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チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

日本の卵

2015年06月07日 | 香港

曇り、27度、83%

 日本にいたら日本の卵を食べるのは当たり前の事、どこのスーパーに行っても売ってるのは産地こそ違いがありますが日本の卵です。香港に来た当初、卵一つ選ぶのにもどこの国から来たものを買えばいいか分かりませんでした。とにかく地元の卵を買いました。香港人に混じって、分かりもしないのに赤い電灯の光を卵に通して、卵を一つ一つ選びます。卵の中で、雛になってるかどうかを確かめるもののようでした。卵を割ったら雛がいたなんて事だと嫌な気がします。そうして買った卵も割ってみると傷み始めていることがありました。この何十年、一体傷んだ卵を何個捨てたやら。

 香港、中国、タイ、マレーシア、フランス、アメリカ、オランダ、韓国、日本。一番近くの大きなスーパーで売られている卵の出身地です。日本の卵は日系のデパートかスーパーでしか売られていませんでした。それがここ3年ほど地元の大手スーパーにも並べられ、お値段も以前ほど高くなくなりました。円の為替レートにもよりますが、日本の卵が手頃な値段でしかも近くのスーパーで買えるなんて、夢のような話です。

 日本に住んでる人も今の香港に住んでる人も、日本の卵なんて当たり前に思うはずです。まだ息子が香港にいた頃の事、すき焼きをするのに日本の卵をうんと気張って買って来ました。日本の卵は主人と息子、私は地元の生卵でも平気なので遠慮します。高い高い卵でした。今でも手頃といっても2番目に高い卵です。一番高いのは、アメリカからのフリーレンジの卵です。

 日本の卵も北海道、岩手、広島、福岡、鹿児島、あちこちから入って来ています。写真の卵は鹿児島から。卵を割ると、黄身の色がやや柿色に近くカラザもしっかりとしています。目玉焼きにすれば、黄身がぷっくりと膨れて、オムレツにしても卵の香りが違います。ゆで卵にすると尚更、白身が殻にくっ付く事がなくつるんとしたゆで卵になります。殻がきれいに剥けるのは日本の卵、中国の卵、香港の卵です。私はお味噌汁にポトンと落とします。まだ半熟、いえ、白身が固まった頃を見計らい口に入れます。この甘みは、他の国の卵では得られません。ああ、幸せ。

 我が家はお菓子を作るので、卵のたくさん使います。日本の卵を使ってお菓子を作る勇気がまだありません。もったいないとつい思ってしまいます。

 小さな卵の話ですが、当たり前に美味しく新鮮な卵が食べられる事を、冷蔵庫の卵に感謝して下さい。今日も卵を割りながら、日本人に生まれてよかったと、近いようで遠い日本を思います。


ライチ

2015年06月06日 | 香港

曇り、27度、82%

 小さな種から芽が出て、大きな木になり実を付ける。こうした植物の毎年毎年の営みに、支えられ楽しみまでもらっています。果物や野菜に小さな種を見つけると、土に埋めてみます。芽が出るかしら?育つかしら?実が付くといいなあ。殆ど失敗に終わります。それでも懲りずに毎年毎年、小さな出窓の鉢に種を蒔きます。リンゴ、みかん、カボチャ、ライチ。

 ライチの季節がやって来ました。つまり夏が始まったという事です。タイからやって来るライチは5月を告げてくれます。私が待っているのは、お隣深圳から入って来るライチです。20年近く前は、お隣深圳はまだ緑が残る街でした。深圳市内から、主人が勤める会社の工場まで、当時は舗装もされていない道をこんもりとした林を抜けて向かいます。この林が、ライチの林でした。実が付く今時分になると、道路脇にはリヤカーが出てライチ売りです。主人は、車を止めてもらってそのライチを買います。ライチが好きな私のためです。荒く編まれた竹籠に葉っぱも枝も付いたまま入っています。

 ところが近年、主人がライチを持って帰ってこなくなりました。ライチの山は切り開かれて、奥へ奥へと道や工場地帯が拡がって行きます。もちろん果物ですから当たり外れの年があります。時には香港の市場でライチを買うこともありました。市場に送られて来る箱を見ると、深圳でもまだライチは採れるようです。

