おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

「命あることを喜びたい」

2011年03月16日 07時23分22秒 | 日記
昔、寺田寅彦という学者がいた。地球物理学専門で「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉を残している。
東北の大地震に伴った大津波はまさに忘れた頃にやってきた。

今回の地震ではない直近の地震発生の際に「大津波警報」が出て、非難したというが結果、たいした波ではなかったという経験が今度の被害を大きくしたようだ。

人間の習性というものだろう。経験則から「まあそんないってもたいしたことではないのでは?」と高を括ってしまう。

まさかここまでは来ないであろう。

家の二階に身を移していれば大丈夫だろう。

10mの防潮堤を乗り越えてやって来る筈がない。

ビルの屋上まで波が来る筈がない。

恐らくこういうことがいっぱいあったと思われる。

自然の力は無慈悲であり、まさに驚異であった。

避難されている人々の姿をTVで映し出す。実情は泣き叫び、救援の遅さを呪いたいくらいのストレスが積もっているのだろうが、実に冷静で辛抱強く、自分のこともさりながらそして同じ被災者への気遣いをされて、動いておられる姿は胸が熱くなる。

高田中学の生徒が書いた「がんばろう高田  命のあることを喜ぼう」という言葉と思いは素晴らしいと思った。

艱難辛苦に耐え、挫けず、あきらめないで、復興に立ち上がっていただきたい。
私も遠くからできる限りの支援をしていこうと思っている。



昨日よるテレ朝を見ていたら、リアルタイムで静岡・山梨で大地震が起こった。古館と市川を映し出しているそのバックが大きく揺れていた。流石、古館慌てず騒がず、冷静に話し続けたが、市川は恐怖で固まっていた。

「忘れた頃ー」なんてものではない、現に東北・関東でたいへんな事態になっているその時、違う場所で起こった。

「なんでもあり!」が実は自然の掟=法則なのかもしれない。

昨夜は寝る前に「家の貴重品、肌着、防寒着(フリースジャンパー)、水」をナップサックに詰めてベッドサイドにおいて寝た。

いつ、どこで、何が起こるかわからない