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まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

奥の細道 『俳句でてくてく』

2016-08-03 08:23:36 | 


 裏表紙に残りのお二方

奥の細道」刊行300年を記念して、赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊、林丈二、松田哲夫の路上観察学会5人衆が
「徘徊は俳諧に通ず」を合言葉に「奥の細道」へ。
ちなみに、
路上観察学会(ろじょうかんさつがっかい)とは、路上に隠れる建物(もしくはその一部)・看板・張り紙など、
通常は景観とは見做されないものを観察・鑑賞する団体。だそうな。
頭が固い私もこの団体に入れていただければ柔らかくなって、違う目線で路上を見ることができるかしら。

豪雨のみちのく路、吹雪の越後路、猛暑の加賀路を1997年7月7日から2001年1月18日まで1年半の歳月をかけて膝栗毛。
道中で採集した珍品奇景。
詠んだ奇句怪句に、泉下の芭蕉翁も腹よじる?数千点から238点を厳選した新機軸のフォト句集。
そうそう、1頁に写真があってエッセイ風な短い文章があって俳句がある。
多々のフォト句な中で私のいちばんのお気に入りは、石巻にて南伸坊さん、俳号南方さんね。

石巻が一望できる日和山公園に、奇妙な芭蕉主従の像がある。
曾良の手が俳聖の背中を貫いているように見える像だ。
(いやいや写真をお見せできなのがつらいところ、まさかコピーするわけにはいかない。
ここは皆様の豊かな想像力で補ってくださいませ)
おそらくは、山道をこのような形でのぼっていくところをうつしたものだろう。
しかし、像のあるのが頂上であるために誰もが怪訝な顔をしてこれを見ている。

そこで南方さん、「これはネ、芭蕉の背中がかゆくなったところです」と言い切っての奇句。
『ここですかそうそうそこがきもちいい』
こういうの、大好きよ。

大変楽しく読ませていただきました。はい。

閑話休題

 佐渡の海

巻末に建築探偵・藤森照信教授の『奥の細道』特別講義が掲載されていて。そうなんだと思ったところ

怪説!「海の細道」は名句を生まない!?

藤沢周平「海坂藩」のモデルは鶴岡じゃない村上だ。鶴岡、村上と続けて歩いた体験からいうと鶴岡じゃなくて村上だって。
城山の臥牛山の上までのぼり今はなき石垣の端に立って
「江戸時代に生まれて、村上の殿様になりたかった」と思ったそうな。

芭蕉と曾良が歩いた村上から糸魚川まで日本海沿いを歩いてみて、村上が一番印象深い街になるような気がするって。
日本海沿いの小藩の城下町の知られざる魅力を存分に味わうことができたそうな。

海道・越後路ならではの情感。
出雲崎、親不知、市振とつづく道は、日本海沿いにしかないような情感があった。
古い宿場町がつづくのだが、脇道の向こうにはすぐ海があり、波の音が聞こえ潮風が吹いてくる。
海を意識しながら人家が軒を連ねるなかを歩いていく。こういう空間の体験は、山形県から新潟県にかけての
海沿いの道でしか味わったことがない。少なくとも太平洋側や山陽路にはなかった。

あああ、藤森教授、よくぞ言ってくださった!私の日本海側贔屓理由を代弁してくださって嬉しい、なんだかスッキリ。

そして、海の細道で読んだ句があまりに少ないことから、海に俳句は似合わない!?
山道は名句を生むが、海道は名句を生まないという法則でもあるんだろうか。
それって芭蕉も曾良も山国生まれに起因するんじゃないか、と結論付けているところがこれまたそうなのかと納得して。

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『続々と 経験を盗め』

2016-07-05 09:03:04 | 

昨晩娘から電話が来た。
やっぱり。
ちょうど保育園のお迎えの時間かもなと案じていたのよ。
あの突然の豪雨の中お迎えして帰ったんだって。
もう30分遅かったらカラッと上がっていたのにねえなんてこぼしていた。そういうこともあるよ。

で。
糸井重里鼎談集 第3弾 『続々と経験を盗め』
対談本が好きな私としては引っくり返って読むのにちょうどよい面白さ。

テーマ一覧
──────────

天気が教えてくれること       (木村尚三郎×根本順吉×糸井重里)
禁煙という挑戦            (阿部眞弓×山村修×糸井重里)
ラジオへの誘い            (永六輔×山田美保子×糸井重里)
歩く楽しみ               (池内紀×デューク更家×糸井重里)
サルを知る               (浅香光代×山極寿一×糸井重里)
花粉が飛んだ日           (佐橋紀男×寺門ジモン×糸井重里)
汲めども尽きぬトイレの話     (清水久男×山戸里志×糸井重里)
豆腐の不思議を味わう       (福田浩×吉田よし子×糸井重里)
健康は口の中から始まる      (上田実×鈴木正成×糸井重里)
落語の入口へご案内いたします (春風亭昇太×橘蓮二×糸井重里)
もっと楽しむ水族館         (櫻井博×中村康夫×糸井重里)
脱・東京の住み心地         (大貫妙子×川勝平太×糸井重里)
おしゃべり革命を起こそう      (阿川佐和子×御厨貴×糸井重里)