 昨日、深圳から戻った主人、ニコニコと手渡してくれたのが、 これ。あれあれ、箱入りです。でも箱を開けると、相も変わらず、 こんな深い緑の葉っぱと枝付きのライチが顔を出しました。道路脇で売っているのを見つけて、車を止めてもらい買ってきてくれました。車の通る道路脇ですから、なんと埃まみれです。実だけを外して、よく洗います。

 暑い時の暑い土地の果物は、体から熱を取ってくれると言います。冷蔵庫に入れずに常温で食べた方がいいと言われますが、洗ったライチは冷蔵庫に。体から熱を取り除いてくれる果物は、食べ過ぎに要注意。よく知っているのですが、食べ出したら止まりません。透明なほのかな甘みの汁が一杯のライチです。

 ライチの種が大きいものと小さいものがあります。小さいものは、「ロウマイチー」と呼ばれ、種が「ロウマイ」つまり餅米のようだという意味です。「ロウマイチー」の方がお値段もいいようです。

 今日も暑くなりそうな香港、せっせと「ロウマイチー」を食べましょう。そして、餅米のような種をまた鉢にまいてみます。芽は出るけど、大きくならない私のライチです。


簫箕湾(サウケイワン) 香港

2015年06月05日 | 香港

曇り、28度、82%

 車を降りた瞬間、地下鉄の駅を出たその時、ふっと香るその街その街の匂いがあります。あー、戻って来たわよとその匂いに挨拶します。狭い香港ですが、街街の匂いはそれぞれ。

 香港島北東に位置する、サウケイワンは、まだこの香港島に人が住んでいなかった頃、海賊が住みはじめたという古い街です。入江がうまい具合に船を隠してくれたのだとか。香港島を東西に走る二階建てトラムの東の終点でもあります。繁華街トンローワンを過ぎ、日本人が多く住むタイクウも過ぎ、この辺りに来ると建物も低くなり、地元の人ばかりの町と化します。観光客はもとより例の買い出しの中国人も流石に見かけません。聞こえて来るのは広東語ばかりの町です。

 昔ながらの市場が香港から姿を消しはじめました。この町の隣サイワンホなどは、随分以前に市場がビルに回収されてしまいました。雨が降った日などはビルの中の市場も便利かもしれませんが、路面に店を張る香港の市場の様子は、日々の生活をするこの私の目にも楽しく思われます。

  日常の香港です。 仕事に行く前にパンを買う人。

この手の肉屋が少なくなりました。右が牛肉、左が豚肉。 海星だって食べます。食べるというよりスープにします。 こちらは川魚専門店。川魚のミンチは安いこともあり大事な食料源、レストランでは味わえない代物です。 東南アジア、タイやベトナムの調味料や麺を扱う店。 生活雑貨を売ってる店です。こんな雑貨屋がIKEAなどに圧されて数を減らしています。 神具を扱う店。線香や香油、葬儀に使う紙札を扱う店。

   これは豆腐屋さんの両脇の調味料の棚です。この店のおばさん、実に清潔に店を保っています。30年近く変わらぬ店構え。有機の乾豆などにも早くから目を持った店です。店といいますが、どちらかと言うとバラックで出来た小店です。

 中国のどこ出身の人が多く住む町かによって、市場の魚や野菜の種類が違います。 手前の金目鯛、セントラルの市場では見る事が出来ない魚です。久しぶりにキスも見る事が出来ました。

  果物屋の店先には、ライチが並びはじめました。 麺好きな香港人、たくさんの生麺、乾麺があります。今月は端午節があります。ちまきを作るための、小豆の餡と蓮の実の餡も売られていました。

 生きたタコを探してこんな東までやって来ましたが、タコの需要が増えた今では生きたタコにはもうお目にかかれません。市場の角を廻ると、 庶民のちょっとしたお腹抑えのスナックスタンドが。

 この町に降り立つと海の香がします。15年ほど前までは、この市場からすぐ海でした。今では埋め立て地に高層のマンション群が建っています。海は15分も歩かなくては見えません。なのに、海の匂いがします。町に染み付いた懐かしい匂いです。


