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まろりんこの気まぐれ日記

趣味のダイビングやワンコ、好きなこと、日々のことを超~気まぐれに綴ります♪
最近は寺社仏閣巡り(ご朱印)話が多いです☆

長屋王

2015-02-24 10:08:28 | 日帰りお出かけ
今日の天気は
喉が痛い 風邪ひきかけのまろりんこです


麺や而今で美味しいラーメンに舌鼓を打ち、
その後信貴山朝護孫子寺へ向かう途中のこと。

奈良・平群町で突如カーナビに現れた
「長屋王の墓」
の文字。

マジでこれは是非訪れたい

長屋王…
日本史では「長屋王の変」として習いますね。
時は奈良時代。
天武天皇の息子である高市皇子を父に持ち
正妃は同じく天武天皇の孫であり
文武天皇の妹でもある吉備内親王という長屋王。
729年、謀反の罪で吉備内親王と息子3人と共に自害。
その高貴な血筋や地位から藤原四兄弟(不比等の息子達)と対立
(光明子の立皇后とかでね…)、
この四兄弟に無実の罪を着せられた陰謀説がとっても強い事件で、
長屋王の変後、実権を握ったはずの四兄弟は
全員次々と天然痘に倒れて亡くなったため
長屋王の祟りだと言われました…。怖い

先に到着したのは

この階段を上るとありました。

吉備内親王のお墓。

そこから車道を100mほど行くと

長屋王のお墓。
歴史好きそうな方々が訪れてはりました。私もか


まろりんこの愛蔵書、里中満智子先生の「長屋王残照記」
左が吉備内親王、右が長屋王。
まろりんこは所蔵してる歴史漫画たちを寝る前に読むことが圧倒的に多いんやけど、
この話だけは最後がキョーレツ過ぎて夜には絶対読めん
昼間でも覚悟してからじゃないと読めません

吉備内親王はお父上が草壁皇子なので
まろりんこの愛読書、同じく里中満智子先生の「天上の虹」にも登場します

これは吉備内親王の姉君である氷高皇女。しっかり者で絶世の美女


長屋王残照記での氷高皇女。
氷高皇女は後に女帝・元正天皇になりはります。

一昨年の10月に陵を訪れました。

場所は、近鉄奈良駅から北へ2kmほどでしょうか。

さらに東へ400m程の所に

氷高皇女・吉備内親王・文武天皇のお母上である元明天皇の陵があります。
藤原京から平城京へ遷都しはった方です。

元明天皇(阿閇皇女)は、天武天皇と持統天皇の息子である草壁皇子の正妃。
その息子である文武天皇が若くして崩御されたので、
当時まだ幼かった首皇子(後の聖武天皇)が成人するまで
元明天皇~元正天皇と即位されたのです。
ちなみに、元明天皇は持統天皇と嫁姑の関係やけど、
父上は同じ天智天皇やから異母姉妹でもあり、
母上同士は姉妹やから従姉妹でもあるという…ややこしい。
でもこの時代のお話はとっても面白い

そう…元明・元正天皇陵を訪れた時、
般若寺から奈良豆比古神社に行った足で
めっちゃテキトーな地図を頼りに歩いて行ったら
それはそれはもう迷い倒して歩き回って難儀した思い出が
それ以来、地図はもうちょっとちゃんと拡大したのを持って行く事にしたまろりんこです
あっ、元明天皇陵は大通りから
こんもりした森(これが陵やねんけど)の南側の道を行きます。
まろりんこは北側を歩いてしもて
「無い…無い…何で」となってしもたから

そしてさらに、南へ1.5km程行くと
聖武天皇と光明皇后が並んで眠ってはる「佐保山南陵」があります。
訪れた時(もう一昨年のことか…)は工事中でお側まで行けませんでした。

さらに豆知識
平城宮跡のすぐ側のイトーヨーカドーのある所が
長屋王邸やったんやて~
「長屋王」の文字の入った木簡が出てきたんやて




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