






チュッパに洋服を買ってあげようと。
娘に上がいいか下がいいか、サイズは好みは?と問い合わせてデパートのGAPに。
130センチのTシャツを探す。これかなと130センチのTシャツを広げたら大きい。
あまりの大きさにびっくり。
えっ?こんななのこんなに大きくていいのかと、店員さんに聞く。
7歳ですか?120センチのサイズは今持っているでしょうから、
8歳の130センチにしたのでしょうね。これでも細身ですから大丈夫ですよ、とのこと。
いやあショック。見ない間にチュッパは大きくなっていたんだ。
今まで、3歳から5歳ころまでのお洋服を買っていたから、そのイメージが強くて。
Tシャツで成長を実感するなんて、ショックだわ。いやはや。
昨日の夕焼け。曇り空だったのに急に茜色が現れて森の上を染めた。
そして、何のつながりもないけれど。
早くしてくれと催促されているから広々公園の*タイタンビカス
ばかに大きい*芙蓉だとばかり思ってたから、立て札見て*ハイビスカスと知ってあらま。
宿根性ハイビスカス、品種改良されたものが次々出てくるのね。
それにしてもこちらの公園、いろいろ植物が見られて楽しい。
もう天気予報は見なくていいわ。オレンジ色はいいの。
昨夕
舞岡公園へ*ヤマユリを見に行った日。ドジをしたこと二つ。
張り切って原チャリとばして公園入口の駐輪場到着。さてと、と。
あれっ?ひょっとして。慌ててコンデジのバッテリーを見ると、あああやっぱり。
バッテリー装着してない!充電した後、取り出してその辺に置いたままだった。
どうしようかって。そりゃあ仕方ない引きかえしたわ。再度原チャとばしたわ。
*ヤマユリは明日を待ってくれないと言い聞かせてね。
歩き出す前でまだよかった、と自分を慰めてね。この手のことには根性が出るの。
もう一つ忘れたこと。膝サポーターの付け忘れ。
いつもなら必ず着けているけれど、暑いからいいやととったままで出て来た。
気がついてはいた。でも、いっかって。
結果、特にひどい痛みが出なくていつものコースが回れたから嬉しくて。ね。
いつものコース、耕作田んぼ横の小道。
曲がりくねった小道の先には何があるのか
草木の青いにおいの中歩く
門のあちらとこちら うーむ
今日も雨は降らなそうだ。
少しひんやりする朝もそれなりに、で。
寝不足でボヤっとしているからひんやりはありがたい。
昨夕、いつもと変わりなく早い時間の夕食を済ませて、居間から外を眺めていたら、
見事な空、面白い雲の形。それっと2階のベランダへ。
(18:23)
やがて陽が沈みはじめ
(18:30)
(18:42)
少しばかり庭いじりをしていたら 雲が夕日に染まり始めた
(19:07)
夏至の日が終わった。
父の日の今日は父の命日。
2011年6月20日早朝、97歳で亡くなった。それから10年。
それまで父の病室に泊まり込んでいて、その日も
「父さん、朝ごはん食べてくるからね、待っててね」と意識なく眠っている父に声をかけ、
タソガレ場所で海を眺め、チャリンコギコギコこいで、家に帰ったら病院からの電話だった。
まったく、私が留守するのを見計らったようにさっさとひとりで逝った。
母が脳出血で倒れた時、父は92歳。何でも自分のことはできたが食事の支度だけは
無理だった。ひとり娘の私が世話をするのは自明のこと。
夫には申し訳なかったが、あなたとはまだまだこれから時間があるけれど、
両親とは限られているからと妙な理屈で佐渡の実家に住んで父との生活が始まった。
私は月に1回、横浜の自宅に帰る。最初の頃は3泊4日。
父が朝電話のベルを3回鳴らして切って無事を知らせ、夕方私が電話をかける約束。
そのうち民間の介護施設ができて、1週間ショートステイができるようになった。
もうもうどんなに安心したことか。
父の荷物の中には必ずワンカップのお酒が6本。許してくれた施設には感謝感謝よ。
「父さん、お酒はだめだと言われたらどうする?」とからかうと「暴れる」だって。
大笑いしたわ。
今朝、自宅の遺影の前には、息子が父の日にと送ってきたお酒を夫が供え、
私は、父が愛飲していたお酒はこちらでは売っていないから八海山の小瓶を供えた。
そんな横浜の自宅と佐渡の実家との往復生活は、父亡きあとも入れて7年間。
行き帰りには必ずといっていいほどどこかに立ち寄った。美術館、公園庭園・・・
行きはさあこれからと気合を入れ、帰りはほっと一息つくために。リセット。
「越後丘陵公園」もそのひとつ、2012年13年6月と2回立ち寄っている。
もちろん広大な丘に広がるバラを見るために。
父が亡くなった後だ、アクセスが悪いから父の帰宅時間には間に合わなかったのね。
母に会いに行くだけだから、最終のカーフェリーに間に合えばよかったんだ。
今見ると、写真のへたくそなこと。広々とした風景を見ていただくのみです。
今思うと、60代前半だからできたこと。70代の今はとてもじゃないが・・・できません。
今朝も雨、あめあめあめ。もう飽きたわ。
天気予報では9時から晴れマーク。ほんとかね。夫と
「9時になると雲がぱかっと割れて陽が射すんじゃないの」
ってなこと言って笑う。
あれ?ブログ書いているうちに空が少しづつ明るくなってきたわ。期待する。
それにしても今週は気忙しかった。毎日何かしらの用事が入ってあたふたしたの。
おまけに小心者の私は、ありもしないことを先取りしていろいろ妄想し、
取り越し苦労の独り舞台で勝手に踊って勝手に演じて。勝手に疲れた。
ようやく土曜日が来たか、の気分よ。
18日、そんな取り越し苦労の妄想を取っ払おうと原チャとばして舞岡公園。
いたるところの木々に白い花が咲いて清々しい。
*ガマズミ
*ウツギ? *イボタノキ?
