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まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

今月の本 『三島屋変調百物語』 他3冊

2017-09-15 08:55:06 | 

図書館から鞍替えして地区センターで本を借りるようになってからというもの、読書熱が再燃して。
夏のごろごろぐだぐだ暇な時間に読みふけっていた。結構新しい本があるのがうれしい。
1回2週間4冊。ちょうど読み終わりでまことによろしい。

で、今月の4冊。あたり2冊、まあまあ1冊、ちょっとなあ1冊。
(いつものように本の内容はネットから拝借しました)

 『三鬼』 宮部みゆきさん

この前に『悲嘆の門』を読んでいて久しぶりの宮部さん小説だけれど付いていかれず。
やっぱりファンタジーはだめだ、宮部さあーんどこ行くのと自分のことは棚に上げて叫んでいたのだけれど。
これも前3作苦手系の『三島屋変調百物語』シリーズ。
それもあって好きな宮部さんなのに期待せず読み始めたらどんぴしゃ。

『三島屋変調百物語四之続』
第一話 迷いの旅籠
第二話 食客ひだる神
第三話 三鬼
第四話 おくらさま

江戸の洒落者たちに人気の袋物屋、神田の三島屋は“お嬢さん”のおちかが一度に一人の語り手を招き入れての変わり百物語も評判だ。
訪れる客は、村でただ一人お化けを見たという百姓の娘に、夏場はそっくり休業する絶品の弁当屋、
山陰の小藩の元江戸家老、心の時を十四歳で止めた老婆。
亡者、憑き神、家の守り神、とあの世やあやかしの者を通して、せつない話、こわい話、悲しい話を語り出す。
「もう、胸を塞ぐものはない」それぞれの身の処し方に感じ入る、聞き手のおちかの身にもやがて、心ゆれる出来事が…。

今までの三島屋シリーズの中で今回がいちばん。どの話もしみじみ心打たれて奥深く、読後の温かさは絶品。
余韻に浸ったわ、よかった。

 『我が家のヒミツ』 奥田英朗さん

「イン・ザ・プール」や「空中ブランコ」など精神科医伊良部シリーズも面白く読んでいたのだが、
ちょっと皮肉が効きすぎてといおうかどうも後味よくなくて、もういいかなとしばらく遠ざかっていた奥田さん小説。
それが「向田理髪店」を読んだら大好きなしみじみの後味になっていて。そんなわけで「我が家シリーズ」へと。

結婚して数年。どうやら自分たち夫婦には子どもが出来そうにないことに気づいてしまった妻の葛藤
(「虫歯とピアニスト」)。

16歳の誕生日を機に、自分の実の父親に会いに行こうと決意する女子高生(「アンナの十二月」)。
53歳で同期のライバルとの長年の昇進レースに敗れ、これからの人生に戸惑う会社員(「正雄の秋」)。
ロハスやマラソンにはまった過去を持つ妻が、今度は市議会議員選挙に立候補すると言い出した(「妻と選挙」)ほか、全六編を収録。
どこにでもいる平凡な家族のもとに訪れる、かけがえのない瞬間を描いた『家日和』『我が家の問題』に続くシリーズ最新作。
笑って泣いて、読後に心が晴れわたる家族小説。

「人生が愛おしくなる」とあって、ちょっと恥ずかしいけれど、ほんとうにそんな小説。

 『美しい距離』 山崎ナオコーラさん

山崎さん、はじめて読む作家。これは完全に題名に惹かれて手に取った1冊。

「この病気に四十代初めでかかるのは稀(まれ)らしい」
サンドイッチ屋を営んでいた妻は、がんに冒され、死へと向かって歩む。
生命保険会社勤務の夫は、時短勤務に切り替えて週に五日、病院へ通い、
愛する妻へと柔らかい視線を投げかける。

限りある生のなかに発見する、永続してゆく命の形。
妻はまだ40歳代初めで不治の病におかされたが、その生の息吹が夫を励まし続ける。
世の人の心に静かに寄り添う中篇小説。

「長いお別れ」を読んだ後では、良くも悪くも40代の夫婦の話だなと突き放してしまったわ。

 

 『か「」く「」し「」ご「」と「」』 住野よるさん

『君の膵臓 をたべたい』が新鮮で、ちょっと心にとめておいたのだけれど。

きっと誰もが持っている、自分だけの「かくしごと」。みんなには隠している、ちょっとだけ特別なちから。
別になんの役にも立たないけれど、そのせいで最近、君のことが気になって仕方ないんだ――。
クラスメイト5人の「かくしごと」が照らし出す、お互いへのもどかしい想い。
5人のクラスメイトが繰り広げる、これは、特別でありふれた物語。

どこかでずっと前に読んだようなと、いやいや内容じゃないの、雰囲気が。
で思い出した。ずっとずっと昔遥前の青春時代「女学生の友」とかの雑誌に連載されていたジュニア小説、
むさぼり読んだジュニア小説、あれよあの雰囲気によく似ているわ。もうしばらくはいっか。

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『長いお別れ』 ーロンググッドバイー 中島京子

2017-08-30 08:42:36 | 

短編連作の『長いお別れ』  中島さんの小説は3冊目。

少しずつ記憶をなくし、ゆっくりと自分の始末ができなくなっていく認知症。
元中学校の校長さん、公立図書館の館長を務めたこともある東昇平さんは、
2年に1回同じ場所で開かれる高校の同級会の会場にたどり着けなかったことから、
アルツハイマー型の認知症と診断される。その夫の日常生活をすべてひとりで引き受ける妻曜子さん。
「みんなわかってるの、わたし、もう七十越えてるのよ!」
誰にともなく、曜子は毒づいた。

