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まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

『読み解き 般若心経』

2017-02-15 09:10:52 | 

  タイトルは「般若心経」だけれど、いろいろなお経が読み解かれ伊藤比呂美語に訳されているわけ。
抜粋すると。
・読み解き「懺悔文」 女がひとり、海千山千になるまで 
・読み解き「般若心経」 負うた子に教えられ
・読み解き「白骨」ほらほらこれがぼくの骨だ
・読み解き「地蔵和讃」母が死んで、父が残った
・読み解き「四弘誓願」ぼんのうはつきません。あとがきにかえて
などなど、ね。

で、お経やその読み解きだけじゃなくて、表紙にあるようにエッセイ+お経+現代語訳。

比呂美さん、ごめんなさい。私、今のところお経にもせっかくのあなたの読み解きにもとんと興味がないのよ。
あるのはあなたが綴っているエッセイ。だからそこだけ熱心に読ませてもらいました。

あ、お経は意味はどちらでもいいけれど耳に入ってくる音は大好き。不謹慎ね。
もっと若いころお寺を回っていた時にお坊さんたちが修業で唱えている大音声のお経を聞いたことが何回かある。
そのとき腹の底に響いてくるあれは感動でした、ちょっと震えました。

それから幾年月。
父との佐渡生活の時に何回もお通夜お葬式に参列して。
都会じゃお通夜の時にお焼香すれば帰っていたからお経なんて気にもとめなかった、けれど、佐渡では最後まで参列する。
当然、お坊さんのお経を聞くことになって。宗派によってもいろいろ違うのね、今更ながら。
意味が分からずともけっこうその気になったもの、どんな気か、と問われても答えられないけれど。

般若心境のこの段になるとおかしくなって困ったわ。

ぎゃーてい。ぎゃーてい。はーらー ぎゃーてい。はらそう ぎゃーてい。ぼーじー そわか。

娘のカノコサン読み解きではここは、古畑任三郎が「古畑任三郎でした」っていうみたいに、なのって、おわるの。
だから意味は考えなくていいんだって、そっか。

エッセイ部分だけを読んでいると、比呂美さんはやっぱり詩人だなとつくづく思う。
こんな文章。

父に朝食を食べさせるために、朝八時に家を出る。
通いのヘルパーさんのような生活である。
あたしの家を出て、土手にあがり、河原を突っ切り、草波の中を歩いて、向こう岸にわたる。
ギシギシが立っていた。
スイバが立っていた。
クズが伸び、ヤブガラシが伸び、セイバンモロコシが伸びていた。
花(黄)が咲いた。
花(黄)が咲いた。
花(紫)が咲いた。
花(紫)が咲いた。

生きて死んだ。
芽生えて枯れた。
咲いてしぼんだ。
咲いてしぼんで、生きて死んで、枯れて芽が出た。

叔母と長々と母の話
父が、母が死ぬ前に抱きしめてやったこと。
母が、それを喜んで声をあげて泣いたこと。
母が、ほかにいっしょになる人がいたかときいたこと。
父が、あんただけだよと答えたこと。
母が、つまんない男だよ、と父を評したこと。
そして母が、甲斐性ないし、偏屈だし、とも評したこと。
そして母が、でもとっても優しい人だった、六十年ほんとに楽しかったと結論づけたこと。
母を焼き場からつれて帰ってきた次の朝早く、父が寝呆けて「死ぬときゃ痛いかい?」
って声に出して言ったこと。

母は「早くお迎えが」とか「死んじゃったほうが」とか、としよりのファンタジーではなく真剣に言っていた。そばで父が、
「そうだよ、早く死んじゃったほうがいいとおれも思うよ」と母の手をにぎりながらまじめに受け答えしていた。

