まい、ガーデン

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京都ずらし旅・お庭拝見 圓徳院そして知恩院

2024-06-11 07:57:11 | 

今朝はすっきりした青空。気持ちのいい空。

さてと京都ずらし旅。
ちんたらだらだら、この調子で拝観したお寺をひとつずつ書いていくといつ終わるの
か、って我ながら呆れるから、今日は端折って圓徳院と予定になかった知恩院。

建仁寺から次の圓徳院への道を、年上友と二人して案内板で何度も確認する。
北門出てすぐに右に曲がるのね、と何度も念押しする。
なんたってスマホなんか見ずの「検索より探索」が身上なんだから。
北門に来たらなんと、年上友はまっすぐの道を指さして「こっちよね」って。えっ?!
右に曲がるって言ったけど、右は右でまっすぐじゃないけど。私、見間違ったか。
不安になって確かめに案内板に戻りつつ、またもや年下友の名前を叫ぶ。〇〇さーん!
ああ、だからご一緒したかった。息子さんがひとり旅をさせないのがよおく分かった。
でもでも、年上友は時々正解の道を指摘するからなおさら困るのよ、混乱するの。

って、圓徳院への道を探しながら人気のない小路をふらふらと歩いて。ようやく圓徳院。

秀吉の妻、ねねが77歳で没するまで19年間この地で余生を送り、ここは北政所の終焉の地
となったところだ。ねねが亡くなって400年、祈念に春・秋に特別展が開催されていた。
こじんまりとしていながら落ち着いたお住まいだなと。
お庭は南庭と北庭の二つ。



小さな「南庭」
北山造園の「北山浩」氏に、ねね様が亡くなられて400年の祈念として、禅世界を感じる
庭の様相をおつくりいただいた、と記されていたが、左の赤の敷石と苔の並びは現代風で。

「北庭」こちらもそう広くはない。

もともと伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したもので、当時の原型をほぼそのままに留める
桃山時代の代表的庭園のひとつ。賢庭作で後に小堀遠州が手を加えたもの。国指定名勝。

江戸時代、御所周辺に出没した古狐の「宗旦狐」 茶の湯の宗匠に化けて茶会に出たり、
僧侶に化けたりしたんですって。おかしい。可愛くてお持ち帰りしたかったわ。

 

さてさて、ようやくこの日の予定最後の「青蓮院門跡」に行くかと、まずは知恩院目指す。
円山公園突き抜けて。ここまで飲まず食わずで歩いてくるとそろそろ限界に近づいてくるわけ。
よろよろよ。で、最終確認、目の前に知恩院の門の字が見えているのに案内板で確認。
すると、あちらからオジサンが近寄ってきて「どこから来たの」って。横浜からで。
「ああ、それなら分からんわな」なんてオジサン。
知恩院はそこだよ、バスが出ているからそれに乗ると楽に行けるよ、と親切に教えてくれる。
そんじゃ、親切には応じなきゃならない。バスなら行く、帰りもバスが乗せくれるというから行く。
無料ならなおのこと拝観する。年上友に断りもせず、待っているバスに乗ろうって。

「御影堂」 法要が行われていて読経が聞こえる。我らも中に入って聞き入る。
浄土宗は亡き両親のお寺の宗教。南無阿弥陀仏のお経に私もいつものように合わせて唱える。

御影堂横の廊下から阿弥陀堂へ

「阿弥陀堂」
御影堂を見る

急いで帰りのバスに乗って
ばあさんズ、知恩院前から青蓮院門跡へと最後の力を振り絞って歩いたわ。近いのに遠い。

大好きな「三門」こちら見るだけで満足のはずだったのにね。お参りまでできて満足満足。

 

 

 

 

 

 


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