三人の娘がいるが、話は聞いてもらえても、娘たちは自分たちの生活に忙しくて当てにならない。
生前、母はひとり娘の私が遠くにいることを嘆き苛立っていた。母の心情は今になればよく理解できる。
でも娘の立場もよく分かるのよ。双方それぞれなのよね。

 昨夕

で、ある日、句会に行った昇平さんが帰ってこない。
GPS機能付きの携帯を使って居所を探すやら何やら、当然家族は大騒ぎ。

その頃昇平さんは夜の後楽園遊園地でメリーゴーランドに乗って。
幼い姉妹二人では乗ることができないという規則のメリーゴーランドなの。
その二人に頼まれて一緒に乗ったというわけ。昇平さん、二人のおじいちゃんなんだと係員にしっかり答えて。
妹の方を自分の脚の間に挟んで片手でしっかり押さえるのよ。
ともかくこの娘をしっかりしっかりつかまえていよう。それはとてもだいじなことなんだー。
ララララ、ララララ、ララララ、と口をついてメロディーが出てきた。
幸福、と呼びたいような感覚が腹の底から立ち上ってきた。
もう胸がつまる、なんだか泣きたくなる。昇平さんに寄り添いたくなる。そうでしょそうでしょ。

 

でもでも、昇平さんの認知症はどんどん進んで。歯も悪くなり入れ歯のお世話になることに。
これが騒動の種で。昇平さんの不機嫌の種で。入れ歯が気に入らない昇平さんは何個も入れ歯をそこここに隠す。
そのたびに曜子さんは家中を探し半狂乱、取り乱すわけ。ってそりゃあそうよね。
また、入れ歯を作り直すことになるのかしら、先月作ったばかりなのにー。
老妻の頭には、この憂鬱な想像が旋回する。

ことほど左様に認知症の自宅介護は大変なのだ。
それを曜子さんはがんばる。ひとりでがんばる。訪問入浴などが終わると、曜子さんはリビングのソファに、
あざらしのように倒れ込む。
曜子さんに同情しつつも、そのお姿を想像すると・・・笑いがこみあがる。ごめん、曜子さん

歯医者でも頑として口を開けようとしない昇平さん。治療も何も大変なのよ。そしてようよう。
そんなこんなの苦難を乗り越えて新しい入れ歯が出来上がったのに。昇平さんはまたもや入れ歯紛失。
曜子さんは半狂乱。
その日出かけたディサービスでなくしたんじゃないかって。でも施設でも見つからないというし。
孫が、ディサービスで誰かにあげてきたんじゃないの?って。

その通りで。もうひとつのエピソード。赴任先から認知症の母を見舞いに来ていた孝行息子は、
「私、あなたのことが好きみたい」「これ、あなたにあげる」とお母さんにに言われるの。
赴任先に戻る息子が電車の中でハンカチに包んだ母からのプレゼントを開いてみると。
包みを開き、そこにあるものを目にして、口を半開きにし、目を逸らし、もう一度、その物体を凝視する。
ああ、何をかいわんや。びっくり仰天、入れ歯騒動の結末はここに。たまらん。



そんな日常の様々な騒動があって。
昇平さんの介護に追われて自分の不調はほったらかしておいた曜子さんは、
網膜剥離になり、手術、入院を余儀なくされる。
トイレに立つこともおぼつかなくなり、食も細くなってきた昇平さんのことが頭がおかしくなりそうなほどに
心配しながらね。娘は役に立たないからね。曜子さん、不機嫌。
そして、家に残された昇平さんも大腿骨骨折で曜子さんとと同じ病院に入院する羽目になって。
曜子さんは昇平さんの病室を行ったり来たり。やがて一緒に退院することに。

夫がアルツハイマー型認知症と診断されてから十年、
それ以来徐々に進行してきたその病気と付き合うのが妻の十年であった。だなんて。
認知症の夫を抱えているというと皆さん「大変でしょ」と言う。それに対して曜子さん。
ええ、夫は私のことを忘れてしまいましたとも。で、それが何か?
なかなか言えるセリフではない。曜子さんの肝っ玉の太さ。

1週間だけ自宅にいた昇平さんはその間穏やかに過ごした。
頭も体もあんなに壊れてしまっているのに、昇平さんは自分の意志を貫きたがる。
拒否だけが生の証であるように、嫌なことは「やだ!」と大きな声で言い続ける。でも8日目には再び発熱し入院。

曜子さんと娘三人が病室に集まって医師からのQOLについての説明確認を聞く。
家族全員そろった病室。姉妹は母をいったん家に帰そうかと思うのだが、と看護師に聞くと。

若い、しっかり者のその看護師は少しだけ考えて、それから静かな口調で言った。
「今夜は、できるならお泊りになった方がいいと思います」
って。そうなの、経験上なんとなく今夜逝きそうだなって分かることがあるの。



アメリカに残して来た長女の次男は学校のカウンセラーらしき男性に祖父の死を話す。

「十年か。長いね、長いお別れ(ロンググッドバイ)だね」
『長いお別れ』と呼ぶんだよ、その病気をね。少しずつ記憶を亡くして、ゆっくりゆっくり遠ざかっていくから」

現実は小説のようにきれいに行かないだろうが、中島さんは父上の認知症を見てきたから、エピソードのひとつひとつがリアルである。
中島さんの温かいまなざしが認知症にかかわるすべてを「終末のひとつの幸福」と見ている。