比呂美さんの文章には、哀しみがするするとひたひたと底流にずっと流れているようでところどころ胸が詰まるわけ。

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『人間の煩悩』

2017-02-01 08:58:02 | 

ブログだったかしら、ツィッターだったかしら、ともかくネット上で目にしたの。
“夜、布団に入るとちょっとだけ寂しくなります”
ちょっとだけ、がミソでして。

おかしかったけれど、ああ分かる分かる、確かにそんな気持ちになるよね。
私だって、胸がつまるようなギュッとなるような何とも形容しがたい寂しい気持ちに毎晩おそわれるもの。
ま、今のところはそれ以上に深くならないからいいけれど。

でもな、こんな甘ったるいこと言ってると佐藤愛子先生に、
「寂しい?当たり前のことだ。人生は寂しいものと決まっている。寂しくない方がおかしいのである。」
とどやされるに決まっている。

『人間の煩悩』  
佐藤愛子さんの過去の作品(小説、エッセイの類)からこれはいいと思える文章を抜粋して集めた1冊。

私、人間の芯が決まってなくてふらふらぼやぼやしているから、時には《きっぱり》の方にきっぱり言っていただきたい。
で、この度は佐藤先生に決めた。それなのにほっぺた引っ叩いてもらいたいわりには寝転んで読んだりして。

欲望が枯れていくということは、楽になることなのだ。
それと一緒に恨みつらみも嫉妬も心配も見栄も負けん気も、もろもろの情念が涸れていく。
それが「安らかな老後」というものだと私は思っている。

これからの老人は老いの孤独に耐え、肉体の衰えや病の苦痛に耐え、死にたくてもなかなか死なせてくれない
現代医学に耐え、人に迷惑をかけていることの情けなさ、申し訳なさにも耐え、
そのすべてを恨まず悲しまず受け入れる心構えを作っておかなければならないのである。
どういう事態になろうとも悪あがきせずに死を迎えることができるように、これからが人生最後の修行のときである。
如何に上手に枯れて、ありのままの運命を受け入れるか。楽しい老後など追及している暇は私にはない。

死と向き合って生きるものに必要なことは、欲望をなくし、孤独に耐える力を養うことだ。

 

読み終わった後、さっぱりしたようなそうでもないような。キッパリした気持ちになったようなそうでもないような。
寂しさは当たり前で孤独も当たり前で耐えていかなきゃいけないのね、愛子先生。
できません。

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『蜜蜂と遠雷』

2017-01-30 09:12:27 | 

もうどうしてなの?とわが身に聞きたいくらいクラシック音楽がだめなのよ。
ほんとからっきしダメなの。楽しめない、退屈する、その二言。
聞かないからかしらね、浸らないからかね。感性がない。

でもでも、そのクラシック音楽に携わっている人たちの物語はすごく興味があるの。
千住真理子さん、その母上、佐渡裕さん、辻井伸行さんを指導した恩師、等々の作品は読んだ。
TVで、ピアノコンクールで自社のピアノを使ってもらうための宣伝マンたちの奮闘のドキュメンタリーも興奮して観た。

それらを観たり読んだりすると音楽家って如何にストイックでたゆまぬ努力をする人かと圧倒される。
もうすごいとしか言いようがない人たち、1日24時間以上音楽に捧げているものね、凄い。

ちょうどそんな時期、お笑い芸人の若林さん司会のテレビで朝井リョウさん、西加奈子さん、綿谷リサさん、
村田 沙耶香さんの対談番組を観ていた。去年の暮れごろだったと思う。
そのとき、おすすめの1冊に朝井さんがこの『蜜蜂と遠雷』をあげたのよ。

そのプレゼンが上手いのなんのって。もうすぐに読みたくなるくらい。
そしてそのとき彼は言ったね、恩田陸さんはこの作品で「直木賞」取りますって。すごいわ、本当にそうなったんだから。

気になってたから書店でも眺めたけれど、もうちょっと待ってみようと。
図書館に返却に行ったら休館で仕方なく軽い気持ちで地区センターに寄ったら、あったじゃないの。
運としか言いようがない。予約1番、返却日が20日ときたらこりゃあ手続きよね。
そして待っている間に「直木賞」決定。そりゃあ手元に来るのを楽しみにしていた。


