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MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

現場に急行せよ

2013-11-09 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

11/09 私の音楽仲間 (529) ~ 私の室内楽仲間たち (502)



              現場に急行せよ



         これまでの 『私の室内楽仲間たち』




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               Viola 弾きのジレンマ
                   燃える楽器
                 培われた性格?
                  不一致じゃと!?
                   窒息すらぁ
                 現場に急行せよ
                   アメリカ広し

                 室内楽で Viola




 ドヴォジャーク (Dvořák)の弦楽四重奏曲 ヘ長調 『アメリカ



 Ⅰ~Ⅳのうち、もっとも短いのは第Ⅲ楽章ですが、
音楽になりにくい。 難敵だらけなのです。

 速い 3/4拍子で、“Molto vivace” と書かれている。
譜例は、9小節目からの様子です。




 「楽譜を見ないで、いきなり音楽を聞くと、一拍ずれて
聞えるよ。」 そんな感想をよく耳にします。

 最初の数小節をご覧ください。 数字の “1、2、3…”
の上に、×印がありますね。



 「長い音は1拍目、短い音は3拍目?」 長い音には
アクセント()があるので、よけいにそう聞えやすい。







 これ、どう弾いたらいいのか? 私も長年悩み続けています。

 今のところは、こんなふうに考えています。 【提案



 聞き取りにくくて恐縮ですが、「基本的なリズム感は…」と
喋っています。

 1拍目の8分音符を “短い” と思わず、音量的にも充分
鳴らす。

 2拍目の付点4分音符は、“強く” ではなく、長く。 ただ
でさえ不規則なリズムなので、重心がかかりすぎないほう
がいいでしょう。



 これ、“軽く、長く”…になりますが、弦楽器でも難しい…。
長いと、どうしても弓の重さが増えてしまいやすいのです。

 ヨーロッパ言語、西欧音楽のアクセントが「強さより、長さ
にある」…ことを考えると、そのように処理したほうが、音楽
が安定して聞えるのでは? 後から考えた理由です。



 この曲が “純粋な西欧音楽” かどうか。 これには異論
もあるでしょうが、作曲者の記譜から読み取る限り、そう
感じられるのです。




 次は、譜例の最後の Vn.Ⅰの形です。 【提案

 正確なリズムで弾くのも大変ですが、やはり1拍目
に、歌の重心があるほうがいい。





          ↑   ↑   ↑   ↑

 この二段目には、8分音符がたくさん出て来ます。 “Violin 組”
と、“Viola、チェロ組” と。

 これは弾き分けたほうが、全体が安定しやすい。 【提案



 “Violin 組” は1拍目から弾き始め、その上、メロディー-
ラインです。 最初の音符は、長さを丁寧に。

 “Viola、チェロ組” は2拍目からで、役割はリズム。 重い
よりは軽いほうがいいので、私なら叩き気味に弾きます。



 【提案 は、その続き。 譜例の先の部分では、Violin
の高音の歌を、今度はチェロが低音で歌うのです。

 8分音符も4分音符も、この楽章で小節の頭にあるとき
は、長さを特に丁寧に弾きたいと思っています。

 譜例の最後の2小節間では、チェロの1拍目、Vn.Ⅱの
2拍目も同じ。 ただし Viola の “スラー無しの音符” は
軽めに。




 【提案 は、この先の中間部の音楽についてで、
譜例は前回ご覧いただいたものです。

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 先ほどの【提案 では、喋っているうちに、音が上ずって
しまった。 なんだか、パトカーが近づいてくるような音程です。

 ドップラー効果



 「ヤバい、サツだ、手が回った!」

 違うね、救急車だった。 指がもつれたから?

 誰が呼んだの?