読み終わった後、ちょっと切なくなりつつも清々しくも爽やかな気持ちになって。

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『彼女に関する十二章』 中島京子著

2017-08-06 09:01:37 | 

 

 
(昨夕。月もとてもきれいだった)

 

『小さいおうち』は、なんだかなあというちょっと冷ややかな感想だったが、
作者の中島京子さんにはちょっと惹かれるものがあって、もう1冊読んでみようと手にしたのがこの小説。

 
(表紙の12枚の絵は物語の12章と相まってなかなかです)

「50歳になっても、人生はいちいち驚くことばっかり」
息子は巣立ち、夫と二人の暮らしに戻った主婦の聖子が、ふとしたことで読み始めた60年前の「女性論」。
一見古めかしい昭和の文士の随筆(伊藤聖が60年前に書いたエッセイ「女性に関する十二章」ね)と、
聖子の日々の出来事は不思議と響き合って……
どうしたって違う、これまでとこれから――更年期世代の感慨と、思いがけない新たな出会い。
上質のユーモアが心地よい、ミドルエイジ応援小説。

こんな解説があれば、どうしたって手に取ってみようと思うもの。大正解、どんぴしゃり。

「どうやらあがったようだわ」
いきなりこう始まるのよ。梅雨の合間の晴れ上がった空を見上げてこうつぶやくの。
洗濯ものを干しながら考えるの。
どうやらあがったようだわ。って。そう月のものが無くなったのかと思ったのよ。
この一文だけですぐに小説の世界に引き込まれてしまう。

聖子さんは心の中で呟く。
結婚生活を円満に送っていくには、常にどこかで何かを譲ったり曖昧にしておいたりする
必要があるのは自明のことだが、これが「ま、いっか」の状態なら円満、「もう耐えられない」
の状態に傾けば円満と言えなくなる。多くの場合、その境界線は微妙で(略)
脳内独白は続く。
正直、子供が育ちあがっちゃうと、なんでいっしょにいるのかな?と思うことはしょっちゅうなのよ。

突然連れてきた息子の彼女にあれこれ矢継ぎ早に質問して、
「なんかさ、ちょっとうるさいよ、ママ」って言われて無粋な母呼ばわりされた気がして不機嫌になったりするの。

幼馴染の息子さんや事務所にふらっと現れる調整さんに・・・
そのの関係になりそうなところを年の功でうまくかわしたり。いいわあ。

夫の守さんてね、仕事がうまくいかなくていらいらしてたりすると、「寝る」って。
こういう時はさ、すべてを明日に持ち越して寝るのがいちばんだと思っている。

明日は明日の風が吹くとか明日のことを思い煩うな、今日の苦労はきょう1日にて足れりとか、
明日できることは明日やった方がいい。こういうのを思い出して寝るの、これが一番効く。って。

「たった数か月前まで、君の悩みは、息子が生涯童貞で終わるんじゃないかってことだったんだ。
明日を思い煩うのがいかにバカバカしいかってことだよ。明日のことなんて、誰にもわかりゃあしないのに。」

聖子さんは考える。
明日は今日予想できるものじゃない、とは、誰にも否定できない真実だ。
守の言う通りで、明日という日に意味があるのは、今日と違うことが起こるからなのだ。


聖子さんのひょうひょうたる生き方、微妙な感覚、しなやかな感性、それでいて世の母親となんら変わらない悩み。
うーーん、好きだわ。魅力的だわ。夫の守さんといい夫婦だわ。

あらまあっとくすっと笑えて、そうよそうよと大いに頷いて、いいのか聖子さんとはらはらして。
読んでいてなかなか忙しい。
軽く読めるけれど、どうしてどうしてなかなかに奥深い1冊だ。 

それで物語の終わりは、そういえばここ二、三か月、月のものがないけど、こんどこそ、あがったのかなと考え、
でもでも、きっぱりとははあがらないのよ、予断は許さないのよ、と脳内独白を続けるの。
ずいぶん意味深だわね。

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ぬるい2冊

2017-08-04 08:51:02 | 

このごろ小説を読んでも気難しくなっていかん。四の五の文句を言ってしまう。
だからなんだ自分、といぶかしく思ってしまう。困った傾向だ。
じゃあ記事に書かなきゃいいじゃないかという話なのだけれど、その文句を書きたくなってしまうのよ、変。

何かが足りない歯がゆさを感じる作品で。

女性作家の2冊 『小さいおうち』中島京子さん 『永い言い訳』西川美和さん

うーん、どう言ったらいいのかしら。なんとも表現しがたい。
共感はしない、じゃ全く理解できないなで蹴散らしていいかというとそれとも違う。

甘ったれるんじゃないよとも言ったらいいのか、いや違うな。
結局、だからなんだっていうのよ、どうなのよというのかな。
浸りきれないというのかな。

両作品共映画化され高い評価を得ているのね。

 『小さいおうち』   

もうこの表紙絵に惹かれて手に取った次第でして。
窓辺では奥様とタキさん。二人が手をつないで外を見ている図は、意味があったのね。読み終わると分かる。

昭和初期、女中奉公にでた少女タキは赤い屋根のモダンな家と若く美しい奥様を心から慕う。だが平穏な日々にやがて密かに“恋愛事件”の気配が漂いだす一方、戦争の影もまた刻々と迫りきて―。晩年のタキが記憶を綴ったノートが意外な形で現代へと継がれてゆく最終章が深い余韻を残す傑作。