「構想12年、取材11年、執筆7年」とは『蜜蜂と遠雷』のプレスリリースや新聞広告で使ったフレーズ、だそう。
わが家は新聞をとっていないからその手の情報には疎い。
でも読んでみると本当に長い年月かけて書いたんだろうな、ということは十分に推察される。


3年ごとに開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。
「芳ヶ江を制した者は世界最高峰のS国際ピアノコンクールで優勝する」ジンクスがあり近年、覇者である新たな才能の出現は音楽界の事件となっていた??。

養蜂家の父とともに各地を転々とし自宅にピアノを持たない少年・風間塵16歳。
かつて天才少女として国内外のジュニアコンクールを制覇しCDデビューもしながら13歳のときの母の突然の死去以来、長らくピアノが弾けなかった栄伝亜夜20歳。
音大出身だが今は楽器店勤務のサラリーマンでコンクール年齢制限ギリギリの高島明石28歳。
完璧な演奏技術と音楽性で優勝候補と目される名門ジュリアード音楽院のマサル・C・レヴィ=アナトール19歳。
彼ら以外にも数多の天才たちが繰り広げる競争という名の自らとの闘い。
第1次から3次予選そして本選を勝ち抜き優勝するのは誰なのか?

はい、裏切りませんでした、面白くて。
紹介文そのまま、彼ら4人のコンテスタントが本選まで勝ち抜く過程、ありていに言えばそんなところだけれど。

朝井さんのプレゼンのうろ覚えを拝借すると、
4人それぞれの個性に合わせた演奏を、一次予選から三次予選まで曲ごとに見事に描き分けられていて
その表現がどの曲もダブらずそれはそれは圧倒的で読むものを惹きつける。と

ほんとにそうでした。
平易な文章なので、一気呵成に読めるのですがもったいなくて、予選ごとにいったん本を閉じて、
二次予選は次の日に続きを読む、また次の日に読む と言う具合にして本選までを読み進んでいったわけ。。
予選ごとに自分もあたかもコンクール会場にいるような気分にさせてくれて、審査員の描写になれば審査員のつもりに、
コンテスタントそれぞれの描写では、自分がそうなったつもりの疑似体験感情がわいてきて、読みながら軽く興奮していくわけです。
まさか文章で演奏に浸り音楽を味わおうとは。恩田さん、凄い筆力だ。
ピアノコンクールを通しての青春群像小説と言ったところでしょうか。
音楽知識感性皆無の私にも音楽って素晴らしいものだなという思いが十分伝わってきました。そんな小説です、おススメです。

画像

あっそうそう、最後の方のページは開かないでね。
いつもの癖で捲ってしまった私は失敗。コンクール結果がばっちり載っていたのです。

 

コメント (7)
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『男のおばあさん』

2017-01-10 08:56:20 | 

文庫本の帯に「おばあさんのように生きると楽です」と書いてあるのが気に入らないけれど。
なんだ!それ!と突っ込んでいます。おばあさんだって楽じゃないぞ。



晩年に永さんが患ったパーキンソン病及びそれにまつわるもろもろのお話で。
「ラジオを聴いているつもりで読んでいただきたい」と前書きにあるけれど、
ほんと永さんの語り口調が読んでいる頭の中に蘇ってくるようなそんな本です。
でも、ごめんなさい、一度もラジオは聞いたことがありません。

終始一貫して楽しく年を取る方法といおうか年を取るってどうなることか、パーキンソン病を通して
語ってくれてます。

自分の年に右往左往していることに「当たり前だよ」と言ってくれているような気がして少し気が楽になります。

年を取るのは初めてです。
年を取った自覚っていうか、それが、僕、よく分からないんです。年相応の生き方が。
初めて年を取っているから、初めて経験することが多いから。

病気になってみると、周りがどう対応するかに気を遣い始めると、それに気疲れしてしまう。
気を遣いかえすことにくたびれちゃうっていう・・・
これは家族の中でもあると思うんです。