*エゴノキ
奥 小谷戸の里のそれは *ヤマボウシ
こちらは*ウツギで間違いないですよね
どの小径にも白い花が咲いて、ばかな取り越し苦労するんじゃないと諫めてくれたわ。
ほんと、そうよね。暇が悪いんだわ。
結局1日中雨だった昨日。午後には雨脚が強くなって。
今朝も今にも雨粒が落ちんばかりの曇り空。
それだって洗濯はせねばならぬ、自然乾燥に頼らねばならぬ。旧態依然たるわが家だ。
これからは、雨の止み間を縫って動かねばならないから、ぶらりもせわしい。
18日もそんな日。我ながら何をそんなにあくせくしているのだと思いつつ、
原チャとばして舞岡公園へ。
いつも通りアジサイの道を行く
東門の階段を下りて耕作田んぼへと
田んぼは水が張ってあって 一部の田んぼは田植えも終わっていた
そうだわ 佐渡ではゴールデンウィーク頃が田植え真っ最中だったわ
と 突然思い出して 懐かしい
水が張られた田んぼは水鏡になって周りを映し出す
今日もまた鬱陶しい天気が続きそうだ。
さてと。
近くの小さなJAの店で買い物をして、レジに並んだ。
といっても、客は私と後ろの方のふたり。空いているなんてもんじゃない、さびしいくらい。
あとはお店の方が野菜を並べたりしているだけ。
後ろのオジサンが誰にともなく「おれ、92になったよ」と言うの。
えっと思って振り返ると、背筋がしゃきっと伸びたおじいさんが。
どうやら収穫した野菜を店に納入しにきたらしい。
店員さんと顔を合わせて、そうはとても見えないですよねえと感心することしきり。
JA帽子とマスクのお顔は日に焼けて黒いが、目鼻立ちもしっかりして口調も若々しい。
「同級生はみんな死んだよ。医者も大学教授も死んだ。おれだけだ」って。
肉を土産に買って帰ろうと思ってさ、ですって。お元気な92歳、現役感バリバリ。
我が身を振り返って、だらしなさにため息が出た。
地下鉄の駅から舞岡公園への道。もちろん原チャリを止めて。
住宅地までは畑が広がる、その近辺をぶらり。
梅の実がたわわ
奥に見える鳥居は舞岡神社
ヒメウツギの立て札
ジャーマンアイリス
オオデマリまで植えられていたわ
音もなく雨が降っている、静かな朝。
ベランダから見える緑がいちだんと鮮やかで美しい。黄緑は黄緑、薄緑は薄緑くっきりと。
萌黄色、草色、青緑、浅緑・・・
そういえば、9年前、佐渡弁でいう竹色(黄緑色のことね)のことをブログで書いたら、
偶然読んだみたいでオヤジ同級生がえらく懐かしがってくれたことを思い出す。
彼も今はあちらの人。
「翌(あす)なき春」 歳時記から
「四月尽く」「四月終る」などと同様の言葉で、春の最終盤、華やかで、暮らしやすかった
春が過ぎていくのを惜しむ気持ちがある。
旧暦では、「三月尽」がまさに春の終わりで、もはや過ぎ去る春の後姿しか見えないのである。
色も香も うしろ姿や弥生尽 蕪村
そう、私の4月は3月までと比べ暮らしやすかった、いくらか落ち着いていた。
5月も、もうちょっと華やかに花を追いかけたいものだわ。
いつもと違う場所の舞岡公園ぶらり。
舞岡公園
緑のシャワーを浴びて瞑想する人 歩く人 バードウオッチングの人
ゆさゆさと 春が行く(ゆく)ぞよ のべの艸(くさ) 一茶
疲れていたのよ、だるかったの、ほんとは何もしたくなかったの。
3時半に目が覚めてそれから眠られなかったのだから、睡眠時間は4時間あったかどうか。
でも、明日明後日は芳しくない天気予報。今日、今日しかない。
と、原チャぶっ飛ばして舞岡公園へ。緑のシャワーでも浴びてくるか、とね。
それが昨日、いつものコースをいつもよりのんびりと歩く。
林の中で 満天星ツツジと
ヤマブキがお出迎え それだけで心弾む
林を抜けると もみじ休憩所の青紅葉が鮮やか まさに緑のシャワーを降り注いでいる
小谷戸の里の庭 こいのぼりが泳いでいた あらあ気が早いわ
古民家の庭にも
小谷戸の里を出たら いつも通り耕作田んぼの小道をぶらぶら
色とりどりの緑が目に優しい
この時季の緑がいちばん好きだわ
思い思いに散策する人たち
こういう人になりたい。