緊急事態宣言もまん延防止措置も解除されたので、先日、MIFさんと岡山県へ1泊2日で行ってきました。
今回は写真が多め&長文なのでお暇なときにご覧ください。
初めて飛行機から富士山を眺めました。
何度か富士山近くを飛行機で通過していますが、雲が多かったり、座席が反対側などで見たことがなかったです。
富士山の火口もハッキリ見えて、驚きでした。
ちなみに神戸港近くまで雲が少なめで、地形図を眺めている気分でした。
御前崎、浜名湖、セントレア、琵琶湖、京都市中、大阪湾、関空、淡路島まではどうにか目視できました。
神戸港は雲で見えなくなりましたが、六甲山の北側は分かりました。
まずは岡山後楽園。
正面に岡山城が見えましたが、現在改修工事中。
私は日本三大庭園の水戸市の偕楽園、金沢市の兼六園には行ったことがあるので、この後楽園もとても楽しみにしていました。
小学生だった頃、後楽園には行ける気がしない…と思っていたのであの頃の自分に「アラフィフで訪れることができるよ」と教えてあげたいです。
早めの昼食はえびめしオムライス。
偶然通りかかった道筋にお店があってMIFさんが「えびめしやだ!昼飯ここにする!」と言い出しました。
でもだんだんクセになる味で、とてもおいしかったです。
吉備津神社にやってきました。
揮毫は犬養毅。
私が住む地域には犬養毅揮毫の石碑がいくつかあって、実際に何度も見かけているけれど、やはり地元の由緒ある神社だと、文字の気合いが違うな、と感じました。
だって「津田山」の揮毫のよろけた文字を見ているので、犬養毅はあまり字が上手ではないと思っていました。
なーんだ、やはり気合いの違いなのね~。
※津田山は、川崎市高津区の地名で幻の東京オリンピック(1940年大会)で選手村になる予定だった丘陵。現在のJR津田山駅の北側。
参道が回廊になっていました。
私が住む地域ではまず見かけません。
なお、10月15日公開映画「燃えよ剣」ではこの回廊が登場するそうです。
当初私もこの映画を見ようと思っていたのですが、COVID-19パンデミックで公開が何度も延期されているうちに興味が無くなってしまいました。
ここから最上稲荷に向かいました。
これがお稲荷さん?と焦りました。
稲荷社だと思っていたので、伏見稲荷っぽい感じだと思っていたからです。
吉備津神社といい、なんというか、神仏習合の時代のままのような雰囲気です。
関東地方だと明治時代に廃仏毀釈が進んで、たまに道端のお地蔵さんとかの顔が潰されていたり、首が取れていたりするけれど。
門や塀で別れているけれど、意外と神仏習合の時代を彷彿させられる構造に驚きが隠せませんでした。
最上稲荷からさらに山を登って眺めのいい高台へ。
ここ、どこだと思いますか?
豊臣秀吉の中国大返しの舞台で、備中高松城の水攻めの軍議が行われた時の、秀吉の陣屋跡からの眺めです。
眼下の平地が水浸しになったそうです。
この辺りが備中高松城の跡地。
思いっきり平地で、私は納得できない!!
もう少し土累で高まりがあってもいいと思うのだけれど。
埼玉県行田市の忍城(おしじょう)も水攻めにはあっていますが、土累が数メートルあるのだから、ここまで平地とは思っていなかったです。
戦国時代好きのMIFさんは「城というよりは陣屋だからだろう」と言うのですが、武器や兵糧を水浸しにはできないはずなので、私は終始「えー、納得できないっ!」ばかり言っていました。
江戸時代の新田開発で土累を壊しちゃったのかなぁ…としきりに首を傾げていました。
備中国総社宮に行きました。
こちらも屋根付き参道があって、回廊奉納と書かれていたのにはびっくり。
私はこれまで神社には鳥居や狛犬などを奉納するのは見かけたことがありますが、回廊も奉納するものなのか、と。
雪深い地域だと回廊(屋根付き参道)は、役立つと思っていましたが岡山県南部ならそれほど雪深いことは少ないと思っていたからです。
歴史と文化の違いを強く感じました。
このあと、移動中に「ラ・ムー」という地元スーパーマーケットに立ち寄りました。
私は知らなかったのですが、MIFさんが「ここの弁当がスゴいンだ」と言います。
何事かと思ったら、200円以下のボリュームが多いお弁当がズラリと並んでいました。
ペットボトル飲料も見たことがないくらい低価格でした。
ついでなので私の家のご近所では販売していないお菓子を少し購入。
「ぼんちポンスケ」というお煎餅は見たことがなかったのですが、食べるのが楽しみです。
この日のラストを飾ったのは、王子ヶ岳から瀬戸大橋を眺めました。
19年前、坂出市側から眺めたことがある瀬戸大橋。
船が行き交っている様子を見て「本州側から瀬戸大橋を眺める日が来たよ」と、19年前の私に教えてあげたいです。
ここからこの日の宿泊先に行きました。
美味しいモノをたくさんいただきましたが、これがものすごくびっくりしました。
ナス田楽なんですけれどね、味はもちろん、これは香りを食べる感じがしました。
下に敷いているのは経木かと思ったら、薄い杉板(あるいはヒノキ?)でこれが炙ってあります。
だから杉の仄かな香りがすごく際立ちました。
この周辺の建物はすぎを炙って黒くした板が貼られていまして、不思議だな、と思っていたのですが、その建物を彷彿させられました。
この日はゆっくり休んで、就寝。
2日目。
予定外の由加神社に立ち寄りました。
参道の途中にあった簡易郵便局。
この向かい側に丸ポストがありました。
駐車場からの参道が意外と心臓破りの階段でした。
これまた神社ですがところどころ「神社?なんだかお寺さんっぽい」と思うことがたびたび。
ここから鷲羽山へ。
前日よりもさらに瀬戸大橋の近くです。
するとMIFさんが「瀬戸大橋、渡ろうか?」と。
もちろん橋梁好きの私は嬉しいけれど、予定外だし何よりも通行料は安くないのだけれど。
MIFさんに言わせると「もう二度と来ないかもしれないから」とのこと。
与島PAの展望台から。
四国上陸。
この風景、19年前に見たのを覚えています。
ここも19年ぶり!
