おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

グローバリゼイション

2011年03月17日 07時29分30秒 | 日記
現代社会の特質の中で情報化というものの進展には目を瞠る。

進化のスピードと内容の精巧さ、便利さは生活を一変させただけでなく、今や社会変革の手段にもなっている。

情報は一瞬にして世界を駆け回り、一国、一地方の情勢は世界同時性を持つ。

今回の地震についても、世界を巡る情報は即時に反応している。

昨夜のNHKニュースで報道していたが、東日本大震災についてアメリカ、ヨーロッパ、韓国、中国、都合114カ国の支援が寄せられているという。その中にはつい最近大地震で被害を受け、多くの被害を出し特に30名近い日本人が犠牲になったニュージーランドからも救助隊がやってきて不眠不休の捜索活動していただいている。

こういう姿を見ると、深く心を揺さぶられ居ても立ってもいられない思いがする。

被災現地から長距離バスに乗って、涙を流しながら、もう家も職も何もかも失ってしまった。もう二度とふるさとに帰ってくることはないでしょうと泣きながらバスに乗り込んでいった中年の男性がいた。
東京に出て、大丈夫なのだろうか?心配だ。

避難所生活を余儀なくされている何十万人の方達、皆同じ思い出居られることだろう。明日のことは考えられない、今生きなければならない。そのために食料をどうするか、衣、暖をどう取るのか、トイレは生命維持のプライマリーな事どもを考えなければならない。隣に寝ていたお年寄りが低体温症でいつのまにか死んでいた。これが現実なのだ。

折角、命からがら高台に逃げ延びて助かった命なのにー

そういえば、震災直後にチェーンメールが幾筋かのルートで回ってきた。実しやかに・・・
どんな神経なのだろう?

日本は世界から注目されている。冷静さ、道徳性、協同協働の心、自己犠牲・・・

切に願う、どうぞ救援募金の詐欺とか現地での泥棒など発生しませんように!
これからも辛いけど復興に向けて立ち上がらなければならない中で、日本人として世界に胸張って行動できるように。

昨日、銀行に行って無職無収入の身ゆえ大きな金額ではないけれど、いろいろやりくりして現地の救援資金に使っていただきたくお金を振り込んできた。

被災者の皆さん、深くお見舞いを申し上げるとともに、艱難辛苦に耐え、今は見えないかもしれないが必ず訪れる「明日」に向けて立ち上がっていただきたい。

「頑張れ!」ではなく「がんばろう、東北!!!!!」

「命あることを喜びたい」

2011年03月16日 07時23分22秒 | 日記
昔、寺田寅彦という学者がいた。地球物理学専門で「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉を残している。
東北の大地震に伴った大津波はまさに忘れた頃にやってきた。

今回の地震ではない直近の地震発生の際に「大津波警報」が出て、非難したというが結果、たいした波ではなかったという経験が今度の被害を大きくしたようだ。

人間の習性というものだろう。経験則から「まあそんないってもたいしたことではないのでは?」と高を括ってしまう。

まさかここまでは来ないであろう。

家の二階に身を移していれば大丈夫だろう。

10mの防潮堤を乗り越えてやって来る筈がない。

ビルの屋上まで波が来る筈がない。

恐らくこういうことがいっぱいあったと思われる。

自然の力は無慈悲であり、まさに驚異であった。

避難されている人々の姿をTVで映し出す。実情は泣き叫び、救援の遅さを呪いたいくらいのストレスが積もっているのだろうが、実に冷静で辛抱強く、自分のこともさりながらそして同じ被災者への気遣いをされて、動いておられる姿は胸が熱くなる。

高田中学の生徒が書いた「がんばろう高田  命のあることを喜ぼう」という言葉と思いは素晴らしいと思った。

艱難辛苦に耐え、挫けず、あきらめないで、復興に立ち上がっていただきたい。
私も遠くからできる限りの支援をしていこうと思っている。



昨日よるテレ朝を見ていたら、リアルタイムで静岡・山梨で大地震が起こった。古館と市川を映し出しているそのバックが大きく揺れていた。流石、古館慌てず騒がず、冷静に話し続けたが、市川は恐怖で固まっていた。