「女中さん」 私が小学生のころ近所の庄屋さんにいたから何となくその存在は想像できる。
都会と田舎じゃ全く違うけれど。
12年以上平井家に奉公していたタキさんが綴ったノート。
昭和初期中流階級の生活の雰囲気は充分感じ取れるけれど・・・
うーーん、ともやもやしたぬるさがなんとも言い難く。結局タキさんは何が言いたかったのでしょう。

 
『永い言い訳』   ずいぶんキッパリさっぱりした表紙。

「長い」と「永い」 違いは何でしょう。西川さんが「永い」を選んだ意図は何かしら。

長年連れ添った妻・夏子を突然のバス事故で失った、人気作家の津村啓。
悲しさを“演じる”ことしかできなかった津村は、
同じ事故で母親を失った妻の親友の一家と出会い、はじめて夏子と向き合い始めるが…。
突然家族を失った者たちは、どのように人生を取り戻すのか。

中高生ならいざ知らず、作家として社会的にそこそこ成功している30代にもなった男が、
己のことを観念的にとらえて、ぐじぐじ悩んで。
地に足付けて生活を営んでいると思える他人と関わることによって、
自分を見つめ直し自己再生を図っていくというそれが気に入らないのよね。

私じゃ手におえないから、こちらに助けていただくことにします。

https://cakes.mu/posts/14242 

西川さんは映像作家のほうが表現できるのかもしれない。一度も作品を見ていないのに言うのもなんだが。

 

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『赤ヘル 1975』

2017-07-21 08:35:36 | 

作者は重松清さん。

1975年、広島カープ初優勝の年。三年連続最下位だったカープは、開幕十試合を終えて四勝六敗。
まだ誰も奇跡のはじまりに気づいていない頃、広島カープの帽子が紺から赤に変わり、
原爆投下から三十年が経った年、一人の少年が東京から引っ越してきた。
やんちゃな野球少年のヤスと新聞記者志望のユキオは、
頼りない父親に連れられて東京から引っ越してきた“転校のベテラン”マナブに出会った。
マナブは周囲となじもうとするが、広島は、これまでのどの街とも違っていた―。

いやあもうだめ、だめだ。胸が熱くなって泣きたくなる。
何に熱くなるかって泣けるかって、そりゃあ物語全部だ。

 昨夕

物語は、現実世界の1975年の広島カープ躍進とリンクしながら三層の話が折り重なって進んでいく。

万年最下位、お荷物球団、貧乏球団の広島カープ。
それでも広島市民はカープを愛し、時に乱闘騒ぎを引き起こし暴力沙汰も多々。
それもこれも市民が作り上げたカープを熱烈に応援し続けるその熱い心のなせる業。
その広島市民の心意気がひしひしと伝わってきて、ぐっと迫るわけよ。

広島が舞台ということは、原爆被爆者の物語も紡がれていく。
主人公マナブと同じ団地に住む庄三さん夫婦。
原爆投下後広島に入った庄三さんが見た光景、「原爆の絵」募集を知って。
庄三さんはその光景を描こうとするけれど描けない。画用紙を前にしてもかけない。どうしても描けない。
でも奥さんの菊江さんが入院して死を目前にしたとき、マナブと真理子の手を借りながらちぎり絵をえがく。

そして何よりも、(友だちや親友って広島の方言だと『連れ』って言うんだとマナブは父に教えるが)
その『連れ』ヤス、ユキオ、マナブの中学生活や家庭の深くつながり合う日常に感動するのよ。
中学1年生、子供のような大人のような。
親をはじめ大人の事情も分かりその悲しみもそれとなく察し、自分のうちにも屈折した感情を抱え込んでいる。
それが何かの拍子に爆発し、残った二人がその怒りやもやもや、悲しみを共有していく。
いやあ、まさか中学生3人の友情、いやそんな薄ペラい言葉じゃ表せないそんなものに泣かされようとは。

 
(とてもいい表紙だ。カープ優勝パレードのときの少年3人。マナブはこの後そっと二人と別れ父と広島を後にする。
使われて色には深い意味がある。赤ヘルの赤、庄三さんのちぎり絵に使われている色)

それと、一獲千金を夢見て怪しげな商売に手を染めては失敗し、逃げるように引っ越しを繰り返す父、
その父に連れられてよぎなく転校を繰り返すマナブ。この親子のどうにもならないそれでいてお互いに
信頼し合っている関係がこれまた胸を打つわけでして。

もう理屈抜き、ど真ん中直球、ストレートに心に響いてくる小説でした。素敵ないいお話です。

それでね、新聞記者志望のユキオくんはカープが優勝した次の日の教室壁新聞に書いて張り出すの。

中國新聞の『球心』を読みましたか?名作でしたね。
津田一男記者は、後楽園球場の記者席で泣きながら原稿を書いておられたそうです。
その原稿がこちら。書き出しの部分紹介。

《真っ赤な、真っ赤な、炎と燃える真っ赤な花が、いま、まぎれもなく開いた。
祝福の万歳が津波のように寄せては、返している。苦節二十六年、開くことのなかったつぼみが、
ついに大輪の真っ赤な花となって開いたのだ》

広島カープ、今年はダントツ1位じゃないの、ね。

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『サラバ!』

2017-07-20 15:16:56 | 

  