 

中でもいちばんの「目からうろこ」の面白さは、糸井重里 根本順吉 木村尚三郎 「天気が教えてくれること」

発行が2006年で、婦人公論掲載の「井戸端会議」1999年から2004年からセレクトした、
とあるからいつの鼎談か分からないが、いやいや今の風潮にもぴったり当てはまって、そういうことなのねと頷くしだいでして。
まさに「経験」を盗ませていただきました、はい。

難しいところは例によって省いて興味津々な部分、ね。

木村さんいわく。
人間は気温が低い時に動くんですって。
気温が低いと作物ができない。来年も再来年も不作かもしれないし、生きていけるかどうかわからない。それで移動すると。

寒い時気候のよくない時は人は西や南に関心を持つ。紀元3世紀から4世紀にかけてゲルマン民族の大移動があった。
当時は寒かったということが分かり、ドイツの東の方にいたゲルマン人が寒冷化が強まったため西へ西へと行った。
この民族の大移動が今日のヨーロッパ諸国のもとをつくった。普通は西と南に動く。
ところが一部の変わった人間は西北に動いて、これがイギリス人。
だからイギリスは今でもほかのヨーロッパの人たちに馴染まないでしょう。

そうだそうだ。イギリスは変わってるんだ。だからEU離脱なんて行動に突っ走るんだ、なんてそこに帰結して納得。

「天候によって日常の生活も影響を受ける」

木村
不景気で先が見えない時も人は動く。旅行という形で。

どこへ行くかというと、ひたすら西へ西へ。もう一つは南。温かい方に関心が向いて、逆に元気がいい時は東か北に向かう。

暗い時代はディテールに関心が集まって、大きなことに目を向けようとしなくなる。身の回りのことばかりが気になるんです。
糸井 小さい差異だけを、穴を掘るようにふかーく追求する、みたいな。

そうよそうよ、今のテレビなんてまさにその通りだもんね。
どうでもいいことにどうしてそこまでごちゃごちゃ報道するんだろうねえと、悪態ついてテレビを消す。

木村
今はまた移動するから、道具も据え置き型より人間にくっついて動けるものが売れていますね。
ペットボトルや携帯電話、ノート型パソコンや弁当とか。
日本では18,9世紀の人たちがやっぱり大移動で、薬籠、印籠、矢立、みんな持って歩いた。
そのころの日本は水田開発がストップして、耕すべき大きなところがなくなってしまい、ちょっと凶作になると、
たちまち農民一揆や間引き、都会では米騒動が起こる。
そういうとき、人は突き動かされるように移動したんです。お遍路、お伊勢参り、富山の薬売りなど、みんなそうです。

うーんそういうことか。
移動するからくっついて動けるものが売れるのか、スマホなんて最たるものだ、ほんとにそうだわね。
不景気になると家にじっとしているような気がするけれど逆なのね。
突き動かされるように移動したくなるのね。
私が突き動かされるようにどこかに行きたくなるのも先行きの見えない暗い時代のせいなのね、なんて。
そういうことにしておく。

他にも「落語の入り口へご案内いたします」なんて笑点の昇太さんを思い浮かべて楽しんだりして。
「健康は口の中から始まる」でえっ歯磨きは起きてすぐにするべしなのと目からうろこ。

第3弾しか読んでいませんが、その道のプロの方の経験をしっかり盗んで日常に生かします、なんてけっこう本気。
なかなか楽しませていただきました。

 


 

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『キャパの十字架』

2016-06-21 08:40:57 | 

この本も図書館でぱっと出会った1冊。

  贔屓の沢木耕太郎さんの著書でなかったらきっと手に取らなかったと思う。

写真家「キャパ」という名も有名な「崩れ落ちる兵士」の写真もうっすらとなんとなく記憶の片隅にあるような・・・

 

 (崩れ落ちる兵士)

あまりに「完成度」が高いことや、頭部に負傷がはっきりと確認できないこと、
更にキャパ自身が生前この写真について殆ど語らなかったことなどから、
本当に撃たれた瞬間を撮った写真であるかどうかについて、真贋論争が長年にわたり続けられてきた。
(webより)

誰が撮影したのか?どのカメラだったのか?誰が撃たれたのか?その場所は何処だったのか?
などの追及角度で、沢木さんは何度も現地や関係各地に赴き多くの人たちに取材を重ねて真贋の核心に迫ろうとしていく。
それぞれ今まで疑問だった事柄をひとつひとつ検証して解き明かし真相に迫って行く。
そして。
画面の縦横比率からいうと「崩れ落ちる兵士」の写真はキャパが使用していたライカではなく、
ゲルダが使用していたローライフレックスだった、という大きな理由で「崩れ落ちる兵士」は恋人ゲルダが撮った写真だった。
と結論付けていく。もちろんキャパは亡くなっているわけだから本当にその結論なのかは確証できない。