葉書がたくさん机の上にある、そうです。
病気のせいで呂律が回らなくなってきて、聞き苦しいとのお小言がだんだん増えてきたそうです。

「やめなさい」っていうお便りも多いです。
「酷かもしれませんけれども、聴いていてつらい。やめたらどうですか」
ズキーンと来るんです、これが。
「永さんに『番組をおやめなさい』とは、誰も言えません。自分で決めなさい」

いくら永さんでもそりゃあズキーンとくるでしょうね、切ない、病気のせいなのですから、調子がいい時もあるのですから。
それでもラジオのお仕事は休まず続けられた。

リクエストが多かった笑える話。
「もしも一人だけ満員のお座敷列車に乗り合わせたら」
私も読みながらおかしくてくすくす笑いました。あの永さんの声が文章から聞こえてくるのですから。


「生きていてよかった」「年をとって、重ねてきて、よかった」っていうことは、
一応、「生きていてよかった」ということにつながります。
毎朝ね、目が覚めたときに、「ああ生きてる。今日が始まる」っていう、それだけでいい。
とてつもないことを期待しなくても、
「生きてる、生まれてきてよかった」っていうことのつみかさねですね。

永さん、それが歳だけは馬に喰わせるほどとっているけれど未熟な私にとってはとっても難しいことなのです。

後書きは2013年5月となっています。
2016年7月7日自宅で死去 83歳でした。大往生だったと思いたいです。

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『下手に居丈高』

2016-12-28 09:03:05 | 

年末の忙しい時に本の感想を述べるのもなんですが。
もうずっと以前に読んで忘れているけれど忘れ去る前にと。
あまりの居丈高ぶりにできうることなら、私も来年あたりはこの手でいきたいものだと、ね。

 『下手(したて)に居丈高』 西村賢太さん

図書館に行くと必ず中野翠さんの新刊本は入っていないかとみる、が、ない。
でひょっと目を横にずらしたらナ行のこの方のタイトルが飛び込んできたわけです。
ちょっとないですよね 「下手に居丈高」 なんともはや強烈で。

ご自身、

自作のタイトルには妙にこだわる癖がある。
内容よりも題名に腐心する本末転倒ぶりにも陥っているが、どうもこの習慣はやまぬし、またやめるつもりもない。
と述べており、あとがきにも、

いかにも、卑屈で無様な私そのものを云いあらわして妙だ、と、このタイトルについてのみ、些かの自信を持っている。
と書いている念の入れよう。

本紹介での内容。

芥川賞、クリスマス、喫煙愛好者の会、編輯者、テレビ番組、私の偽者、同業者…憚りながら申し上げるに―ニコチン、アルコール、
小説まみれの日常から垣間見る、俗世の深層。世の不徳義を斬り、返す刀でみずからの恥部をえぐる、静かで激しい無頼の流儀。

とあるけれど、このエッセイを読んでいると、ま、癖になる。
みょうちきりんな味の濃いものを食べてそれがだんだん馴染んでくるような。
今までに読んだことのない傾向の作家だ。

部分抜き書き(メモってあるの)

著者略歴
自分の最終学歴の記述が抜けていると、必ず”中卒”の二文字を書き加えることにしている。
一面、或る種の露悪趣味には違いないだろう。(そう、なぜわざわざ入れるんだろうね)

たまさか読者の方から手紙を頂くことがある。こう見えて根は随分ち律儀にできているだけに 返信を差し上げる。
意識的に返信を書かぬケースは拙著を”図書館で借りて読んだ”なぞ、臆面もなく述べられる方。
(すみません、その通りでして)

結句(この語句、よく使っている)

あんがいに私は自分のことが大好きかもしれぬ。(いたるところでその感じが見えます)

こう見えて、小説だけでは食えぬ時分から書斎だけは充実していたものである。(食事より古本収集)