サラバ!
1977年5月、圷歩は、イランで生まれた。
父の海外赴任先だ。チャーミングな母、変わり者の姉も一緒だった。
イラン革命のあと、しばらく大阪に住んだ彼は小学生になり、今度はエジプトへ向かう。
後の人生に大きな影響を与える、ある出来事が待ち受けている事も知らずに――。

一家離散。親友の意外な行動。恋人の裏切り。自我の完全崩壊。
ひとりの男の人生は、やがて誰も見たことのない急カーブを描いて、地に堕ちていく。
絶望のただ中で、宙吊りにされた男は、衝き動かされるように彼の地へ飛んだ。

作者の西加奈子さん。テレビで何度か拝見したことがある。
いやあ、お若い。そしてよくしゃべる。関西弁で次々と、言葉がよく出るなあ、ちょっとうるさいか、なんての感想。
その加奈子さんのしゃべりが文章になるとこうなるのかという気がして。

僕はこの世界に、左足から登場した。
母の体外にそっと、本当にそっと左足を突き出して、ついでおずおずと、右足を出したそうだ。

という衝撃的な書き出しの文章で一気に小説の世界に引き込まれて、上下の分厚い本も抵抗なく読破。
いやいや抵抗なくといえばちょっと嘘になる。

主人公、圷(あくつ)歩君 いつもおずおずと回りを見て都合よく生きている歩君は、つまりあまり魅力的じゃない。
が正直な感想。(「つまり」と言い換えて断定する文はよく出てくる)君に共感はできない。

 (西さんのイラストです。表紙はこれらの絵を分割して構成したそうで。)

自分にはこの世界しかない、ここで生きていくしかないのだから、という諦念は、生まれ落ちた瞬間の、
「もう生まれて」しまったという事実と、緩やかに、でも確実に繋がっているように思う。

甘え、嫉妬、狡猾さと自己愛の檻に囚われていた彼は、心のなかで叫んだ。
「お前は、いったい、誰なんだ。」

なんてね、こんな男の子がいくら頭がよくて見栄えが良くてそれなりに社会生活を送っていても魅力的なわけがない。
それでも、この小説には私を引っ張ってくれる力があって読後感はけっこう爽やかだった。
それには歩を取り巻く超個性的としか言いようのない女性たちの生き方がある。

母 姉の貴子 母の妹夏枝おばさん 近所の矢田のおばちゃん 大学友人鴻上さん。
彼女たちの人生の浮沈が激しくて、あまりに自己が強すぎてそれがぐいぐいと生きて心地よくて。 

もうひとり。ヤコブ エジプトで友達になったエジプシャンだ。
アラビア語でもない日本語でもないヤコブと歩にしかわからない言葉。
今でも覚えている、別れの言葉「サラバ。」
さようなら。様々な意味を孕む言葉「明日も会おう」「元気でな」「約束だぞ」「グッドラック」「ゴッドプレスユー」、
そして、「僕たちはひとつだ」「サラバ」は僕たちを繋ぐ、魔術的な言葉だった。

小説のタイトルはここからきている。

そしてこの小説には心揺さぶる言葉が随所にある。
そのほとんどは、家から出ず食事もとらなく「ご神木」などとあだ名を付けられた姉の貴子が
その状態から抜け出して、自分で自分の世界を歩きだして放つ言葉。たとえば。

そう、揺れている。歩には芯がないの。」「自分だけが信じられるもの」
「今まで私だけが信じてきたものは、私がいたから信じたの」

「あなたも信じられるものを見つけなさい。あなただけが信じられるものを。ほかの誰かと比べてはだめ。」
「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ」
『歩、歩きなさい。』

歩は、アラブの春、東日本大震災後再びエジプトへ行く。初めて自分から行動して、自分の意思で。
僕は生きている。
生きているということは、信じているということだ
僕が生きていることを、生き続けていることを、僕が信じているということだ。

なんてことをようやく言えるようになるのよ。30代にして。長かったといえば長かった。

エジプトで再会したヤコブと歩。
「サラバ。」そこには僕たちのすべてがあった。
「サラバ!」
二度目の別れ。僕たちは「サラバ」と共に、生きてゆく。
サラバ! 小説家になろうと決心した歩が決めたタイトルでもある。

終盤に向かって話は怒涛の勢いで進んで。

最終。歩は生まれた地、イランのテヘラン空港に降り立つ。
「僕は左足を踏み出す。」

歩は左足から此の世に登場して、ようやく自分を生きていこうと左足を踏み出す。
うーん、なかなかです。

昨日、157回直木賞が決定したのね。
ちなみに「サラバ!」は152回直木賞、2015年本屋大賞2位を受賞している。

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直木賞の『流』  本屋大賞の『羊と鋼の森』

2017-07-09 09:02:39 | 

東山彰良さん。
台湾生まれ、日本育ち。超弩級の才能が、
はじめて己の血を解き放つ!友情と初恋。流浪と決断。圧倒的物語。

何者でもなかった。ゆえに自由だった――。
1975年、台北。偉大なる総統の死の直後、愛すべき祖父は何者かに殺された。
内戦で敗れ、追われるように台湾に渡った不死身の祖父。なぜ? 誰が?
無軌道に生きる17歳のわたしには、まだその意味はわからなかった。
台湾から日本、そしてすべての答えが待つ大陸へ。歴史に刻まれた、一家の流浪と決断の軌跡。 

選考委員満場一致の第153回直木賞受賞作。
「20年に一度の傑作。とんでもない商売敵を選んでしまった」(選考委員・北方謙三氏)
「私は何度も驚き、ずっと幸福だった。これほど幸せな読書は何年ぶりだ?」(選考委員・伊集院静氏)
なんて。海千山千の作家たちが満場一致だなんて、そんなことあるのかしら。そこに惹かれて読んだ。 