再び瀬戸大橋を四国側から見ることはないと思っていました。
しかも同じ場所から。
だから私1人とても興奮してしまいましたが、物凄く嬉しかったです。
そしてこの19年を振り返り、いろいろありすぎて…と思うのですが、これからの19年に思いを馳せることにします。
そして、あっという間の四国タッチアンドゴー。本州に戻りました。
次は倉敷美観地区。
ここは25年前、KYちゃん達と九州旅行した帰りに「倉敷に立ち寄らない?」と誘われたのですが、九州旅行で疲れ果てていた私は断っちゃったのです。
当時、まさかKYちゃんがその15年後に亡くなるだなんて思ってもなかったです。
お子さんが大きくなって、また一緒に旅行に行けたらいいな、と思っていたら、その日は来なかったのです。
それにしても岡山県の水路に柵が全く見当たりません。
美観地区だから…ではなく、普通に町の中の水路に全然ないのが怖かったです。
そもそも私が育った地区は稲作が盛んではなかったから、水路が少ないし川にはガードレールや柵があるのが当たり前だと思っているからです。
こういった路地がたくさんあって、さすが美観地区と名乗るだけあって、整備されています。
こちらもずっと見てみたかったビクターくんが屋根いっぱいに並んだお店。
高校生の時に雑誌で見かけて以来、一度見てみたかった!
初見のMIFさんはギョッとしていましたけれど。
ここから備中松山城に行きました。
もう登山かと思うような登り坂を登ってやっと到着。
山城なのは承知していましたが、山城の難攻不落なことを実感。
この日履いていた靴は山歩きには不向きだったので難儀しました。
ちなみに私が好きな大河ドラマ「真田丸」のオープニングに登場するお城はこの備中松山城です。
こちらの猫ちゃんは、備中松山城の猫城主さんじゅーろー。
なんで「さんじゅーろー」かと思ったら、谷三十郎にちなむそうです。
ここで、谷三十郎!と沸き立つ私にMIFさんが「誰?」と。
谷三十郎はですね、新選組の谷3兄弟の1人で、槍の名手でしてね、隊長の1人でもあったんです~、と話したところで、あれ?大坂で道場をやっていたンだけれどなぁ…と。
そのあたりは城内のパネル展示で書いてありました。
なおパネル展示には、高梁市歴史美術館のポスターがありました。
次の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」に登場する平川唯一さん(演・さだまさしさん)の出身地がこの備中松山城がある高梁市だそうです。
あまりにも体力消耗したので、駐車場の売店でアイスを購入しました。
私には珍しい大山乳業のアイスです。
たくさん歩いて、たくさん汗をかいたのでとてもおいしかったです。
最後は古代の山城に行きました。
鬼ノ城(きのじょう)です。
ここも駐車場から少し山を登って行きます。
古代(大和政権)の遺跡はあっても、明確に城跡と言うのは珍しいです。
MIFさんによると現代の工法を使って再建しているからちょっとなぁ…ということらしいのです。
私は弥生時代の環壕集落からどうやって土累を積むようになったのかいつも疑問に思っていたので、とても新鮮に感じました。
中国の古代の城壁を彷彿させる造りです。
この眼下には国分寺などがあるので、守りたいモノがあると、守りが強固だなと思うとともに、児島湾も遠くは四国の山並みも眺められて、物凄い眺望、雄大さも感じました。
最後は岡山空港の桃太郎像。
桃太郎像は岡山駅にあるものだと思っていたので、ここで見られてちょっと嬉しかったです。
2日目の夜9時過ぎには、帰宅しました。
これまで数回ですが通り過ぎたことがあった岡山県。
今回MIFさんが「行ったことがない県に行こう」と言ってくれなかったら、訪れることはもっとずっと先だったと思います。
これまで「武士の家計簿」の著者磯田道史さんが岡山県ご出身で、歴史番組で岡山県について言及されなかったら、たぶんなんの興味も持たなかったと思います。
今回もMIFさんにはたくさん背中を押してもらって実現した旅行でした。
いつもMIFさん、ありがとうございます。