私は読み進めていくにつれ、沢木さんがそこまで熱心に「崩れ落ちる兵士」が持つ真相に迫ろうとする意図が理解しきれずに、
正直、やらせでもねつ造でも別にいいじゃないの誰が撮影したのでもいいじゃないの、
そこに人々の胸を打つ写真が現に存在しているんだからと思ってしまった。

ミステリーを読んでいるようなサスペンス小説を読んでいるような謎解き感覚で最後まで読んだが、
キャパに対する沢木さんの尊敬や愛が感じられなかったら途中で投げ出していたかもしれない。

ちなみに
2013年  NHK 沢木耕太郎 推理ドキュメント 運命の一枚 ~"戦場"写真 最大の謎に挑む~放映
       横浜美術館にて「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」開催

されていたそうで。

 

そして「キャパの十字架」とは対極にあるような 1冊  
上橋菜穂子さんのエッセイ『明日は、いずこの空の下』
上橋さんの著書は初めて。 

高校生の頃から、これまでに訪れた様々な国々での出来事をつづりながら、
「あの頃の私」が「いまの私」になっていくまでを書いてみようと思います。(メッセージより)
上橋菜穂子さんの魅力的な物語世界を生んだ「物語が芽吹く土壌となった旅」とはどのようなものだったのでしょうか。
(紹介文より)

2014年 国際アンデルセン賞作家賞や2015年「鹿の王」 本屋大賞を受賞された凄い作家だということは承知している。
が、映画も小説もファンタジーとかホラーとか児童文学とかはどうしてもだめな自分。入り込めない。
端から拒否反応が起きて。読まない、観ない、まことに食わず嫌いで。実にもったいないことだと思う。
でも気にはなっていた方だからアンテナは張っていた。で、4月のEテレ。

SWITCHインタビュー達人達「上橋菜穂子×齊藤慶輔」
上橋は「物語が突然降りてくる」天性の作家。何気ないきっかけから人物設定や名前、声や体温までありありと浮かぶのだという。
異世界が交錯する壮大な世界観の秘密とは?知的興奮に満ちた対話が展開する。

と番組紹介にあるけれど、うーん、知的興奮に満ちた対話が展開しているのかもしれないけれど。
凡人の私には分かりかねる。知的興奮には程遠く、そうかいなの感想。困ったもんだ自分。

それが、幼いころの上橋さん、世界各地を旅してる時の生き生きとした上橋さん、いろいろなエピソードが詰まった
『明日は、いずこの空の下』 を読んでいると、穏やかで温かい上橋さんのお人柄が伺われて(それでいて凄く行動的なのよ)
エッセイなのに読んだこともないのにこれが上等のファンタジー小説を読んでいる気になってくるから妙だ。
ひょっとして上橋さんの著書を読むようになってくるのかしら。

 

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『植田正治の世界』

2016-06-15 09:36:36 | 

図書館に行くと予期していないのに、時々思いがけない本が目に飛び込んでくる。
『植田正治の世界』もそのひとつ。

 

    パパとママとコドモたち 1949年 (裏表紙に美人なママがいる)

「植田正治」さんに関してはEテレ日曜美術館で初めて知って、まだ佐渡通いをしていた頃
東京ステーションギャラリーで開催していた

生誕100年!植田正治のつくりかた 
UEDA SHOJI 100th anniversary 2013年10月12日(土)~2014年1月5日(日)

 こちらを観ている。観ているがブログ記録がない。でパンフレットを探したら出てきたわ。えらい!私。

 

「子狐登場」 狐の面をかぶった少年が ジャンプしているそのその一瞬 劇的だわ

 

きっとなんとなく気になっていたのね、といおうか記憶に残っていたのね。
それで早速お持ち帰りした次第で。

「植田調」とかオブジェ志向「演出写真」 とか言われているけれどほんとにそう。
それってちょっと小津安二郎監督のこだわりに通じるものを感じる。
小道具の位置を定めるのに、「チョイ東京よりもうちょっと鎌倉より」とか言って凄く拘ったエピソード。
それ以上ないという位置はきっとその鋭いバランス感覚にあるのね。

ボクのわたしのお母さん 大好きなお母さんの着物の袖を引っ張りっこしている様子がとても微笑ましい
「童暦」シリーズ
花を持つ少年  
山陰の冬 海のそば 背景に押し寄せる波 
冬の寒い中少女たちが着ているマントは私が子供の時に着ていたのとそっくりでとても懐かしい
少女四態 1939年 少女たちが着ているシミーズやワンピースがこれまた子供時代を思い出させてほっこりする
 

   (webから) ファッションデザイナー 菊池武夫さんと組んだ写真

 

 佐野藤右衛門さんに関してはやはりテレビで初めて知って心惹かれていた。 

「桜は全部下を向いて咲くんです。ですから中へ入り込んで見て、初めて桜も喜ぶんです。横から見ては、全然あきませんものね」
桜守と呼ばれる京都仁和寺出入りの植木職、十六代目佐野藤右衛門が語る、とっておきの桜のはなし。