とても面白かった、わくわくする面白さ。
躍動感があり読みながら映画の画面が浮かんでくるようなそんな印象。

文中出てくる人物名はわかりにくいし、何しろ当たり前ながら、漢字のみなのです。
(宇文叔父さん 葉祖父 毛毛 等々)登場人物同士の相互関係も何度となく確かめないと分からない。
ましてや戦中戦後の台湾中国日本を取り巻く歴史なんて私にはさっぱりである。
が、そこを我慢して読み進めていくと、ただただ青春小説としてのストーリーを駆け抜ける疾走感が心地よく、
暴力が横行する話もほとんどが法螺だと受け流して読み進めば胸躍るというもの。

もう20年以上も前ではあるが、職場の友5人と台湾旅行に行ったことがある。
台北の街の混沌とした市場や屋台。まっ黒な鳥の足や卵などの得体のしれない食べ物と
町中を漂っている八角の何とも言えない匂い。
タクシーの運ちゃんにはわざわざ遠回りをされ料金をぼった繰られたりして。
家々や町並みは日本の昭和40年代だねの印象があって。
容易に想像できるそんな風景の中で繰り広げられる青春小説だ。

印象的だった文章を抜き書き。

主人公の言葉

あのとき、痛みをこらえて見上げた夜空にも、星がひとつだけまたたいていた。
どうしようもないことはどうしようもない、わからないものはわからない、解決できない問題は解決できない。
それでもじっと我慢をしていれば、その出来事はいずれわたしたちのなかで痛みを抜き取られ、
修復不能のままうずもれてゆく。そしてわたしたちを守る翡翠となる。
そうだろ、じいちゃん?

雷威(レイ ウェイ) 不良たちの頭目的存在喧嘩詩人はレンシュエンってやつの詩

魚がいました。
私は水の中で暮らしているのだから、あなたには私の涙が見えません。

2016年本屋大賞ノミネート!!だったけれど、8位。そして大賞が『羊と鋼の森』宮下奈都(著)。
さて、この結果をどうみたら良いか面白くて。



ゆるされている。世界と調和している。それがどんなに素晴らしいことか。
言葉で伝えきれないなら、音で表せるようになればいい。ピアノの調律に魅せられた一人の青年。
彼が調律師として、人として成長する姿を温かく静謐な筆致で綴った、祝福に満ちた長編小説。

5月に佐渡に帰ったとき図書館から借りて読んだ1冊。
私はとても好きです、良い本だなと思いました。「蜜蜂と遠雷」が大きな興奮を呼ぶ1冊なら、
「羊と鋼の森」は静かな興奮がひたひたと寄せてくるようなそんな感じの1冊。
ピアノ調律師を目指す主人公の外村青年、浮世離れしているというのとは違う独自の豊かなものを秘めている
そんな彼がとても魅力的で。折々描写される北海道の森の風景や音、匂いがこれまたいっそう味わい深くて。
読み進めたいような、とどまってじっくり堪能したいような、読了するのが惜しい気持ちになりました。

自分だったら直木賞にどちらを選ぶだろうか、本屋大賞にどちらを選ぶだろうか。
他の決定要素は分からないけれど好みだけなら「羊と鋼の森」だな。

 

デジブック 『上野ファーム』

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『マチネの終わりに』 ほか

2017-06-07 08:03:47 | 

平野啓一郎さん、柚月裕子さん、柚木麻子さんのお三方の作品はいずれも初めて読む。
名前を知っていたのは平野啓一郎さんだけ。後のお二方は全く知らなかった。
いや柚木麻子さんはドラマ「ランチのアッコちゃん」の原作者だったよなとうすらぼんやり覚えていた。

図書館と違って地区センターは比較的新しい本が手に入りやすい。それが嬉しい。
3冊ともそういうことで手元に。  

「ナイルパーチの女子会」 山本周五郎賞受賞、第153回直木賞候補
「弧狼の血」         第154回直木賞候補作 第69回日本推理作家協会賞
私が知らなかっただけで、けっこう受賞歴凄いのね。
「マチネの終わりに」    マチネロスって言葉があるんですって?評判だったようで。

で、3冊とも読み切っているのに、どうも読後もやもやともやもやなのよ。スッキリしないのよ。
そんな否定的な感想書くな!って怒られそうなんだけれど、どうもなんだかなって思うのよ。
そんなことぐじぐ言うなら読むことを途中放棄すればいいものを(たいていそうしている)しないんだから、
やはり面白かったって言えるのかしら。
なんとなく困ったもんだの感ありあり。

本紹介の粗筋拝借して。宣伝文も拝借して。済まぬと謝りつつちょこっとのもやもや原因をのせて。

 

『マチネの終わりに』 平野啓一郎著 

天才ギタリストの蒔野(38)と通信社記者の洋子(40)。
深く愛し合いながら一緒になることが許されない二人が、再び巡り逢う日はやってくるのか――。

出会った瞬間から強く惹かれ合った蒔野と洋子。しかし、洋子には婚約者がいた。
スランプに陥りもがく蒔野。人知れず体の不調に苦しむ洋子。
やがて、蒔野と洋子の間にすれ違いが生じ、ついに二人の関係は途絶えてしまうが……。
芥川賞作家が贈る、至高の恋愛小説。

