあるのです。
みんなで大切に生きていきましょう。
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