そうしたらやはり図書館で出合ってしまって。もう即お持ち帰りよ。
「桜を植えてよかったと初めて思ったと語った。」
被災地に桜を植えることになにがしかの疑問を感じていた佐野さんのこの言葉と表情がとても印象的で。
番組内容はこんな感じ。

2月下旬、玉浦西地区に桜が到着し、桜を植える現場では住民が手伝っていた。
佐野さんの指示で桜が慎重に植えられた。被災地に通い始めて3年、初めて地元の人を触れ合いながら桜を植えた。
佐野さんは「ここは皆さんの思いが違う」と話した。佐野さんの桜でお花見することを願い、住民たちは厳しい現実を乗り越えようとしていた。佐野さんは「やっとやりがいがあったとここで感じた」と話した。

 4月中旬、宮城県玉浦西地区ではあいにくの雨の中、花見が行われた。
佐野さんも駆けつけた。震災後、生まれ変わった町の初めての花見だった。皆は桜の木の下で記念写真を撮った。
佐野さんは、残っている心の隙間を埋めたのが桜だと初めて分かった、桜を植えてよかったと初めて思ったと語った。

で、本は聞き手と話をしている言葉そのままに。
佐野さんけっこう、ぼやく、嘆く、怒る、諦める。それが何となくおかしくて、叱られるけれど。
それせも佐野さんの桜守としての情熱はしっかり伝わってきました、はい。

 

 

 

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『杉村春子 女優として、おんなとして』

2016-04-26 09:28:30 | 

花だ緑だと追いかけているうちにどんどん忘れて行って焦っています。
すごくいい本だったので。

 

なぜ今ごろ杉村春子さんかと。

録画しておいたデジタル版の『晩春』を観て、生き生きと演じている杉村さんがとても素敵だったので。
晩春は若いころにも見ているのにその時は杉村さんには目がいかなかった。それがこの度観て。
円覚寺の階段前でお財布を拾ったという場面
嫁入り衣装を着た原節子さんが部屋を出て行った後、くるりとひとまわりしてそれから出ていく場面。
私なんかが言うのもなんだけれどとても印象的だったのよ。

その前にもBSテレビ 「2時間散歩」で江守徹さんが四谷付近を散歩しているとき文学座が近くにあるということから、
杉村さんのお話をしていて(内容は覚えていないれど尊敬の念溢れていた)それもどこかに残っていたの。

で、図書館に行ったら飛び込んできたのが『杉村春子 女優としておんなとして』
これは読めということね、と早速借りた次第。
引っくり返って読むにはあまりに分厚く重かったけれど、面白かったので一気呵成に読破。

いやあ、杉村さんってほんと壮絶な人なのね。
それこそ女優としても女としても。
ごめんなさい、画面からどこか小意地が悪そうな感じは受けていたけれどほんと凄まじい。
(そして再度ごめんなさい、その印象は消えなかったわ)
もう凄いとしか言いようがない。

杉村さんのことはあれだけ有名な方だから私ごときがおこがましくて。
が、作者の中丸美繪さんにはとても興味を持った。

足し算も引き算もなくひたすら資料からインタビューから杉村さんに近づいて行って。

そこから客観的に冷静に切り込んでいって、実にくっきりとした杉村春子像が浮かび上がってきて。
そこには中丸さんご自身の内なる感情がひとつも見えない、ひたすら証言と真実のみ。
中丸さんが杉村さんをどのように思っているのかすら読み取れない。
それが小気味よくて読み終わった後、その時その場所で杉村さんが話している言葉や動きが目の前に見えて
動いているように感じられ、ちょっと感激して息を吐き出したくなるようだった次第でして。

 

中丸さんのコメントです。 

2005年秋、フジテレビ「女の一代記」シリーズで、女優米倉涼子によって、稀代の女優杉村春子が演じられた。
杉村はまだ女性の社会的立場が弱かった時代に、女優となり70年にわたって演じ続けた。
彼女の生涯を書くにあたって、私は6年の歳月を要したが、彼女の知られざる前半生について証言してくれた人々は、
単行本が文庫になったときには、多くが亡くなられていた。
単行本のために、取材に東奔西走していた頃が、生身の杉村を知る最後のチャンスだったのかもしれない。
直接に杉村を知り、いっしょに演じた関係者と出会い、貴重な証言を得られた幸運を心底有難いと思う。
杉村の生涯は女優という「魔」にとりつかれた一生だった。
いまや日本の演劇界、映画界、芸能界はかつてのそれでなく、俳優たちの成り立ちも質も激変した。杉村は伝説の女優となっていくだろうが、そのときこの本が、稀有な女優の生きた道その時代の演劇界を伝える一助となればと考える。 

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あたしはあたし 『おんなの絶望』

2015-11-15 07:43:01 | 

父の生きる」を読んでからすっかり伊藤比呂美さんが好きになった。
で、次に読んだのが『人生相談 比呂美の万事OK』 
すまぬ、人生相談なのに笑ったりして。でもどこかなんかおかしいのよ、突き抜けてて。
なにしろ万事OK、だから相談ごとはともかくもう全部肯定、から始まる。なかなかできることじゃないわ。
だからかしら、評判が良くて10数年も続いているって。
もちろん肯定しているだけじゃないけど、しっかり比呂美さんの考えを展開しているけど。