 このときは時間に迫られていて、特に早口。

 Violin の S.さんによれば、“Molto vivace” だったそうです。




             [音源ページ



窒息すらぁ

2013-11-08 10:00:00 | 私の室内楽仲間たち

11/08 私の音楽仲間 (528) ~ 私の室内楽仲間たち (501)



               窒息すらぁ



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                   窒息すらぁ
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                   アメリカ広し

                 室内楽で Viola




 今回は、始めに演奏例の音源]をお聞きください。
ドヴォジャーク (Dvořák)の弦楽四重奏曲 ヘ長調
アメリカ
から、第Ⅲ楽章の一部です。

 まず、ヘ長調 3/4拍子で始まります。 下の譜例は
まだご覧にならず、このままお読みください。



 短調の部分が続き、テンポが速くなります。

 最初の8小節間は、2つの Violin だけ。 そのうちで、
低いほうの Vn.Ⅱのメロディーを、チェロが引き継ぎます。




 さて、聞えてくるのは歌ですね? そこで、推測して
いただきたいことがあります。

 歌といえばレガート。 記号では、スラーを用います。



 まず最初の Vn.Ⅱですが、そのスラーは、どのように
書かれているでしょうか?

 1小節間? 2小節間? あるいは4、8?



 そして、続くチェロは?




 それでは、お待たせしました。 譜例です。







 ご覧のとおり、Vn.Ⅱは2小節ずつ。 チェロは1小節ずつ、
スラーが書かれています。




 スラーは、もちろん “滑らかに繋げろ” と指示する記号。
しかしそこから、様々な意味が派生してきます。



 まず、フレーズを示すことがある。 “4小節フレーズ”、
“8小節フレーズ”…などといいますね。

 そう解釈すれば、Vn.Ⅱとチェロは、それぞれ “2小節
フレーズ”、“1小節フレーズ” になってしまう。 それなり
のリズム感も必要になります。




 しかしまた、弦楽器奏者にとってみれば、このスラーは
一弓で弾くことを意味します。 つまり、“スラーごと” に
弓を返す。

 すると、Vn.Ⅱは “2小節ごと”、チェロは “1小節ごと”
に返すことになる。 この楽譜を見れば、ほとんどの奏者
がそうするほど、これは自然に書かれています。

 それぞれが pp、mf であるのを見れば、これはピッタリ
ですね。 弓を返せば、音は大きくなりやすいから。



 これは、主に “弓の返し” を表わしているのかもしれません。
そうなると、4小節フレーズが2つでしょうか。

 頻繁に弓は返しながら、2小節ごと、1小節ごとのリズムを
あまり感じすぎず、“長いフレーズ” を意識する必要がある。




 しかし一方では、こんな例も。 ブラームス
の第一交響曲の冒頭です。







 これは Vn.Ⅰのパートですが、木管楽器にも同じラインが
ある。 まさか息を吸わないわけにはいきませんね。




 おっと、貴方はヴァ―グナ派ですか? それでは『リエンツィ』
序曲の、やはり冒頭です。

 版によっては、赤いラインで示したように書かれています。








 弦楽器奏者から見れば、これらは “非現実的なスラー”。
一弓で弾ける人は誰もいないでしょう。

 もちろん技術の差や、プロのオケでも好みによる差はある
ので、“何小節で返す”…といった決まりはありません。



 しかしアマチュア-オケのかたがたは、概してかなり “原譜
に忠実” なようです。 こちらがネを上げてしまうほど。

 失礼ながら、出て来る音を聴いて対処するよりは、手元の
感触で判断してしまうことが多いように見受けられます。




 Viola奏者でもあったドヴォジャーク。 一方で、ブラームスや
ヴァーグナが弦楽器に深く親しんだ…という話は聞かない。

 様々なスラーを考える上で、これは大事な条件かもしれません。 



 かと言って、弦楽器を嗜んだ作曲家すべてが、“弓の返し”
をスラーで表わしたわけでもありません。 結局は私たちが、
作曲家それぞれの筆致に親しむしかないのでしょう。

 人それぞれを知るときと、同じように。




              [音源ページ



不一致じゃと!?

2013-11-06 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

11/06 私の音楽仲間 (527) ~ 私の室内楽仲間たち (500)



              不一致じゃと!?