中野翠さんが西村さんのことを書いているエッセイ。

意外なところがある人なんだな
書斎のグラビアをみると小ざっぱりとよく片付いた部屋に住んでいるのだった

と。そう、お写真で見る外見やエッセイの内容から伺える様子とはかなり違うわけよ。

そうそう、芥川賞受賞作 『苦役列車』 の映画についても、

他人事のつもりがやはりいつか原作との勝負目線で眺めていた
面白さにおいて脱帽せざるを得ない箇所が少なくはなかったのである

なんて褒めているようだが、なんの、他の著書で読むとめった切り。
癖になってもう1冊のエッセイを読んだけれど大事な題名すら失念している有り様。

あらためてこう書いていると「居丈高」と言っているけれど、
もしかしたら案外に「下手」の方が優先している方かもしれないと思えるようにもなって来たわ。
居丈高、なんて・・・私も考えよう。

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『これでよろしくて?』

2016-12-26 09:34:57 | 

録画しておいた“クリスマスの約束 2016”を観た、クリスマス拝借、極めつけ。



番組はじまってすぐピアノを弾きながら小田さんが歌うSMAPの♪夜空のムコウが衝撃的過ぎて。
その高いのびやかな歌声にぐっと胸が詰まる。
いつ聞いても大好きな歌、この番組での曲選びに慎重な小田さんがSMAP解散の年にこの曲を選んで、
しかも2005年の“クリスマスの約束”で中居さんとこの曲をコラボした小田さん。
何らかのメッセージがあったのかしら、なんて深読みしちゃあいけないけれど。

その「夜空のムコウ」を喫茶店で初めて聞いて、
♪あれからぼくたちは何かを信じてこれたかな の歌詞で
お母様から擦りこまれていた「ら抜き言葉」禁止の呪縛が説かれたとエッセイに書いていたのが作家の川上弘美さん。

 

『これでよろしくて?』    の作者。
川上さんの作品は、小説もエッセイもゆるゆるしているところが好きで読んでいたけれど最近はとんとご無沙汰していた。
どうもついていけません分かりません、というのがその理由。

それが題名に惹かれて手に取ってみた。
よろしくて?なんて。およそ身辺で聞かないわ。
でもいちどは言ってみたいのよ「これでよろしくて?」なんて。どうよ横浜友、私がそう言ったら腰を抜かす?


夫とそれなりの結婚生活を送っていた38歳・専業主婦の菜月さんのマンションに、
1日3回も掃除をする嫁(義妹ね)のところにはもう一緒に暮らすことができないと義母が仮同居にやってきてくる。
そこでご多分に漏れずの嫁姑複雑心理バトルが起きて。
いやいやこれが表面だって起きればいいのだが、何しろ菜月さんはうじうじと優柔不断で思ったことをなかなか言えない人。
義母も悪くない人で、おまけに最初にここでは変な遠慮しませんと宣言したりするわけで。
菜月さん、いつも憂うつで常に義母が頭の中に君臨しているような毎日になって行く。


そんな中でばったり元カレの母親に会い、「これでよろしくて?同好会」に誘われる。
メンバーは女性ばかり年齢も職業も不肖の5人。レストランで各々好きなものを注文してシェアしながらのおしゃべり。
「いつも機嫌がいい男について」なんぞと時々のテーマがあるから、
いわば集団カウンセリングはたまた今時の言葉でいうガールズトークかしら。
いつしかその同好会に馴染んでいって。胸の内のもろもろが言えるようになって。

 

と、3分の2くらい読み進めていくうちに、ふとなんとなくどの雑誌の連載かしらとみるとこれが「婦人公論」。
納得、婦人公論、読まないのに納得。
後味のいいけれど、軽いような重いような静まるようないらだつような摩訶不思議な読後感をもった次第です。

 

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『最初の質問』

2016-12-18 08:54:46 | 

絵本・詩・短歌・俳句(俳句はたまにぱっといいなと思うときはある)このジャンルが無粋な私にはとても苦手。
なんといっても短い言葉に凝縮した向うの意味が解せない。
だからどうしても敬遠してしまう。

『最初の質問』 詩・長田弘  絵・いせひでこ  
たまたま観たTVで柳田邦男さんがいま「絵本の読み聞かせ」の活動をしていると言ってた時、手にしていた1冊。
最初のページ、柳田さんが