孫があちらのお母さんのほうに懐いて、二人でいると自分には来てくれない。
自分ひとりの時は懐いてくれるけど、運動会などで両家がそろって見に行くとあちらのばあばのところに行って
自分は見向きもされない、淋しくて嫉妬します、なんて相談(メモがないからうろ覚え)。
私、ちょこっと笑ったの、そんな気持ちになることがあるんだあって。

そうしたらあったのよ。
正月は一家揃ってお泊りに行こう、と持ちかけたら「お母さんに言ってなかったけど正月は広島に行く予定立てたのよ」
だって。私は内心面白くなかったね、こらえたけど。ほんと、はい。

比呂美さんの回答、分かります分かります、嫉妬は苦しいですよねえ。
運動会に行くのはよしなさい、用事があるとか何とか言って。
家にいたら嘘になるから、温泉にでも行ってらっしゃいって。
いいわあ、そんな解答。すっかり気が楽になっちゃう。

そして図書館で手にした3冊目が 『女の絶望』 ちょっと大げさな書名ね。って。
上にあげた身の上相談が下敷きになっていてそれをより深く考察したのが本書。
全編これ「あたしは、レム睡眠の時も、あたしでいたいんです。」の精神で貫かれていて。
伊藤しろみさんが回答。この本では「しろみさん」なの。 

十年前は、あたしは海千でも山千でもなくて、え、海二十山二十くらいだったから、人間は話し合えばわかる
てぇ理想主義でありました。学級会の引き続きみたいな夫婦がありえると思ってました。
あれからとことん苦労して、今はもう現実が、ずぅゥンと身にしみてェる。そんな夫婦は、ありえない、と。

夫婦だからこそ、話し合えない。
話し合えるのは、おみおつけの実は何がいいかカレーの具は何にするか、くらいなもんだ。
多数決で解決は、もともと出ない。ふたァりっきゃいないんだから。どちらかが我を通してどっちかが譲るしかない。

そうよそうよ、しろみさん。
そりゃあ、何十年も夫婦やって来たから分かる分かる。よその夫婦は知らないが。
夫婦の会話はどうでもいい話題に限る、どうでもいい話題で盛り上がって笑っているのがいちばん。
たまに孫の話題でも出してしみじみするのもこれまた、よ。

寂しいと向き合った生活のその寂しさとはなんだろう。
老いますと、人間関係がどんどん少なっていき、ドンドン寂しくなっていきます。
夫でもぞうきんでも、いたほうがいいのが、老後に向かうということだと思うんです。
「老後は、夫でもぞうきんでもいいからいっしょにいたほうがいい」

「あたしはあたし、人は人」
今まで十年、身の上相談に答えてきて、なんべんこれをくり返してきたことか。でもむずかしい。
これを使いこなすのァ「がさつ、ずぼら、ぐうたら」よりむずかしい。
「あたしはあたし」と思い、「あたしがいちばん大切」とはっきりおもえるようにならなきゃ、「人は人」へ、たどりつけない。

そうよそうよ、しろみさん、その通り。
「あたしはあたし」と言われたって、浮世の義理はそうは問屋が卸さない。
夫婦の間でそれをやったら修羅場になる場合もあるだろうし、
友人間で「あたしはあたし」なんて突っ走ったら大事な友好関係にも角が立つことにもなりかねない。
はっきり思えるようにならなきゃいけないのね。そこが大事なのね。

あたしはあたし、あんたはあんた。
こっちが老い果てたとき、家族だからといって、自分の生活を犠牲にする必要は、絶対にない。
看取りはいらない。

でもね、しろみさん。
いくらあんたはあんたでも、私は子供たちに看取ってもらいたいのよ。
1か月でいいから世話してもらって看取ってもらいたい。そして「ありがと」と手でも握ってあちらに逝きたい。
1週間では短い。
看病疲れの前に逝ってしまって、子供たちにお母さんの世話をもっとやればよかったなんて後悔させかねない。
(そんなことないか)
1か月も看病しているといい加減くたびれて、いつまで続くのかしらなんてうんざりされるくらいがちょうどいい。

ねえ。
一人で向き合う寂しさと不満だらけで夫と暮らす寂しさ。「ぞうきん」は、あったほうがましか。ないほうがましか。
路地裏で遊んでいる子供わひとりしっつかめえてそれから悩まないですむように、しみつをしとつ教えといてやりたい。
知ってたかい、大きくなったら、いずれにしても、しとりになるんだよッて。

死ぬときゃ一人。
それが「あたしはあたし」の神髄です。

きっぱりと潔い。しろみさん。凄いわ。

 

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『愛する伴侶を失って』

2015-11-10 08:13:17 | 

ここ1.2年、同級生の死がぽつぽつ伝わってくるようになり、自分たちもいつ逝ってもおかしくない
そんな年になったことをしみじみと実感している。
いるが、自分の死はまだまだ遠いことのように思っている、と言った方が正確か。
死よりも老いていくことの憂鬱が今のところ大きくて、何とも自分を持て余す。

