marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(317回目)受難週にあたり:裸で逃げた若者は誰だったのかⅡ

2017-04-13 21:26:04 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教
 今晩は、洗足の木曜日でそのための夜の祈り会を行う教会が多くあるかと思う。まさにその夜、起こったのである。
◆表題の”若者”が誰であるかの詮索の記事は、古代の教父たちや中世以降の神学者の著作にも多々見られるとのことです。やはり自分のことばで読むと素直に疑問は疑問としてことばに表していると言うことのようです。次のような解説に出会うまで、僕も考えていたことに同じような推論をするものなのだなと驚いたのです。僕の推論はもっと枝葉末節がつくけれども・・・・。
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 マルコ福音書の著者マルコ自身が自分自身の姿を書き込んだもの、つまり作者自身の体験を証明する匿名の署名である、とする見解が一つにある。この見解を支持する陣営の代表者としてイギリスの聖書学者ウィリアム・バークレー(1907~1978)を挙げることができる。
 バークレーは、新約聖書の中の使徒言行録における次の記述を出発点にして議論を展開しています。
  
 こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには大勢の人が集まって祈っていた。(使徒言行録12:12)

 バークレーはこの箇所を根拠にして、エルサレム教会の集会所、または本拠は明らかにヨハネ・マルコの母マリアの家で会ったと想定します。そしてその想定にもとづいて「もし、そうであるならば、最後の晩餐のとられた二階座敷は同じ部屋、マルコの母の部屋であったことはすくなくともあり得る」とさらなる想像を膨らませます。バークレーは、このように二重の推測を行うことで、「教会の中心になるために、その部屋より蓋然性の強い場所はない」という結論を出しています。
 さらにバークレーの想定はこれだけに留まりません。なんと、この「若者」は少年であり、寝ていなければならない時間にもかかわらず起きていて、「最後の晩餐」のあと「裸のからだをただ亜麻布でまとったままで」イエスの後をつけたか、逮捕されるイエスと弟子たちが去った後にやってきた警吏たちのさわぎよって目覚めさせられ、裸に敷布をまといイエスに急を知らせるために後を追った、と想像を膨らませます。
つまり、バークレーは、
 (1)最後の晩餐がヨハネ・マルコの母マリアの家でおこなわれたとする推測と、
 (2)「若者」はそこの家に少年時代のマルコであり寝床での裸の体に亜麻布を急いでまとったとする推測
という二段階の推測をおこない、マルコ福音書の逃亡する「若者」を「マルコ自身であり彼は自分の名前を全然用いずして、『わたしはそこにいた』と表現した」のだ、と主張しているのです」
                (「福音書」解説-復活物語の言語学 溝田悟士著 講談者選書メチエ 2013.10.10発行 )
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