 今日あなたは空を見上げましたか。
 空は遠かったですか、近かったですか。

と朗読した時、胸が詰まってしまった。

はい、見ました。けれど遠かったか近かったかは分かりません。なんて答えたりして。
速攻で買おうと。アマゾンでぽちっとしようと思ったりもしたけれど、やはり手に取ってからと。
なかなかなくてようやく一昨昨日手に入れた。


 雲はどんな形をしていましたか。
 風はどんなにおいがしましたか。
 あなたにとって、いい一日とはどんな一日ですか。

いい一日に、と願うけれど、さて私にとっていい一日ってどんな1日なんだろう、思い浮かばない。
 
 樫の木の下で、あるいは欅の木の下で、立ち止まったことがありますか。
はい、あります。  
  

 「美しい」と、あなたがためらわず言えるものは何ですか。
 好きな花を七つ、挙げられますか。
 あなたにとって「わたしたち」というのは、だれですか。
答えられそうでいながらなかなか難しくて答えは出てきません。

 上手に年を取ることができると思いますか。
そうしたいと願っているのですが ・・・

  問いと答えと、今あなたにとって必要なのはどっちですか。
  これだけはしないと心に決めていることがありますか。

  いちばんしたいことは何ですか。
  時代は言葉をないがしろにしている。
  あなたは言葉を信じていますか。

詩は全文掲載していません。が、どの問いかけにも明確に答えられない自分に愕然として。
昨日から何回もページをめくって、伊勢さんの絵をじっと見て(素晴らしいの)浸っています。
毎日開いて何回も自分に問いかける『詩』と『絵』になりそうです。

読み聞かせ 『最初の質問』

https://www.youtube.com/embed/YPijhuXSYpA

 

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『漱石の長襦袢』

2016-11-04 12:18:18 | 


ドラマ『夏目漱石の妻』が終わった。最終話 「たたかう夫婦」
大げさに言えば息を殺して見入った、それくらい面白かった。
いやあ、私が鏡子夫人だったらやってられない。即刻家出してしまう。そんなご夫婦の像。
漱石夫妻がたたかっているなら、その夫婦を演じていた尾野真千子さん長谷川博己長谷川さんも役者同士たたかっていて。
ドラマがより厚みを増していた。

全4話観終わった後、がぜん漱石周辺人たちのことが知りたくなった。興味津々野次馬根性丸出し。
まず最初に読んだのが、夫妻の長男の純一さんの長男、夫妻にとっては孫夏目房之介さんのエッセイ集。

『漱石の孫』 

NHKのテレビ番組「漱石の孫、ロンドンに行く」という企画に便乗して、ロンドンの漱石が下宿していた部屋を訪ねる。 

漱石と号した僕の祖父が、ちょうど百年前に、ロンドンのこの部屋で文学を相手に苦闘した。
その元下宿部屋に、今僕はいる。
けれど、僕は漱石に会ったこともない。長男だった父・純一が9歳のとき、漱石は他界している。
思いのほか小さなその部屋に入ると、突然不思議な感情がわきあがった。

その不思議な感情を解き明かそうと多方面から迫っていく。期待に反して漱石の人となりのことはほぼ出てこない。あとがきに

『漱石の孫』という本なのだから、漱石という文豪の存在によって被った迷惑や肉親の話だけをつなげて書いても書けそうなものだ。
が、途中でマンガ論の解説が入り、やや歴史背景の話しに深入りし、心理分析の真似事までしている。
もっとシンプルに、ただ文豪漱石と僕について書けなかったものか。

とある。読み手としては「そのとおり」と言わざるを得ない。うーん野次馬根性を満たすには他の本がなものかと。
次に手に取った本がこれ。

漱石の妻鏡子さんが晩年、孫の半藤末利子さんに
「いろんな男の人を見てきたけど、あたしゃお父様(漱石)が一番いいねぇ」
と目を細めておっしゃったという末利子さん自身の一文を読み、このドラマはそれを書けば良いのだと思いました。
というドラマの脚本家池端俊策さんの一文に惹かれて。