で、図書館でもついそういった類の本に目が行くわけでして。
中の1冊。 加賀乙彦と津村節子の対話 『愛する伴侶(ひと)を失って』 

夫である作家吉村昭さんを闘病の末2006年に亡くした津村節子さんと、
妻・あや子さんを2008年突然に亡くした加賀乙彦さん。
80歳を目前に長く連れ添った最愛の伴侶を失ったおふたりの対話集。

私、加賀さんの本は若い時に「荒地を旅する者たち」を読んだきり。津村さんに至っては少女小説を読んだ記憶があるだけ。
ただ津村さんが夫の吉村さんの死に関して、年月の経った今でも悔いているという文章を何かで目にしていて、
『悔いる』気持ちの奥にあるものがずっと気になっていた。

そして、「そうか、そういうことか」とすっと胸に落ちた加賀さんと津村さんのお言葉抜粋。

娘が「お父さんが死なないとお母さんが信じていたことが、お母さんがお父さんにしてあげた一番いいことだ」って言うんです。
けれども私はそうは思えないんです。
仕事を持っている女房というのは、もう最悪ですよ。
だって本当だったら全身全霊で介護すべきでしょう。(略)
吉村の最後を介護できなかった悔いがずっと残っているんです。喪失感のようなものではないんです。
喪失感なら長い時間が経つうちに、埋めていくことができるんだろうと思う。
だけどくさびみたいに入っちゃった悔いというのは、いつまでも残ってますよ。これは治らないんです。

『死んだら「無」なのか』

キリスト教の信者である加賀さん

結局あちらの世界があるかどうか、これは誰にも証明できることではありませんよね。
ぼくにもわからない。けれども信仰とは、あの世に行ってからのことではない。
この世にいる間に幸福と喜びを得ることではないでしょうか。
つまり神がある、あちらの世界はあると賭けたほうが、人は心の安定を得て幸福になれる。

無宗教の津村さん

瀬戸内さんに「昭さんにもう会えない」と言うと
「昭さん、ここにいるわよ、ここにいるわよ」「いると思いなさい」と。
だけど私は無宗教だから、そういうあちらの世界があるとは全く思えないんです。
死んだらそこで終わり。何もないと思っている。

加賀さん

あるとも証明できない、ないとも証明できない。結局、信仰と言うことになってくる。

津村さん

あると思った方がいいでしょう、だからあると思うようにしなさい、賭けなさいと加賀さんはおっしゃる。
ところが、私にはどうしてもそう思えない。いつかあの世で吉村に会えるとは思えないんです。
だから、いくら悔やんでも取り返しのつかない、永遠のお別れになってしまっているわけ。

私、自分は無宗教の津村さんの立場だけれど、加賀さんがおっしゃる信仰のことは少しはわかる気がする。
身近にそんな友人がいたから。

彼女は50代のときに、崖の草刈りをしていたご主人が地面に落ちて打ち所悪く4日後に亡くなってしまった、という
そんなつらい経験をしているのに、我ら友人の前で泣いたり愚痴ったりしたことは一度もない。
実務的なことではその苦労の大変さを何回も聞かせてくれたけれど。
私は、その彼女の強さが何によるものか知りたかった。
だいぶ経ってからだと思う、二人になったとき触れない方がいいのかと思いつつ聞いてみた。

「教会があるから」のひと言。
ああ宗教って強いんだな心のよりどころになるんだな、と実感したことを覚えている。

webの紹介文に
最期の看病をできなかったと悔いる妻と、神は存在し妻と天国で再会できると信じる夫。
夫と妻の立場から辛く苦しい胸の内と、それをどう乗り越えていくかを語り合う。
伴侶を偲び、夫婦という不思議なものを想い、生と死について考える心にしみる対談。
とあったが、ほんとうに心にしみる1冊だった。

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軟弱な・・・3冊

2015-11-02 08:41:35 | 

しかしまあ。揃いもそろって軟弱な中年男子ども。
しっかりせえ!と、どやしたくもありうふふと笑いたくもあり。
私、どういうわけか手に取る本に男性作家作品は少なくて。
それが珍しくふっと読んでみようかと。
共通点?やっぱり軟弱な点よ、書名が全てを物語っているわ。
いつものことだけれど、引っくり返って読むにはぴったり。
(上2冊はちょっと前借りたのに、もはや記憶があいまいで適当、内容はこんな感じのレベル、すまない)


『病の神様』 横尾忠則著


これ読むと横尾さんてつくづく変な人だと思う。
朝起きるとどこか痛いところないか具合が悪いところないかさがすなんて。
不具合があると安心し、何もないと不安になるなんて。あっ、でもわかる気もする。



歩くのもままならないくらい膝が痛いのに、伏見稲荷の山の上にある店のぜんざいを食べれば治ると信じて。
えいこら登って。ぜんざい食べてさて下ろうと歩きはじめたらあら不思議、膝の痛みは跡形もなく消えていたって。
ほんとかね。