結婚した相手は、人生最愛の人ですか?ただ愛する人と一緒にいたかった。
なぜ別れなければならなかったのか。恋の仕方を忘れた大人に贈る恋愛小説。

なんて、ちょっとむず痒くなるでしょ。

そのなぜ別れなければならなかったかの原因が、蒔野がマネージャーに託した大事な一本の携帯メール。
それがもとで二人はそれぞれ別の人と結婚するわけよ。
それもギタリストはマネージャーと、女性記者はもともとの婚約者と。
そもそもなんでいちばん大事なことを誰かに頼むのかねえって、携帯なんて手段に出るのかねえなんて、不満。
でも、終わり方が余韻があってふたりの未来を感じさせて、素敵だからいっか、なんて妥協。


『弧狼の血』 柚月裕子著 

昭和63年、広島。所轄署の捜査二課に配属された新人の日岡は、ヤクザとの癒着を噂される刑事・大上のもとで、
暴力団系列の金融会社社員が失踪した事件の捜査を担当することになった。
飢えた狼のごとく強引に違法行為を繰り返す大上のやり方に戸惑いながらも、
日岡は仁義なき極道の男たちに挑んでいく。やがて失踪事件をきっかけに暴力団同士の抗争が勃発。
衝突を食い止めるため、大上が思いも寄らない大胆な秘策を打ち出すが……。
正義とは何か、信じられるのは誰か。日岡は本当の試練に立ち向かっていく―?

3冊の中では一番胸ワクワクしながら読んだけれど、TVの刑事ドラマで観たよな、推理小説で読んだよな、との
既視感がありありで。
死体の始末に、船を借りながら海の中に捨てないでわざわざ島に上陸して穴掘って埋めるなんて、ね。
そこから足がつくんだから。ま、ちらっと引っかかるだけだからいっか、なんて妥協。
この小説、東映で映画化されるようで、大上刑事に役所広司さん、日岡に松坂桃李くん。どんピシャの配役。

 

『ナイルパーチの女子会』 柚木麻子著 

ブログがきっかけで偶然出会った大手商社につとめる栄利子と専業主婦の翔子。
同性の友達がいないという共通のコンプレックスもあって、二人は急速に親しくなってゆく。
ブロガーと愛読者……そこから理想の友人関係が始まるように互いに思えたが、翔子が数日間ブログの更新をしなかったことが原因で、
二人の関係は思わぬ方向へ進んでゆく……。女同士の関係の極北を描く、傑作長編小説。

私にはまったく考えられない思考過程の女性二人。
そもそも、同性の友人がいない作れないということがどうして自分を全否定することにつながるのかね。
タモリさん持論の「友だちなんていらない」のお言葉を聞かせてあげたいくらいよ。
と、そうは言いつつ「ふーん」だの「へー、そっかね」「そりゃあ大変だ」
などと今どきの女子事情を楽しんだり応援したくなったりで忙しかったわ。

そんな感じの上から目線のもやもや3冊でした。
そうはいいつつまた柚月裕子さんの小説借りてきたから、やっぱり面白かったのね。

 

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『強父論』

2017-04-06 12:27:26 | 

  作者は阿川佐和子さん。強父とはもちろん「阿川弘之」氏のこと。

私、阿川さんのことはテレビで見るわりには好きなのかはたまたそうでもないのか、自分でもよくつかめない。
テレビや何かに出てくる公の人にはたいてい好き嫌いがはっきりしているのにね、変。
サワコサンは、玉ねぎかラッキョウのように剥いても剥いてもなんだか芯が掴めない人だね、と勝手に決めつけているからかしら。

書名の「強父論」はたぶん「恐怖論」の意味合いもあると思う。

サワコサンは父上のことを

自らの性格が温和とほど遠い分外ではなるべく我慢する。
極力おおらかな人間になって、「阿川さんはいい人ですね、立派な方ですね」とほめられたい気持ちが人一倍強い。
そのため少しばかり努力する。いきり立つ感情を抑える。
爆発するまい、癇癪を起こすまいと、自らを制し続け、我慢を重ねた末、家に帰りついたとたん、
ちょっとした火種、すなわち家族が無神経な言葉を発したり、気に入らない態度を示したりしたとたん、たちまち大噴火を起こす。
だから怒鳴られる側にとっては「唐突」の印象が強くなる。
思えば阿川家の歴史は、その繰り返しだったような気がする。

と書いてらっしゃる。もう私だったらたまらん、我慢の限界を超える、恨む、捻くれてやる。
サワコサン、よくグレないで素敵な女性に育っていったと感心するやら呆れるやら。

なにしろ「誰のおかげで飯が食えてるんだ」とおっしゃる父上のもとで育っていってるんだからね。
グレる方がふつうだ。

 *ハクモクレン

恐怖、いや強父の父上エピソード数々の中から『恐怖の誕生日』にまつわるあれこれ。

生クリームの話
誕生日の食事の後のデザートで、サワコサンはイチゴを牛乳のいちごミルクじゃなくて、
どこかで見た生クリームがあまりにおいしそうだったので「生クリームを付けて食べたい」って言ったんですって。
それを聞いた父上の激高ぶり。「子供のくせになんと贅沢な」って、挙句の果てには母上に、お前の育て方が悪いから
こうなるんだ、ととんだとばっちりが。いやはや。

