ちょっと高松

うどん県&マグマシティの探訪記と日々の暮らし。

我は海の子

2023-11-01 | おでかけかごしま

ザビエル上陸記念碑から少し海側に進んだところにあるのが「我は海の子」の歌碑

私は小学校などでこの歌を教わった記憶があまりないのですが、

冒頭の歌詞とメロディーには覚えがありますし、歌詞を見れば歌えるんですよね〜。

この歌の由来について、歌碑の右下にこのように書いてありました。

 

「我は海の子」の由来

文部省唱歌「我は海の子」の作詞者宮原晃一郎は、明治十五年鹿児島市加治屋町に薩摩藩士の子として誕生した。
 十歳のとき父の転勤で北海道に移住したが、長じて小樽新聞社の記者であった明治四十一年 幼い日、毎日のようにかよった故郷の海(錦江湾)の天保山海岸をしのんで作詞した「海の子」が文部省新体詩懸賞募集に応募して佳作入選した。
 翌年国語読本に掲載され、続いて明治四十三年に読本唱歌として、音楽の教科書に「我は海の子」と題し採用されてからこの歌は現在に至るまで、多くの人々に親しまれ国民的愛唱歌となって、広く歌われている。
 此処に文部省唱歌「我は海の子」の歌碑を建立し作詞者宮原晃一郎の詩才を末永く後世に遺したいと思う。

平成十二年七月二十日 海の記念日
「我は海の子」歌碑建立実行委員会

 

調べて見ると、この歌の歌詞は7番まであります。

しかし戦後、GHQの指導でこの歌が一旦は教科書から削除されたそうで(7番の歌詞が問題視されたとか)

小学校で再び教えられるようになったときに3番までとなったようです。

YouTubeには7番まで歌った動画がいくつもありましたので、ご興味ある方は探してみてください

 

歌碑の裏側(海側)には、こんな景色が広がっています

そしてあの海沿いを通る道は、このようにつながっていました。とても心地のよい散歩道

少し先には、屋根付きのこんなスペースも

またひとつ、素敵な場所を見つけました