もうひとつ。
パリで食事中に気分が悪くなり頭痛高熱に襲われ食事を続けらなくなってホテルに帰ったんですって。
でもでも突然、「マロンクレープ」を食べれば治るとひらめいてしぶる奥様にむりやり買って来させて。
あら不思議、頭痛も高熱もすうーッと引いていったんですって。ほんとかしら。

ま、芸術家だから、入院生活は日常が非日常になるから好きである、とおっしゃるのは納得。
そして、本当に死ぬような病気になったことがないので、こんなのんきな観念的なことが言えるのかもしれない。
なんておっしゃるから、そうよそのとおりよ、と凡人はけっこう安心する、その当たり前の感覚に。

 

『オレって老人?』 南伸坊著

老人に決まっているでしょ!って突っ込んだりして。

まだ「病の神様」はちょこっとメモってあったから記憶も甦る部分があったけれど。
こちらは全く。で、うふふの部分を本の帯から拝借。

 

「前期高齢者となった団塊の世代のほぼ50%は、自分を高齢者と思っていない。
あとの50%が自分を老婆と思っているはずがない」
そうそうそうそう、ほんとよ。自分がそうだもの。

とまあ、こんなゆるい話が続いて、いいようなそうでもないような。

 

『ロングヘアーという生き方』 みうらじゅん×高見沢俊彦×リリー・フランキー
2009年 フジテレビ 「ボクらの時代」対談を書籍化したもの。

みうらさんんと高見沢さんにはとくに、だけれどリリーさんは近頃とても興味があるので手に取った1冊。

ロックに出会った。モテへの道は遠のき髪の毛だけはぐんぐん伸びた。
ロックとモテと仏と怪獣。
語りつくした120分は深いような、そうでもないような。
の前書きがぴったりよ。

 


なかでも、リリーさんが高見沢さんに迫ったここがおかしくて。

リリーさん
「高見沢さんが髪の毛切ってネルシャツ着て、ジャムつくって、今度そば打つから食いに来なよってなったら、幸せになったんだな
って思うけど、なんかさびしさも残るよね」

「ネルシャツになっているところを見たい気はするけど、それも何かやっぱさびしいものが残るというか。」
「じょじょにネルに行ってもらわないと。急にネルはね。女が悪いんじゃないか?みたいな話になるから。」

この手の話が続いておかしくて。深いようなそうでもないような。

今日のような肌寒い雨の日にはぴったり。

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『父の生きる』

2015-10-18 08:42:55 | 

 お金があるからできるのよ、といえばその通りで身もふたもないが。
かといって、お金がある人が全てそのような介護をしているかどうかといえばこれまた。

介護といっても人それぞれの事情に応じて千差万別の形がある。
自宅での日常のお世話、施設入居等々。個人的には自宅介護が一番大変かと思うが正解なんてないのだと思う。

  『父の生きる』 著者は詩人の伊藤比呂美さん。

2009・4~2012・4 の約3年間。
お母さんが亡くなった後、お父さんが熊本でひとりで暮らしていくための状況をすべて整えて。
1~2か月カリフォルニア、半月日本というサイクルで、日本と熊本を行ったり来たりしてお父さんの介護をした。
もちろんその間隔はお父さんの状態に応じて短くなっていくわけだが。 
もう、「凄い」としか言いようがない。そのエネルギーに圧倒される。

おまけに日に数回、国際電話をかけてお父さんの様子を確認している。
電話をかけて様子を窺うということは、行ったり来たりして実際に介護するよりずっと精神的に大変だったと思う。

父上は亡くなるまでしっかりしていたようだ、精神的にも肉体的にも。もちろんお年の割には、が付く。
比呂美さんは父上のことを
「人に向かったときは快活で、人懐こくて、素直で、人に頼るのをいやがらない人」と評している。
年を取ったら、いや取らなくても人間関係でいちばん大事な基本的なことだと思う。が、なかなかできない。

長くなるが、心揺さぶられ心底共感し、一緒にため息つきたくなる文章をいくつか引用する。(順不同)

父に電話するのはほんとうにおっくうでした。毎日電話してますから、話さなきゃいけない用件があるわけじゃない。
用件がないのに、なんとか父と話そうと、父を独りぼっちにしておいちゃいけないと、すごくおっくうなのを無理矢理奮い立たせて、
必死になって、電話をしつづけてました。
それでも父が、退屈だ退屈だと呪い、独りだ独りだと呻くんです。その声に耳をすますのはほんとうにつらかった。
大きくてまっ黒な渦に呑み込まれていくようでした。

行ったり来たり、それがどんどん間近になってきていて。みんなが疲れ果てていました。
父は孤独に、私は移動に、カリフォルニアの家族は私の不在に。

夫がたいへんうっとおしい。夫の文句。
前の敵と戦っていたら、背後から一斉射撃された感じである。

父の愚痴を、書きとめて字に起こしてみると、愚痴は、ただのもがきでした。
私に対する攻撃でもなんでもなかったんです。父の孤独が、私にひしと寄り添ってきました。

だけど退屈だよ。ほんとに退屈だ。これで死んだら死因は『退屈』なんて書かれちゃう。
「おれには看取ってくれるものがいない、誰もいない、ルイじゃだめだし」と言い出したから辞めて欲しいと言うと
「ときどき愚痴をこばしたっていいじゃないか、あんたしか言う相手がいないんだし」

