よっちゃんとコメント欄でおしゃべりしていて気がついたことですが…
考えてみれば京都はブランドだらけでした。
継祖母は身の回りのもの全て京都の老舗ブランド、ブランド大好き人間でした。
足袋はどこそこに足型があって毎年まとめて〇足作ってもらうとか、
扇子はどこ、着物は、櫛は、傘は、袋物は、お茶は、刃物は、筆は、紙は、墨は、
糸は、味噌は、鍋は…
石鹸は、これはスペインの物を使っていました、シュークリームはバイカルでした。
私の父は祖父の家で食事をすると「能書き聞いているだけでまずくなる、」と嫌がっていました。
でも継祖母本人は京都生まれではありませんでした。
歳をとって弱ってからはあまり言わなくなりました。
ブランドを追いかけるにはパワーがいるようです。
父は知る限り代々京都ですがブランド嫌いでした。
京都は魚の新鮮なのが手に入らないから様々な加工をした料理が発達して、
豆腐や野菜などでいかに美味しい物を作るか工夫したわけです。
食べ物だけでなく、いかに、付加価値をつけ、他店と違うものを作るか、
そして高く売る、それが「ブランドをつくりだす」ことだったんだ思います。
考えてみればヨーロッパの古い町でもブランド化が進んでいます。
各地からやってくる人たちに特別の物として高く売れるように
職人たちは日夜研鑽を積んでブランドを生み出していったんだな思いました。
いまでは「ブランド」のためにブランドが作られている気がします。
考えてみれば京都はブランドだらけでした。
継祖母は身の回りのもの全て京都の老舗ブランド、ブランド大好き人間でした。
足袋はどこそこに足型があって毎年まとめて〇足作ってもらうとか、
扇子はどこ、着物は、櫛は、傘は、袋物は、お茶は、刃物は、筆は、紙は、墨は、
糸は、味噌は、鍋は…
石鹸は、これはスペインの物を使っていました、シュークリームはバイカルでした。
私の父は祖父の家で食事をすると「能書き聞いているだけでまずくなる、」と嫌がっていました。
でも継祖母本人は京都生まれではありませんでした。
歳をとって弱ってからはあまり言わなくなりました。
ブランドを追いかけるにはパワーがいるようです。
父は知る限り代々京都ですがブランド嫌いでした。
京都は魚の新鮮なのが手に入らないから様々な加工をした料理が発達して、
豆腐や野菜などでいかに美味しい物を作るか工夫したわけです。
食べ物だけでなく、いかに、付加価値をつけ、他店と違うものを作るか、
そして高く売る、それが「ブランドをつくりだす」ことだったんだ思います。
考えてみればヨーロッパの古い町でもブランド化が進んでいます。
各地からやってくる人たちに特別の物として高く売れるように
職人たちは日夜研鑽を積んでブランドを生み出していったんだな思いました。
いまでは「ブランド」のためにブランドが作られている気がします。