「忘れた頃ー」なんてものではない、現に東北・関東でたいへんな事態になっているその時、違う場所で起こった。

「なんでもあり!」が実は自然の掟=法則なのかもしれない。

昨夜は寝る前に「家の貴重品、肌着、防寒着(フリースジャンパー)、水」をナップサックに詰めてベッドサイドにおいて寝た。

いつ、どこで、何が起こるかわからない

祈りー破壊から再生へ

2011年03月15日 07時14分58秒 | 日記
東部日本大地震で被災された皆さん、心からお見舞いを申し上げます。

遠い地にあって、TVを通じてしか、知ることしかできない自分がもどかしくもあり、申し訳ない思いで一杯です。

計り知れない自然の力の前に人間の無力さを思い知らされました。
やはり、元々自然があった。長い長い無生命の時代があって、40億年前にそこに生命が誕生し、そして人間が生まれ文明を築き新しい時代を創造して来た。それでも人間の歴史なって地球の歴史、宇宙の歴史からするとほんの一瞬に過ぎません。
地球の主は地球そのもので人間はここを終の棲家をいけど実際には間借り人に過ぎないでしょう。

人間のスケールでは計れない超大なパワーの前で人間がいかに無力であるかということを思い知らされています。

地上遥か高みから冷たく述べましたが、そこに住んでいる一人ひとりの人間にはそれぞれのドラマがあります。そのドラマが突然現れた地震によって無慈悲にも断ち切られてしまいました。

妻と救援に駆けつけようかとも話しました。
61歳で時間はあるものの心臓を抱え薬が手放せない情けない状態である自分の今、直接働こうとしても恐らく迷惑をかけるだけよという妻の言葉は的を射ていると思いました。

できることはないのか、やっぱり募金をすることだと思いました。無職の今収入が無くなって、情けない状態ではありますが旅行も飲み会の遠慮してその分、できる限りのお金を送ることにしました。

国民がこの災難で経済活動を萎縮させることはかえって国家を危うくさせることになると思いますが、万単位の行方不明者がいて、警察、自衛隊、地元消防団、医療界、他県から入ったボランティア、外国の救援隊の不眠不休の活動を考えると当面は自戒しようと思います。

この地震で再確認しています。日本人は自制心が強く、思いやり深い民族であるとー

どんな不運にあっても不屈の魂で必ずや再生するでしょう。心を一つにして、手を取り合って危難から立ち上がる。そのためにみんなでできることを始めましょう。

今日、募金します。

もう一度生活と時間を考え直そう

2011年03月14日 07時25分52秒 | 日記
直接被害に遭わなかった私たちになにができるのだろう?

TVに釘付けになって惨状を見て涙して、「ひどいね、可哀想だね」と語り合って・・・

ある人が言った。あの時間、この土地でも地震が伝わっていた。そういえば私は駐車場の中で木工の作業をしていた。

その時間、たしかに下から突き上げるような(もちろん比較にならないだろうがー)衝撃を感じたので、外へ飛び出した。そういえばここでも最近地震が起こっていた。

この村、地震に対しては不感症だ。「防災○○村からのお知らせです」と有線放送がひっきりなしに入る。消費者相談会があるから、無料の法律相談を何時から行います、差し押さえ品の即売会の催し、そして最近では力を入れているのが町村合併で3村が併合したのだが現在、3つの庁舎に分かれて村の行政が行われている。これを一つの庁舎を建築して統一するという。
確かに役人にはその方が便利だろう。
そしてなにより大きなお金が動く。そこには当然利権が存在するだろう。
この人口減少(一時的には持ち直しても相対的には産業のない過疎地域人口は減り続けるだろう)で税収は減少しているはずなのに、どこから予算を捻出するのだろう。
次世代への借金かー
それでは国のやっていることと変わらないではないか!?