仕事がないから終わんないんだ。つまんないよ、ほんとに。なーんもやることない。
とにかくもう生きているのも疲れちゃったからな。死なないから困ったもんだ。

こんどあんたがこっちに来るときはさ、こうやって早いうちにいつ来るって教えないでさ、おれに言わないでおいて、
明日行くよって突然言うようにしてもらいたい。そうでないと、いつ来るって知ってから待ってるのがばかに長くってしょうがない。


私が帰るとき、「ありがとう、いろいろと心配してくれて」と言った。
こういうところが、父はほんとうにすごいと思う。気持ちを言語化する能力。伝えようとするそのすなおさ。

4月17日 父が死んだ (父上は比呂美さんが病室に入って10分後急に亡くなる)

「おとうさんありがとう」
「ありがとう」とこれまでの父の存在に。
「ありがとう」と今日のこのときを迎えるために。
父は私が熊本に戻るのを待っていてくれたし、私が締め切りを終わらして病院に戻ってくれるのも待っていてくれた。

悔いている。(中略)
それでも私は悔いている。もっとそばにいてやれた。もっといっしょにテレビを見てやれた。
三月に帰ってくることもできた。夜だって、自分の家に帰らずに父の家に泊まってやることもできた。
それをしなかったのは自分の意志だ。
私は父を見捨てた。親身になって世話しているふりをしていたが、我が身大事だった。
自分のやりたいことをいつも優先した。父もそれを知っていた。

親をこうして送り果てて、つらつら考えた。
親の介護とは、親を送るということは、自分の成長の完了じゃないかと。

2012年4月17日 父 89歳死去

比呂美さんに圧倒される。
ちょうど私も父と佐渡で暮らしていたときに、新聞でちらっと読んだ記憶がある。
比べるのもおこがましいが、ここにもひとりっ子が遠距離介護をしているんだということに幾分慰められた。
この本を読んで、現実はかなり悲惨なのに不思議とそれを感じない。
むしろ、双方の深い愛情に支えられた静かな穏やかな日々の流れが感じられてしみじみとする。



私自身は、終わってみれば、介護の日々は両親がくれた貴重なものだったのではないか、と今は感じている。
そして、いよいよ自分が介護される側に回る日が近いと思うが、なんの、覚悟のカの字もできていないのよ。
困ってしまう。甘い!

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『慢性淋心炎』

2015-10-07 08:22:24 | 

88歳になる叔母からメールが来た。
ここ1,2年叔母のメールには「寂しい」の文字が目立つ。

「日は短くなるし涼しくなり秋を痛感しています。寂しいですね」
「日1日と秋が進み夕暮れは嫌になります。狭い庭には吾亦紅秋明菊地味なお花寂しい感じです」
「日中は暖かく気持ち良いです。でもなんだか寂しいのです」

明るく陽気で行動的、前向き思考の叔母だったはずなのに・・・

母が90歳で倒れる前には、月に1度の割合で佐渡に帰って 介護 の真似事をしていた。
母はことあるごとに「寂しい」と口にしていた。

お盆が過ぎると急に寂しくなる。
友達がだんだんいなくなって寂しい。
夕方になると泣きたくなるほど寂しくなる。
人は旦那さんがいるからいいじゃないと言うけど、そんなもんじゃない。

毎回聞く私もほとほと疲れて「私だって寂しい。誰でも寂しいんだから」と口返答すると、
「子でも私の気持ちは分からん」と深い怒りと嘆きに沈んでいった。

そのころから10年たった今なら少しは年を取っていく寂しさが分かるような気がする。
母に寄り添ってあげられるような気がする。

そんな「なんとなく淋しい病」を川上未映子さんが『慢性淋心炎』と名付けてくれたわ。ふんふん。

娘と同じくらいの年かな、川上未映子さん、天は二物を与えるのね。
可愛いそして才能豊か、歌も歌い女優の仕事もある、なんて。
小説は「ヘヴン」しか読んだことはないけれど、エッセイはそこそこ読んでいる、けっこう好きよ。

この『慢性淋心炎』は「hanako」連載のエッセイ「りぼんにお願い」(ご本人)の中のひとつ。
両親と弟の家族に恵まれ、心許す友達もいて、ご自身も芥川賞作家の人と結婚して一児をもうけ、何の不足もないのに。

「さみしい」という古典的感情がわいてきて。
それって本質的なさみしさだから
まるで海辺の家々が潮風に傷んでいくように心がじわじわとやられている感じ
出所原因が分からないから無意味に反芻増大されていくのである

なんて。


そうよそうよ、さみしさなんてそんな感じよね、と大いに共感しつつ。
川上さん、
まだまだよ年を取るともっともっと深く底しれないさみしさが胸の奥の方からじわじわと浸食してくるのよ。
とつぶやきたくなる。
私も意地が悪いね。

 

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