紫のキノコ

2015年06月02日 | 香港

曇り、28度、85%

 高温多湿の空気の塊、想像できるでしょうか?家のドアを開けた途端にその空気の塊の中に突入します。家の中は、除湿器とクーラーが廻っていますから快適です。我が家のモモさんですら、玄関のドアを開けるとそこで一瞬ひるんで立ちすくみます。この暑さの中をトイレのために外に出るかを考えているかのようです。

 私だってこの暑さの中、雨も降りそうだというのに山に行くのはね、と躊躇します。毎月一日の山登り、心に秘めた思いがあって上ります。その事を考えると、すっと腰が上がります。

 山に入ると、年寄りたちがトツトツと山を上がる姿が見えます。私など月一回ですが、毎朝毎朝こうして山の上り下りをする年寄りたちです。私だってこの山に来はじめた頃からすれば30年ほど時間が流れていますから、以前に比べればポトポトと歩いているに違いありません。月一の私の顔を覚えていてくれて、話しかけてくれるおじいさん、おばあさん、急ぐ事はありません、霧のかかった山の頂まで一歩一歩歩めばいいのです。

 香港の人はある意味、陽気です。大きな声で、シイタケ、と言って手招きしてくれます。えっ、紫芋みたいなものが草むらに。 誰かが捨てて行った紫芋から芽が出たのだろうと思います。よく見ると、やはりキノコです。芋の皮のような傘の下には太い紫色の石付きが見えてます。この近くに3本。シイタケと叫ぶのに決して触ろうとも採ろうともしませんから、一応キノコは危険と知っているようです。傘の直径6センチほど、高さは10センチ足らずですが大きなキノコです。

 このキノコを見て、ふと昔は赤や金色のキノコが香港にはあった事を思い出しました。雨が長く降った後には何処にでも見られたキノコが、最近とんと姿を消しました。どうしてかな、菌が死滅したのかななどと考えながら歩きます。私の山登りの最後は600段近い石の階段です。昨日上からおりて来たおじさんが599段だと教えてくれました。その階段の脇にも、 キノコです。5月は雨が多かったから、どれもこれも大きく育っています。お日様が照とすぐに萎れてしまいます。階段を上り切る少し手前で、 小さな花が出迎えてくれました。山頂に上がっても、ビクトリア湾も南シナ海も霧でなんにも見えません。微かな風を感じながら下りました。

 赤や金色のキノコの事が頭を離れません。先程走りながらやはり考えています。この辺で見かけたのになあ、もう数年、赤や金色のキノコを見ていません。思い当たる事が一つ、香港は岩盤で出来ているので地震は少ないのですが、土砂崩れの被害は大きいものがあります。そのため、斜面という斜面をコンクリートで固める工事が香港中でなされています。特に香港島です。アスファルトの道にコンクリートで固められた斜面の中を、毎朝走っています。この護岸工事のために土が無くなったので、キノコたち姿を消したのだと思います。

 紫のキノコ、名前が判明しません。少し不気味なキノコです。

 見出し写真は、フランジパニ、プルメリア、インドソケイと色々な名前を持つ香りのいい花です。山から帰ると、主人が朝の散歩の時に拾って来てくれていました。キノコで始まった6月です。


TheWGで紅茶を選ぶ楽しみ 香港

2015年04月29日 | 香港

晴れ、23度、87%

 シンガポールのお茶の専門店、TWGが香港にオープンしたのは四年ほど前のことでした。フランスの古くからあるお茶のマリアージュとよく似たお茶の売り方をしています。日本では、東京に2店舗あると聞きます。日本からのお客様、日本へ持ち帰るお土産にはここの紅茶を選びます。フレーバーの付いていないお茶の葉も、いい葉っぱを使っているのが分かります。缶に詰められて売っているセットのものもありますが、私は買う時、大きな缶のお茶の香りとその葉を確かめてから、別売りの缶に詰めてもらいます。

 聞くと600以上の種類のお茶が、大きなトレードマークの黄色い缶に入ってずらりとカウンターの奥に並んでいます。こんなお茶が欲しいと言うと、幾つかの缶をひょいと私の前に。蓋をとって香りと葉っぱの具合を見ます。このせっかちな私が、この時ばかりは大様にゆっくりと、一つ一つ確かめて行くのです。何分にも人様に差し上げるお茶ですから。