半藤末利子さん『漱石の長襦袢』 

私の母(筆子)は、鏡子が度外れて豪胆であったからあの漱石と暮らしていけたのだ、と
「お祖母ちゃまが普通の女の人だったらそうそうと逃げ出すか、気が変になるか、自らの命を絶っていたことでしょうよ」
といつも鏡子を庇っていた。

ああやはり。ドラマ観て思ったことはその通りなんだと。漱石夫妻の長女の感慨は重い。

初めてご夫婦(夫は半藤一利さん)でエステに行ったときのことを、
なんで毎朝顔を洗うか洗わないかの夫の方が美肌なのか。
生まれつき面の皮の熱い男には適わないということかしら。なんて書くくらい歯に衣着せず、ときに辛口毒舌末利子さん。

漱石のお弟子さんに対してもなかなか辛辣な批評。
そして祖母鏡子さんのことも身内といえど客観的な目で、でもそこはそれ身内だからこその愛あふれる感情も率直に。

手の込んだ料理は表に食べにいくか、表から取るというのが鏡子流である。
「今晩のすき焼きは美味しかった」と漱石がほめようものなら毎晩でもすき焼きを出し続ける奥さんである。
こんなおばあ様だから美味しいものが大好きなおじい様もさぞや閉口したのではないか、と。
母筆子は「私はああはなりたくない」いう思いが知らぬ目に植え付けられていったようである、なかなか冷静な目で見ている。

「修善寺の大患」と言われている漱石大喀血のときの様子を一部始終見ていたお部屋係さんの話が伝わっていて、
その老舗旅館の大女将は
「修善寺では鏡子奥様は素晴らしい御立派な女性と語り継がれておりまして悪口を言うものは
一人もおりません。なぜ悪妻と呼ばれていらっしゃるのか私どもにはわかりません」
と末利子さんに話してくれて、面映ゆくもあったが私は心持よかったとの感想を述べている。

漱石も「お前には本当に世話になった」と回復後心から深謝した。とあるから、漱石だってまんざらなじゃないのね。(えらそうか)

巻末に母筆子さんの『夏目漱石の「猫」の娘』(松岡筆子)が掲載されている。

私の中に蘇る父の記憶は、愛情と重なって投影されることは少ないのです。
妹たちとは別の、何か近寄りがたい、恐ろしい父の像なのです。
そうした想い出が、骨がらみとなって、一生離れずじまいとなったとでも申しましょうか
とにかくこれはこの上ない不幸、いいえ不孝なことでございます。

修善寺の大患以降、漱石は穏やかで優しくなったという。
弟たちと相撲をとっていて 漱石は不利になると助けを呼ぶ、妹たち二人は駆け付ける、4対1の大ずもう。
それはそれは滑稽な姿になるのが再々だそうだが。
それでも。
筆子さんと恒子さんの二人だけは、只笑って見物しているだけで、決してこの取っ組み合いにまざる気にはならなかったと。
いかに幼少時、父である漱石に理不尽で暴力的な扱いを受けたことかが想像できて痛ましい。

それでもやはり親子、最後にこう結んでいる。

父にもっと生きていて欲しかった、そして生きている間に、父との距離を、もっと狭めたかったという想いは、
年を重ねるたびに、強くなっていくようでございます。
1966(昭和41年)3月

こうなったら、後は鏡子夫人の著作を読まねば、と意気込んでいる次第。

 

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『妖怪萬画 妖怪たちの競演1』

2016-09-02 09:13:18 | 

もう先月になるが、佐渡帰りの折、江戸東京博物館で『大妖怪展』を観賞したことは報告済み。
大好きな土偶2体を見られればいいなの軽い気持ちで行ったら、なんと妖怪絵巻が面白くて。

