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[改憲パズル] 権力側の暴走を防ぐ96条、それを変えろと騒ぐ権力側(何か変だ?)

2013-05-03 | Weblog

 

朝日記事:(憲法はいま)違憲判決、その心は 3裁判官を訪ねて

 「一票の格差」訴訟などで、今年は違憲判決が相次いでいる。三権分立の下、行政や立法のチェック役を期待されながら、違憲立法審査権の行使に消極的とも批判されてきた日本の裁判所。その中で違憲判決を書いた裁判官は、憲法についてどう考えたのか。今までになく改憲機運が高まるなか、各地を訪ね歩いた。

元裁判官・森野俊彦さん(66)

一票の格差訴訟

 

2010年3月、09年の衆院選をめぐる一票の格差訴訟で福岡高裁裁判長として違憲判決を出した。憲法14条の「法の下の平等」などが争点だった。

 

紙面写真・図版

森野俊彦さん

 ■「1人1票」30年前は止められた 2010年3月・一票の格差訴訟

 「何があっても最後は憲法を守ろう」。森野俊彦さん(66)=大阪市=は、そんな初心を胸に約40年間、裁判官を務めた。今は龍谷大学法科大学院で民事法を教える。

 2010年3月、09年の衆院選をめぐる一票の格差訴訟で福岡高裁裁判長として違憲判決を出した。

憲法14条の「法の下の平等」などが争点だ。

「誰もが過不足なく一票を有する」のが憲法の理念とし、従来の最高裁判決より国会の裁量を狭く解釈。原告側から「画期的」と評価された。

 「最高裁と違う判断をすることに迷いや抵抗はあったが、憲法を読み返してみると、やはり納得がいかなかった」と話す。

家裁勤務が長く、ニュースになるような訴訟を担当したことは多くない。ただ、大きな判断を迫られたとき、憲法の理念を守るのが役割だという心構えでいた。判決文にある「原点に立ち戻って検討すれば」との表現には、そんな思いがこもっている。

 憲法が公布された1946年に生まれた。任官した71年は、憲法擁護を掲げる団体に所属する裁判官らの政治的中立性が問題にされ、「司法の危機」が叫ばれていた。憲法に基づいて権力の乱用を防ぎ、少数者の権利を守る――。同じ志を持った司法修習の同期は7人が不採用になった。彼らの無念を、胸に刻んで過ごしてきたという。

 実は、裁判官になって10年たつころにも、大阪高裁で一票の格差訴訟を担当し、「1人1票が原則」とする判決を書こうとした。だが、裁判長から「最高裁で覆される。10年早い」とたしなめられた。「結局、30年後になりました」

 時代に合わせて憲法を見直すことに反対はしない。ただ、権力の暴走を防ぐために厳しい条件を定めている96条の改正は疑問だ。「一票の格差で違憲や無効の判決が相次いでいる。正当に選挙されていない国会が、憲法の根幹まで変えるのは問題ではないか」と森野さんは話す。

 最近の裁判所には、変化を感じてもいる。「価値観が多様化し、女性裁判官も増えた。出世志向で最高裁の意向を気にするのではなく、おかしいと思えばおかしいと自然体で言える世代になってきたのでは」

注:<一票の格差訴訟> 

国政選挙での「一票の価値」が選挙区によって異なることについて、憲法違反かどうかが争われている訴訟。最大格差が2・43倍だった昨年の衆院選をめぐっては今春、各地の高裁で違憲や無効の判決が相次いだ。最高裁判決が年内に出る見通し。

 

元裁判官・福島重雄さん(82)

長沼ナイキ基地訴訟

 

1973年9月、「長沼ナイキ基地訴訟」で「規模や装備からすると、自衛隊は明らかに軍隊であり、憲法9条に反する」との判決を出した札幌地裁の裁判長を務めた。

 

 

紙面写真・図版

福島重雄さん

■「9条に反する」冷や飯食っても 1973年9月・長沼ナイキ基地訴訟

 「裁判所が憲法判断を避ける傾向は、むしろ強まっている」。富山市の福島重雄弁護士(82)の見方は厳しい。一票の格差訴訟で違憲判決が相次いだのも、「最高裁がすでに違憲状態という判断を出していたからだろう」とみる。