またあるときは

誕生日に家族そろって中華を食べた後、外に出たサワコサン開口一番「うわ、寒い!」のひと言。
さあそれを聞いた父上が途端に不機嫌になって。
「お父さん、ごちそうさまでした。おいしかったです」
と感謝するのが普通だと。そして帰りの車の中でもあまりにしつこく怒り続けるので、
たまりかねたお母さんが「もういいじゃありませんか」ととりなすややいなや、お前は佐和子の味方をするのかと。
「降りろ!」と途中で車を下されたとのこと。いやはや。
ことはまだ続く。サワコサン、家に帰ってから健気にも夜中に父上の部屋に謝りに行ったそうな。
父上は何を謝っているんだと(ここら辺はあいまい)。サワコサン、どう言えば許してもらえるか分かっているから、
「佐和子が悪かったこと」と答えたそうな。もう涙が出るわ。
いったい何が悪かったのだろうかと考えたが、やはりよく分からなかった。
ってうん、分からなくて当たり前だ。
サワコサン、このころから処世術がだんだん身についていったのね。

 *コブシ

佐和子さんが大学2年生のとき
末の弟1歳の誕生日、中華料理家に集合の約束だった。
遅刻してきた家族に向かい、座席の片隅に座り込んだままの格好で「ああ」と視線を向けた。
「なんだその態度は?」
左右の足でガンガン蹴り始めた。
何が何だかわからないうちに、私は蹴られたり叩かれたり。
いくら父とはいえど、それが大学生にもなった娘への、しかもなんの落ち度もない娘に対してとる態度か!
私はサワコサンになり代わって憤慨した。

「あとがき」は佐和子さんの心の奥深く根付いているものが垣間見えるような気がして。
佐和子さんが結婚しないのは、案外ここら辺にあるのではないかと勝手に憶測しているわけ。

「娘にとって父親の死って、あとでジワジワくるものなのよ」
そういうものかしらと、漠然と期待していたが、1周忌を目前にしてもまだ私の気持ちにジワジワこみ上げてくるものはない。
もう少し時間が経つと、くるのかもしれない。いや、私の場合は来ないような気もする。

本当のところはわからない。わからないけれど、とりあえずジワジワこないのは、まだ、父の怒声や怒り顔やイライラ顔や、
加えて父のドスンドスンと階段を上がってくる足音や咳払いや痰を吐く音などが、ふとした拍子、鮮明に蘇るからではないか。

 *コブシ

決して恨みがましくも声高でもなく、淡々と尚且つユーモア漂う筆致はさすがで、まことに面白くもあり微苦笑誘うもあり。
それにしても、亡き父上「阿川弘之」さんは、娘がご自分のことを書くのには何の文句も注文もなかったそうで。
不思議といえば不思議、父の娘に対する強い愛情がやや変わった態で伝わっていたと思えば納得もできて。
いつまでも印象に残る1冊となった。

 

 

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『若冲』を読む

2017-02-27 09:00:22 | 

 読み終わってはあっとひと息ついて。感想がどうにもまとまらない。

いやいや随分と面白くて楽しませてもらったのに、なんだか今ひとつ自分が高揚しない。
澤田さん、もう少し若冲さんを生き生きと魅力的に書いていただきたかった。
と、これが何といっても唯一にして最大の注文。

自死させてしまった妻の死を悔やみ、その思いを画布にぶつけてひたすら描いている若冲さんなんて。
姉を死なせた、と怒りと憎悪に燃えたぎらせ若冲に立ち向かう弟弁蔵の憎悪をエネルギーに自分対抗して絵筆をとる若冲さんなんて。
若冲贔屓としてはどうもその若冲さんの捉え方が納得いかないのよ、ざらざらとした違和感があるのよ。

ましてや若冲さんは生涯妻をめとらなかったんだもの。
いくら小説といえど無理がある気がしたのよ。

うーんまあ、澤田さんの若冲の視点がそこにあって、それを軸に物語を構築してるのだからのっかっていったけれど。

私もしつこいから録画してあった「若冲展」のビデオ2本を見直してみた。
小林先生の*隠居して一気に描くことの喜びが溢れている*解説に深く深く納得 
《動植綵絵》の 相国寺への寄進は、長男なのに結婚もせず子供も残せず親の許しを得ず隠居した若冲自身の懺悔であり、
先祖や両親自分自身の永代供養としてお寺へ寄進し、いわば若冲の子供である。
と説明している。

《動植綵絵》はその喜びに満ち溢れている、命あるものみんなが生き生きとした生を生きている、私自身
そんな感じを受けるから小説の若冲に、きっと違和感があったのね。

若冲は相国寺寄進状に書いている。
「世間に画名を広げたいといった軽薄な志で描いたのではありません。荘厳の具となり、永久に伝えられることが望みです。」

そして、小説の最終章で澤田さんは登場人物の重要な一人、中井清太夫に
「いかに世が推移したとて、絵は決して姿を変じませぬ。描き手である画人が没しようと、
それを描かせた大名が改易となろうと、美しき絵はただひたすらそこにあり、大勢の人々を魅了いたしましょう。
ならばその世々不滅の輝きを守ることこそが、儚く変ずる世に生きる者の務めではございませんか」

と言わせている。若冲の寄進状の文章と重なるじゃないの。すっきりしたわ。

なんだかんだと偉そうに感想を書き散らかして来たけれど。
おもしろいのよ、ぐいぐい読ませてくれるのよ、澤田さんが。
面白くなければほおり投げるのだけれど、読む人を惹きつける筆力があるから困る。

まだ40歳の若さ。期待しています、別の小説にも挑戦してみます。
ちなみに、『若冲』は2015年(上期)の直木賞候補作品だったのね。

 

 

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