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チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

お仏壇の始末

2018年05月28日 | 日々のこと

雨、22度、76%

 私が生まれる前からあるこの家のお仏壇を昨日始末しました。母が嫁いで来た時にもすでにあったお仏壇です。私の父が自分の父、つまり私の祖父のために調えたものです。この家の改築中はお仏壇は倉庫へ、仏具は母のいる施設の母の部屋へ保管しました。改築が終わる前に母は逝きました。そこで仏具は銀行の金庫に入れました。仏壇、仏具共に粗末になってはいけません。当たり前のように一人娘の私が管理するものだと思っていました。改築が終わり、仏壇仏具が家に戻った時は心から嬉しく思いました。

 母が逝って一年後、義父が行きました。主人の実家にはお仏壇がなく、主人が義父のために新たにお仏壇を求めました。そして3年が過ぎました。この3年、常に私の胸の中には2つのお仏壇、2つのお墓のことがありました。一人娘の私が産んだのは一人息子のみです。その息子がこの家に戻ってくるとは限りません。

 一時は小さい仏壇に買い換えることを考えました。それでは仏壇の後継の問題の解決にはなりません。父母、祖父母には申し訳ないけれども、この私の手でお仏壇の始末をすることにしました。急がずとも私が生きている間にすればいいことのようですが、正確な判断と準備のためには決して早くはないと思いました。お仏壇の始末はおろそかにできません。家具を捨てるのとは違います。主人に迷惑をかけたくなかったので、始末にかかる費用の準備をしました。ひと月前のことです。お祓いを済ませ、昨日、祖父の命日にお仏壇を始末しました。

 このひと月、胸を去来する思いは「申し訳ない。」の一言でした。27日と日を決めてからは、ますますその思いが強くなりました。晴天の昨日、お仏壇を見送りました。父の出棺もこの家からでした。お仏壇を見送るとき、父の出棺と記憶が重なりました。

 座敷に戻り、お仏壇のあった場所を見やります。大きな空間です。家が狭くて始末したのではありません。引き継ぎ手のいないお仏壇です。私が産まれる前からあったお仏壇です。一人で決めて、一人で見送りました。父が開いただろうお仏壇の戸を私が締めました。 お仏壇の無くなった空間を見ながら、寂しさも感じます。ところが心の片隅に一抹の安堵が流れます。「ひとつ終わった。」その安堵です。この家の娘としての責任を果たさなくてはなりません。60歳を越していますから、気負いはありません。やるべき事をひとつひとつ片付けます。