MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

La Valse ⑥ ワルツといったら

2009-04-25 00:21:26 | その他の音楽記事

04/25      La Valse ⑥ ワルツといったら




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     ラ・ヴァルス

   ① みんなでワルツを
   ② ふたりでワルツを
   ③ ひとりでワルツを
   ④ みんなにめまいを
   ⑤ なかまとワルツを
   ⑥ ワルツといったら
   ⑦ わたしのめまいを







 「私は、ウィンナ・ワルツのアポテオーズとして
この曲を書いた」、そうラヴェルは記しました。

 辞書によれば、"アポテオーズ" は「神にまつること、
極度の崇敬、讃仰」とあります。




 この曲が、

 (1) ワルツの誕生

 (2) ワルツの主部

 (3) ワルツのアポテオーズ

から成っていることを認めた作曲者でしたが、そのうち (2) の
部分に前回登場したのは、BeethovenR. Strauss でした。
ともにヴィーンやワルツに縁の深い作曲家です。




 実は先ほど、お二人から抗議の電話がありました。

 「我々はこの曲とは無関係だよ。 引っ張り出すなら、もっと
適当な作曲家がほかにいるだろう。 読者もそう思っておられる
はずだ。 せっかくいい気持ちで休んでいるのに、ヒトの安眠を
妨げるものではないぞ。」



 そこで私は丁重にお詫び申し上げ、別の大作曲家のお名前を
告げたところ、「彼ならいい」とお二人とも納得され、再び眠りに
つかれた次第です。




 ご覧いただく譜例①は、(1) "ワルツの誕生" の一部分です。
雲が晴れ、踊る男女が見えてきました。 シャンデリアが輝き
始めます。

 ここではオーケストラ全体のうち、弦楽器セクションだけをご覧いただきます。









 Vn.Ⅰがオクターブで上と下に分かれ、さらにオクターブ下の
チェロと一緒に、"Si La# Si" ↓ Do#" と、魅力的なテーマを奏で
始めます。

 見ると、この最初の三つの音符はリズムが複雑です。 もっと
単純に、三つとも四分音符で書き、一小節に収めてしまえば
いいのに…。 そう考えたいところなのですが。




 『ラ・ヴァルス』の作曲の動機は、元々、ワルツ王ヨーハン・
シュトラウスⅡ世
に抱いた敬意の念だったと言われています。

 ならば…。

 そう思ってよく楽譜を見ると、ある有名な曲の一節と、どこか
しら似ていないでしょうか。







 どなたもご存じの、『美しく青きドナウ (川のほとりにて)』です。



 「まさか…。」 私もそう思いますが、類似点がたくさんあります。
最後の小節の Vn.Ⅱの伴奏音形までそっくりです。

 また相違点を列挙しながら、なぜそう書かれているのかを
推測すると、おぼろげながら解答が浮かんできます。




 これに、『ラ・ヴァルス』のメロディー・ラインを、比較のために
書き足してみました。







 音の動き方、延ばし方はそっくりです。 と言っても、
何から何まで同じにするわけにはいかないので、
「上下の方向やハーモニーなど、細部に差を設けた」
と想像するのは間違いでしょうか。



 よく考えてみると、もし最初の "Si La# Si" を四分音符にして
しまうと、リズムが原曲とまったく同じになってしまいます。

 「何だ、セーヌかと思ったのに、ドナウの亜流だったのか。」
そんな口の悪い聴衆や批評家も現れるでしょう。



 しかし、もしそれぞれを長くして四分音符三拍分にしてしまうと、
いくらなんでも長すぎです。 『ドナウ』の方の演奏スタイルには、
この三つにフェルマータをかける場合があり、そうなると結果的
に似てしまいます。

 間を取って今度は二拍だけ延ばそうとしても、四小節単位の
全体のフレーズ感は、やはり壊れてしまいます。




 このように止むに止まれぬ選択で、符点四分音符のリズムに
落ち着いたのかもしれません。 結果的には、 ほどよく"ぼかし"
が効き、全体のプロポーションも維持出来ました。



 この部分、演奏の仕方によっては、書かれたリズムを無視して、
一音符ずつフェルマータをかけるような例も見られます。

 しかし、作曲の過程を以上のように想定してみると、リズムの
デフォルメに踏み切るのは慎重でなければならないことが判り
ます。 ただ感性だけに流されてしまうのは、おそらくラヴェルの
嫌う演奏スタイルではないかと私には思われます。




 なお『ラ・ヴァルス』の中では、同じくヨーハン・シュトラウス
の『ウィーンの森の物語』との関連が認められるテーマが、
ほかに少なくとも二つ見られます。 いずれもヘミオーラ
関係していますが、四分音符一つ分だけずらしてあるので、
原曲との関連はすぐには判らないようになっています。




 過去の先輩作曲家に敬意を表しながら、しかもまったく独自の、
別のものであること。 この矛盾に満ちた課題は、天才作曲家で
なければ解決出来ないことでしょう。




 以上はごく一部のテーマだけをご覧いただきましたが、他の
テーマのリズム的特徴、全体的な転調関係を主眼にして楽譜
を眺めていると、ラヴェルの創意工夫には驚くばかりです。

 そう、ヨーハン・シュトラウスをこの曲から欠いては、確かに
片手落ちです。




 ラヴェルがなぜ "La Valse" と曲を名付けたか、そこには色々
な想像が可能です。 "ワルツなるものは" というように、総称
考えることも出来ます。

 "ワルツの中のワルツ" と言えば『ドナウ』のことで、ときには
"der Waltz" と呼ばれることもあるそうです。

 これをフランス語にすれば "La Valse" になります。 もちろん
作曲者としてはそのように公言することは出来ません。 しかし、
「自分が作るならこのように…」という、秘かな自負心ぐらいは
あったかもしれません。



 誕生、主部、そしてアポテオーズ。 ワルツを様々な面から
自由に
描いてるからこそ、彼はこれを "舞踊" と名付け、
「私はワルツというものをこのように感じる」 と音で表したの
かもしれません。 それだと "私のワルツ像" になります。



 彼は、それではなぜ眩暈 (めまい) を催させるような音楽を
(3) "アポテオーズ" の部分で書いたのでしょうか。 肝心の
その答えがまだ出ていません。




 ところで下記のサイトをご覧いただくと、偶然、「リヒャルト、
ヨハン、ベートーベン…」と、このたびと同じ作曲家が並べ
られています。 その上、モーツァルトの名まで…。



貧乏マニアによるオーディオ&音楽鑑賞入門

            から

 「2001年宇宙の旅」の「美しく青きドナウ」
     音楽をどう聴きましょうか?





 「まさかモ (ー) ツァルトまでは関係ないだろう」、
そう願いたいところです。

 これでは、(3) "ワルツのアポテオーズ" の部分には
なかなか行き着けそうもないからです。



 ぐるぐる堂々めぐりで、私まで眩暈がしてきます。
ひょっとして、これが彼の狙い?




 (続く)