 昨日は、今までと違って日本の方へのお土産選びではありませんでした。そこで、行く前から2つほど選ぶお茶の目安を決めていました。まず一つ目は、香港からのお土産というので名前に香港が入っているもの。次が、緑茶か中国茶。日本人の私たちがお持ちするものですから、出来たら日本の緑茶と考えていました。緑茶も、台湾、中国、ベトナムのものがあります。

 ここのフレーバーティーには、いろいろな名前が付けられています。「芸者」「シンガポールの夜」「ティーパーティー」という具合です。名前からお茶の味を想像するのも楽しいものです。まず、お姉さんに「香港の名前の付いたお茶がありますか?」と尋ねると、なんと一種類のみ「ウィークエンドイン香港」。まずこれは決まりです。もう一つ、日本の緑茶のブレンドものを見たいというと、ずらりと8つの缶が並びました。一つ一つ真剣に嗅いでいきます。お持ちする方達の顔を思い浮かべます。ひとつ開けてびっくり、あら、玄米茶!確かに玄米茶は、日本古来のフレーバーティーです。お姉さん、一生懸命、はじけたお米の香りがいいこと、よく売れていることを説明してくれました。どうも、私を日本人と思っていないようです。でも、私、日本人ですからお遣い物に玄米茶は選べません。8つの中で、抜けるような清々しい香りがありました。リンゴの爽やかな香りが残ります。「シルバームーン」という名前です。これに決めました。

 次は缶選び。「シルバ−ムーン」はシルバ−の缶に、「ウィークエンドイン香港」はピンクの缶に詰めてもらいました。丁寧に、、箱詰めして、この一セットをまた包装してもらいました。 実は、TWGで紅茶以外のお茶を買ったのは初めてのことです。詰めてもらっている間、いろいろなお茶を見せてもらいました。ストレートの台湾のウーロン茶は、ものすごくいいものだと分かりますが、これまた値段を聞いてたまがりました。[MACHA]の缶もあります。見せてもらったのですが、なんだか、こんな大きな黄色い缶に抹茶は似合いませんでした。

 日本茶、中国茶はいいものを頂戴するので自分では買ったことがありません。紅茶は頂くことがないので買い求めます。年に一度くらい、エイッとばかりにいい紅茶を買うことがあります。TWGの紅茶でお勧めは、「フレンチアールグレイ」です。どなたに贈っても喜ばれます。

 ゆっくりとして空間で、ゆっくりといいお茶を選ぶ時間は、なんとも楽しいものです。


北角 ノースポイント 香港

2015年04月23日 | 香港

小雨、22度、65%

 ちょっと精神的に落ち込んでいるとき、よく香港の田舎に行ったものです。野山ではありません。古くから人の住む田舎町、昼間はお年寄りと子供だけです。私が住む香港島のビル、ビルの中の狭苦しい空気とは全く違います。ゆっくりと穏やかな空気の流れと聞こえて来るのは地元の言葉だけです。そんな田舎町は、お隣中国の深圳との境に位置しています。行く度行く度に、様変わりするその町。日本でも報道されているように、深圳からの買い物で来る人の流れが止みません。買って行くのは赤ちゃんのミルクにヤクルト、お醤油。日常品です。それをトロリーに山積みにして持ち帰り、商売するのです。並行輸入。町は忙しない中国人だらけ、お行儀の悪さも甚だしい。ついに、私の憧れるゆっくりとした空気の流れている町が香港に無くなりつつあります。

 そう思い倦ねていると、ふと思いつく町が。香港島の北側のそごうデパートのあるトンローワン、日系のスーパーがあるタイクウの中間に位置します。大きな路面の市場を抱え、山向きには日本人小学もあり、マンションが斜面に沿って建っています。そうそう、アグネスチャンが育った町、北角です。生きた蛸などを探しに北角まで足を伸ばします。そんな時、ふと気付いたのです。周りの言葉は、広東語だけ。慌ただしいのは香港中同じですが、おじいさんおばあさんが、小さなベンチで休んでいる姿が見られます。それに、なんとも昔ながらの店並みです。あー、香港だわ、そう気付いた時の私は、きっとニコニコしていたと思います。