 パンフレット 拡大して↓


伝土佐光信 百鬼夜行絵巻

観ているうちにすっかり楽しくなってしまった。ニヤニヤくすくす。
いやリアルなのや幽霊画はいけない、おどろおどろしくてやっぱりちょっと受け付けない。
が、それはおいても思いがけなくて「いやあよかったよかった」とすっかり満足して博物館を後にしたのよ。

パンフレットより
妖怪は、日本人が古くから抱いてきた、偉業への恐れや不安感、また”身近なもの”を慈しむ心が造形化されたものです。
とあり、本書では
もともと妖怪はひとびとの不安や畏れに息づいたものであったはずなのに、それが怖くない。一様に溌溂として陽気で
しかも愛らしくさえある、とですって。

そういうことなのね。今なぜかこういったものに心惹かれるわけが分かったような気がするわ。
そんなわけでショップに立ち寄って手に取ってみたら、いいじゃないの可愛いじゃないの。
ケチな私が躊躇なく購入。

 カバーを開くと


こちらも百鬼夜行絵巻 抄録 「朧車」 面白いよね。
妖怪たちが行列して祭礼に向かって行く、との説明が・・・

 裏表紙
左お釜をかぶっている お釜神

カバーを外すと

 
手の目                             ぬらりひょん
リアル。でも「ぬらりひょん」なんて他にもっとユーモラスなやつもあるのよ。比べてこっちがいいなとかつぶやいている。

文庫本サイズだから絵巻はどうしてもページを跨ぐ。捲って次ページに跨ぐ、それがちょっと残念。
でも、退屈な折にちょっと手に取って絵を見ながら「こりゃあ私だな」とか「ふんふんふん」とか言ってる分には手ごろよ。

(ここからの絵はwebからお借りしました)

付喪神

 

 鉾担ぎ

 白布

こういった妖怪たちがずいずいとずらーっと・・・

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宮部みゆき『ソロモンの偽証』

2016-08-28 09:09:31 | 

12月雪の降る日、中学校の屋上から男子生徒が転落して死亡した。
明らかに自殺だと断定されたのに、殺人者がいるのを目撃したという告発状から、
事件は中学生による校内裁判という形で決着を図ろうとする。
端的に言ってしまえばこれだけの内容。
宮部みゆきさんは『事件』『決意』『法廷』の三部構成で2002年から2011年に渡って10年の歳月をかけて完成させた。
原稿用紙4700枚って!どんだけよという驚き。

    

いやいやいやいや宮部さん凄い、凄いの言葉しか出てこない。頭の中を覗いて見たい。
宮部さんファンなのに「三島屋変調百物語」シリーズなどは好みじゃないというだけで、
私はしばらく作品から遠ざかっていた。
それが『ソロモンの偽証』を読み始め読み終わり、上から目線承知で「恐れ入りました」と頭下げるしかない。

一気呵成、分厚い3部作を8月いっぱいだれることなく読み耽ってついに昨日読破。

特に第三部の「法廷」は、ほとんど裁判の様子描写だけ、中学生の検事側弁護士側、そしてその証人たちとの
大迫力なやり取りの応酬、終盤に向かって思いがけない結末を見るまでは、手に汗握るといおうかドキドキするといおうか。
たぶん彼が真実を知っているのだろう、彼が偽証しているのだろうと推測もしながら。
収束に向かって進んでいくとこの校内裁判が終わるのがもったいない気持ちにすらなった。
そして「模倣犯」や「楽園」とは違って読後感がすっきりして余韻があって。軽い興奮も手伝って今もその世界にいる。

私が訳のわからんこと書いているよりはこちらを見つけたのでご覧になって下さったほうが早い。

宮部みゆき『ソロモンの偽証』刊行メッセージ

蛇足と承知していながら。

8月上旬 第一部 区内図書館で軽い気持ちで借りる。人物関係をつかむまでもたもたしたけどはまりました。
8月中旬 第二部 佐渡の図書館で借りて思う存分気のすむまま読みふけりました。
8月下旬 第三部 区内図書館にはなく予約は待ちきれず、ブックオフで購入する有り様でして。

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