         これまでの 『私の室内楽仲間たち』




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                 室内楽で Viola




 演奏例の音源]は、ドヴォジャーク (Dvořák)
弦楽四重奏曲 ヘ長調 『アメリカ の第Ⅱ楽章
の最初の部分です。

 [譜例 1]はチェロのパートで、音源は5小節前か
ら始まっています。 なお、このト音譜表は実音より
1オクターヴ高く書かれています。 (Simrock版)




                                    

 さて、問題は最後の箇所です。 チェロの T.さん、音を
間違えてしまったのでしょうか。

 なお、先行する Vn.Ⅰは、次のように書かれています。
(Dover版)
                                    






 半年ほど前のこと。 さるネットの掲示板に、チェロ
の愛好家のかたから、以下の質問がありました。



 「ヴァイオリンと同じくDを弾いている演奏が結構ある
ようです。 手元のスコアもEになっているのですが、
どう弾くのが妥当でしょうか?」

 「(Dになっている版もあるのでしょうか?) Simrock
と Alan Chen は E になっていることがわかりました。」




 これ、実は昔から議論が絶えない、有名な箇所なんです。
楽譜も演奏も、両方が入り乱れている。

 かつて私も悩み、何種類かの版を検討したことがあります。
そこで掲示版には、次のように書き込みました。



 【文献上はEが先に書かれたので、「ViolinⅠと同じである
べきだと単純に判断してDにした演奏もある。」…個人的に
はそう考えています。】

 【でもDではおとなし過ぎ、Eのほうがスパイスが効いて
いますよね? 作曲家のバランス感覚の賜物でしょう。】




 さて、一旦は納得してくれた質問者さんでしたが、
このままでは終わりませんでした。

 「Baerenreiter はDだという情報が!」




 さらに別のかたがたの書き込みが続きます。



 「Eulenburg を調べてみましたが、Dでした。 しかも、
五線の一番上の線が少し消えていて、Eから修正した
のではないかと見受けられます。」

 「この曲の Critical Edition が初めて出版されたのは
1955年、その後 Editio Supraphon(1984) と Bärenreiter
Praha(2004) から出版された物は、内容が同じで、当該
箇所はDCAとなっています。」

 「Eulenburg版とは pizz. の位置が違いますね。」




 まさに百家争鳴。 そこが掲示版のいいところですが…。

 「書き込まなきゃよかったな…。」

 出版譜ごとに音符が違うぐらいの大問題ですから、
「どれが正しい」…なんて言えるわけがありません。
情報量が増えても、却って収拾がつかない。




 (推測だけの自説を掲げるだけじゃ駄目だな。) そう感じ
た私は、念のため、友人の “文献学者” に問合せました。

 この場にもよく登場する、友人の Su.さん。 チェロを弾く
かたで、知識や読書量は、並大抵の水準ではありません。



 以下は、最後に私が書き込んだ内容を、若干
補足したものです。

 前半部分のうち情報に関しては、すべて Su.
さんからの請け売り。 後半は私の推測です。




 当該の箇所について触れる前に、まず、幾つか…。



 (1) この曲に限らず、Dvořák は “不一致” が特に目立つ
作曲家だということ。



 (2) この曲の Eulenburg版 (全音) には、「これまで誤って
印刷されていたが、EからDに “修正” した」(1972年) なる
記述がある一方で、それ以外の “明らかな誤り” が多過ぎ
ます。

 したがって、この箇所についても信憑性が感じられない。



 (3) Bärenreiter Praha は昔の Editio Supraphon
を傘下に収めたものなので、内容は同じ。 両方とも、
「細かい記号を補充し、不一致を正して一致させよう」
という方向性を感じます。

 しかし、その姿勢が常に正しいかどうか…。 友人
によれば、Supraphon版にも、「作曲者の不一致に
手を焼いて “匙を投げた”」…という噂があるとか。
これも “完全なもの” ではないのです。




 いずれにせよ、“厳密な考証” より “編集者の私見” が
強いのが (2)、(3)。 これが Henle版なら、一目も二目も
置きたいところですが。

 ちなみに Henle には Dvořák の室内楽曲はありません。



 その意味では、初版の Simrock (= Dover) のほうが、
少なくとも E.版よりはマシだと考えています。 作曲者
の “不一致” があっても、「“編集者の私見” がほとん
ど入っていない」…と考えられるから。

 また私は、この曲や “変イ長調 Op.105” で、Simrock
と Supraphon を細かく見比べたことがありますが、その
つもりで見れば、「Simrock も捨てたものではない」…と
感じました。