 露店ではないのですが、 昔ながらの中華のスリッパを売る店です。機械刺繍ですが、小さな足をよしとされる中国人女性がこのスリッパを履いた様子は優雅です。真っ赤なスリッパすら、違和感無く履きこなします。

  露店のぬいぐるみ屋さんです。こんなぬいぐるみを喜ぶ子供がまだいるのね、と内心喜びます。 こんな露店の靴屋さん、試着なんてせずに適当に買って行くものですから、時にガバガバの大きな靴を履いてる人を見かけます。 ハンドバック屋さんだってありますよ。そう、何だってここで揃うのです。ちょうど今の頃や寒くなり始める、季節の変わり目になると急に現れるのがパジャマ屋さん。 以前は若い女姓が、パジャマのまま町を歩いていました。外にも着ていくパジャマです。今や、パジャマで外を歩く人を見かけません。パジャマのまま歩く女性の可愛かったこと、飾り気のない頃の香港の話です。 子供服の露店。小さな女の子が、ナイロンのピラピラのドレスみたいなのを着て町を歩くのを見かけます。子供にはコットン、と思い込んでいた私はびっくり。今でもこんな服屋さんがあります。孫娘に一つとは思いませんが、こうしてずらりと並んだ様子は、やっぱり可愛い。

 中国からの暴買いの人にも出会わない、白人の人にも出会わない、北角。繁華街トンローワンから二階建てトラムに乗っても20分とかからない場所です。普通の観光客もトンローワンまではやって来るのに、ほんのちょっと足を伸ばした北角は、すっかり、取り残されたレトロな町になりました。

 昔から、上海、潮州からの移民が多く住んだといわれる北角、以前は上海でも有名な「雪園」というレストランもありました。 潮州料理で有名な蟹の専門店。この時期になるとリヤカーに乗せられたタイからのドリアン売りが出てきます。我が家の近くにも昔は来ていたリヤカーのドリアン売り、ここ10年は姿を見ません。見出し写真のドリアン売りのリヤカー、写真おついでに心行くまでドリアンのにおいを嗅がせてもらいました。私、ドリアン好き、主人は好きではありません。ああ、いい匂いだわ。

 この北角の町が変わってしまった時は、はて、何処に香港らしさを求めに行けばいいのでしょうか。

 

 

 

 


国境を渡る 2

2015年04月07日 | 香港

曇り、24度、87%

 私が、深圳に足繁く行かなくなったのはモモさんがやって来たからです。この10年、中国は大きく変わりました。中国人が観光や買い物で香港にやって来ます。日本でもさんざん言われている通り、中国人観光客のマナーは最低です。30年近く昔の香港人のそれよりひどいとまで思います。その中国人を見るにつけ、私は段々中国の人がイヤになっていました。ここ香港の人たちですら、中国人の観光客を歓迎しないのです。小さな日の丸の旗を持った日本人が世界中に団体旅行で行っていたあの様子とは、全く違います。イヤな気持ちは、私に中国に行く気を失せさせていました。

 日本にいれば、国境を越えるということは、飛行機、船に乗ってに限ります。日本を出国して、しばらく乗り物に乗り、他所の国に入国するのです。ヨーロッパや南北アメリカのように、陸路、他の国に行くことが出来ません。ですから、降り立った他所の土地が空気も違う、光の色までも違って感じるのは当たり前のことです。ところが、たった境界線を越えただけで、吹く風の重さまで違って感じるのが、国境を越えることだと、今回初めて感じました。

 深圳に入った翌朝、主人は自分が深圳に泊まった翌朝散歩をするコースを案内してくれます。ホテルの前から続く街路樹の木陰を歩きます。一体何処まで続くのかと思うほどに長い歩道です。土曜の朝、会社も3連休(昨日は、清明節、中国のお彼岸に当たります。)に入ります。人通りは少ないのですが、ジョギングをしている人と出会います。日本や香港のジョガーのような派手な出立ちではありません。普通のシャツとジャージで走っている姿が、好ましい。朝も早いのに、道を掃除するおばさんたちは働いています。 まだ、リヤカーで、町中のゴミ箱のゴミを集めています。昔と変わらないなあ。忙しない中国の一面は、こうしたのんびりとした一面の裏側です。

