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義母は亡くなる前の午後、緊急で入院しました。午前中、肺炎が疑われていると電話を受けました。点滴、酸素吸入の必要性からの入院です。病院に運ばれて来た義母はすでにストレッチャーの上で酸素マスクをしていました。私の言葉に微かに頷きますが、息遣いが荒く感じました。目は閉じたまま、緊急室に入って行きました。その後、医師から「延命措置」の説明を受けます。香港にいる主人に相談せず、私の独断で「延命措置」は受けないと決めました。帰宅後、主人にすぐに帰国して欲しい旨伝えました。医師の話、母の様子からまだ数日は大丈夫だと思っていました。
翌早朝、4時を回ったとき電話が鳴りました。息を止めて電話を受けました。義母が危ないので「延命処置」はどうしましょう?と看護婦からでした。主人はお昼過ぎには福岡に着くことになっていました。この時も「延命措置」を断りました。真っ暗な中、車を病院に飛ばしました。
私の到着を待っていたかのように義母は息を引き取りました。私は義母と約束をしていました。「何かの時は必ず私がそばにいるからね、心配しないでいいよ。」酸素マスクを外された義母は安らかな顔をしていました。いつものように義母の額と頭を撫でながら、主人に会わせる事が出来なかったことが一番悔やまれました。一旦家に戻り、息を整えて主人に電話を入れました。
入院時にはどんな時も「延命措置」について問われます。本人の意思が一番ですが、高齢となると周りの者が意思決定をします。義母の体を傷がつくような形で命を持たせることは私には許せませんでした。穏やかに痛みを伴わずに逝かせてやりたかったのです。帰国した主人に「延命処置を断ったのは私です。」と謝りました。「それで良かったよ。」と言ってくれたのですが、今でも会わせてやれなかった事を悔やみます。
半日足らずの入院でした。義母は何を思いその時間を過ごしたのでしょう?楽しい夢でも見てくれたのならいいのにと、病室で点滴のチューブ、酸素マスクをつけた義母を思い浮かべます。緊急処置室なので付き添いが出来ませんでした。「お母さん、まだ逝かないでよ。」と車の中で声を上げて病院へ向かった朝を思い出します。
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