 結局のところ、「出版までの顛末を調べないと、出版譜だけを
幾ら集めても無理ではないか」…と諦めています。

 事情に大変詳しい友人は、チェロを弾く愛好家ですが、「この
曲の E.版スコアに B.版との違いを書き込んでいたら、真っ赤に
なっちゃって、Ⅱ楽章迄で放り出した。」…と言ってきました。




 当該個所も「DかEか」は、文献のみからは判断できないので、
私としては Simrock版のEに頼りたいところです。

 背景のハーモニーからすれば、「“両方ともE” が妥当」ですね。
それは、「先立つ Violin のDには、わざわざFを伴わせている」…
ことからも判ります。



 Eだと、まともに “三和音” が聞かれるので、終止形と言える
ほど強い作用がある。

 その意味でも、「最初はDのまま、後だけEが妥当」と考えます
が、いずれにせよ、“演奏者の裁量に委ねるべき” 箇所でしょう。



 長文、お赦しを。




 ここまでお読みくださった、貴方。 ありがとうございます。

 「どっちDもEじゃないか…。」 きっと、そう思っておられる
でしょうね。 そのとおりなんです。



 ただ一つだけ、最後に。

 “出版年が新しい” から、また “校訂版” だから、
信頼できる…とは、絶対に言えない。

 どれほど権威があるように見える出版譜でもね。
編集者のスタンスが問題なんです。




 「そのとおりじゃよ。 心血を注いで記した音符たち
を、もっと吟味した上で解釈してほしいのう。」

 おや、先生。 やっと出て来ましたね。



 でも一言だけ言わせてください。 普段からもっと注意して
書いてくれれば、こんな大騒ぎにはならなかったんですよ?

 「……そんなこと言うんならな、私の名前を、もっとちゃんと
発音してほしいものじゃ。 “ドボルザーク” とは何事かね!」



 なるほど。 敵性外国語に従った発音では困る…という
わけですね、はいはい。

 確かに “ザ” ではない。 それに “ル” は、ほとんど聞え
ませんね。 いずれにせよ、私たちには難しい発音です。



 それに、あの “モルダウ” だって、同じドイツ語読みです
からね。 もう少し辛抱しましょうよ、先生。 あと何十年か!

 「………。」




 最後に、今回チェロを担当した T.さんが
寄せてくれたのが、以下の文面です。




 そのような議論があることすら知らず、単に、持参している
譜面が Bärenreiter Praha であることと、持っている3枚の
CDも “DCA” で弾いていたので、そう思い込んでいました。

 確かに youtube の動画を見てみるだけでも、それぞれの
演奏があるのですね。 (なかには、その前のEからスラー
を掛けて弾いているような、玉虫色(?)のものも。)

 私の知る範囲でも、Dvořák のチェロの小品では、繰り返し
のところどころに、変化があって、ヒネッていて(?)面白い
ナ~とは思ってはいました。




 “チェロの小品”…! ちっとも知りませんでした。

 ちょっと調べただけでも、『ポロネーズ イ長調』、
『森の静けさ』、『ロンド ト短調』…。



 さっそく聴いてみますね。

 ほかにもあるのかな? T.さん、ありがとうございました。




          [音源ページ



培われた性格?

2013-11-05 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

11/05 私の音楽仲間 (526) ~ 私の室内楽仲間たち (499)



              培われた性格?



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                   アメリカ広し

                 室内楽で Viola




 ドヴォジャーク (Dvořák) の 弦楽四重奏曲 ヘ長調
アメリカ
、その第Ⅰ楽章の続きです。



 演奏例の音源]が始まるのは、[譜例 1]の2小節目
からです。 2つの Violin が呼び交わす、主要主題。

 それを大人しく聞いていたのも、4小節間だけ。 
は、またしても Viola が火を着け、展開部に入ります。

                         





 音源は、相変わらず無理な編集でカットがあり、この
後2小節を挟んで、次の[譜例 2]へ入ります。








 からViola が奏でるのは、別のモティーフ。 やはり
同じ主題に含まれていたものです。

 いずれの譜例でも、Viola には mf と記されています。
他の3人は pp。 まるで Viola の一人舞台です。



 作曲家として世に出るまで、歌劇場のオーケストラ
で Viola を弾いていたドヴォジャーク。 この曲は、
後に新大陸で作られたわけですが、楽器に対する
愛着が込められているのでしょうか。