 主人がいつも行くという大きな公園、 太極拳をする人の姿が見られます。これは中華圏を旅すると、朝、必ず目にする光景ですが、香港と大きく違う所は、このスペースです。人々の向こうにこんもり見えているのが、街路樹です。 こんな建物が山頂に見えています。

  公園の入り口のお土産物屋さんです。プラスチックのこんなおもちゃを中国の子供たちは喜んで使っているのかな、と訝しく思います。見出し写真は、この店の横に置いてあった、子供用の乗り物です。日本では、殆ど姿を消しましたね。この虎さんに、孫を乗せてやりたいと思いました。

 乳母車を押して散歩する人を見ました。とてもびっくりしたのです。中国で乳母車を見たことはありませんでした。香港人が乳母車を使い始めたのも最近のことです。 しかも、素晴らしくカッコいい。

 早朝の広い公園では、思い思いのことをしています。 このおじさん、水を含ませた自家製の長い筆で、石畳に漢詩を書いています。 この字を書く呼吸といい、達筆なのは言うまでもありません。そして、陽が上ると、この字は空気の中に消えてなくなるのです。

  一輪車のようなものを胸に抱えてるおじさんがいました。よく見ると丈夫な細いロープが付いています。そのロープの先の先、 青い空に米粒みたいに凧が揚がっていました。

 中国の都市の中で、住民の平均年齢が一番若いのはここ深圳です。周りの町から、深圳を目指して仕事を探しに若者が集まってきます。日本同様高齢化社会が進む中国の中では、活気のある都市の一つです。

 この大きな公園の中、時折私のスマホにWi-Fiが入ります。でも、携帯も持たない人がいるのでしょうか、 町中には公衆電話が見られます。このブース、裏にももう一つ電話が付いています。

 私は、ポストが好きで旅行に行くとポストを撮ります。相変わらずの、中国グリーンのポストですが、 少し昔より細めで、装飾が施されています。

 香港、基本、広東語を話します。国境を越えたこの深圳の町は、広東省ですが話し言葉は北京語です。そして深圳よりまだ北の広東省の省都、広州では、広東語が話されています。国境を越えたこの町は、若い中国人の憧れの都市でもあるそうです。

 一日ほどの滞在でした。帰って来て2日が経ちました。私の中で、イヤだった中国が少しずつ動き始めました。

 この話、まだまだ続きます。


国境を渡る

2015年04月05日 | 香港

晴れ、23度、94%

 香港、先週の金曜日からイースターの休暇に入りました。明日は清明節、4日続けてのお休みです。金曜日の夜、主人の深圳の会社の内輪の集まりがありました。久しぶりに私にもおいでと言ってくださいます。そういえば、モモさんが我が家にやって来るまでは週一回は深圳に行っていました。いえ、至る所に泊まりがけで出かけていました。ところがこの10年以上、モモさんをいくらお手伝いさんに見てもらっていようとも、出来るだけ家に戻って来たい私です。深圳などは夜遅くとも戻って来れる範囲です。本当に泊まりがけで出かける深圳は久しぶり。

 香港は中国です。でも、中国ではありません。香港、中国の行き来には、パスポートが必要です。香港自体、国内線はありません。飛行機に乗ることは全て海外旅行です。香港の北、新界に行きその北の深圳を眺めても、何にも見えなかったのは20年ほど前までのことです。今や国境近くに行かなくても、深圳のビル群が香港側から見られます。高さももちろん高いうえに、その数も日に日に増えているような気配です。

 深圳に入るには家を出てから、一時間半ほどで国境に達します。車、バスの乗り継ぎです。以前は電車とフェリー 、一部の車輛の出入りしか出来なかったのですが中国側の道路整備、道路拡張に伴い、大型バスは頻繁に行き来しています。一般車輛もダブルスッカーを付けて相互に乗り入れ可能です。