 73年9月、「長沼ナイキ基地訴訟」で「規模や装備からすると、自衛隊は明らかに軍隊であり、憲法9条に反する」との判決を出した札幌地裁の裁判長を務めた。

憲法に特別な思い入れがあったわけではない。「必要があれば判断するのが裁判官。それがたまたま自分だった」と話す。

 ただ、福島判決は、高度に政治性のある問題に司法は立ち入らない、とする最高裁の立場に反していた。東西冷戦期、福島判決は政権側から「偏向」と批判を浴びた。二審で覆され、最高裁で確定。その後は地方勤務が多く、「冷や飯を食わされた」という。

 それでも、「裁判官は良心に従うもので、最高裁や上司に従うものではない。今やっても同じ判断でしょう」と淡々と語った。

 福島判決は「政策として自衛隊を持つことが適当かどうかを判断するものではない」と書いている。「違憲なら、憲法を改正するのも一つの選択だ。ただ、違憲だと思うのに司法が沈黙したら、現実を是認するだけになる」

注:<長沼ナイキ基地訴訟>

 ミサイル基地建設に伴う保安林の指定解除をめぐり、自衛隊の違憲性などが争われた訴訟。札幌地裁は住民勝訴としたが、札幌高裁は却下。最高裁も上告を棄却した。高裁、最高裁は憲法判断に踏み込まなかった。

元裁判官・小中信幸さん(82)

朝日訴訟

 

生存権を定めた憲法25条に基づき、生活保護のあり方を問いかけた「朝日訴訟」で、東京地裁は60年10月、当時の国の生活保護基準が憲法の理念に反するという判決を出した。主任として判決を書いた。

 

紙面写真・図版

小中信幸さん

■人らしい生活、考え抜いた 1960年10月・生存権めぐる朝日訴訟

 生存権を定めた憲法25条に基づき、生活保護のあり方を問いかけた「朝日訴訟」で、東京地裁は60年10月、当時の国の生活保護基準が憲法の理念に反するという判決を出した。

判決は高裁で覆されたが、地裁判決をきっかけに生活保護の水準は大きく改善された。

 主任として判決を書いた小中信幸さん(82)は東京都内で弁護士を続ける。担当になったのは、任官5年目のころ。憲法が「新憲法」と呼ばれていた時代だった。「経験が浅く、重荷だった」と振り返る。

 裁判長が日頃から口にしていたのは、「憲法は絵に描いた餅であってはいけない」という言葉だ。原告が暮らす療養所に出張し、生活ぶりも見て、「人間に値する生活とは何か」を考え続けたという。

 判決から半世紀が過ぎた今、社会の中で格差が拡大し、生活保護のあり方が改めて問題になっている。後輩の裁判官には「その時代の中で憲法が何を求めているのかを考え、判断してほしい」と願う。

注: <朝日訴訟>

 生活保護を受けていた結核患者の朝日茂さんが国の給付金について「健康で文化的な最低限度の生活」には不十分だと訴えた訴訟。東京地裁は主張を認めたが、東京高裁で逆転敗訴。朝日さんは亡くなり、最高裁は上告を棄却した。

 
(あとがき)
裁判官に求められることとは。最高裁で人事局長や事務総長を歴任し、最高裁判事まで約46年間裁判官を務めた泉徳治弁護士(74)に聞いた。

 裁判官は「国民に選ばれていない」という意識が強く、三権分立の中で、これまで立法や行政への介入には抑制的であるべきだという雰囲気が裁判所内には強かった。それが憲法判断を不活発にしてきた面はある。

 変わってきているとすれば、要因の一つは、社会が国際化していることだ。成年後見を受けた人に選挙権を認めた3月の東京地裁判決も、世界の潮流を強く意識していた。

 また、一票の格差訴訟のように、最高裁判決に多様な個別意見がつくと、地裁、高裁の判断にも影響を与える。異なる意見を比べることで、裁判官も考えを深められるからだ。

 退官後、外国の研究者から「日本では憲法は守るべき規範ではなく、抽象的な目標だ」と指摘された。行政や立法の「裁量」を尊重しすぎると、「憲法より法律が偉い」となりかねない。憲法を実社会の中で生かしていく努力が裁判官に求められるだろう。

(ほそく)

違憲立法審査権:法律や行政行為が憲法に違反していないか審査する権限。日本では、憲法81条により、最高裁に最終的な権限が与えられていることから、最高裁は「憲法の番人」とも呼ばれる。この規定により、地裁や高裁も憲法判断できる。日本の場合、個別の法律などについて抽象的に憲法違反を訴えることはできないとされており、具体的な争いの中で合憲・違憲が判断される仕組みになっている。


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