 いきなり主導権を握ってから、仲間に手を渡す。
現代で言えばオピニオン-リーダーでしょうか。
この Viola の様子は、前回も同じでした。

 弦楽四重奏では稀な、この形。 周囲から注目
を浴びるのは、当然のこと。 Viola を弾くかたが
食指をそそられるのも、無理からぬことでしょう。




 私自身はどうかといえば、これにはあまり魅力を感じない。
この曲は、何度も弾いたことがあるからなのでしょう。

 でも、理由は本当にそれだけか…? 自分でも、すぐに答
が出ません。 今回は、珍しく考え込んでしまいました。



 そして辿り着いた答は…。 Viola が活躍する機会
が多すぎるからなのです。 この曲の第Ⅰ楽章では。

 メロディーを弾くのは、もちろん嫌ではありません。
自分だけが mf で、他は pp。 それも結構です。




 でも弦楽四重奏という編成で、自分が Viola を持って
いると、もっと別の作業に魅力を感じるものなのです。

 たとえば…。



 ・ メロディーの下で正確にテンポを刻む。 出過ぎず、
  柔らかい音で。 しかし、ちゃんと聞えるように。

 ・ 万一テンポが動いたら、柔軟に対処する。 ただし、
  作品の主旨にそぐわなければ、従わない。

 ・ 全体を聴きながら、ちょうどいい音量バランスが実現
  するように、自分の音量を調整する。

 ・ ハーモニー主体の箇所では、全体を聴きながら自分
  の音程を、頻繁に動かす。



 そのために払った細心の注意と、自分なりに最高の技術
を駆使したことに、仲間や聴衆が誰一人気付かなくても、
それでいい。 いや、そのほうが望ましい…。

 これは、私なりの感覚にすぎませんが。




 私は室内楽で Violin を弾くこともあります。 いやむしろ、
その機会の方が、はるかに多い。

 Violin を持ったときと、Viola を手にしたときと。 最初から
して、意識がまるで違う。 音を出す前のことですが。



 Violin を持てば、全員をリードする機会が多いのは、当然
のことです。 好むと好まざるとにかかわらず。

 しかし Viola を担当する際には、出来ることなら発言さえ
控えたい…。 それも音楽的な提言だけでなく、「もう一度
**から始めましょう」…のような、簡単な提案でもです。




 それはなぜなのか…。 自分の意識を掘り下げてみると、
次のような結論になりました。

 「音楽作りにおいては平等でありたい。 音を出している
ときも、そうでないときも。 “支える Viola” であるべきとき
は、それに徹したい。」



 これは、私の接する音楽仲間が、ほとんど愛好家の
かたがたであることと、おそらく無関係ではないでしょう。

 みんなは私がいると、どことなく発言が控えめになる
…。 私自身は、それほど威圧的な態度を取っている
つもりはないのですが…。




 ちなみに私自身は、休憩など、音楽を離れた雑談のとき
には、努めて寡黙たらんとしています。 決してオピニオン-
リーダーでありたいとは思っていない。 それが自分の本来
の性格だから。

 その様子を見た仲間からは、「今日は静かですね?」…と
言われることが多い。 きっと誤解されているんだろうな…。

 喋る機会は少なくたっていい。 聞き役も必要でしょ?



 Violin を持つときと、Viola のときと。

 また、音楽演奏の場と、そうでないときと。

 こうも違う、私の意識…。



 私は四重人格なんでしょうか?




        [音源ページ



燃える楽器

2013-11-04 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

11/04 私の音楽仲間 (525) ~ 私の室内楽仲間たち (498)



               燃える楽器



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             初めチョロチョロ 終りポッポ
               Viola 弾きのジレンマ
                   燃える楽器
                 培われた性格?
                  不一致じゃと!?
                   窒息すらぁ
                 現場に急行せよ
                   アメリカ広し

                 室内楽で Viola




 ご覧いただく[譜例 1]は、ドヴォジャーク (Dvořák) の人気
曲、弦楽四重奏曲 ヘ長調 『アメリカ で、その開始部分です。

 Viola を手にするかたなら、一度は弾いてみたい曲でしょう。
さる四重奏曲の手引書には、「Viola 弾きが自己満足する曲」
…とまで書かれています。



 ここでも3小節目から颯爽と登場しますが、最初の音は Fa
です。 といっても、ピアノの “中央ハ” の下の音ですよ?

