marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(332回目)「原罪と永遠の命」覚え書き:人は存在するかぎり「性」から脱出できない

2017-04-29 09:16:00 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教
 アリスター・E・マクグラスが分子生物学の博士ということもあって、気になってきたことがありました。
◆肉と霊の事に書かれているパウロの手紙、「肉の思いは死なり」という言葉、そして福音書「神は霊である」(ヨハネによる福音書第4章24節)とイエスがサマリアの女に言われた言葉。
◆そしてパウロが手紙で「霊と肉」について語るところ、実際に彼の手紙は、その事に終始していたと読めなくもない。つまりは、人間が神の似姿に創造されて以来の(第一の人アダム以来の罪による死の介入のこと)、そしてカルヴァンが原罪として遺伝的罪(無論、原罪のような遺伝学のような精緻な事柄でなかったとしても)と定義の中でのべていたこと。
◆親からの遺伝があるわけだが、聖書をとおして「親族、親、兄弟、姉妹、子などを憎む」といような(これは本来、ユダヤでは日本語のそれではなく、第一とするものではない<神を第一と考えるべき事柄であるという意味合いで「憎む」という言葉が使用されているとのことです>)言葉が言われているのは、肉によるその罪の継続を断ち切るという意味合いが含まれていると思われる。そうでなければ地上のつながりから天上への帰還にはそれが障害となるからと考えられること。
◆とにかく、聖書は、まさに聖書であるから性的不道徳に関しては厳しいと見られること。第一に男女の肉的性関係以前に、心の問題として特に偶像を持つことに関しても姦淫を犯すなどの意味合いで語られていること。これは特に厳しいように読み取れます。
      ******************************************
◆永遠の命への帰還。天地創造なる神。人間をも創造されし全宇宙にあって神が創造されたシステムは、大変よかったのであるが、堕天使(地上に落ちてからは悪魔)以前の天上界にて、創造された人は狂いが生じてしまった。いまふうに言えば、システムは万全であったが、神の似姿に創造された人間は、その自由の判断の隙間にウイルス感染を悪魔により生じさせられてしまったということになるか・・・。従って、人間には死が入り込むことになった。(アダムによる第一の人間)
◆天上への帰還が困難になった人間を回復すべく、個々人の自由判断にゆだね、まったく天には帰れなくなった(理由は罪の伝搬による完全な当初の人間ではなくなったから)人間にその判断と了解を迫らざるを得なくなった(あまりに複雑にとても天上には帰還できない人間になってしまったので)。そこで神は、独り子イエスを地上へ送り、彼を信ずる者は、そのどんな罪の欠陥をも免除するという契約をするということの宣教を全世界に行うのです。
◆旧約聖書、信仰の父アブラハムは神の声を聞いて親族から離れて行く先を知らず、ただ神を信じて旅を開始する。また、モーセはエジプトの地から脱出を図る。約束した通り、鴨居に血が塗られた家(新約でのイエスの血を暗示)の禍(死)が通り過ぎその家の者は約束の地に向かう。その他、多数の記事。この地上で僕らが生きていること、神を信ずることはいかなる時もその方(神)にまみえるまで(その国に入るまで)脱出と前進であるというイメージなのです。無論、試練、困難は数知れず、しかしイエスがサポートされて導かれるということに・・・。
◆私たちは、地上においては寄留者なのである(ヘブル人への手紙13:14)、我らの国籍は天にあり(ピリピ人への手紙3:20)の通りです。従って、これらのことから、地上におけるパウロがコリント人の第一の手紙で述べているごとく、彼はこの地上において「霊と肉」を語り、また、当然、まったく地上の汚染された霊ではなく、信じる者、否、本当は全人類、生きとし生けるすべてのものと言っていいが神は「聖霊」を賜っているということなのだ。信ずるかどうかというより、これが満ちていないと今まで述べた地上の悪魔もうろつく汚染された霊のみでは絶望以外にないことが理解されてくるのではないかと思われます。従って、これを信じて光ある内に光の中を歩めなのです。
◆最後に一行。生物学的に「死」の対は「生」ではなく「性」なのです。体細胞が死ぬが、生殖細胞は人間が存在するかぎり永遠に生き続けるからです。聖書がなぜ「性」に関して厳しいのか。それは人間が生きているかぎり「性」からは脱出できないからなのです。・・・ Ω