 昔は深圳に一歩足を踏み入れると、そののんびりとした田舎ぽっさ、ゆっくりした時間の流れがホッとさせてくれました。深圳駅の周りに物貰いの子供たちがいたその昔、駅の周辺に行くのはとても辛かった覚えがあります。それでも、少し車を走らせればそれこそライチの山です。道なんて舗装もされてなく凸凹。数少なかったホテルだって、コーヒーは美味しくないうえに、五つ星だってどことなくカビ臭く感じたものです。今や、ライチの山は切り開かれて、高速道路です。高速電車で北京まで行くことも出来ます。高速道路は蜘蛛の巣のように日に日に大きくなり、その上を走る車もドイツ車や日本車です。

 道路の上ばかりではありません。地下鉄だって走っています。地下鉄の工事も止む所を知りません。つまり、郊外に郊外に延びて行く地下鉄、同じように郊外に住宅用のビルが立ち続けています。その様子を見れば、中国の計り知れない力を感じます。最近は購買力も落ちて来た、中国もバブルがとか言われますが、いえ、人の数の持つ力は、なにものにも代え難いとひしと身にしみる国の力です。日本人のように起用でないかもしれません。日本人のように見た目はよくないかもしれません。そんなことより実質の力を感じる中国です。

 中国の国境を越えると、いつも感じることがあります。たった国境を越えただけ、一本の線を超えただけなのに、空気がガラッと変わります。においが違います。肌に当たる日差しが違って感じられます。迎えてくれたの、 黄色風鈴木、キバナノウゼン。

 空気は乾燥して、日差しはチクチク感じるのですが、今回は、一つ何かが違うと感じます。今まで、車に乗っていても眩しく感じた町並みが、しっとりと落ち着いて見えます。そうなんです。街路樹が、グングン成長して歩道に心地よい木陰を作ってくれています。まだ植えたばかりだった木々は、華南の暖かな気候で生長し、眩しいほどの人工的な町並みは優しい風が流れていました。

 香港に居ても、この地に長く住んだものだと感じますが、それ以上に、深圳の発展ぶりを目の当たりにすると、つくづく、時間の長さを感じない訳にはいきません。主人の深圳の事務所が新しい所に移転していました。何やら会議の間中、手持ち無沙汰な私は、ぼんやり窓の外を眺めます。 そろそろ日没。深圳湾越しに見える、ビル群は香港の北、新界のマンション群です。

 毎日のようにこの深圳と香港を行き来している主人です。話を聞いてもやはり自分の目で見るのとは違います。しばらくぶりに入った深圳、滞在時間は短かったのですが、私の中で少し変化が起こり始めました。また、明日にでも話の続きをします。


サバ子の南蛮漬け 

2015年04月04日 | 香港

曇り、24度、85% 深圳

 春告魚、というと一時代前までは、ニシンだったそうです、ニシンが不漁の昨今は、メバルだともいわれていますが、地方によって春を連れて来る魚は違うはずです。九州育ちの私は、おそらく大学で東京に出るまではニシンという魚を知りませんでした。

 香港の市場の魚屋さん、一年中同じ魚が並んでいるように見えます。微妙に季節の魚があるのですが、2年度前からは、サケが丸のまま並んでいます。どう考えても近海で捕れることのないサケです。何もかも輸入に頼っている香港ですが、魚屋の店先に輸入物の魚が並んでいる様子は、どうも納得いきません。

 香港の中華料理、海鮮料理も有名です。ハタを蒸したものなど美味しいうえに、お値段も結構な品です。ある時、生け簀で様々な魚を泳がせて、その中の魚を選んで料理してもらう店に行きました。ちょっと夕飯にしては早い時間でした。すると、空気を注入したドライアイスに詰めれれて空輸された生きた魚が、次々に運ばれてきました。送り元の国はベトナム、マレーシアです。びっくりする私。近海で捕れた魚ではなかったのです。