その住民への公聴会をしつこくしつこく開いている。嫌になるほど有線の放送が入る。
「防災○○村・・・」

その防災云々と口にする村の放送が地震に関しては全く放送がないのだ。
この油断が「もしも」の時、被害を大きくしてしまうのだ。

たとえ震度1であっても「先程地震がありました。震度はーで、震源地はーでした」位の知らせが欲しい。

昨夜あちこちからメールが届いた。内容は同じ。

九州からも電力を供給するので、ぜひ節電に協力して欲しい。
これがチェーンメールになって届いた。
あれ?誰だっけ???
聞き覚えのあるようだけど繋がりを忘れているような女の名前からのメール。何年も音沙汰ないような人からも届いてくる。

これって少しだけ疑心暗鬼(政府や大企業に操られているのではないか?)なるけど、考えてみると確かにいいことだし大地震が起こって行方不明者が何万という数字になっている現実があり、助かった被災者も電気もない生活を強いられていることを思えば、「やるっきゃない」ともやもやを吹っ切った。

照明を3分のⅠ消した。暖房もガスストーブだけにして目盛りを大きく下げた。要らぬ電気を消して回った。

関東一円では計画的停電が実施され始めた。

以前経験がある。夜のネオンを消され、夜の営業も10時頃までで停止した期間があった。
パチンコやの騒音が夜の街から消えた時期がついこないだまであったのだ。

日本全体で動きを緩めること、生活の便利さとスピード(時間)についてもう一度考えなしたほうがいい。
象徴的だった。
九州新幹線の開通の祝賀行事が行われる筈だったのが、震災の翌日。すべて取り消しとなった。

そんな急いでどこへ行く日本!

いつまで続く悲しく辛い日々

2011年03月13日 07時21分10秒 | 日記
二日経って新たな映像が現れ、さらにリアルに惨状が映し出される。

阿蘇のカルデラの中=南郷谷に住んでいる私は、津波の脅威というものについて奥尻島の時、日本海中部地震をあくまでテレビの映像で見ているのだが、どうしても実感が伴わない。

津波という語感から安易だがサーファー憧れのハワイの高波をイメージするのだが、どうもそうではなく陸地付近の海が急上昇して港や浜にどーっと押し寄せてくるような感じだ。波が高くなるというよりも、急激に潮位が上り、圧倒的な水量の海水が渦巻きながら押し寄せてくる。

高い所に逃げた人々が恐る恐る海の状況を見ている。予報通り大津波だ。堤防を破壊させ、岸壁をなんなく乗り越え、漁協の事務所、倉庫を軽々と押し流しながら、町全体を飲み込んでいく。

映像を見たのだが、高台に逃げ延びた住民で何故か安全な高いところから低い所へ降りて行くのを見た。
まさかここまでは来るまいという高を括るというか、自分の家に残した物を取りに行ったのか、映像を見続けると直後水がその付近まで押し寄せていた。
あの人達はどうなったのか心配だ。
確かフジTVに提供された現地住人が移したビデオだった。

NHK,朝日、TBS,NTVとチャンネルを次々に切り替えるが、報道として最もリアリティーを伝えていたのはフジだった。そして人間として感じる。事実を伝えることと、伝えるものは単なるロボット=機械ではなく生身の人間なのだということ。
冷静で、より客観的にという職務的自制があるのだろうが、古館の話は言葉を選びすぎて、練りすぎで文飾があり、それだけに人間の生身の姿が見えてこない逆説があるように感じる。


ー祈りー
南三陸町という地名だった思う。昨晩、17000人の町民の内非難している7千人以外の1万人の所在が確認されないという。
早く、何とかして全員を救助していただきたい。
もちろんこの町だけでなく、行方不明になっている方の救助救援、遠くなにもできないもどかしさはあるのだが、心から祈るばかり。
八戸の「サーモの海」さん、どうかご無事で!