 ハ音記号が苦手なかたも、この機会に慣れてみませんか?

        関連記事 アルト譜表に親しむ



 演奏例の音源]も、この冒頭から始まります。

 Violin は S.さんT.さん、Viola 私、チェロ T.さんです。



 おや? ひどい音源ですね。 「鑑賞には向きません」…
と、いつもお断りしていますが、さらに滅茶苦茶です。

 それもそのはず。 4箇所を継ぎはぎしたのが、今回の
音源だからです。 上の譜例の後は、いきなり展開部の
後半に大ジャンプしてしまいます。







 この音源では Viola のテーマが2回、聞かれますね。
二度目をパート譜で見たのが、次の[譜例 2]です。

 2つの譜例を見比べると、幾つかの違いに気付きます。








 まず目立つのは、最初の小節の後半ですね。 「スラーがある
か、ないか。」 私は両方とも “リズミカルなレガート” で弾いて
いますが、注目していただきたいのは、強弱記号の差です。



 [1]は楽章冒頭で、mf のまま。

 これに対して[2]では、mp と mf が交錯している。
私が書き込んだ “最後の mf” は、別の版を参考に
した解釈です。




 この曲には、少なくとも3種類の版がある。 これ
については別の機会に触れますが、もし作曲家が、
このとおりに「差をつけろ」…と書いたとすれば…。

 その差には、どのような意味があるのか? また
弾き分けるには、どうしたらいいのでしょうか。



 以下は、私の勝手な考え方です。




 [1]は、主題が初めて聞かれる。 “燃える楽器” と
して、Viola が堂々と登場します。

 mf の “m” が気になりますが、遠慮するよりは、f の
つもりのほうがいい。 このような “歌のフレーズ” では、
どの作曲家も “f” とは書きにくいから。

 そこを解ってあげないといけません。 しっかり鳴らす
には、かなりエネルギーが必要な箇所でもあります。




 一方で[2]は、ちょうど再現部が始まる箇所に当ります。

 同じように “堂々と” 登場するのではなく、まず、そっと柔ら
かく入る。 それまでの pp の雰囲気を壊さないように。



 それから音量を増して、最初のテーマに “懐かしさ” を感じ
てもらう。

 演奏仲間と、聴衆とに向かって。 燃えるのは、一瞬だけ後
がいい。 2つの Violin も、ここでは ppp に落ちています。




 以上は作曲家の立場。 「書いてしまえば、それで終わり!」
…ですが、こちらはそうは行かない。



 “音量を増して” と書きましたが、指定されているのは mp と
mf。 文字どおりに解釈すれば、大した差ではありません。

 しかし両者の間には、作曲家の筆致を考慮すると、かなり
の差があります。 また、「それを演奏の場で弾き分けろ」…
というのは、これまた難しい注文です。



 “そっと、柔らかく入る” といっても、ある程度の音量は
保たねばならないのが、“mp” ですね。

 一方[1]ですが、mf を決然と弾き出すのはいいとして
も、最初の音が鋭くてはいけない。 歌になりませんから。




 この第Ⅰ楽章に挑戦するたびに、いつも難しさを覚えます。
満足に弾けたことは一度もありません。 解釈うんぬんの前
に、リズムやテンポを正確に演奏するのが、まず難しい。

 もちろん今回も、出来は今一。 録音を聞いてがっかり。
音程が上ずっているのも気になります。



 それにつけても、Viola の低音域は難しい。
なかなかうまく鳴らせません。

 「まあ、いいや。 ボクは Violin弾きだから、
“Viola 弾きの自己満足” には当らないよね。」



 そのくせ Violin を持つと、また別の言い訳を考える…。

 Violin と Viola は違う楽器か? それとも、差があると
はいえ、基本的に同じ楽器なのか。

 mp と mf の差ぐらいなのかな?



 「燃やすと、Viola のほうが少し時間がかかる。」

 さる冗談サイトで目にした内容です。




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