 地元の漁師さんが捕る魚、サワラ、ボラ、鯛、金目鯛、甘鯛、イトヨリ、小エビ、小さいイカ。スズキ、キス、カツオ、サバは海流によって上がって来る時期が違います。でも、カツオやサバは、暖かな海流の中で油が抜け切った状態で水揚げされますから、美味しいとはいえません。そうした中、春先、しかもこの3月下旬から4月の初めの頃にかけての短い間に魚屋に顔見せするのがサバ子です。香港近海、イワシもアジも捕れません。アジに似た魚はありますが、味がアジではないのです。サバ子の目はどんな魚よりきれいです。 そんなわけで、毎年必ずサバ子を買います。サバ子が食卓に上がると、私にとって香港の春です。10センチより小さいものの方がいい味をしています。ちょっと大きくなると、味も大雑把になってしまいます。コトコトとお酢で煮ることもありますが、やはり南蛮漬けが一番美味しいと思っています。手開きにしてもいいのですが、頭と内蔵だけを取って、ゆっくりと揚げると骨まで食べれます。しかり味を付けると主人好み、今回は残り物のレモンを使い上げようと、さっぱりタイプにしてみました。 南蛮漬けを作るとき、いつもタッパを使います。魚をいちいち裏返しにしないでも、タッパの蓋をしたまま、上下に置き換えて味を馴染ませます。

 殆ど毎朝市場に足を運びます。それでも、身辺忙しいとき、このサバ子を見落とすことがあります。サバ子の南蛮漬けを食べなかった春は、忘れ物をしたような気分です。


霧の中を歩く

2015年04月02日 | 香港

曇り、23度、89%

 日本の学校が春休みに入ったその日に息子と私は香港にやって来ました。30年近く前のことです。春休みの間で香港に慣れて、新学期を迎えようと思ってのことでした。船便で送り出した荷物もまだ着きません。息子も私も友人など一人もいません。挙げ句にお天気は朝から霧がかかっています。夜景で世界の五本の指に入るといわれているピークに上っても何も見えません。ちょうどこの季節のことです。

 昨日も外が白んで見えるほどの霧がかかっています。車でこの霧の中を走れば、フロントガラスには細かい水滴が付くほどです。LEDのおかげで前方を走る車も確認できます。昔はフォッグランプが付いていたなあと思いながら、香港島の東へと車を走らせました。

 まだ霧が深い山道を上へと向かいます。朝が早いうえに、霧の水滴のおかげで肌寒く感じます。気温、23度。霧で遠くは見えないのですが、その中を歩いて行くと目の前だけ道が開けて行きます。慣れ親しんだ山道、朝早くから山に上る人が多い香港だからできる早朝登山です。ひと月に一度、だいたい一日にこの山に来ます。20年近く続けていますから、毎朝上る人とも少しずつ顔見知りが出来ました。挨拶しては立ち話、おじいちゃん、めっきり痩せたわねと心配しながら上ります。

 まるで  水墨画の世界です。新緑が所々異常に鮮やかに目に入ってきます。この霧のおかげでこの時期にしか聞けないものがあります。しかも、ビクトリア湾をめぐる香港島の北、九龍半島の南に限ります。それは船の汽笛です。ボーッと一つだけ長い汽笛が、ビクトリア湾から聞こえてきます。このボーッ、を聞きながら霧の中を歩きます。まるで、幻想的な雰囲気です。狭いビクトリア湾です。しかも行き交う船の数は多いときています。霧がなければ、汽笛を鳴らすこともないのですが、この汽笛だけが安全の頼みです。それでも、何年かに一度衝突事故があります。初めてのあの春、母に無事に着いた知らせの手紙を書きました。その中に、「船の汽笛が聞こえます。さすが港町香港です。」と書いたのを、昨日歩きながら急に思い出しました。船の汽笛が聞けるのは、この霧が出ている時だけだとはたと気が付いたのは、香港に住んで10年も過ぎた頃でした。

 昼近くになると、霧も上がります。時折、一日中霧ということもあります。 山を下り始めると、緑の中に「香港桜」と呼ばれるブーへニアの花が見られます。

 昨日の香港版読売新聞に、香港人は春が嫌いという記事がありました。この霧です。このジトジトの天気が香港人ですら疎ましく感じるようです。私の誕生日も毎年朝からこんな霧の天気です。こんなに長く霧の春を迎えようとは思ってもみませんでした。日本の桜の春を香港で思います。でも、きっと日本に帰ったら、この香港の霧の春をどんなにか懐かしく思い返すかと今から思っています。