marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(309回目) 人生における訓練  (M・ルター)

2017-04-02 21:17:10 | プロテスタント
 今回の表題は、翻訳の本のものではなく、僕はがルターのその節(終わりに書いています)を読んで、そのように思った表題をつけています。このブログに採用している德善義和先生は、日本ルーテル神学大学の先生でしたのでそのためか抜粋されてわかりやすく訳されていると思います。前に紹介した一般に「キリスト者の自由」と訳されている岩波文庫のそれは、石原 謙訳で僕の手元にあるのは1970年(昭和45年)第18刷のそれなので抜粋などしないで訳されており堅い訳(原文に忠実であることを期したと後書きにあるとおり)。実際はそれが本来、訳する作業としては正しいのだろうけれど、言わんとする内容を理解し、読まれる人が自分の言葉で理解してもらうには、やはりその道の専門家の方が、抜粋してでもわかりやすく訳された方が良いと思います。それは無論、主眼は読むことをとおして理解してもらう(つまり伝道と同じ)ことがその目的の第一だと思うからです。
◆聖書に関する知識も同じ、聖書は世界のベストセラーであることは疑いありませんが、読むということは、自分の言葉で読むということであり、自分の言葉で考えるということになりますね。人それぞれ生き方も、考えも異なりますから、読んだ結論というのは、決して一般として共有化が図れるものではありません。従って、哲学者、神学者がいろいろものを著していることに決しておそれなどいらないのです。(なぜなら、その道を求める人には自分の十字架を背負って私に従いなさいと言われる、それは人それぞれ異なるものだからです)。
◆人の言葉を介在させないで自分の言葉で読む(その言葉のつむぎだしは祈りとなります)些細な言葉でもイエスは自分に向けられた言葉を聞きとられる。そして教えられたところに生きるということが大切になります。私に繋がっていなさいとイエスは繰り返し述べる。キリスト教などと聞くとうさん臭さの思いが湧くのは、よくよく考えてみるなら、人の言葉がどこかに介在していることを観ずるはずです。(極端な例は、キリスト教は西欧の宗教ではないかと・・・、そこから、そうではなくそれは生きとしいけるものすべての宗教であると理解することが大切なのです。他を排他しても? そうではないことは深く学べば理解するようになる、そしてどうしてお経ではなく実際にイエスという方が地上に来なければ真実ということの理解はあるいはできなかったかもしれないという考え(を信ずること)に必ずや到達すると僕は信じているのです。
◆求道の途中にいろいろ立ち現れてくる壁、そこに僕らは注意が必要なのです。そこを突破しないかぎり、信仰の列車には乗りきれません。僕は、この壁を何とかして崩して無くしたい。僕は本を読むと気にとめたところには線を引くのだが、徳善訳にも、過去読んだ石原訳にもこの第20の文章には線が引かれていた。この数行は、とても多くの事を教えてくれる。

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第20 人間は、〔・・・・〕地上においてはまだこの身体的な生のうちにとどまっており、自分自身の身体を支配し、人々と交わっていかねばならない。ここに行いが始まるのであって、彼はいたずらに時を過ごしてはならないのである。ここに確かに身体は断食、徹夜、労働、その他あらゆる適度の訓練をもって駆り立てられ、鍛錬されて、内的人間と信仰とに服従し、これと等しいかたちをとるように、また、〔これを〕妨害したり、反抗したりすることのないようにされなければならない。〔・・・・・〕・・・続きます。
                                       (『キリスト教的人間の自由』7・29-38 )

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     (世界の思想家5 「ルター」徳善義和編 平凡社 S51.12.15初版 p122)・・・